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カテゴリー 文芸作品に描かれたダメダメ家庭
配信日 06年9月8日
タイトル 「谷間のゆり」 ( それぞれのキャラクター 編)
作者 オノレ・ド・バルザック
今まで、19世紀フランスの小説家であるバルザックの代表的な作品である「谷間のゆり」について継続的に取り上げて来ました。
今回で、最後です。

さて、ここで「谷間のゆり」の主要登場人物である、アンリエットなりフェリックスのキャラクターについて、ちょっとまとめてみましょう。

1. グチっぽい・・・この点は今まで散々書いてきました。この私もグチりたいほど。

2. 何もしない・・・平民ならしょうがないけど、貴族なんだから、本来は色々とできるでしょ?しかし、事態改善の努力を何もしないでグチばかり。

3. 恋に恋する・・・アンリエットもフェリックスも、現実の相手を見ていない。ただ自分の妄想の中の相手に語りかけているだけ。

4. オカルト趣味・・・ダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」ような妄想癖があります。そして「考えるよりも信じる」ことになりがち。だからどうしてもオカルト趣味の人が多いんですね。このアンリエットも神秘主義者のサン・マルタンの信奉者という設定です。ちなみに、サン・マルタンの信奉者というのは、作者であるバルザックの母親がそうだったそう。まさにダメダメを生み出す典型的なキャラクターといえるわけ。神秘世界に思いを向けることによって、目の前の現実から逃避してしまうわけです。

5. 子供との関わり・・・ダメダメ家庭出身の女性が実によく使う言葉がこの「子供」という言葉です。しかし、子供のことを考えているというより、言い訳として便利だから使っている・・・実質的にはそうなっている。そもそも、そのアリエットによると「自分が母親になることなど当初は考えても見なかった。」わけです。だから、子供のために「人脈」を残してあげようとは本気で考えていないし、財産を残してあげようとは考えていない。しかし、何か自分にアドヴァイスされると「私には子供がいるから、そんなことは出来ませんっ!」と言い訳する。そして事態がいよいよ煮詰まってくると、子供に向かって「アナタたちのせいでこんなことになってしまった!」とグチるわけ。

6. 入れ込む・・・アンリエットは自分の「苦境」を理解してくれるフェリックスに「入れ込む」ことになる。「この人はワタシのことをわかってくれる人だ!」そんな調子。そしてフェリックスに対しては「アナタのことをわかってあげられるのはワタシだけよ。」と言い放つ。このような状況は、入れ込みの典型ですよね?

7. 不幸への憧れ・・・アンリエットは決して頭が悪い人ではありません。そもそもマトモな男性と結婚すれば、こんなことにはならなかったわけでしょ?しかし、ダメダメな男性と結婚して、予想通りに不幸になってしまう。そもそも「あんな人と結婚しても、将来はどうなるかなぁ・・・」ってアンリエットの周囲の人も思っていたわけですしね。しかし、この手の人は自ら望んで「不幸」に突進して、心行くまでグチを言うことになるわけ。たまたま不幸になったのではなく、内心で望んで不幸になっているわけです。

8. 不幸自慢・・・そもそもこの「谷間のゆり」という小説は、フェリックスの書簡というスタイルです。しかし、この書簡って、典型的な不幸自慢でしょ?受け取った方は「だから何なの?」って、当然思いますよ。

9. ボランティア人間・・・アンリエットは慈善好き。まあ、「自分では幸福になれない人間だから・・・」などと言い訳していますが、それって、自分で幸福になる努力をしていないからでしょ?しかし、スグに自分から逃避する人間は、ボランティアなどに逃げ込んでしまうわけ。それだけ「自分がどうしてもやりたいこと」がわかっていないし、それを考えたくないんですね。

10. 思考の硬直化・・・「ダメダメな夫のせいで、私は不幸だ!」「ダメダメな母親のせいで私は不幸だ!」まあ、アンリエットはいつもこんな感じ。実際にそのような面はあるでしょう。しかし、じゃあ、今後はどうするの?それが重要でしょ?少しは自分で考えてもいいじゃないの?ボランティアをやっている場合じゃないでしょ?しかし、すべての問題の原因を他者に押し付けてしまって、自分は完全な被害者に認定してしまい、その後の問題だって、全部の理由をその犯人に擦り付ける・・・このような、まるで韓国人のような態度は、ダメダメ人間の典型的な発想と言えるもの。「自分はかわいそうな被害者。」という、いったん設定した関係性を、現実に合わせて見直したりはしない。それだけ、自分で考えることから逃避しているわけ。

11. 二項対立・・・ダメダメ家庭の人間は物事を単純な二項対立で考えてしまう。それこそ正義と悪とか、霊と肉体とかの単純な分類で勝手に納得してしまう。しかし、現実は違うでしょ?現実の人間は霊もあれば肉体もあるって、当然のこと。しかし、恋に恋するような妄想型の人間は、現実を直視しないで、単純な二項対立で物事を考えるわけ。結局は、妄想が膨らむだけなんですね。

