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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 06年4月5日 (10年7月22日 記述を追加)
タイトル 他人弁護
追記 読者さんからの追加文章があります。(10年8月15日)
ダメダメ家庭の人間は、やたら弁解がましい。
何かトラブルになったりすると、「ワタシは悪くないのよ!」なんて物言いで、一生懸命に自分を弁解するわけ。
かと言って、「アンタは悪くないとして・・・じゃあ、結局は、アンタはどうしたいの?」と聞くと、返事が返ってこない。

まあ、自己弁護に明け暮れているのは、かっこ悪い。
かと言って、ダメダメ人間は何とかして自分を弁護しようとするもの。
だから、そこそこ知的水準が高いダメダメ人間は、もうちょっと別の形で、自分を弁護するんですね。

それは自分と似た境遇にある人間を、必死で弁護するわけ。
「彼女は全然悪くはないのよ!」
「彼らはお気の毒な被害者なのよ!」
そんな感じ。

ちょっと前にインドネシアのバリ島でテロがありました。そこで日本人の方が被害に会われました。その方は純然たる被害者といえるでしょう。
しかし、そんな状況になると、テレビに弁護士などの『識者』さんが登場し、その「被害者」を必死で弁護するわけ。

「日本人の生命を守るのが日本政府の務めだ!」「政府は遺族に補償金を払うべきだ!」
一見正論のように見える方もいらっしゃるかもしれませんが、遺族の方は、そんなにお金がほしいの?お金だったら海外旅行の際にはそれ専用の保険もありますしね。
当人に何も関係ない赤の他人が、そんなに必死で弁護する必要もないでしょ?「テロに巻き込まれてお気の毒。運が悪かったなぁ・・・」そして「今後は、やっぱり保険をかけておく必要もあるでしょう。」「危険な場所には観光ではいかない方がいい。」でいいじゃないの?
その「弁護士さん」だって、もし遺族が国に対し訴訟を起こしたら、その時に弁護をかってでればいいだけでしょ?

以前も書きましたが、テレビに出るような弁護士は基本的に二流。だって、優秀な弁護士は事件が起こらないように、あるいは大きくならないように、前々から顧客と密接なコンタクトをとりながら活動しているもの。
大きな事件になってから、大騒ぎしている弁護士って、それまで何もやっていないということなんですね。普段はマトモな人から相手にされていないわけ。だから大騒ぎになっている事件に、喜んで飛びつくわけ。それだけ、危険察知能力もなく、事件が顕在化しないと、何も対処しない。まさに、ダメダメ家庭の親とまったく同じスタイル。

だから、そんな人の物言いは、「べき論」が多いでしょ?その手の人って、会話ができない人間なんですね。つまりダメダメ人間ということ。つまり、被害者意識が強い人であることが簡単に予想できるわけ。
しかし、弁護士資格を取るくらいの知的能力はあるわけだから、「自分は可哀想な被害者なんだ!」と、自分で自分を直接的に弁護するような真似をせず、「可哀想な被害者」を見つけ出し、そのような人を弁護するわけ。
「彼らは可哀想な被害者です。」 → 「実はワタシ自身の境遇も、彼らと似ていて・・・」 → 「つまり、ワタシは・・・・」と、一種の三段論法になるわけ。

それはそれでいいのですが、その手の人は被害者を弁護することが目的なので、事件の発生を予防しようとは全然考えていないわけ。だって、被害者がいた方が、自分自身の弁護にはラクでしょ?被害者を弁護するという形で、自己弁護をしているわけですからね。

このようなことは、何も法律の世界だけではありません。
ダメダメの吹き溜まりとも言えるボランティアなどの場でも顕著に見られることでしょ?

それこそドメスティック・ヴァイオレンスのような場面でも、「被害者」の女性を必死で弁護するわけ。
「彼女らは全然悪くはないのよ!」
「悪いのは全部、暴力夫のせいだ!」

しかし、それって、「彼女は悪くない。」 → 「ワタシも彼女と似た境遇だ!」 → 「だからワタシも全然悪くはないんだ!」ということを言いたいだけなんですね。

だからその手のボランティアも、事件の発生を防ごうとはしないでしょ?
ただ「被害者」を弁護しているだけ。被害者をなくす、あるいは減らす方向には考えないんですね。だってその手の人は「被害者を通じて、自己表現」しているわけですからね。被害者がいないと困るわけ。そしてハイエナのように不幸に群がるだけ。

ドメスティック・ヴァイオレンスの「被害者」の女性のグチを聞くのも結構ですが、そんな暴力男と結婚したことについての問題を指摘しないと、また同じ修羅場になることくらい、誰だってわかることでしょ?

