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カテゴリー 子供にすがるダメダメな親
配信日 06年5月19日
タイトル 仲良し家庭の2面性
仲良きことは美しき哉・・・
そんな言葉が入っていて、一緒に野菜が描かれているような絵を見たことがあるでしょ?
まあ、野菜だって人間だって、仲が良ければいいことに決まっていますよ。

仲がいい家庭はマトモ家庭。
仲が悪い家庭は、ダメダメ家庭。
単純化するとそうなっちゃいます。そしてそれは往々にして、連鎖するもの。だって、ダメダメ家庭は会話不全の家庭であり、会話がない状態は、何も意識しないと連鎖してしまうでしょ?だって、会話というものは一人で出来るものではない。相手が必要ですよ。だから、会話不全のダメダメ家庭においては、子供は会話の練習ができず、子供に会話の能力が付きにくいわけです。

しかし、物事は簡単ではないわけ。以前にも書いていますが、「会話と、おしゃべりとは違う。」わけ。ただ、単に言葉が飛び交っているのではなく、中身を踏まえてのやり取りがある、そして結果として相互理解につながる・・・それが本当の意味での会話でしょ?

言葉が飛び交っているので、形の上では会話があるように見えても、中身を踏まえたやり取りになっていない・・・つまり、実質的な会話が成立していないケースもあったりするわけ。だから、会話の成果としての相互理解には到達しない。

そのような場合は、とりあえず、外見上は「仲がいい」家庭に見えても、実質上は会話がないので、相互理解は何もなく、ただ「問題点なり相違点を見ようとしなかった。」だけなので、次の代になって、名実ともに会話不全のダメダメが出て来てしまうことになるんですね。

しかし、現状認識なり、相互理解がないがゆえに、自分たちにとって不都合なものは見なくて済み、問題点から目をそらすことができたわけだから、当人にしてみれば、それは価値があるやり取りのように思ったりする。

『実家で親と過ごした自分の子供時代の家庭は、理想的な家庭だった・・・それなのに今、自分が親となって運営している家庭は、あまり上手く行っていない。』
そうなると、そんな人は、配偶者に原因を求めたりするもの。
「まったく・・・夫には困ったものだ!ワタシの父親はあんなんじゃなったわ!」
そんなグチを聞いたことがある人もいらっしゃるでしょ?
ダメダメ人間は「新参者を犯人認定する」傾向があることは以前に配信しております。自分と新しく関わりが出来た人間を、自分たちが「うまく行かない」原因としてしまうんですね。

配偶者を犯人というか原因に認定したいのはともかく、しかし、そんな男性となぜに結婚したの?
それに、原因のすべてを他者に押し付け、自分は被害者として認定してしまうことはダメダメの発想の典型と言えるもの。
いつも、そんな感じで誰かを犯人認定しているの?
そんな女性は、どうしてそうなっちゃったのでしょうか?
やっぱり実家がダメダメだったからでしょ?

問題点を見出していく能力。
問題を自分で解決する能力。
自分にふさわしい配偶者を選ぶ能力。
何よりも、自分自身を見つめる能力。
そんな能力が全然ついていないわけですからね。

この手の人は、往々にして結婚後も実家と非常に仲がよかったりするもの。それこそ30歳過ぎて、そして子供を持っていても、頻繁に実家に遊びに行ったりするんですね。
まあ、距離的に近かったら、遊びに行くことも簡単でしょう。無理して拒否する必要もありませんしね。
しかし、実家に遊びに行って何しているの?
お茶でも飲みながらおしゃべりしているの?
それくらいでしょ?

それだったら、実家に行くことよりも、他にやることがあるでしょ?たまに行くのはいいとして、あまり頻繁に行くものではないでしょ?

ダメダメ家庭は「地縁、血縁にこだわる」ということを以前に書いて配信したことがあります。本当の意味で会話が出来ないダメダメの人間は、会話がなくても成立している「縁」である地縁なり血縁に拘らざるを得ないわけ。

会話ができないダメダメ人間にとって、「居心地」がいいのは、会話のないところ。会話がないと言っても、おしゃべりはあるわけ。つまり他愛のないやり取りはしていても、現状を認識し考えていくための方法論としての会話はできない。お互いが「厳しい」ところを指摘することなく、「お互いの気持ちに配慮した」つまり何も内容がないやり取りになってしまう。つまり、時間つぶしに最適なやり取り。
まさに、マルグリット・デュラスが「おもしろくない本」と定義とする、『感じがよくて、何も残らず、夜がなく、沈黙がなく、真の作者がなく、昼間向きで、時間つぶしに最適で、よき旅行のお供・・・』そのもの。

