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カテゴリー ダメダメ家庭出身者のキャラクター
配信日 06年1月18日 (10年10月17日 記述を追加)
タイトル 味覚障害
私は以前に、ある人にこう言ったことがあります。
「ダメダメ家庭出身の人は、本能が壊れている。」
人間としてというより、動物として基本的なことが壊れた状態。人間としての知性や精神性はあっても、動物としての本能がない。

それこそ、もっとも基本的な本能といえる生存本能の次元から壊れているわけ。
いい歳をして働かないニートの問題で、そんな若い人を相手に「オマエも働かないと生きてはいけないぞ!」などと説教するオヤジたちがいますよね?
まあ、生存本能が壊れている人に、そんなこと言っても無意味なことくらいわからないのかな?
生存本能が壊れている人にしてみれば、「オマエも働かないと生きてはいけないぞ!」などと言われても、「あっ?そう?じゃあ、ボクも死にますよ!」でオシマイなんですね。実際に、よく集団での心中事件があるでしょ?
心中事件があると、周囲の人は大騒ぎをするわけですが、周囲の人はその人に対して「働かないと死んでしまうぞ!」とお説教していたわけだから、自殺した人としても、その説教を受け入れて死んだだけですよ。
論理的にも、そして、ある意味において、倫理的にも、実に自然な流れでしょ?

「このままだと、死んでしまう。」という警告を受けて、『このままじゃダメだ!』『死なないように、変えていかないと!』と思い直すことは、動物として自明と思われる方も多いのでしょうが違っているわけ。
家庭が壊れてダメダメな状態だと、本能も壊れてしまっているわけ。
現実的にそんなものでしょ?

ダメダメ家庭出身者は、子供時代に過ごしたダメダメ家庭の生活で精神的に疲れ果てしまっているので、今更「生きたい」なんて思えないわけ。
生きる意欲もなく、生存本能もない。

さて、ダメダメ家庭の人間が壊れている生存本能の一つとして食事に関することもあります。このことはこのメールマガジンで度々書いています。ダメダメ家庭出身の人は食事に関心がなくなってしまうわけ。それが進行して、味覚障害などに陥ってしまう例が多く発生することになる。

だって、そもそもダメダメ家庭では、食事というより食卓が壊れているわけです。家族で食卓を囲むと言っても、料理がおいしいわけではないし、食べている最中に親からグチを言われっぱなし。食卓を思い出すだけで不快になるんだから、食卓で行われる行為である食べること自体をキライになるのも当然でしょ?

あるいは、食べることを頻繁に忘れてしまうような人間になったりする。まあ、マトモ家庭の人には考えられないような状態でしょうが、ダメダメ家庭出身の人間は食卓というものに「いい思い出」がないので、食事ということが記憶や思考から抜け落ちてしまうわけです。
不快なことは早く忘れたいと、誰でもが思うことでしょ?
食事や食卓についても、さっさと忘れてしまい、何も考えない。
だから、食べるものも、「て・き・と・う」。考えたくないものだから、味などはどうでもよく、手軽であることが優先される。だから栄養も偏る。そしてミネラルのバランスが崩れて味覚障害などになるわけ。逆に言うと、味覚障害になるような人は、「食卓を嫌っている」ダメダメ家庭出身の人と見て間違いはないでしょう。

味覚障害になると、味がわからなくなってしまうわけですから、ますます食べることに関心がなくなる。だから、ますますミネラルの摂取が偏り、ますます味覚障害が進むことになる。ダメダメ家庭の問題でよく出てくるスパイラル進行するんですね。味覚障害が進行すると、新陳代謝が機能しなくなり、自然と傷が出来るようになります。

味覚障害の歴史的に有名な事例として、キリスト以降の最大の聖人と言われた「アッシジの聖フランシスコ」の場合があります。まあ、彼の場合は修行のせいで栄養不足になったわけで、ダメダメ家庭の問題とは直接的には言えないでしょう。
彼は、手とわき腹に自然と傷ができて、血が流れ出すようになってしまったわけ。「キリストと同じところに傷が!」ということで、聖フランシスコは「神からの奇跡!」と喜んだそうです。

このような傷は、医学的にいうと、ミネラルの1つである亜鉛の摂取が著しく不足したので、新陳代謝が崩壊し、傷が自然に出来てしまったと説明されています。まあ、聖フランシスコさんが亜鉛を沢山含んでいる「牡蠣フライ」を食べるわけには行かなかったでしょうからね。アッシジはイタリアでも割と内陸部ですし、それにそもそも当時のイタリア人は牡蠣なんて食べないでしょうね。ドラッグストアーで亜鉛サプリを買ってくるわけにも行かないでしょうし。しかし、聖フランシスコの聖痕も、医学的に説明してしまうと、なんとロマンのないこと!!

アッシジのフランチェスコも、精神的には最上級でも、動物としての本能が崩れちゃっているわけ。動物としての原初的な本能を喪失し、シャレでもなく、太陽や月の兄弟になってしまった状態。身体がこんな状態のままでは、トリに話しかけている場合じゃないよ。キアラさんも心配するのはごもっとも。まあ、こんな感じで、味覚障害も重症になると、「おいおい!いつのまにか傷ができてしまったぞ!」という状態になってしまう。

現実的にはそこまで行く例はそんなにないでしょう。しかし、食べ物の「好き嫌い」が激しい子供っていますよね?
それって、要は「食卓がイヤだ!」と言うことなんですね。
顔を見るのも不快という人間と一緒に食事をしていたら、食べ物の好き嫌いも激しくなるのは当然でしょ?

