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カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神 |
配信日 | 06年8月15日 (10年4月19日,11年1月8日 記述を追加) |
タイトル | 向上心 (習い事) |
ダメダメ家庭は当事者意識がなく、被害者意識だけがある・・・って、「いつも」の書き出しですが・・・ しかし、ダメダメ家庭の問題を考えるにあたっては、基本中の基本です。 これに加えて、「会話の欠如」を加えれば、ダメダメ家庭の大体の事例が説明できるはずです。それこそ、ユークリッドが幾何学で行ったように、厳密なスタイルでダメダメのすべての要素を体系化することだってできるでしょう。 ただ、まあ、厳密に体系化しても、読んでも面白くありませんしね。 被害者意識が強いので、「悪いのは全部○○のせいだ!」などの言葉もお約束となってしまう。「悪いのは全部○○のせい。」なんだから、当人はどうすればいいの? うまくいかない原因は当人自身ではないのだから、自身は何もしなくてもいいわけでしょ? と言うことで、当人はただグチっているだけ。そして、認定した「犯人」を恨んでいるだけ。 ダメダメ家庭と言うものは、そんなものなんですね。 「悪いのは全部○○のせい」と、共通認識を持っている家庭なんだから、自分自身で解決しようとは思わなくなる。だから、そんなダメダメ家庭出身の人間には向上心が育たない。 これって当然のことでしょ? そもそも、被害者がどうやって向上するの? 原則的に不可能でしょ? 当事者意識を持っているから、自分自身が向上する必要を意識するわけで、被害者だったら向上しようがありませんよ。 しかし、向上心もないような人間だったら、当然のこととして、事態はよくならないでしょ?と言うことで、ますます事態が悪化して、ますます被害者意識に浸ってしまう。 そして、ますます「悪いのは全部○○のせいだ!」となる。 それって、心が貧しいと言えますが、当人は精神的にラクでしょ?だって、何か不都合な事態になっても、ただ恨んでいればいいだけなんですからネ。自分自身は何もしなくていいわけでしょ? それこそ韓国が日本を恨んでいるだけで、自分たち自身は何もしないような状態と同じ。 逆に言うと、ヘタに向上心を持ったりすると、精神的にシンドイものなんですね。だって、改善のために、自分で努力する必要が出てくるでしょ?それって、結構シンドイもの。当事者意識を持って、自分なりの目標を持ち、そのために向上しようと思っているからこそ、そのシンドさに耐えられるわけです。 そんなものでしょ? しかし、向上心を持たず、ひたすらグチを言うばかりの人も実際にいますよね? そんな人に対して、 「結局は、アンタはどうしたいの?」 「結局は、アンタはどうなりたいの?」 と問い掛けをしても、何も回答が返ってこない。 「自分はこうなりたい。」と言った明確なイメージがなければ、求める結果は得られませんよ。そんなことは当たり前のことでしょ? しかし、ヘタに明確なイメージを掲げてしまうと、自分で努力しないといけないのでシンドイ。達成する努力がシンドイというだけでなく、努力をしても達成できなかったら、自分がミジメになってしまう。だから明確なイメージを持たずにラクをしようとする。当人はそんなダメダメな状態に安住しているのは勝手ですが、そんな環境で育った子供はどうなるの? 子供だって、自分の努力で自分の将来を向上させて行こうなどとは到底思えないでしょ? それこそ、「てきとう」に進学して、「て・き・と・う」に就職して、「て・き・と・う」に結婚して、自分たちの親のようなダメダメ家庭を作るだけになってしまう。 それに、向上心がなければ、当然のこととして人からのアドヴァイスも聞こうともしない。 「アナタのここが間違っているよ!」なんて言われた際に、『ああ!そうなのか!この点がダメだったのか!今後はこの点に気をつけよう!』なんて決して思わない。 『キーっ!アナタはワタシのことを全然分かっていないわ!』と逆上するだけ。 向上心とは、過程を肯定する感覚であって、過程であるがゆえに、自らの問題点も受け入れることができる。過程ではなくリジットなものだったら、問題点があれば、その時点でアウトとなってしまう。 だからこそ、自分の問題点につながる指摘を拒否し、同情の声だけを受け入れることになる。 つまり、その手のダメダメ人間は、「自分がかわいそうな被害者」であることを説明する言葉だけを受け入れるんですね。 それこそ、人から「お気の毒ねぇ・・・」と同情の言葉があったら、その同情の言葉を受け入れることになる。しかし、同情されたはいいとして、当人自身はどうするの? 『そうなのよ!ワタシってかわいそうなの?!