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カテゴリー 文芸作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 06年8月1日
タイトル 「谷間のゆり」( グチの言える距離 編)
作者 オノレ・ド・バルザック
ダメダメ家庭の人間は、「自分は理解されていない。」と常に思っている。
だから、自分を理解してくれる人が登場してくると、その人に入れ込んでしまうわけ。

かといって、ダメダメ家庭の人間は、他者を頼れない。自分の親がまったく頼りにならない人間だったので、人をどうやって頼るのかわからないわけ。別の言い方をすると、甘える体験をしてきていないので、甘え方が分からない。
だから「自分の身は自分で守るしかない!」と、常に切羽詰っている状態。

自分の困難な状況を理解してくれる誰かに対してグチを言おうと、その人に近づいて行き、そして「入れ込み」、かといって安全圏を守ろうと遠ざかる。そんな往復運動をしているわけ。
これは以前に「コミカルでシリアスなハリネズミのジレンマ」というお題で配信いたしました。

マトモな人間は、ある一定の距離を保つことで人間関係を安定させるわけですが、ダメダメ家庭の人間は、ある一定の距離で安定することはせず、近づいたり離れたりの往復運動になってしまうんですね。

かといって、近づいていっても、グチを言うだけ。近づく理由というのは、ただ、「この人ならワタシのグチを理解してくれる。」それだけの理由。
逆に言うと、グチを言う相手は、近すぎてもダメ。
それこそ夫婦のような間柄になってしまうと、グチで盛り上がるだけでは済まないでしょ?協力して一緒になって事態を改善しなきゃダメでしょ?だから、グチを言うのが目的で近づいていく場合は、近すぎてはダメになってしまう。

往復運動をしながら、グチに適した距離感を保とうとするわけ。
近すぎず、遠すぎず・・・
この「谷間のゆり」でのアンリエットは、まさにその典型と言えます。
「自分のグチを言える距離」を常に保とうとする。

フェリックスと最初に出会ってから、だんだんと仲良くなってくる。
「この人はワタシのグチを理解してくれる人だ!」と認定すると、後はなんともまあ、絶妙の距離感を作り上げていく。

フェリックスが自分に近づき過ぎると、何だかんだと言って、遠くにやろうとする。
遠くに行ったりすると、手紙などを渡して、常に自分を思い出すようにさせる。そして、フェリックスに対しては、何かにつけて「あなたを理解できるのは、このワタシだけよ!」と言ったりするわけ。そうやって、遠すぎる距離にならないように配慮する。

小説を読んでいると「アンリエットさん!で、アンタは、いったいどうしたいの?」なんてダメダメ家庭のお約束の言葉が出てきてしまうほど。
そして彼女の場合は、その「グチを言える距離」の設定に気合が入っているわけ。

妙に思わせぶりな言葉などを突然に出してきたりして、フェリックスの気を持たせようしたりする。それこそ、突然に「あたし結婚なんてしませんわ!」そんなことを言い出す。ウブなフェリックスはアンリエットから「結婚」なんて言葉が出て来るので、『もしかしたら?』なんて思ってしまうんでしょうね。『結婚なんてしませんわ!なんて彼女は言っているけど、実は、彼女は、ボクとの結婚のことを考えているのかな?』なんて思ってしまうことになる。
そしてフェリックスが自分のことを忘れそうになると、自分自身で病気になって、臨終の場面を作り上げ、その臨終の場に駆けつけたフェリックスにグチを言うわけ。
「グチを言うためなら、命だって惜しくないわ!」

マトモ人間にしてみれば、到底理解できない世界ですが、ダメダメ家庭の人間にしてみれば、それくらいのことは何でもないわけ。
それこそ、命がけでクレームをつけ続けるクレーマーなんて、結構ポピュラーでしょ?
むしろ、そのグチを言うために払う犠牲こそが、新たなグチのネタになって、ますますグチに身が入ることになってしまう。

そして、アンリエットは自分の臨終の場でフェリックスに手紙を渡し、死んでもなお手紙を使ってグチを言う始末。
ある意味において、見上げたものですが、そんなに情熱があるのなら、グチを言わなくて済むように現状を改善した方がマトモでしょ?

しかし、そんな「まっとう」なことを言うような人間は遠ざけ、自分のグチに共感してくれるような人間を、「微妙な」距離において、グチる。
彼女の言い方を使うと、「兄弟よりは近く、恋人よりは遠い」・・・そんな距離感を保とうとすることになる。つまり一緒になって何かをするというより、グチを語り合える距離というわけです。

死の床にあるアンリエットがフェリックスに言うわけ。
「ワタシは、あなたという人に渇えて、渇えて・・・」
これって恋愛感情ではないわけ、むしろグチを言えない禁断症状なんですね。だって、どうせフェリックスと話をしてもグチだけなんですからね。
グチを生きがいにしている人は、グチが言えなくなると、禁断症状に陥ってしまう。

あるいは、こんな言葉もあります。「あたくしは、ちっとも批評がましい気持ちのない本当のお友達がほしかったのですの。こういう気の弱くなった時にじっと話を聞いてもらえるような本当のお友達がほしかったのですの。」
それって、端的に言うと、「自分のグチを聞いてくれる人」という意味でしょ?

