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カテゴリー ダメダメ家庭の被害者意識
配信日 06年2月3日 (10年11月12日 記述を追加)
タイトル たかり根性
ダメダメ家庭は被害者意識が強い。「自分はかわいそうな被害者だ!」と思っている。不都合な事態になってしまっても、当事者意識を持って、自分自身で問題を解決しようとは思わないわけ。
「ああ、上手く行かないなぁ・・・」と、グチっているだけなんですね。

被害者意識が強いので、「自分たちが一番の被害者だ。」と思っている。だから、他者の被害には無頓着。というより、「アイツらは、自分たちよりも、恵まれている!」と、他者を恨むだけ。

「恵まれていない」人間が、「恵まれている」人間に対してすることは、「たかる」こと。
これは基本でしょ?恵まれていないケースと言っても、体が不自由な方ならしょうがないでしょう。そのような肉体的なハンディキャップのある人には、周囲の人間がサポートすることは必要でしょう。本人にしてみればどうしようもありませんものね。

しかし、「ワタシたちはかわいそうな被害者だ!」と自分で勝手に認定している人も、被害者の当然の権利として、やっぱり「たかろう」とするわけ。
と言うより、そんな被害者意識が強い人は、なおのこと「たかり」に熱が入るわけです。
だって、そのような「たかり」は、自分たちの被害者意識を満足させてくれる栄養分なんですね。
「たかって」補償を得たという結果も重要ですが、「たかる」という行動そのものにも、意味があるわけ。「自分たちが被害者だ!」ということを自分に確認する行為になっているわけ。
「オレたちは、こんなにかわいそうなんだぞ!そのことを、アンタたちも認めてくれよ!」
そんな要求になっているわけ。

まあ、典型的にみられるのが韓国であることは言うまでもないでしょ?
韓国人が日本に「たかる」のは、お金が欲しいということもあるわけですが、その「たかる」行為自身が、「自分たちがかわいそうな被害者だ!」という「被害者としてのアイデンティティ」を確認する行為になっているわけ。

勿論、そんな「たかり」は韓国人の専売特許であるわけではありません。
以前に、ちょっと書きましたが、インターネット企業の「楽天」がプロ野球チームを作って宮城県の仙台に本拠地を置こうという話になったとき、時の宮城県知事が「スタッフの採用は地元優先で!」と発言したそうです。
早速に「たかろう」としているのだからスゴイですよね?

しかし、知事が率先する、そのような「たかり」の精神だって、「自分たちはかわいそうな人間だ!」→「恵まれた人たちが、外からやって来た!」→「ヨシっ!ここで、一丁、アイツらにたかってやろう!」という心理の流れを理解していれば、スグに理解できるものです。閉鎖的な地域って、そんな発想をよくするものでしょ?

その楽天が仙台の野球場を改装なり増築をするという話になっても、宮城県はほとんどサポートをしなかったそうです。金銭的な問題だけでなく、その他の面でもサポートをしていない様子。むしろ、周囲との手続きが済んでいないなんて理由で、増築の申請をなかなか認可しなかった時期があったはず。
勿論のこと、宮城県の知事や、その地の公務員の行動や発言は、「それなり」の根拠があるんでしょう。

しかし、折角、別のところからやってきた人たちを、暖かく迎え入れないでどうするの?何も一企業に特別な便宜を図る必要はありませんが、折衝の仲介くらいはしてもいいでしょ?
金は企業に全額出させて、住民との折衝も企業に丸投げ。そして雇用を増やす。
ある意味においては、知事として見事な手腕と言えるのかも?きっと、本人たちはそのように自画自賛しているんでしょうねぇ・・・

しかし、ちょっと考えればわかることですが、そんな宮城県の対応を、スポーツの分野に限らず別の会社も見ているわけでしょ?宮城県のそんな対応を見て、「ああ!宮城県に本拠地を置くと、自治体からのサポートもあって、運営がラクだ!ワタシたちも仙台に本拠を置こう!」なんて思うの?
そんなわけないでしょ?
「宮城県に本拠地を置くと、自治体からのサポートを受けられないだけでなく、たかられるだけで面倒だ!」
そう思うに決まっているじゃないの?小学生だってそんな理屈はわかりますよ。
閉鎖的な地域は、まずもって、そのメンタリティが閉鎖的なもの。交通の問題ではないわけ。そんな閉鎖的なメンタリティが見えてしまったら、やっぱり敬遠しますよ。

結局は、そのプロ野球の楽天に続いて、仙台に拠点を置こうとする会社があるわけもなく・・・そうなると、「オレたちは見捨てられた!」「自分たちは、なんてかわいそうなんだ!」「恵まれた人間はオレたちを相手にしてくれない!」「アイツたちだけ、いい思いをしやがって・・・」と被害者意識に浸って嘆くだけ。

そんな言動の流れは、被害者意識が強いダメダメな地域ではいつもみられたりするでしょ?
もちろん、個別のダメダメ家庭でも、いつもそんなことをやっているでしょ?

