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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 06年5月22日 (10年7月22日 記述を追加)
タイトル 人のせいにする
「悪いのは全部○○のせいだ!」
『そうよ!私たちって、何てかわいそうなの?!』
「ああ!ワタシたちって、よく似ているわね!」
そんな感じで意気投合。やがて結婚へ。
まあ、ダメダメな夫婦って、そんなパターンも結構あったりするわけ。このようなことは、以前に「責任感」というお題で配信しております。

当事者意識がなく、被害者意識だけがあるダメダメ家庭の人間は、うまく行かないことがあると、誰か「人のせい」にして、「自分はかわいそうな被害者だ!」と認定したいわけ。そうして「かわいそうな被害者同士」が、グチで共鳴して結びつく。
そんな結びつきだったら、何かトラブルが起こっても「○○って、本当にヒドイわ!」『今回の件で悪いのは△△だわ!』そう言っていれば済むでしょ?

夫婦という結びつきに至る場合だけでなく、グチばかり言っている、「(自称)かわいそうな被害者」には、往々にしてボランティア人間が寄って来るもの。そうして「○○って、なんて悪いヤツなの!」「まあ、アナタも何てお気の毒な!」などと声を掛け、一緒に盛り上がることになる。

まあ、本人たちはどのように考えようと勝手ですが、それで問題が改善されるわけがないでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、上手く行かなくなると、新たな犯人探しをするだけなんですね。

実に典型的に表れているのは、現在、集中的に取り上げておりますバルザックの小説「谷間のゆり」のアンリエットです。
彼女がフェリックスに語る「母親からの愛情が受けられなくて、ワタシが不幸になった!」という言葉ですが、そのことは実際にそうでしょう。
しかし、それを語るだけで、本心からは自覚はしていないわけ。ただ「自分がかわいそうな被害者だ!」と認定するだけなんですね。だから、次にはこうなってしまう。
「ダメな夫のせいで、ワタシが不幸になった!」

実際に、その言葉は間違っていないでしょう。しかし、「じゃあ、アナタは、どうしたいの?」という話になるでしょ?
しかし、常に「人のせいにする」人間は、何もしない。だから何も対処せず、改善されない。だから次には、
「ワタシは、子供のせいで、何もできない!」
となるわけ。

そんな感じで周囲にグチばかり語っている人間に寄ってくる人間も、グチに共鳴することしか能がないダメダメ人間。だから周囲の人間のレヴェルも落ちてしまうわけ。

そうなると、グチに吸い寄せられて、グチることしか能がない人間に対して、
「アンタたちのせいで、うまく行かない!」とグチる。
実際に「谷間のゆり」では、最後にはフェリックスが犯人認定されちゃっていました。

それって、実際にそうとも言えるわけです。アンリエットの母のせいで、そして、アンリエットの夫のせいで、そして子供のせいで、そしてフェリックスのせいで・・・ワタシは、うまく行かないんだ!
・・・それって本当のこと。
しかし、そのように犯人認定しているだけでは事態は改善しないでしょ?
というか、現実には、そのような事態を避けるという発想もない。
だって、事態が悪くなってしまったら、「てきとう」に犯人認定をすればいいだけなんですからね。
当人にしてみれば、ラクなものですよ。

グチばかり言っている人間に、「なんて、お気の毒な!」なんて同情して寄って行くと、より一層グチに身が入って、事態が改善されないばかりでなく、同情した人が結局は犯人認定されてしまうわけ。まあ、笑うに笑えない話ですが、現実の社会では実にポピュラーな光景でしょ?