アナタも分かってくれるのね!』と大喜びしてオシマイとなるだけですよ。 向上心を持たないと、本人が向上しないだけでなく、家庭のレヴェルだって向上しない。そもそも、当人自身が目的を持たないだけでなく、周囲からの指摘も受けようとしないんだから、向上するわけがないじゃないの?そんな向上心のないダメダメ家庭にできることは、誰かを恨むことだけ。 厳しい言い方ですが、実際そうでしょ? ちょっと前(06年)に、ドイツでサッカーのワールドカップが開催されていましたが、負けたチームの選手が、ポロポロと泣いているシーンもあったりしました。 年間、何億円も稼いでいる一流選手が泣くなんて・・・なんですが、そんな気持ちがあるからこそ、「次は勝ちたい!」と思って厳しい練習にもがんばれるわけでしょ?そして、だからこそ一流になれるわけでしょ? 「負けたのは○○のせいだ!抗議してやる!」 なんて、スイスの国際サッカー連盟にサイバー攻撃をしても、チームの力も、選手の能力も向上しませんよ。そんなことは当たり前のことでしょ? まあ、国全体でそんなバカをして、国全体でアクセス遮断の措置を取られるなんて、ハンパではありませんが、あれと似たようなことを、日本のダメダメ家庭の人間だってやっているわけです。 自分がしたいことや、なりたいものを、明確に意識して、その実現のために努力する・・・努力した結果において必ずしも満足いくものばかりとはいかないでしょうが、努力すること自体は、本来は誰でもできることでしょ? そんな当たり前のことをせず、当然のごとく結果として上手くいくわけもなく、そんな現実に直面して「キーっ!アイツのせいで!アイツのせいで!」と逆上。 誰かを犯人認定することで、当人は納得してしまうわけですが、それで損をするのは、結局は本人自身なんですね。 犯人探しや犯人認定に明け暮れるよりも、自分なりの目標を持って、その達成のために、自分なりに努力すればいいだけ。 まあ、現実的に言うと、向上心とは無縁のダメダメ人間は、それに相応する目標?を持つことになる。 そう!ダメダメにお約束の「ふつう」という目標です。 それこそ、「ふつうの家庭を築きたい。」とか「ふつうの人間になりたい。」とかの目標を語ることになる。 しかし、その「ふつう」って、具体的にはどんなものなの? イメージが具体的でないと、自分なりに努力のしようもないじゃないの? 自分なりに努力することとは無縁ということは、結局は向上心と無縁ということ。 実際に、「ふつう」と、向上心は論理的にも結びつかないでしょ? より、厳密に記述すると、「ふつうという目標」と向上心は結びつかないと言えます。 しかし、「結果としてのふつう」と、向上心は結びつく。 だって、多くのマトモな人間は、その人なりの向上心を持って生きている。そんな日々が「ふつうの家庭という成果」につながっていくことになる。 しかし、ダメダメ人間は、「目標としてのふつう」を掲げ、自分なりの目標を持つことから逃避し、自分なりに状況認識し、考え判断することから逃避してしまう。だから、何も努力しない。 目標自体が存在しないんだから、努力も何もありませんよ。 目標達成のために努力しようとする意志が、まさに向上心というものでしょ? 「ふつう」という言葉を大義名分とすれば、自分なりに努力しない、つまり向上心を持たない言い訳ができることになる。 そして、実際に向上心がないから、自分で率先して、何かを勉強するようなこととは無縁となる。当人自身が向上心を持たないだけでなく、子供の向上心も認めようとはしない。 子供が、まだ、向上心を持っていても、現実的には、勉強するにも、あるいは習い事をするにも、相応のお金が必要になるでしょ? 被害者意識が強いダメダメな親は、子供への費用支出を被害と考えている。 そもそも子育てそれ自体を、親である自分が背負わされた被害だと思っているんだから、進学とか習い事の費用への支出なんて、とんでもない被害とみなしてしまう。 だから、子供が習い事などを希望しても、スグに却下する。 「ふつうにしろ!」、あるいは「人は人、自分は自分だ!」と一刀両断。 まさに「自分は自分」ということだったら、その自分たる子供が希望すれば、それをかなえようとするのが親の務めと言えるわけですが、子育てを被害と認識している親がそんな発想をするわけがない。 たまたま、子供の習い事のための費用を支出しても、スグに見返りを求めたりする。 「早く成果を出せ!」「一緒に始めた△△ちゃんは、もうここまでできているのに・・・オマエときたら・・・」「あ〜あ、せっかく、お金を使ってやったのにぃ・・・」とスグに自分の持ち出しに視点が行ってしまう。 そんなグチを後から言われ続けたら、もうそれ以上は、親に対して頼みごとなんてできないでしょ? しかし、たまたま、習い事の費用の支出をした親は、まさにとんでもないすばらしいことをした気分になっている。 