「たかり」という行動は、それ自体が問題というより、その根底にある被害者意識が問題なんですね。自分たちが一番の被害者だと思っているから、他者の被害には無頓着。これは単に「たかり」で済むわけがないわけ。

それこそ、仙台で商店街のアーケードに車が突っ込む事件が連続して起こったりしましたが、そのような行動は「自分こそが一番の被害者なんだ!」という心理を理解していれば、簡単に理解できるものでしょ?

知事の発言も、犯罪者の行動も、心理の根底においては共通しているわけ。そのような「たかり」をする人には、多少のお金で問題が解決するわけがないわけ。中途半端な補償のお金は、むしろ、「たかり」による成功体験となってしまう。それにより、「自分たちはかわいそうな被害者だ!」「やっぱりアイツらは恵まれた人間なんだ!」と、確認してしまい、「もっと、もっと」たかることになっちゃうんですね。それどころか、勝手な恨みで犯罪をするだけ。

しかし、当人たちは、「たかって」見事に成果を上げたと思っているんでしょう。「自分たちは頭がいいなぁ!」なんて本気で思っているのでしょうね。そんな「心の貧しい」人間からは距離を置く・・・これが大人の知恵というもの。
まあ、分別のある大人は、そんな人間から距離を置くことが可能ですが、子供はそんな距離を取れないもの。せめて、自分の子供にはそんな環境を与えないようにするのが、大人の責務というわけです。

たとえ、田舎暮らしであっても、その人の趣向なり判断なら、それでいいわけ。
その人なりの尊厳をもって、田舎に住んでいるのなら、それはそれで結構なことですよ。
しかし、「我々は田舎に住んでいる被害者だ。」「都会の人間ばかりが、いい思いをしている。」というメンタリティになっている状態だったら、その被害者意識に呼応する形で、周囲に対してたかることになる。
何回も書きますが、たかることにより、被害者としての立ち居地を自己確認するわけ。

その地方の問題だって、「たかって」得た成果によって、経済的には豊かになったのかもしれませんが、ただでさえ「心が貧しい」人間なのに、心がより貧しくなっちゃうでしょ?
心の貧しさの被害を受けるのは、大人ではなく子供の方なんですね。
住んでいるところまで被害と関係付けるような人は、当然のこととして、自分の子供を育てることも、自分の被害をとらえ、家庭内においては、子育てによる補償を子供に求め続けることになる。

子供に対して補償を要求するだけでなく、それこそ、子育てに対する国からの支援についても、執拗に要求することになる。
国に対するそんな要求も、「自分の子供にこのような経験をさせてあげたいけど、それに対する国からのサポートがあると、ありがたい。」という心理だったらいいわけですが、「ワタシは子供を育てることによって、こんなに被害を受けている。だから、それに対して補償してほしい。」という心理になってしまっていることも多いわけ。
そんな心理状態の人に対して、国が援助したりすると、「親は子供を育てることによる被害者」という関係性を国家で認定したことになってしまうわけ。

つまり「加害者=子供、被害者=親」の関係性を基本として、家庭内が運営されることになってしまう。だからこそ、被害者と認定された親は、加害者として認定された子供に対し報復行為を行うことになる。つまり虐待行為となるわけ。
そこまでフィジカルなレヴェルにまではいかなくても、そんな日々なので、子供も心理的に追い詰められ、切羽詰ってしまう。
そして、子供が実際に問題行動を起こし、親の側は、ますます、子育てによる被害者意識を募らせることになる。そうやって、スパイラル的に事態が悪くなってしまう。
だからこそ、事件が起きてしまうわけですし、「たかっている」状態で、その根底にある被害者意識に注目すれば、そのようなことは予想できるものなんですね。

(終了)
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発信後記

当時の宮城県知事は情報開示を進めるなど、統治システムにおいては「進歩的」という評価でした。
勿論、情報開示は重要です。

しかし、何かを成し遂げようと思っていたのなら、「きれいごと」だけでは片付かないでしょ?
「進歩的」な統治システムを確立して、その組織をメチャクチャにしてしまった代表例は、優良企業のソニーをメチャクチャにした出井さんのケース。
統治システムの整備も必要ですが、「何をするのか?」ということも、やっぱり重要というわけ。

ちなみに、来週の月曜日は、このメールマガジンの初めての試みとして読者投稿の文章を中心としたものにする予定です。
読者さんから投稿がありましたので、その文章を主体として、それに私が追加をするような形にする予定です。

折角ですから、皆様も、読むだけでなく、書くことにもチャレンジしていだけたら、私としても発行したかいがあったというものです。
R.10/11/12