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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 06年4月3日 (10年11月30日 記述を追加)
タイトル アメ持参
以前に、本を読んでいたら、その中で転校生の心構えが書いてありました。
「転校して、その生徒に最初に寄ってくる子供は、そのクラスのハズレもの。そのクラスの主流とは言えない。そんな子供を頼りにしてもムダ。
主流というものは、でーんとしているもの。だから、スグには寄ってこない。しかし、そんな人間こそが頼りになる存在。」

そんな記述でした。
自分に自信があれば、何もヘコヘコする必要はないでしょ?
困り事への対処だって、困っている人から「相談に乗ってくれ!」と頼まれたら、相談に乗ればいいだけ。「君には困りごとはないかい?」なんてわざわざ出向く必要はないでしょ?

今までの事情を知らない人に対しては、「困りごとがあったら、いつでもおいで!」って言えばいいだけ。困りごとなんていつでもあるわけではないので、相手が困ったときに親身になって対応してあげるスタイルの方が、相手のためでしょ?わざわざ「困っていることはないの?」なんて出向かれても、相手の状態だって色々とありますよ。前にも書きましたが、そんな感じで突然に来訪する人間に一番困るものでしょ?

自分に自信があれば、でーんとしているもので、自分に自信がないと、ヘコヘコとうろつきまわる。実際にそんなものでしょ?
しかし、会話ができないダメダメ人間は、自分に自信がなく、どうしてもヘコヘコしてしまう。そして、会話ができない自分のような人間でも相手をしてくれる人間を探し回るわけ。

そもそもダメダメ家庭の人間は会話の能力がないだけでなく、当事者意識もないので、達成したい目標もない。達成したい目標そのものがないんだから、達成できた成果があるわけがないじゃないの?成果がなければ、自信なんて持ちようがないでしょ?
どうしても、落ち着いて堂々たるたたずまいというわけには行きませんよ。

それにダメダメ家庭を作る親は、被害者意識が強く、そんな親は、「子育ては親である自分が押しつけられた被害」として認識している。だから、子供に対して「親に迷惑を掛けるな!」と厳命することになる。
そんな親のもとで育った子供は、親に迷惑が掛からないように、周囲をオドオドと伺うようになってしまう。
そして、そんな自分でも相手になってくれるような、弱い立場の人間を探しているわけ。
だから、弱い状況にあるものに、率先して手をさしのべることになる。

このようなことは、以前に「ダメダメ家庭出身者のその後」というカテゴリーで「ボランティア関係者」というお題で書きました。
あのようなボランティア関係者や福祉関係者は、ダメダメ家庭出身者の巣窟のようです。本人にダメダメ家庭出身者としての自覚があって、自分自身のリハビリを兼ねてやっているのならまだしも、本人に自覚がないケースが多いんですね。これではサポートされる方だってたまりませんし、事態が解決するわけがないでしょ?

世の中でよく言われる言い方で「アメとムチ」という言い方があります。「ムチを使って、強制力を使って相手を従わせるのか?」「それともアメを与える方法で従わせるのか?」
「叱るのか?」「ほめるのか?」

動物に芸を教えるのには、色々とあるでしょう。しかし、人間だったら「アメとムチ」以外にも方法はありますよね?
会話を使う方法です。だって人間は動物と違って会話ができますからね。
自分の意向を言葉を使って説明して、相手を納得させた方がマトモでしょ?アメやムチなどよりよっぽど文明的ですよ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は会話の能力がない。本人にその自覚があって、自分自身で会話の能力を向上させる努力をすればいいのでしょうが、ダメダメ家庭のもう一つの特徴である被害者意識によって、そんな努力もしないわけ。自分の意向が伝わらなかったことを、自分の会話の能力の問題ではなく、相手の理解力なり意欲の問題にしてしまう。だから、「どうして、あの人はわかってくれないの?」と被害感情に浸ってしまう。そして、「自分はかわいそうな被害者なんだから、対処は加害者であるアンタたちがやってよ!」と、対応を周囲に丸投げすることになる。

自分の意向がわかってもらえないことを、自分の能力不足と考えるのではなく、被害ととらえてしまうわけ。だから「ムチ」を使って力づくで、自分の意向を実現させようとする。まあ、こんなことだから、ドメスティック・ヴァイオレンスだって起きますよ。
このようなドメスティック・ヴァイオレンスは、「ムチ」を使って自分の会話能力を補うケースといえます。

しかし、度々書いていますが、このようなドメスティック・ヴァイオレンスのような状況になると、ボランティア人間が現れてサポートを申し出たりするもの。
しかし、それって、転校生に真っ先に声を掛ける、クラスの中のハズレものと同じなんですね。
ムチは使わないかもしれないけど、常にアメを持参しているわけ。