「ああ!子供のためにお金を使ったワタシって、なんてすばらしい親なんだろう!」 あるいは、子供に習い事をさせるに当たっても、まさに「子供にさせる」という上からの立場で子供に命令するスタイルとなる。 まさに長崎の小学校6年生の事件の加害者の少女の親のように、「子供に本を読ませました。」なる発想が基本となっている。 いわば、親としての体面の維持のために、子供に習い事をさせたり、あるいは、本を読ませたりするという発想なんですね。 その家庭なり当人自身に向上心があるからこそ、進学なり習い事も価値を持つわけですが、被害者意識だけがあり、向上心がないダメダメ家庭においては、習い事も勉強も、親としての言い訳になっている。向上心とは本来はプラス方向を向いたものなのに、減点法のダメダメ人間は、常にマイナス分に目を向け、そのマイナス分の補償しての活動しか眼中にない。 たとえ何かをするにせよ、視点はマイナス面に向かっているわけです。 子供に進学させるにせよ、進学させる費用などのマイナスを考え、進学で得ることができるものは何も考えない。しかし、そんなことだからこそ大きなトラブルとなってしまうのは誰でも分かること。 そうして「子供のために、こんなことまでしてやっているのに・・・どうして、こんなことに?!ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」「ワタシは、ただふつうの家庭を築こうとしていただけなに、どうしてこんなことに?!」と大仰に嘆くことになる。 そんな嘆きは、長崎だけでなく、ダメダメ家庭の周辺ではどこでも見られるものでしょ? そんな嘆きの言葉は、逆に言うと、向上心の不在を示しているわけです。 親自身の向上心の不在であり、子供の向上心を認めようとしない意味での不在もある。 「ふつう」という漠とした目標を掲げているということは、逆に言うと、明確な将来イメージを作れていないということであり、自身では何も努力していないということ。 そんな人がやることと言えば、目の前に発生した減点をあわてて修正するだけ。 将来的なヴィジョンがあるわけでなく、対応は常に断片的になっている。 断片的な対応しかできないがゆえに、長期的な展望を持って、プライオリティをつけて対処することもできず、だからこそ、結局はトラブルになってしまう。 しかし、目の前の減点をあわてて処理している人間としては、あわてて処理しているがゆえに、当人としては一生懸命にやっているつもりになっている。 と言うことで、ますます「どうして、こんなことになってしまったんだ?!」と嘆きの声が大仰になるばかり。 それに、そんな断片的な対応しか見ていないから、子供も結局は、明確な将来イメージなどを持つことができなくなってしまう。 長期的なスパンを持って物事を考えることはできないままで、成長していくことになってしまう。 長期的なスパンで物事を考えるがゆえに、向上心も出てくる。 「ふつう」を掲げ、断片的な対処ばかりの人は、向上心とは無縁となる。 向上心と無縁になるのはいいとして、だからこそ、嘆きの声と親しくなってしまうんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 本日は、8月15日で、いわゆる終戦記念日。 まあ、巷では靖国神社云々とかがかまびすしい。 まあ、騒いでいる人も、色々と考えはあるんでしょうが・・・ 韓国のノ・ムヒョン大統領も、日本に対して重大な決意を語るんだそう。 楽しみですねぇ・・・ 資産凍結くらいはするのかな? 日本では同和問題などが、たまに登場したりします。しかし、あの手の問題に接して、大部分の人が思うのが、 「そんなことは、無理に騒ぐから、そんな目で見られちゃうんじゃないの?ほっとけば、皆もそのうち忘れちゃって、そんな問題は自然消滅しちゃうよ。」そんなモノでしょ? 靖国神社の問題だって、全く同じでしょ? 韓国や中国が騒ぐから、「へぇ・・・そんな神社があったんだねぇ・・・」と思うだけで・・・ 大部分の人は、そもそも関心がありませんよ。 身近な人が戦死した人なんて、もうほとんどいなくなってきているでしょ?だから一般の日本人にしてみれば、そんな神社なんて関係ありませんしね。 中国や韓国が騒がなければ、あんな神社なんて、そのうち自然消滅しちゃいますよ。 まあ、同和問題も靖国問題も、ある種の利権が絡んでいるんでしょうね。 クレームをつければつけるほど、お金がゲットできる・・・そんな構図になっているのかな?問題がなくなっては困るから騒いでいる・・・そんな面があるのでは? まあ、利権を持っている本人はともかく、そんなスジの悪いお金の元で育つ子供が気の毒ですよ。 |
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R.11/1/8 |