「自称かわいそうな被害者」同士の結びつきの結婚なんて、結局はそんな修羅場になるわけ。そうして「オマエのせいでうまく行かない!」『アナタのせいでうまく行かない!』と口論になってしまう。

まあ、当人たちは、心行くまでケンカしていればいいでしょうが、そんなバカ夫婦もいずれは合意点を見出すんですね。
「ワタシたちは、子供のせいでうまく行かない!」

そんな親は、子供をちゃんと育てようとする発想はもともと持っていない。
むしろ、「子供のせいでうまく行かない!」と周囲に対して説明できるようにするためには、子供の出来が悪い方が好都合でしょ?
だから、子供の問題点は散々と語っても、その問題点を修正しようとしないわけ。むしろ、その問題点の犯人を探し回るだけ。

たとえば、ダメダメ家庭の人間は、お箸の使い方が悪いことが多いという文章を、以前に配信しております。
ダメダメな親は、「子供がお箸を使えないのは、政治が悪い!」とか「時代が悪い!」とか、あるいは「子供の意欲がない!」とかの犯人認定を繰り返すばかり。

しかし、30分かけて、自分の子供にお箸の使い方を教えることはしないわけ。
むしろ、子供がお箸を上手に使えないことを、自分の被害ととらえ、犯人探しにますます熱を入れるだけ。
ヘタをすれば、上手にお箸を使えない子供に対して報復行為をしたり、政府への抗議活動をし始めたりする。
しかし、当事者意識がないので、目の前にある選択やアクションの問題はまったく無視したまま。

それこそ、時代が悪いとグチるのはいいとして、「どうしてそんなに悪い時代に子供を作ったのか?」という自分自身の選択の問題は無視。
あるいは、政治についても同じ。「そんな悪い政治状況なのに、どうして子供を作ったの?」と聞かれても何も答えられない。
「夫が子育てに非協力的だ!」と夫を犯人認定して勝手に納得しているのはいいとして、「前から家事全般に非協力的なのに、どのように考えて、子育てに協力してくれると思っていたの?」と聞かれると『どうして、そんなことを聞くのよ?!』と逆上するだけ。
あるいは、「我々は差別されている!」と抗議するのはいいとして、『そう思うのなら、差別されていないところで一生懸命に行動したら?』と言われると、逆恨みするだけ。

自分で対処できるのを無視して、スグに人のせいにしてばかりだからこそ、同類同士が結びついて、お互いが犯人認定をし合い、それこそドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になってしまう。そんな事態になっても、相変わらず、「時代が悪い。」とか「政治が悪い。」とか「オトコが悪い。」とかの言葉で、誰かを犯人認定しているだけ。

子供にしてみれば、時代が悪いことよりも、そんな悪い時代であることがわかっているのに、子供を作ってしまう人間を親としなければならないことの方が、もっと不幸ですよ。
そんな人に対して、何を言えばいいの?
ちょっとでも要望を出そうものなら、「時代が悪い!」「政治が悪い!」とかでオシマイになってしまうでしょ?それどころか、「こんな悪い時代なのに、オマエを育ててやっているんだから、面倒を持ち込むな!」と文句を言われてしまうだけ。
文句を言われるくらいならともかく、スグに人のせいにする人間なんだから、そんな文句の次に来る事態が何なのかについては、小学生でも予想できること。

何かあると、人のせいにしてばかりで、スグに誰かを犯人認定してばかり。しかし、トラブルが起こらないようにするという発想は持っていない。
当事者意識がないがゆえに、自分なりに状況判断して選択していく・・・という発想そのものがない。
何も考えずに、ダラぁ〜と生きている。
何も考えないし、何も選択しない。
逆に言うと、何も選択していないがゆえに、トラブルが起こっても、「ワタシがそうしたかったわけではないんだから」「ワタシは悪くない!」と言えてしまう。

それこそ、前に例示したお箸の使い方の問題ですが、自分の子供に教えて、それでも子供が上手くお箸が使えなかったら、親の教え方の問題になってしまう。しかし、親が子供にお箸の使い方を何も教えなかったら、親としては「何も悪くない」ことになるでしょ?
それどころか、「お箸の使い方を教えようとしない学校を放置している政府は困ったものだ!」と、学校や政府を犯人認定してグチっていればいいだけ。