それって、何かアメを与えないと、自分の意向が実現されないってことでしょ?
結局は、「アメ」か「ムチ」かの違いはあっても、会話の能力の不足は全く同じなんですね。
だから、類は友を呼ぶ状況になりやすい。
ドメスティック・ヴァイオレンスのような状況だと、暴力を振るう男性はそもそも会話の能力はないし、そんな男性と結婚した女性も、やっぱり会話の能力のない人間。そうして事態が悪化したら、アメ持参で寄ってくるボランティア人間も、やっぱり会話の能力がないわけ。

ムチを使う暴力的な人間は、大きなトラブルにつながりやすく、その会話の能力の不足に気がつきやすい。しかし、アメを使う人間は、その会話の能力の不足に本人も気がつかないわけ。だから、そんなアメ持参人間が、自分の意向が実現されなくなると、ますます過大なアメを持参するようになってしまう。

世の中でも、やたら「おごりたがる」人っていますよね?世の中の付き合いには応分の負担で十分でしょ?それ以上の過大な負担を率先してやろうとするということは、ある種「やましい」ところがあるわけ。それだけアメを撒いておきたいわけ。自分の会話の能力の不足をそんなアメで補おうとしているわけです。
アメを与えること自体が悪いわけではありませんが、まずは自分自身の会話の能力の不足を自覚して、その能力を向上させるのが先でしょ?
しかし、ダメダメ家庭の人間は、自分自身の問題を見つめることから逃げているもの。

自分自身の問題から逃避しているので、信念と無縁になり、その言動に一貫性がなくなってくる。
だから、周囲の人から信頼感を持たれない。
だって、言っていることがシチュエーションによって変わってしまうような人を誰が信頼するの?

そうなってしまったら、ダメダメ家庭の人間も、信頼というものについて、当人なりに考えてみればいいわけですが、相変わらずの自己逃避。
そして、信頼感の欠如を別のもので補うわけ。
別のところで書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別がつかない。信頼は一貫性が必要になりますが、好意とは断片的なものでもOKでしょ?
言動に一貫性がなく、それゆえに信頼感を持たれないダメダメ人間は、周囲から信頼を得るために自身を律するのではなく、自分に対して好意を持ってもらうために、まさにアメをばらまくことになる。

あるいは、信頼と支配の区別がつかないダメダメ人間も多い。
信頼は相互理解に基づき、お互いを肯定した関係といえますが、支配というのは、「逆らうことができない。」という二重否定的な関係です。
発想の方向性の基本が、肯定方向なら、信頼につながりますし、否定方向なら支配になるわけです。

たとえアメをばらまいても、それで信頼を得ることにはつながらないでしょう。
アメをばらまいて得られる評価は、「あの人はモノをくれたがる人だ。」というだけで、「あの人は信頼できる。だって、会うたびにモノをくれるんだから・・・」とはならないでしょ?モノをあげても、信頼を買うことはできない。しかし、支配は買うことができるでしょ?
援助をすれば、「逆らうことができない。」という状況を作ることができますよ。

そいうことで、会話の能力が不足しているがゆえに、アメで片を付けるようになり、
自分に自信がないので、ヘーコラする必要があるので、アメを持参して、
人からの好意を求めて、アメを配り、
相手を支配するために、アメを与えるわけ。

逆に言うと、アメというか、何かとものをくれたがる人は要注意というわけです。

(終了)
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発信後記

官房長官をされた村岡さんの裁判で、先週判決があって無罪となりました。まあ、あの事件はいかにもですものね。肝心の巨悪が中国へ行ってノンビリしていてはダメでしょ?
その村岡さんは、裁判のためにA4で16枚の陳述書を、パソコンを使って自分で作成したそう。

あの年代の人が、自分でやるのだから、熱意はありますよ。
まあ、当然のこととして、タイピングは人差し指タイピングでしょうね。
メールマガジンを購読されておられる方はともかく、文章を作成する側の人間は、当然のことながら「人差し指タイピング」というわけには行かない。
私の場合は、週3回という発行頻度なので、さすがにキーボードを叩くのが上手になってしまう。

ただでさえ「長すぎる」という文章を作っているのだから、キーボードを叩きすぎて「つぶれて」しまうわけ。コーヒーをこぼして壊したというわけでもなく、物を落として壊したというわけでもなく、叩き続けて、キーボードがつぶれてしまうわけ。
キーボードって、寿命まで使う人っているの?
とビックリしている人もいるかもしれませんね。私の場合は1年もちません。

まあ、3年保障のキーボードを使っているので、「つぶれたら」無償交換という手を使います。まあ、相手は世界的に儲かっている会社なので、これくらいはいいでしょう?
ちなみに、キーボードを叩き続けて「つぶそう」と思っても、簡単には出来ませんよ。
「つぶれた」キーボードは私の熱意の証・・・なんて格好のいいものではありませんが。
皆さんも運動と思ってやってみてはどうですか?
R.10/11/30