当人にしてみれば、食卓が不快なんだから、食事は選択可能な権利ではなく、「どんなに不快でも達成しなければならない」という義務の範疇となっている。
食を義務ととらえるので、ますますプレッシャーになってしまうのは当然のこと。
義務感が暴走すると、それこそ過食症になってしまうし、食に対する心理的な不快感が暴走すると、拒食症にもなりますよ。

拒食症に陥った人に対して、「このまま行ってしまうと、アナタも死んでしまうよ!」との警告の言葉がありますが、そもそも生存本能自体が崩壊しているんだから、「死んでしまうよ!」という言葉は、言われた側にしてみれば、天気予報のような予測に類するものであって、「こうしてはならない」という警告にはならないわけ。
だから、予測のとおりに、「死んでしまう」ことになる。

食への意欲がない人間は、空腹感はあっても、それが食欲には結びつかない事態になってしまう。「空腹感はあっても、食欲がない。」と書くと、『それって、意味不明じゃん!』とビックリする人もいらっしゃるでしょう。しかし、食が崩壊しているダメダメ家庭においては現実に発生していることなんですね。

別のところでも書いていますが、ダメダメ家庭の人間で「どんなに空腹でも、実際の料理やメニューでの料理の名前を見ていると、食欲がなくなる。」という人もいるわけです。
『抽象的な』空腹感はあっても、「これを食べたい。」という具体的な食欲にはならないわけ。
そして、空腹感というものは、ある程度まで体力があるからこそ、発生するもの。
それこそ、マトモ家庭出身の人でも、病気の時は空腹感は感じないものでしょ?
「鶏が先か?卵が先か?」ではないけど、食への意欲が崩壊してくると、空腹感も崩壊してしまうわけ。
と言うことで、ますます食べることに対する関心がなくなってしまう。

ニートの問題も、「職」よりも、まず先に「食」に目を向ける必要があるわけです。
ヘンな話になりますが、「食への意欲をどうやって持たせるのか?」という問題の解決なしに、「職」への意欲を教え込んでも、無理が来るわけ。
「食」に対して無関心な人は、無理に「職」を与えても、いずれは無理がきますよ。
別のところで書いていますが「働かざるもの、食うべからず」という言葉を受けて、「食べる」ことを簡単にやめてしまうわけ。

「職」でも「食」でも、義務感だけで対処しても、結局は自分をだますような対処となるだけだし、どのみちいつまでも騙しきれるものではないもの。
食べ物の好き嫌いの問題への対処においても、義務感によって命令するという対処では、一時的には「問題が見えなくなる」ことにはなっても、本質的な解決にはなっていない。
そんな子供は家庭だけでなく、学校においても、食べ物を取ることは自分の希望を抑え、自分をだますシチュエーションという形で認識することになる。だから、ますます食事が嫌いになる。
現実的には、学校給食などで、そのような好き嫌いの激しい子供に強制的に食べさせている例が多くありますが、そんなことをしたら、ますます食べることがキライになるでしょ?それにそんなことをされたら学校そのものだってキライになりますよね?そんなことをするから学校が襲撃されちゃうんですよ。

ダメダメ家庭の子供にとって、学校というものは助けになる存在ではないわけです。
むしろ、ダメダメな親と一緒になって、子供を弾圧する存在なんですね。
子供が事件を起こした後で、「どうして、こんなことに・・・」とコメントするところは、ダメダメ家庭も、ダメダメ学校も変わりないわけです。

「困っていたら、いつでも相談においで・・・」そんなメッセージを常日頃から発していない・・・だからこそ子供の事件も起こるわけ。
たとえ、家庭がダメダメでも学校がしっかりしていれば、事件まで発展することはありませんし、食べ物の好き嫌いも味覚障害まで進展することはないわけです。

味覚障害は、医学的には、ミネラルの摂取の問題です。
そもそも亜鉛や鉄分などのミネラルは、海水に含まれているものでしょ?陸上の生物も、もともとは海の生物から進化したわけ。陸上で生活をするようになっても、海の要素を、その体の中に持っているわけ。
その海の要素が崩壊して、味覚障害になる。生物は海から離れて生きていけないわけです。
海から離れるにつれ、動物としての本能からも離れていってしまう。

以前にも書きましたが、海というと、フランス語では「MER(メール)」です。同じ発音のメールは「MERE」で母親という意味です。フランス語的には「母なる海」というわけ。

海からの遠さが、本能からの遠さに通じ、
母からの、精神的な遠さが、本能の破壊に至る。
シャレでもなく、そんなものでしょ?

(終了)
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発信後記

約15年ほど前の、埼玉県での少女殺害事件での宮崎被告の死刑が最高裁で出ましたね。
まあ、彼が死刑になるならないは、私個人は関心ありませんが、問題の本質はもっと別のところでしょ?
彼の家庭がダメダメ家庭であることは歴然ですよね?

あの時点で、ダメダメ家庭の問題をもっと真剣に考えておけば、その後の多くの事件も防ぐことができたのでしょうが、結局、彼一人死刑にしてオシマイ。結局何も変わっていないじゃないの?

まあ、ダメダメ家庭の問題に限らず、事件においては「何を言っているのか?」ではなく、「何が言われていないのか?」それが重要なんですね。
問題が大きくなるのは、本人が目を背けているところがどんどんと大きくなって、身動きが取れなくなってドッカーンとなるわけ。本人が目を背けているので、重要な面は、決して語られないもの。しかし、そこが最大の原因なんですね。

社会全体でも同じことが言えます。家庭問題から目を背け続けているから、様々な未成年の事件が多発し、ニートの問題や少子化の問題だって進行しているわけでしょ?

痛みを伴う改革が一番必要なのは、本来この部分でしょう。
金をばら撒けば、問題が解決!なんて言っているうちは、改善なんてしませんよ。
R.10/10/17