お箸の使い方を教えるくらいの身近な例だけではなく、それこそ「自分の子供をニートにはしたくない。」などと周囲には語っても、子供の意向をサポートしたり、子供の希望を聞いてみたり、社会にある様々な職業について説明するようなことはしない。
ただ、一方的に「オマエはニートになるな!」と命令するだけ。
そして、子供が実際にニートになってしまったら、「ああ!ワタシは、なんてダメな子供にあたってしまったんだ?!」と子供を犯人認定したり、「社会の二極化は深刻だ!」と、時代を犯人認定したりするだけ。

マトモな親は、自分の子供がニートにならないために必死で子供の養育をするとすれば、
ダメダメな親は、「自分の子供がニートになったのは、自分のせいではない。」ということを主張することに必死になるもの。
努力の方向性がダメダメなんですね。
だからこそ、トラブルになってしまう。

あるいは、もっと深刻な例となると、自分の子供に対して「オマエは自殺するなよ!」と問答無用に言い渡すことはあっても、子供に対して「何か困っていることはないか?」と尋ねるようなことはしない。
「自殺するな!」という問答無用のスタイルの命令ばかりだからこそ、そんな命令を受け続けた子供が自殺してしまうのは、小学生でもわかる簡単な理屈ですが、自分で考えることをしないダメダメ人間には、そんな簡単な理屈もない。

結局は、子供が自殺してしまい、「誰のせいでこうなったのか?」と犯人探しをするだけ。
そして「学校が悪い!」とか「社会が悪い!」とかの犯人認定。
そして、その関係性を確定させるために、裁判などに打って出る。
裁判に打って出るという犯人認定の選択は認識しても、子供に対して、「オマエは何か困っていることはないか?」と、事前に聞くという選択については、まったく存在しないわけ。

ちょっとした選択からも回避しているがゆえに、それを指摘されると対処できない。だからこそ先制的にクレームを付けるようになる。
クレームは付けても、その横にある選択は無視したまま。

「このメールマガジンは、読めば読むほどくだらない!」というクレームは付けても、購読解除という選択はできない。
「こんにゃくゼリー」を買わないという選択もできない。
あるいは、避妊するという選択ができないので、何も考えずに妊娠してしまう。
何も考えなかった結果としての妊娠なので、親となった側は、「ワタシは子供を望んだわけではないんだから・・・」となり、子供に対し報復を行う。

クレームをつけることばかりが上達しても、自分で達成したものが何もない状態になっている。
そして、スグに人のせいにするもの同士が集まって、犯人認定の報告会となる。
そんな姿は、某国の社民党だけでなく、その社民党を嫌っているインターネットの掲示板の連中もまったく同じでしょ?
結局は、「悪いのは全部○○のせいだ!」と言い合っているだけ。

そして、そんな人は、何かあったら人のせいにできるように、事前には何も対処しないもの。
そんな姿は、党派は違っていても、ダメダメ人間には共通しているものなんですよ。

(終了)
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発信後記

先週でしたか、愛知県で引きこもりの更正施設を運営されている団体の代表さんが暴力行為で逮捕されましたよね?
あの代表の女性の方・・・たしか名古屋弁でしゃべる人じゃなかったのかな?

まあ、監禁とか暴力行為なんて穏やかじゃありませんが・・・皆様も思ったでしょうが、あれって愛知県名物ですよね?以前あった戸塚ヨットスクールと同じ。まあ、愛知県には登校拒否や引きこもりの人に対する暴力行為という伝統があるんでしょう。
京都府には、消費者金融の伝統がありますよね?「腎臓売れや!」とか・・・
大阪府は児童虐待の伝統。

まあ、登校拒否や引きこもりの問題を考えるにあたって、自分の実家や自分の親がダメダメであることを、しっかり理解しないと、本当の意味での立ち直りなんてありませんよ。
だってそうしないと、自分自身を見つめることなんて出来ないでしょ?自分自身から逃げ回っていて、「形の上では」社会復帰したとしても、いずれは無理が来ますって。

子供を、愛知県のそんな施設に「入れた」のが誰なのか?それって実家の親でしょ?そうだったら施設の人は、スポンサーと言える実家の問題点を指摘できるの?そんなことだから暴力行為にならざるを得ないんですよ。
R.10/7/24