批評がましいなんて言われていますが、その「批評がましい」という言葉で指摘される言葉って、「で、アンタは、いったい何をしたいの?」と言うことでしょ?そのような「イタイ」ところを突かずに、自分のグチに付き合ってくれて同情してくれる人・・・そんな人に近くにいてほしい・・・彼女はそう切望しているわけ。しかし、そのようなグチに付き合ってくれる人が「本当の友達」なの?そうじゃないんじゃないの?

しかし、被害者意識が強いダメダメ人間は、「自分がかわいそうな被害者」であることを認めないような人は、遠ざけてしまって、「なんてお気の毒な!」と同情してくれる人だけを相手にするわけ。そして、グチに最適な距離を保つ。

このようなグチをいえる距離を保つ人間は、往々にしてボランティアをやっていたりするもの。ボランティアって、実に距離が取れる行為でしょ?
いざとなったら逃げればいいだけ。面倒な事態になると「あとはアナタたちで何とかしてよ!アナタたちの問題でしょ?」と言い放ちトンズラ。まあ、ボランティアの最後はそんな言葉でしょ?相手との距離を取りたい人は「不幸な人」に「て・き・と・う」に介入して、一緒になってグチを語り合い、自分の善意に酔いしれ、「ああ!下には下がいるのね!」と自分を納得させ、自分自身が幸福になるための努力を回避する。
しかし、自分の善意は証明されたので、「こんな善意のワタシが上手くいかないのは、全部○○のせいだ!」と他に責任転嫁。
そして、やっぱりグチ。

「マズくなったら、距離を取る」というスタイルはフェリックスにも共通しています。事態がマズくなったら、アンリエットに近づかないわけ。本来なら、トラブルが起きたときこそ、友人が必要でしょ?

21世紀の日本でも、この手の人は実に多くいるもの。
「この人は、ワタシの困難さをわかってくれる人だ!」と認定した人に、自分のグチを聞いてもらおうと接触を試みようとするもの。
・・・まあ、そんな感じで、よく「接触されてしまう」この私が言うんだから間違いがありませんヨ・・・
だからといって、その物言いは、以前に書きましたが、主観の羅列なんですね。「困った!困った・・・」とそんな調子。しかし、自分が直面している問題を本気で解決しようと思ったら、主観を羅列しただけではダメでしょ?
相手の知恵を借りるためには、自分が直面している問題を、客観的に説明しないとダメでしょ?

しかし、本当の目的はただグチを言うことだけ。だから「ワタシはこんなに困っている!」そんな内容ばかり。そんな話を聞かされると、
「で、アンタは具体的に何に困っているの?」
「結局は、何が言いたいの?」
「で、アンタ・・・結局は、どうしたいの?」
なんて思わざるを得ないわけ。
別に『批評』しているわけではありませんよ。本心からわからないんですからね。
しかし、そんなことを聞くと、絶対に返事が返ってこないもの。

21世紀の日本でも、実にポピュラーなタイプですし、そのグチっぽいダメダメ人間の典型が、ここでのアンリエットなんですね。
彼女は「恋愛と義務」の間で実際に苦悩しているのではなく、苦悩を語ることが好きなわけ。
その苦悩話をいっぱい聞かされて、「なんとお気の毒な!」と思ってしまう読者も多いでしょうが、それはまんまとアンリエットの術中にはまっているわけ。

作者であるバルザックは、やりとりの相手から、実に巧みに同情を勝ち取るアンリエットの「術」を浮かび上がらせています。その一つが、アンリエットの距離のとり方というわけです。アンリエットに単純に同情してしまった読者は、作者バルザックの本当の意図が読みきれていないんですね。以前にも書きましたが、アンリエットの「術」を明確にするために、あえて書簡体スタイルにしたりしているわけです。

まあ、練達の物書きであるバルザックの「術」を読みきれなくても結構ですが、このアンリエットとフェリックスの距離感について、ある種の違和感を持つ必要があるわけです。その違和感によって、多くのものが見えてくるわけ。この「ぎこちない距離感」こそダメダメの典型と言えるでしょう。
相手との距離のぎこちなさの問題は、結局は自分自身との距離のぎこちなさの問題・・・そんなものでしょ?

(終了)
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発信後記

色々と中断がありましたが、シリーズとして進めています、バルザックの「谷間のゆり」に戻ってみました。

ちなみに、自分に構ってもらおうと、相手に近寄って行くけど、話す内容はグチばかり・・・
そんなグチを聞かされて「で、アンタ・・・結局どうしたいの?」と思ってしまう。
そのことについて、コッチが強く言うと、逃げたり逆上したりする・・・なんて存在は、今ですと、韓国人が典型でしょ?

一緒になって何かをするわけでもなく、グチを言うだけなので、コッチは離れたいのに寄ってくる・・・

まあ、韓国の問題は、政治の問題というより、ダメダメ家庭に関わる問題なんですね。実際に、実によく見えるでしょ?
R.10/12/3