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カテゴリー ダメダメ家庭の被害者意識
配信日 06年3月1日  (10年4月11日,11年2月1日 記述を追加)
タイトル 被害者認定を求める
「ダメダメ家庭は被害者意識が強い。」って、例の如くの書き出しですが・・・
そんな人間が考えるのは、「自分をかわいそうな被害者だと認めてほしい!」そんなこと。

たとえば公害とか薬害のようなケースだったら、被害者としての認定を求めることは当然でしょう。被害を公式に認定されて、その補償を求めることができるわけですからね。
それに、そのようなケースは、事態の発生において、被害者がいかんともしがたいケースといえます。
しかし、家庭問題だとそんな単純なものではない。それこそ何回も書いていますが、ドメスティック・ヴァイオレンスの問題などはその典型です。そんな暴力男とわざわざ結婚したのは、その「被害者」の女性でしょ?

倫理的な観点から見ての「いい」「悪い」は別として、事態の要因の一端は担っているでしょ?別の言い方をすると、事態発生の土壌につながっているといえるでしょ?
そんな状態で、単純に「被害者認定」をしてしまうと、また同じような「被害」に合うだけですよ。
重要なことは、もう2度とこんな事態にならないようにすることでしょ?

しかし、ダメダメ人間は、周囲に対して、執拗に「自分はかわいそうな被害者だ!」と認定してもらおうとする。
だって、ダメダメの世界では、被害者というものは、権力者なんですからね。

えっ?どうして?
どうして「被害者 イコール 権力者」なの?
マトモな人間は、そう疑問に思うものでしょ?

しかし、ちょっと考えてみてください。
被害者意識があり、「自分が一番かわいそうな人間なんだ!」と思っているので、他者の被害には無頓着。このことは何回も書いています。つまり、他者には何をやってもいいことになる。
「一番かわいそうなワタシが、恵まれている人間に対して、多少の『悪さ』をしてもいいじゃないの?ワタシこそが一番かわいそうな人間なのよ!」
ダメダメ人間は、このように考えている。実際そんなものでしょ?

それに、「自分こそが一番かわいそうな人間」と思っているので、他者に「たかる」ことも平気。これについても以前に配信しております。
だから、被害者として認定されると、「他者に何をやってもいい」権利と、「他者から金を巻き上げる」権利が手に入ることになる。
これって、まさに権力者の姿でしょ?

それこそ、「ワタシはかわいそうな被害者なんだから、後はアンタたちで何とかしてよ!」と、ダメダメ人間は、よくこんなことを言いますよね?そんなスタイルは、団扇を振りながら「よきに計らえ!ふぉ、ふぉ、ふぉ・・・」と、上から見下ろす権力者の姿そのもの。

「アナタはお気の毒ねぇ・・・」
なんて、誰かに対して気軽に同情してしまうと、もうそこには、被害者という名目で巨大な権力を握った『かわいそうな被害者さん』がいることになってしまう。

ギャグみたいな話ですが、実際にそうでしょ?
だからこそ、ダメダメ人間は、被害者として認定を求めてしまう。
被害者認定を受けると、実にハッピーなんですね。
そんな人は、被害者としての認定は執拗に求めますが、「じゃあ、アンタ自身は、結局はどうしたいの?」などと聞かれたりすると、何も答えられない。むしろ、「そんな質問でワタシを追い込もうとしている!」と被害者意識がますます膨らむだけ。
そして、次には、「じゃあ、アンタは結局はどうしたいの?」という質問によって受けた「被害」を、周囲に認定してもらおうと努力することになる。

そう言われてもねぇ・・・

まあ、「バラ色の被害者ライフ」を求める気持ちも分からないわけではありませんが、そんなことして何が楽しいの?
アンタには他にすることないの?

そんなことを言ったりすると、次には、その「他にすることないの?」などと言った「意地悪な質問」で受けた精神的苦痛の認定を求める。
被害者意識に凝り固まったダメダメな人間って、骨の髄までそんなものなんですね。

ダメダメ人間は被害者認定を勝ち取るためには、最大限努力する。それこそ集団でのデモ行進などが頻発する国もありますよね?しかし、そんな人たちって、自分たちの被害は高らかに語りますが、自分が幸福になるためには、どんな努力をしているの?
被害者認定を得るための努力の、10分の1でも、自分の幸福の実現のために努力すればいいじゃないの?

しかし、そんなことはダメダメ人間には不可能なこと。だって、「自分の幸福はいったいどんな状態なのか?」「自分はどうしたいのか?」と言うことに答えられない。
だって、そのことについて考えることから逃避しているんですからね。
別のところで集中的に取り上げております、エーリッヒ・フロムの著作「自由からの逃走」の中で記述するように、「○○をする自由」から逃避して、「○○からの自由」に執着する姿そのものになってしまう。
だから、結局のところ、「○○による被害者」という形での被害者認定を求めることしかしない。

「アナタはお気の毒ねぇ・・・」
ダメダメ人間が求めるのは、結局はこの言葉だけ。

逆に言うと、その言葉を得るためには、加害者としてふさわしい人間に、わざわざ寄っていくことになる。自分が被害を受けるシチュエーションに惹かれてしまう。
そして、予想通りに被害者となってしまい、人から「まあ、なんてお気の毒なの?!」という同情の声を受けることになる。

