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カテゴリー 文芸作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 06年8月11日
タイトル 「谷間のゆり」 ( 会話の不在 編)
作者 オノレ・ド・バルザック
ダメダメ家庭は会話不在の家庭です。
たとえ音声的に言葉が飛び交っていても、「相手の話を真摯に聞き」「自分の考えを相手にわかりやすく伝える」という発想がないわけ。

そんな会話不在の状態には、特徴的な様相があったりするものなんですね。
以前から取りあげておりますバルザックの小説「谷間のゆり」においても、そんな特徴が随所に見えたりするものです。

以下に具体的な事例を列挙してみましょう。

1. 手紙・・・この「谷間のゆり」という小説は書簡体の小説です。このことは何回も書いています。だから「登場人物の主観」が中心となっていて、作者であるバルザックの視点が直接的に出てくることはないわけ。と同時に、手紙という手段は、非常に便利な面があります。相手の反論なり意見なりを聞かなくてもいいわけ。つまり会話の基本における「相手の話を真摯に聞く」という面から解放されていますよね?

もちろん、今だったら、郵便ではなく電子メールを受けて、そのメールに対する返事を即座に発信することができます。だから相手から返ってきた反論を聞く必要もあります。しかし19世紀だったらそういうことはないでしょ?自分の考えを言い放しでいいわけ。だから直接会って話をすればいいような間柄でも、手紙にしてしまう。これって、それだけ面と向かっての会話ができないということなんですね。もちろん手紙のような手段も「使い分け」で上手に使えばいいでしょう。しかし、根底には「返事がほしくない」「会話が苦手」という心情があったりするケースもあるわけです。

2. 上からの物言い・・・会話不全の人間は、相手から反論されたり、意見を言われても対応できない。だから、できる限り相手から何も言わせないようにするわけ。だからこそ上記のように、手紙という手段を用いたりするわけですが、相手に何も言わせない方法の一つとして「上からの物言い」という方法を取ったりします。それこそこの小説で言うと「母親が息子にするように」「アドヴァイス」するわけ。「そんなことしちゃダメ!」そんな感じなんですね。だから会話に発展しないわけ。

3. 返事を求めない・・・相手の話を聞きたくないから、できる限り相手が返事をできないようなスタイルにすることになる。手紙にしたり、上からの物言いを使ったり、あと「返事は結構です。」なんてわざわざ書いたりする。しかし、「自分が相手にどうしても伝えたいこと」が明確に意識していたら、返事がほしいものじゃないの?自分の意見を相手がどう受け取り理解したのか?それって重要でしょ?相手がどう思っても構わないような意見など最初から言ってはダメでしょ?「これだけは相手に絶対にわかってほしい!」と思うようになるまで自分の中で考えてみた方がいいでしょ?

いい加減な気持ちで自分の「考え」を伝えて、「いい加減な考えですから、返事は必要ありません。」なんて、それこそ失礼ですよ。返事がほしいと思えるようになるまで、せめて自分自身の考えを纏め上げるのが礼儀でしょ?しかし、ダメダメ家庭の人間は、なんだかんだといっても、言いたいことって所詮はグチでしかないわけ。だから返事は必要ないというのも当然なんですね。逆に言うと、返事がいらないようなメッセージはグチの変形なんですね。

4. 言葉と心理のズレ・・・ダメダメ家庭の人間は自分自身のことがわかっていない。自分の本音がわかっていないわけ。普段はグチばかり言っているのに、突然に「ワタシは幸福よ!」などと言ったりするわけ。しかし、その人からいつもグチを聞かされている人間とっては、急に「ワタシは幸福よ!」なんて言われても、途方に暮れるだけでしょ?そんな途方に暮れた状態からどうやって会話が弾んでいくの?この「谷間のゆり」でのアンリエットもグチばかり言っているのに、突然に「あたしは困ったことなんて何もないわ!」なんて言い出したりする。そんな事言われても、「アンタは結局は何を言いたいの?」「じゃあ、ワタシは、いったいどうすればいいいの?」って途方に暮れるだけですよ。

5. とりあえずのグチ・・・ダメダメ人間は被害者意識が強い。だから人と話をするにしても、まずは自分の被害・・・つまりグチから話を始めるわけ。「あの人には困ったものだわ!」「アナタのせいでこんなに毛が抜けましたのよ!」・・・まあ、そんなグチから会話が弾む人もいるかもしれませんが、そんな人って、やっぱり同類のダメダメ人間でしょ?マトモな人だったら、そんな「とりあえずのグチ」が来た時点で、会話の意欲がなくなりますよ。

6. わかりきったことを言う・・・ダメダメ人間は、結局は相手のことなど考えていない。だから相手が以前より何を知っているのか?何が知らないのか?そんなことも考えたりはしないわけ。相手がとっくの前から知っているようなことを、いかにも「教えてアゲル!」といった感じで丁寧に説明したりするんですね。しかし、そんな説明を聞かされたら、会話の意欲がなくなっちゃうでしょ?