人をサポートしたいのなら、被害者のグチに付き合って一緒になってグチっているのではなく、その被害者さんが語る「今後はこうしたい!」という具体的な希望を実現するために協力した方がマトモでしょ?

しかし、他人を弁護することで、自己弁護するダメダメ人間は、ひたすら被害者を美化してしまって、被害者が被害者であることに安住させてしまうわけ。

普段から被害者意識が強いダメダメ人間は、「アナタは被害者だ!」と認定してくれて、賛同してくれる人が現れると「この人はワタシの理解者!」と単純に喜んでしまう。
しかし、だからと言って事態の改善にはつながらないでしょ?
グチばかりのダメダメ人間は、本質的には、事態の改善をする発想もないし、予防しようとも考えていない。

被害者意識が強いダメダメ人間は、自分と同じような被害者意識の強い人間を探し出し、グチで大いに盛り上がるわけ。「そうよ!悪いのは全部○○のせいよ!」「ワタシたちは、かわいそうな被害者なのよ!」と大共鳴。

だから日本のダメダメ人間は、往々にしてグチのメッカといえる韓国に共感しますよね?まあ、韓国ドラマを好きなのは別問題。これは審美眼の問題もあるのでしょう。私には理解できませんが、そのような趣味は趣味で結構。
しかし、韓国人がいつも語っている被害話に共感する人って、やっぱり同じように被害者意識が強い人であることが通例でしょ?別の問題の時だって、やっぱり自分の被害を語っているものでしょ?

韓国人が語る被害話に対して共感を表明することで、自分の被害を語っているわけ。「アナタたちは全然悪くないのよ!」 → 「だからワタシも全然悪くないわ!」
自分を弁護したかったら、堂々と自己弁護した方がマシですよ。だって、少なくとも自分自身の問題を直視できるきっかけにはなるでしょ?

自分自身を弁護するために他人弁護する例とは別に、自分にとってのアンタッチャブルなものに議論が移らないように、早めに弁護しておこうとする人もいたりします。

ダメダメ人間は、往々にして、自分の実家の問題はアンタッチャブル。
だから、実家の問題に議論が移るのを防止しておきたい。
それこそドメスティック・ヴァイオレンスのような状況なったら、「このような問題に実家の問題は関係ないわ!」「悪いのは全部オトコたちのせいよ!」「ああ!なんてヒドイ時代なんだろう?!」と、早めに実家以外のものに議論を移そうとするわけ。

ダメダメ家庭出身者は、実家の問題がアンタッチャブル。
議論が実家の問題になってしまうと、自分にとって一番考えたくないことを考えなくてはならないでしょ?ヘタをすれば、やり取りの相手に説明しなくてはならない可能性もある。
そんな事態を避けるために、実家を早急に弁護して、議論を別のものに移すわけ。

しかし、だからこそ、トラブルが発生する土壌は残ったまま。
逆に言うと、トラブルの土壌が残っているので、「てきとう」に他人弁護して、それに乗っかって自己弁護して、議論がアンタッチャブルなものになったら、いつのまにかトンズラしてしまう。

その手のダメダメ人間も、自分だけで勝手にダメダメしていればいいのでしょうが、他人を弁護することで、弁護対象とした他人までダメダメにしちゃうわけ。
そして、そんな他人弁護を繰り返すことによって、「ワタシは悪くないわ!」と、自分で確信してしまうわけ。しかし、中途半端な弁護で他人の問題が解決しないのは当然ですし、他人の問題に首を突っ込むだけで、自分自身の問題は手をつけないまま。

言葉でのやり取りにおいても、スグに弁解をしだす人がいたりするでしょ?
その手の人にしてみれば、その弁護の対象が、本人なのか、それとも他人なのかは、心理的に見ると、どうでもいいわけ。
結局は、自分自身の問題から逃避したいというだけなんですね。

(終了)
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発信後記

民主党の代表選挙が行われるようですね。
あの偽メールの文面を読んで、次は小沢さんが代表になる・・・と書きましたが、まったく予想どおり。

菅さんが、もしマトモな知能を持っているのなら、今回は立候補はしないでしょう。
そもそも前回の選挙で負けているので、今回も負けたら2連敗。これはかっこ悪い。
それだけでなく、前回は僅差で負けているので、今回立候補しても前回より票は増えない、それどころか減ってしまう。これもかっこ悪い。
それに小沢さんにダブルスコアーなどの大差で負けたら、菅さんの今後がなくなってしまう。

