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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 06年1月20日
タイトル そんな言い方はよくない!
ダメダメ家庭は会話不全の家庭。
相手の話を真摯に聞き、自分の意向を相手にわかりやすく伝えるという発想がないわけ。
会話というものは、「何を言うのか?(WHAT TO)」の問題だけでなく、「どう言うのか?(HOW TO)」の問題もあるわけです。ダメダメ家庭では、その「HOW TO」の面がメチャクチャなわけ。会話している相手への配慮なんか全然ないわけです。
自分の考えに自身なり信念があるのなら、相手にとってできるだけわかりやすい形で語る必要があるでしょ?それに、質問を受けやすい物言いであることも必要ですよね?

このことは、このメールマガジンで何回も書いています。
しかし、この文章をお読みになっておれられる方は、こう思ったりするでしょ?
「アンタ自身の文章はどうなの?アンタの文章はわかりやすいとでも言うの?それに、もう少し穏やかな表現にしたら?」

この点は全くおっしゃるとおり。
まあ、私の場合はある意味において、確信犯なので、自分でもわかってやっていること。

しかし、いささか強烈な言葉を使って、イタイところをズバリ突く私の文章は、当然のこととして反撃を食らったりするわけ。まあ、イタイところを容赦なく突くのは、文章だけではありませんが・・・と言うことで、顔を真っ赤にして反論されるわけ。トホホ・・・

実に多い反撃の言葉がこれ。
「そんな言い方はよくないっ!」
このメールマガジンを購読されておられる方は、たぶん、私の文章そのものよりも、私の文章に寄せられる反撃のこの言葉の方に、心の底から納得されることでしょうネ。
別にいいんですよ、当然ですからね。

しかし、「言い方がよくない」のなら、つまり「HOW TO」がよくないのなら、それはそれでいいのですが、じゃあ、言っていること、つまり「WHAT TO」についてはどうなの?という話になりますよね?
と、同時に、じゃあ、「どんな言い方だったら満足してもらえるの?」
そんな話にもなるでしょ?

反論なり否定的意見を提示する場合には、実は「言い方がよくない」つまり「HOW TO」を否定しても効果があまりないもの。むしろ逆効果だったりするわけ。

たとえば、こんな事例を考えてみましょう。
皆様がレストランで食事をする。ウェイターに「ビーフステーキをウェルダンでお願い。」と注文。しかし、出てきた料理が「カツオのたたき」だったらどうしますか?
ウェイターに「オレはウェルダンって頼んだのに、コレは生焼けじゃないか!」なんてクレームをつけるの?しかし、そんなクレームだったら、持ってきたカツオをもっと焼いて持ってくるかもしれないでしょ?それよりも「オレはビーフって言ったのに、コレはカツオじゃないか!」と言った方がいいでしょ?
焼き方の問題というより、素材そのものの問題の方が大きいわけでしょ?

物事を否定する場合には、「HOW TO」ではなく、「WHAT TO」が主な理由になるわけ。
そもそも「HOW TO」というのは、人それぞれ。「アナタはコッチのやり方が好きのようだけど、ワタシはこのやり方が好き。」そんな個人差があったりするものでしょ?
それよりも、「そもそも中身が違っている!」と言った方が、客観的で説得力がありますよ。

しかし、往々にして「そんな言い方をしないでよ!」なんて言葉を持ち出し、人は怒ったりするもの。
これは何もダメダメ家庭だけの問題ではありません。
それこそ政治の世界でもありました。

小泉首相の前任の首相の○氏が、野党からこう責められましたね?
「○氏は、総理としての資質に欠ける!」
それに対し、当時の自民党の実力者の野中氏は、「一国の首相にそんな言い方はよくない!」そんな反論でした。

しかし、この反論は面白いでしょ?笑っちゃうほどに面白い。言うまでもなく、「総理としての資質に欠ける。」という指摘に対する反論は「○氏は、洞察力、先見性、統率力、交渉力、教養・・・どれを取っても、一流のものだ。彼は総理に必要な資質を持っている。」そう反論するのがスジですよ。言い方の問題ではないでしょ?

どうして、そのようなマトモで効果的な反論をしないの?まあ、マトモな反論をしたくても、出来なかったのでしょうね。野中氏の心の中の声は「○氏が無能で、総理の資質に欠けることは、オマエたちよりも、オレ自身が身に染みて分かっているよ。だからそんなにはっきりと言うなよ!」と言ったところでしょ?