この「谷間のゆり」では、アンリエットとフェリックスが、話をします。
一応本人たちは恋愛感情を持っている・・・と思っていますからね。
しかし、そこには会話がないわけ。むしろお互いの顔を見ながら、自分の世界の中で「恋に恋して」妄想しているだけ。
言葉は飛び交っていても、意味や内容が交わされているわけではないわけ。内容が発展して行かないわけ。常に言い放しなんですね。

ダメダメ家庭からの脱却なんて、自分自身を理解し、会話の能力を高めるしかないでしょ?アンリエットとフェリックスのやり取りは、会話になっていないわけ。だから主観と主観だけで客観に到達しない。
別の言い方をすると、双方が面と向かって独り言を言っている趣となっている。
極点な話になりますが、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の不思議の国の登場人物に近いわけです。

バルザックはそのような、ダメダメ家庭における「会話の不在」を、描き出しているわけです。
その「会話の不在」は、そのまま客観の不在と言えるわけ。それは自分の目の前にある本当の問題を認識することからの逃避なんですね。

21世紀の現在でも、ダメダメ家庭の人とやりとりをしていると、「アナタの主観は主観でいいとして、では、客観的な事実はどこにあるの?」なんて思わざるを得ないことが多いもの。
主観ばかりのそんな話を聞かされた方は、何とも言いようがないでしょ?

まあ、以前に取り上げましたが、「韓国の歴史教科書」が、このスタイルですよね?
書き手の「主観」が延々と書き綴ってある教科書でした。
そんなものを読まされたとしても、読んだ方は途方に暮れるだけですよ。そんな主観の羅列からは、思考が発展しないでしょ?こんな教科書で勉強するから、おバカになるのも当然なんですね。

この「谷間のゆり」でも、「身につまされるような」主観が飛び交っていて、それはそれで読み手は同情するわけですが、結局は、同情で終わってしまう。だって、客観がないんですからね。事態を認識しようがないでしょ?

ちなみに、この「谷間のゆり」の中心部分はフェリックスからの手紙です。
何回も書いていますが、本にして400ページにもなりそうな長大なもの。それはそれでいいとして、では、購読者の方々が、このような手紙を受け取ったら、どんな返事を書きますか?

購読者の方の中で、実際に、この「谷間のゆり」をお読みになられた方もいらっしゃるでしょう。まあ、色々と感想をお持ちになったでしょうね。小説全体なりその中の手紙の文章が長いのは別にいいとして、まず思わざるを得ないのは、「あなたねぇ・・・いったい何が言いたいの?」と言うことではないかと思います。
あるいは、「アナタは、お気の毒ねぇ・・」とでも、読んでいるワタシに言ってほしいのかな?
こんなところでしょ?そんな感想をお持ちになった方もいらっしゃるんじゃないの?

フェリックスからの手紙に対しては、実に返事が書きにくい・・・だって、内容が単なる不幸自慢なんですからね。もともとは「幸運児」という意味であるフェリックスという名前の青年が書いた不幸自慢の手紙。そのあたりのアイロニーもバルザックの意図したところでしょうね。

小説の中心をなす「手紙」に対しては、「アンタ・・・いったい何が言いたいの?」と思ってしまう、が、小説そのものに対しては「アンタ・・・いったい何が言いたいの?」とは思わない。逆に言うと、そのような「何が言いたいのかわからない。」ものを中心にすえることによって、この小説のテーマが明確になるわけ。
芸術って面白いでしょ?

ちなみに、メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」発行者のこの私も、長さは別として、中身が単なる不幸自慢に過ぎないようなお便りをいただくこともあったりします。
フェリックスからの長い手紙を受け取ったナタリー・ド・マネヴィル伯爵夫人の困惑がよくわかりますし、そのナタリーからの返事の意味も、よくわかる・・・
だからこそ、作者のバルザックの意図もよくわかったりするんですね。

購読者の方々も、「このフェリックスからの手紙に対して、どのように返事を書こうかな?」
そんな意識を持って小説を読んで見られると、より理解しやすいと思います。この小説の持つ書簡体というスタイルは、「どのような返事を書くのか?」という問題も提起しているわけ。主観の羅列ということなら日記のスタイルでもいいわけでしょ?フェリックスの日記がそのまま小説というスタイルでも成立します。日記のスタイルの小説も結構ありますよね?

しかし、「谷間のゆり」は日記体ではなく書簡体。この小説を読んだ方が、このような書簡をもらったら、どう返事するでしょうか?実に返事が書きにくい・・・まさに会話に発展しにくい手紙なんですね。その返事の書きにくさ、そして会話の不在を実感してもらう・・・これもバルザックの意図なんでしょうね。

(終了)
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発信後記

ちなみに、この私がいただくお便りの全部が、不幸自慢だったりグチだったりというわけではありませんよ。マトモなお便りだって、もちろん来ますよ。
まあ、マトモな文章はダメダメのネタにならないので、あえて言及はしないだけ。

しかし、メールのやり取りでも、面と向かっての実際の話し合いでも、相手が返事を出しやすい物言いってあるものでしょ?
相手にわかってもらうために、自分の問題を客観的に説明し、要点をまとめ、丁寧な言葉で発言する・・・
何も技巧が必要というわけではありませんよ。誰だって出来ることでしょ?その誰だって出来ることをしない・・・それがダメダメというもの。
R.10/12/4