立候補するぞ・・・と周囲を牽制しておいて、選挙の直前に盛大な「手打ち式」で、立候補取りやめ。
このあたりが筋書きだと思いますが、これは利口者の筋書き。菅さんが利口かどうかは私にはわかりません。

まあ、立候補取りやめの理由なんていくらでも作れますからね。民主党も選挙そのものよりも、選挙後が重要ですよ。
民主党もツマンナイ情報にお金を出すくらいなら、スピーチライターなどを雇って、ちゃんとしたスピーチができるようにしないとね。とにかく民主党の言葉のパワーは貧弱。主義主張は色々あるでしょうが、この点は小泉さんを見習わないとね。
以下、この「他人弁護」という文章への購読者さんからの追加文章です。
「BOY A」というイギリス映画があります。監督はジョン・クローリー、主演はアンドリュー・ガーフィールドで、主演の演技はすばらしかったです。なお、これから先の文章でこの作品のキモになる部分に触れますので「この先、この映画を見る予定なので、情報を仕入れたくない。」という方は、この先を読まないことをお奨めします。

 この「BOY A」というタイトルは、日本語に直すと「少年A」つまり、犯罪事件を起こした少年を意味しています。主人公はかつて友人(この友人とは典型的なダメダメな共依存状態)と共にある事件を起こし、服役した少年です。刑期を終えて出所してきた彼は、二十代半ばになっています。彼は自分の人生を生きていこうとするわけですが、世の中は彼が犯した罪を忘れてくれず、糾弾の声をあげ続ける……そんな設定の作品です。
「犯罪を犯した者が更生し、社会復帰を果たそうとした時に、あなたはそれを受け入れられますか?」というのが、この作品の持つ主なテーマだと思います。他にもいろいろな問題点を提起していて、ダメダメ家庭の問題とも直結している箇所が幾つもあるのですが、全部書いているとキリがないので、今回の「他人弁護」の問題だけに絞ります。

 私は映画などを見た後で、「他の人はどうこの作品を受け止めているの?」ということが知りたくなる性格なので、インターネットで、あれこれ他の人の感想を読むのが習慣となっています。そんな中で、いくつか目についたタイプの感想がありました。
「主人公は悪くない。悪いのは友人で、その巻き添えをくらっただけなんだ。」
 ちなみに、この手の主張をする文章はたいてい短文です。じっくりと長文で感想を書く人には、この手の意見はあまり見られません。

 これに関しては、演出の方にも問題はあります。映画終盤の過去の犯罪を回想するシーン、そこで「子供が犯罪を犯す」というシーンのショックを和らげる為か、肝心なところを映さず、ぼかした形になっているのです。私はここを見た時「あれ、友達の方が引っ張ってるように思っていたけど、ここは主人公がメインだったのね。」と受け止めたのですが、逆にも取れてしまうわけです。できればここはもう少し工夫がほしかった。

 私がこの作品を見ていて大いに疑問に感じたのは、どうにもこの主人公は「周りに流されている」だけなのではないか、ということでした。言い換えれば、「人に合わせている」状態となっている。だから、少年時代の友人に誘われるままに、一緒になって学校もサボるし、ホイホイと万引きもやってしまう。そしてそれが悪いという自覚がない。
 逮捕されて刑務所に入ってからは、今度は「更生させよう」という周囲の人と向き合うことになる。だから、彼らにあわせて真面目ないい子になる。合わせているという自覚はないのかもしれないし、一応自分の頭で考えようともしている。でもどうにも見ていて引っかかるんです。本当に彼は更生しているの?
 この映画の中で一度も主人公は被害者に対して「すまない」とは言いませんし、「謝罪の手紙」のようなものを書こうともしていません。オツトメは終えたでしょうが、自分のやったことを正面から見つめることなくして更生できるんでしょうか? 例え「合わせていただけ」にせよ、「合わせている」自分への自覚が必要なはずです。周りにいるのがいい人だけならいいのでしょうが、またかつての友人のような人が現れたら?そうしたらまた自覚もなく、同じことを繰り返してしまうでしょう。

 こうして考えていくと「主人公は悪くない。悪いのは友人の方だ」という感想も、「自分のやったことを正面から見ようとしない」人なのでは、と思えてきます。もちろん、そういう感想を書く人たちが犯罪を犯している、と言いたいわけではありません。ですがどんな人でもミスを犯すことはあります。そのときに「私は悪くない!」と叫ぶのか、「このミスを犯した原因は何なのか? 私に問題点はなかったのか?」と考えるのとでは、その先が全く違うのは、事実です。
この文章に関連した文章としては『07年7月6日 彼らにも事情があって 』という文章があります。
R.10/8/15