だからこそ、実家と妙に仲がいい場合もあったりするわけ。だって、何も残らないが故に、「イヤな思いも残らない」わけですからね。
そして、その実家との、理想的に見えるやりとりに安住してしまう。そもそも内容のあるやり取りではないので、お互いの問題点が意識されることはない。自分たちの問題ではなく、誰か別の人を取り上げ、なんとなく「べき論」で、「あの人には困ったものだわ!」「こうすべきだ!」「あれはダメ!」「あの人はケシカラン!」と説教くさい。
そして、物言いも評価者然として、傍観者然としたもので、切実なものではない。
「どうしてもわかってほしい。」どか「どうしても何とかしたい!」という発想をもって、意見交換なり相談しているではなく、「な〜んとなく」のおしゃべりをしているだけ。
厳しい現状認識をしていないので、気に入らないものを見つけては文句を言っているだけなんですね。

そんな説教くさいスタイルを、自分が親となっている家庭に持ち込んだら、子供はタイヘンですよ。だって本当の意味で、会話にはなっていないわけですからね。そんな親は、子供の意向を聞き、親として、あるいは妻として対処する発想を持っていない。
高い立ち位置から御高説を垂れる・・・それがこの手の人のいう家族の会話というもの。
そんな人とやり取りをして楽しいわけでもなく、有意義なわけもない。
周囲の人間としても、何を言っても現実離れした理想論が返ってくるだけなので、何も言う気がなくなって来るわけ。
結果的に、子供は問題行動を起こしたり、夫もますます話をしなくなってくる。
そうなると、まさに、「ワタシの実家は理想的な家庭だったのに・・・こんな男性と結婚したせいで、困ったことに!」となってしまうわけ。そうなると、ますます「自称」理想的な家庭である実家に入り浸る。

現在、数回に分けて取り上げておりますバルザックの小説の「谷間のゆり」の中にこんな言葉があります。「いつも、最初の夫のことばかり言っては、二度目の夫の鼻先へ、絶えず死んだ亭主の美点を突きつけるような、そんな寡婦のまねはしないで!」
私個人は、そんな寡婦を、実際に知っています。まあ、二度目は見事に破綻してしまいましたが・・・
それって当然のことですよね?

そして、そんな人は往々にして自分の実家を理想的な家庭と思っているものなんですね。
だから、バルザックの文章をモディファイすると、こんな感じになるわけ。「いつも、自分の実家のことばかり言っては、夫の鼻先へ絶えず自分の実家の美点を突きつけるような、そんな妻のまねはしないで!」
そんな人も、私は実際に知っていますが・・・購読者の皆さんも、そんな人を知っていたりするでしょ?往々にしてそんな人は説教くさい人でしょ?

そんな場合の実家って、その人が言うような理想の家庭とは言えないでしょ?むしろダメダメ家庭だったわけ。しかし、潜在していた状態だったので、当人たちはわからなかったわけ。それが、次の代になって誰にもわかるように見えるようになっただけなんですね。

そもそも、「いつも、自分の実家のことばかり言っては、夫の鼻先へ絶えず自分の実家の美点を突きつけられて」たら、突きつけられた方はイヤでしょ?会話だってますますなくなりますよ。そんなことで現在の問題が改善するの?そんなこと誰だってわかることでしょ?逆に言うと、自分の子供を、それほど「人の気持ちが分からない」人間に育ててしまった、その実家の親はどうしようもないほどにダメダメといえるでしょ?まずは、そんな実家の問題を直視することが必要なのでは?仲良くおしゃべりをしている場合じゃないでしょ?しかし、当事者意識がなく、被害者意識だけがあるダメダメ家庭の人間は、夫や子供をなじることで「自分はアンタと結婚したことによる被害者だ!」「オマエが産まれたから上手くいかないんだ!」と言いたいわけ。
そして、「ああ!ワタシって、何てかわいそうなの?!」と自己憐憫。
結局は、それが言いたいわけです。

逆に言うと、一見理想的な家庭の外見と見える家庭に潜在するダメダメな面を、早めに自覚していれば、そんなに大きな問題になることはないわけ。
しかし、当人は理想的な家庭と思っているだけに、そんな思考には至らないもの。潜在状態だったダメダメが顕在化してしまうと、そんな人は、ただグチを言い、「べき論」で説教するだけ。だからダメダメがスパイラル的に加速してしまうんですね。

(終了)
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発信後記

現在、バックナンバーのリニューアルを行っているところです。
まあ、基本線は変わりませんが、中目次などを設定して、少しは見やすくしたいと思っています。それに伴いカテゴリーの設定も若干見直しております。
まあ、もともとの文章をどう配列するか?だけの問題ですから、それほど変わるものではありませんが・・・

中間的に出来上がった段階で、アップして、ご意見などを取り入れながら修正していこうかな?と思っています。
今現在は、文章を移管しながら、「よくもまあ!こんなにいっぱい書いたものだなぁ・・・書いた人って、いったいどんな人だろう?」と呆れているところ。
R.10/12/1