それこそ、好きな男性でもないくせに結婚し、子供が好きでもないくせに出産する。
そんな日々がうまく行くわけもなく、それに、もともとうまく行くつもりもない。
そして、夫婦間で修羅場になったり、子供が問題行動を起こしたりして、「まあ、ワタシって、なんてかわいそうなの?!ミンナもそう思うでしょ?」と被害者認定を周囲に求める。

あるいは、ダメダメ家庭出身者なら、ヘタをすれば、自分の親に食い下がることになる。
「アンタのせいで、ワタシはこんな不幸になってしまったんだ!」
そのように親に対してクレームをつけ、自分の親から謝罪の言葉を得て、結果的に被害者認定を得ようとする。
しかし、その主張そのものや主張のスタイルは、結局は「子育てによって、ワタシの人生はメチャクチャ!」と言っていた、親の姿の生き写しでしょ?

そもそも、自分の親という存在に関わっても、何も得るものがないことについては、一番分かっているのが、その人自身でしょ?
会話不全で、「て・き・と・う」に人に合わせているだけの人間から、謝罪の言葉を引き出しても何も意味はありませんよ。
その親が、本当に自分の問題点が分かるような人なら、もっと前に気づいていますよ。

子供が成長すると、家庭における権力関係が逆転することになる。
以前は「親が支配者」で、「子供が被支配者」だったのが、子供が成長すると逆転する。
支配・被支配の関係には敏感なダメダメ人間は、子供からの謝罪要求には、意外とすんなり応じることになる。

まさに「ここで、子供に対し、無難に対処しておかないとマズイ!」と計算する。「今となったら、子供の方が力があるからなぁ・・・老後のこともあるし・・・ここは、一つ折れておくか・・・」それくらいの心情なんですね。
そして、子供に対して「昔はヒドイことをして、ごめんね!」と、言葉の上では謝罪することになる。
そのような謝罪の言葉を得て「ああ!ワタシは、このダメダメな親による被害者なんだ!」と自分で納得してしまう。

親からの謝罪の言葉を受けて、「ワタシは被害者だ!」と納得しても、では、親の子育ての何が問題なのかは自覚できていない。
だから、そんな人は、自分が親となったら、結局は、自分の親と同じことをしてしまう。
そして、「ワタシは自分の親を反面教師としている!」と周囲には豪語する。
そして、「かわいそうな被害者なんだから、ワタシ自身は何もしなくてもいいんだ!」「こうなってしまったのは、自分の親のせいだ!」と勝手に納得してしまう。
しかし、反面教師というのは、まさに向きは違っていても、結局は同じ姿でしょ?

被害者として認定されることが目的化されてしまって、自分として達成したいことについて考えることから逃避してしまう。
そして、「ワタシこそが一番かわいそうな被害者なんだから・・・」という名目で、周囲に対し迷惑をかけることも平気。
逆に言うと、被害者としての立ち位置を得ることに寄る成功体験によって、ますます『被害を受ける』状況を求めてしまう・・・
そんな人って、実際にいるでしょ?

だから、そんな人が子供を持ったりすると、やっぱり親譲りのダメダメ家庭を作ってしまう。
それこそ、子供が登校拒否とか引きこもりとかになってしまう。
そんな状況になっても、やっぱり「ワタシを被害者だと認めて欲しい!」と周囲に対して要求することになる。
まさに、「政治が悪い!」「学校が悪い!」、そしてもちろんのこと「子供が悪い!」と、散々と理屈を並べ、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と大仰に嘆き、「ワタシはかわいそうな被害者の側なんだから、事態の対処は加害者であるアンタの側がやってよね!」と、対処を丸投げすることになる。

子供の登校拒否においても、その手の親は、真っ先に自分を被害者として勝手に認定してしまって、そして、その認定へのオーソライズを周囲に求めるわけです。
そんな態度なんだから、そのまま続くと、子供が自殺したり、事件を起こしたりする。
しかし、そんな事態になっても、「ああ!出来の悪い子供を持ったワタシは、なんてかわいそうなんだ?!」と勝手に嘆き、「ワタシこそが被害者なんだ!」と、周囲に対して被害者認定を求めることになる。

被害者意識が強いダメダメ人間は、被害者認定を求める行為自体によって、自分がかわいそうな被害者だと、自分に納得させる儀式とし、そして、その認定が得られてしまうと、獲得した「かわいそうな被害者」という立場を持って、周囲に対し対処を要求することになる。
上記で例示した、登校拒否とか引きこもりにしてしまう親は、まさに、それゆえに、「自分こそが被害者なんだ!」と周囲に語ったりするもの。
そして、その要求が認められてしまう環境を求めたりする。逆に言うと、被害者認定を求める要求に簡単に応えてしまったら、そのツケは最も弱い立場である子供に集約してしまうわけです。

(終了)
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発信後記

もう3月になりました。
3月というのに、寒い。冷え性の私は、寒いとキーボードを打つのも結構大変だったりします。
最近、文章の書き溜めを行ったので、このメールマガジンもまだまだ続きます。
よく続くなぁ・・・まあ、一番呆れているのは、誰よりこの自分自身です。
R.11/2/1