人というものは「WHAT TO」で反論できない場合、「HOW TO」の部分で反論しようとするわけ。むしろ、自分でも内心では思っていることを、相手からズバリ指摘されてしまったので逆上してしまい、だからこそ「言い方がよくない!」なんて反論になったりするわけ。「言い方がよくない。」という反論は、否定を意味するのではなく、内容的には肯定を意味しているわけです。

このことは、オペラや映画などでも典型的な会話があったりします。
男女が話をしているシーン。
ここで、話題がとある人間のことになった。男性が言うわけ。
「えっ?!△△くんと付き合っているの?あのイナカモンのことかい?」
その言葉を受けた女性の側が反論。
『そんな言い方はよくないわ!』

そんな会話のシーンを見たことがあるでしょうし、実際にやったことがある方もいらっしゃるかも。
確かにイナカモンという言葉使いは、「いい言葉使い」とは言えない。しかし、そんな言葉に対する反論は、「そんな言い方はよくないわ!」という言葉ではなく、「あのねぇ!彼は確かに田舎の人だけど、アナタなんかよりもはるかに知性があって、教養もあるのよ。アナタなんか束になってもかなわないんだから!お・ば・か・さ・ん・ネ!」と言いながら、ニッコリ笑って相手の額を指で突けば、もっと効果的でしょ?

つまり、芸術作品の世界で展開されるそのような会話は、その話題になっている△△くんが、単にイナカモノであるということではなく、人間的にレヴェルが低いことを示しているわけ。そして実は、それをわかっている・・・ただ認めたくないだけ・・・そんな心理を表現しているわけです。
イタイところを突かれて、グーの音も出ない。しかし、「とりあえず反論しなきゃ!」ということで、「そんな言い方はよくない!」なんて反論になってしまうわけ。
これは芸術表現上の常套手段です。

「そんな言い方はよくない!」という言葉は言葉自体でいいのですが、人の言葉に反論したければ、もっと効果的な言葉があるものなんですね。
それこそ「そんな言い方はよくない!」という反論の言い方はよくないわけ。
勿論のこと、人の文章を読んだり、言葉を聞いている際に、「この言い方はよくないなぁ・・・」と思われる時もあるでしょう。

では、「自分だったらどう言うのか?」ちょっと考えてみてもいいわけでしょ?
「自分だったらどう言うのか?」考えていると、その言葉を気に入らないのは「言い方」が気に入らないのか?それとも「言っていること自体」が気に入らないのか?その点について、はっきり見えてくるわけです。

言っていること自体が気に入らないのなら、反論するのなら、「WHAT TO」の面を中心に反論した方がいいんですね。そんなものでしょ?
言っていること自体が気に入らないけど、グーの音も出ない。
そんな状態なら、無理に反論せずに、自分自身でしっかり考えてみた方がいいわけ。そんな思考の中から自分自身が見えてくるわけでしょ?

しかし、ダメダメ家庭は当事者意識がないので、自分自身で考えることをしないわけ。
また、ダメダメ家庭は被害者意識が強いので、スグに自分の被害者意識に火がついて逆上状態になってしまう。そして「自分に被害を与えた人間に早急に逆襲したい!」あるいは、「何か反論することで、この問題についてこれ以上考えなくても済むようにしたい!」なんて思っちゃうんですね。

だから「そんな言い方はよくない!」なんて、理屈にならない理屈で反論して自分で勝手に納得しているわけ。しかし、それって自分自身について考えるチャンスをみすみす逃しているだけなんですね。

(終了)
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発信後記

ちなみに、あのライブドアが捜査を受けているのかな?
今現在はどの段階かはわかりませんが・・・

ライブドアの堀江社長がダメダメ家庭出身者の典型的な特徴を多く持っていることは、以前にこのメールマガジンで触れたことがあります。

対抗心は強いは、
手下はいても、仲間はいないは、
威張りたがりだし・・・
彼のあの服装は、彼が権威主義者である証拠。だってそれだけ権威というものを強く意識しているから、あの服装になるわけでしょ?権威を意識していなかったら、それなりのシチュエーションではスーツを着ますよ。これって、ジョンイルもそうでしょ?

その手の人は、当然のこととして被害者意識を持っているものなので、「自分が一番の被害者だ!」と思っているものです。だから他人に被害を与えることも平気なもの。
ダメダメ家庭出身者のネガティヴな要素を、本人が自覚していれば、問題はないわけですが、彼にその自覚がないことは明白でしたよね?

もし、彼が刑務所に入ったら、自分自身を見つめ直すいいチャンスとなるでしょうね。
R.10/11/28