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カテゴリー ダメダメ家庭問題の考え方
配信日 06年1月27日
タイトル 考え方の枠組み
私が高校生の頃(なんと!私にも、そんな時代もあったんですよ!?)国語の試験の成績には非常なばらつきがありました。試験問題の文章の作者が国文科出身の人だと、散々な成績なんですが、仏文科や英文科出身の人の文章だとバツグンの成績でした。試験問題の文章が外人さんの文章からの翻訳文だと、さらにバツグンでした。私は国文科出身の人の日本語を読んでもチンプンカンプンなんですね。川端康成氏の文章なんて、理解不能ですよ。私は日本的な発想がよくわからない人間なんでしょうね。

よく「ヤツは、いわば日本語を話すガイジンだ!」などと言ったりケースがあったりしますが、私のそんなところがあるんでしょう。私の日本語はかなり高度なものだと思っていますが、だからといっても発想そのものは、どっちかというとヨーロッパ的なんでしょうね。
だから私にしてみれば、日本人くさい日本語はわからないわけですが、逆も真なりといえるわけ。
私の非日本的な発想から生まれた日本語を、理解しにくいと感じる人がいて当然ですよ。

このメールマガジンに対して、「文章が長すぎる」という意見があったりします。前回もやたら長かったですよね?まあ、確かにこのメールマガジンの文章は、他のメールマガジンの文章と比較すると隔絶して長い。これは否定しようがない。しかし、この場合の「長さ」は、ただ単に文字数の多さという問題だけではないわけです。

「長い」と感じる人は、私の「非日本的な日本語」を、「日本的な日本語」に翻訳しながら文章を読んでいるのでは?だから読んでいて疲れてしまうわけ。だから長いと感じることになる。「日本的な日本語」を読んでいて長いと感じない長さであっても、「非日本的な日本語」だと長いと感じてしまうわけ。

そうじゃないですか?

人には、それぞれ「考え方の枠組み」のようなものがあります。哲学では「パラダイム」と言うのではなかったかな?その「考え方の枠組み」が近い人同士は理解しやすいわけですし、「枠組み」が遠い人との間では理解しにくい。これは当然のことですよね?

たとえば私の文章の書き方は、どっちかと言うと、「具体的な小さいところから、だんだんと大きい一般的な事項」に進んで行きます。これは欧米人の名前の順番や住所の記述の順番と同じ。
まあ、私個人は、そんな順番で物事を考えているので、文章もそんな順番になっているわけ。

しかし、日本人は名前も、住所も「大きいところから、小さいところ」へ記述していきますよね?多くの一般的な日本人も、考えるにあたって、そんな順番で考えているのでは?

具体的な個別マターから一般的な問題へと流れていくのか?それとも一般的な概念を記述した後で、個別の具体論を記述していくのか?往々にして日本の書籍って、一般論の後に個別の具体論という流れですよね?
どっちがいいとか、悪いとかの問題ではないのですが、「この文章はちょっとわかりにくい。」と感じたら、自分自身の「考え方の枠組み」について考えてみるチャンスであるわけ。

単に長いからわかりにくいということなら、読む方だって練習も必要でしょ?何も私の文章で練習する必要はありませんが・・・
同じ程度の長さの文章なのに、別の文章だと長いと感じないのに、この文章だと長いと感じてしまう・・・そういうことだったら、「わかりにくい理由」は、長さ以外にあるわけでしょ?

このようなことは、文章だけでなく、音楽だったり映画だったりにも起こったりしていること。
ダメダメ家庭の問題と直接には関係ありませんが、「長すぎる!」と感じた作品について、ちょっと思い出してみると、「長さの正体」がわかったりするわけ。
それによって、自分自身について理解がより深まれば、自分自身が今以上に豊かになれるというものですよね?

自分自身について理解するのは、ダメダメ家庭の問題に限らず重要なこと。
文章が「わかりにくい」と感じることから、「わかる」ことだってあるわけです。

(終了)
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発信後記

まあ、最近は日本人も欧米化してきてしまって・・・本文で取り上げた「考え方の枠組み」だって、最近は欧米化が進んでいるのでは?
勿論、体格とか顔つきとかも、どうも欧米人化してきていますよね?
昔の日本人の写真を見ると「あれっ?この人たちって、どこの国の人なの?中国奥地の人なの?」と思っちゃう・・・そんなギャグのようなことって実際あったりするものでしょ?

その他、足の形も欧米人化が進んでいるようです。靴屋さんに行って「アメリカ人向けの靴でサイズは○インチの靴ありますか?」なんていうと、「最近そんなことを言う人が増えているんだよねぇ。」と言われたりする。どうも最近は欧米人のように足の甲が低い人も多いようです。

既製服も、やっぱり手足が長くなってきているし・・・まあ、助かるけど・・・
あと、顔つきの欧米人化で、メガネも変わる必要があるでしょうね。
鼻の幅が狭くなって来ているので、鼻に引っかからなくなって来たりするわけ。

何事もそうですが、「昔はこの方法でよかったのに・・・」と現実逃避されてもねぇ・・・そんな昔のことばかり言っているから、若い世代が窮屈に感じて、少子化になるんですよ。
R.10/11/27