12. 被害者意識・・・ダメダメ家庭と被害者意識の組み合わせは、もはやお約束。ここでのアンリエットも、「ダメダメな自分の母親による被害者。」「ダメダメな夫による被害者。」「子供のために、やり直すチャンスを失った。」「フェリックスのパリでの活動のために、髪が抜けた。」そんな話ばかり。自分を被害者としてしか語れないわけ。そして、人の悪口を聞きたがるところもあります。自分の周囲の人間の悪口を聞いて、「ああ!ワタシはやっぱり、あの人たちによる被害者なのね!」と納得したいわけ。

13. アダルトチルドレン・・・アンリエットは「娘娘した女」、あるいはフェリックスは「あの甘美な時期にそのまま取り残された。」、あるいは、「あなたも子供のままの大人でいらっしゃる。」人間。これって今で言うと「アダルドチルドレン」そのものでしょ?ダメダメ家庭とアダルトチルドレレンの問題なんて、何も最近の問題ではないわけ。ダメダメ家庭では本当の意味で子供体験をしていないので、大人になりきれないわけです。

14. 兄弟仲が悪い・・・親からの愛情を兄弟で取り合うような事態になるので、ダメダメ家庭は兄弟仲が悪いもの。ここでもフェリックスは兄と仲が悪いし、アンリエットの子供たちも、結局は仲が悪くなってしまう。

15. 子供が気を使う・・・ダメダメ家庭の親は被害者意識が強い。子育てだって、親である自分が背負わされた被害だと認識している。だから子供は親の被害を常に考えるようになってしまうわけ。子供の方が親に対し気を使っている状態なんですね。子供は親からの愛情に対し「お返し」をしなきゃ!と切羽詰っている状態。そんなことだから、子供が天真爛漫とは行かないわけでしょ?

16. 人の気持ちがわからない・・・常に自分の被害を真っ先に考える習慣があり、自分こそが一番の被害者だと確信しているので、周囲の人の気持ちなど考えたりはしない。だって、自分より被害が少ない人のことをどうして考える必要があるの?そうやって人のことを考えないので、人の気持ちが全くわからない人間になるわけ。それにダメダメ家庭出身者は会話ができないので、人とフランクに会話することもない。人に言うことといったら、グチばかり。だから、ますます人の気持ちがわからない人間になってしまう。また、自分自身の感情を抑圧しているんだから、他人の感情なんてわかるわけがありませんよ。だから、人から「アナタは、人の気持ちがわからない人ねぇ・・・」と言われてしまう。


最初に書きましたが、作者であるバルザックは、あえて書簡体という不自然なスタイルで、この小説を書いています。苦悩するアンリエットとフェリックスに共感はしていても、100%同意見ではないわけ。

たとえば、その書簡では、つまりフェリックスの主観では、アンリエットの亭主であるモルソーフ伯爵は、とんでもなく無能で、性格が悪いような書き方になっていますが、実際はどうなんでしょうか?

まあ、有能とは言えなくも、どうしようもないほどに無能とは言えないでしょ?
あるいは妻に優しくない面が強い人ですが、たまに妻にプレゼントなどをしたりするわけ。むしろ伯爵は、ソツのない妻にバカにされるから怒っちゃっている面もあるわけでしょ?
パリかどこかで心機一転やり直せば、「そこそこ」仕事もするんじゃないの?そうすれば、妻をいじめるヒマなんてありませんよ。

作者のバルザックは、妻のアンリエットやフェリックスに、伯爵の悪口を散々言わせながら、読者に「実際の伯爵はどうなんだろうか?」と考えてほしいわけ。アンリエットやフェリックスの主観的表現の中から、読者によって客観を浮かび上がらせてほしいわけ。そして、この事態を改善するためにはどうしたらいいのか?読者に考えてほしいわけです。

さて、発行者の私は、メールマガジンにおけるこの一連のシリーズで、この「谷間のゆり」の主人公といえるアンリエットに「手厳しく」接しております。
このメールマガジンの購読者さんの中には、一連のシリーズの配信前に、実際に「谷間のゆり」を読まれた方もいらっしゃるでしょう。このアンリエットの懊悩に共感なさった方もいらっしゃるでしょう。
そんな人は、かなりご立腹されたでしょうね。
そもそも、この「谷間のゆり」という小説は、一般的には「恋愛小説の傑作!」なんて評価なんですからね。

『もしかすると、発行者はこのアンリエットに「似た」人と個人的な思い出があるのでは?だから、こんなに手厳しいのかな?』
などと考えた購読者さんも、多分、いらっしゃるでしょうね。
個人的な思い出は、実際に、複数、ありますが、それが「手厳しい」主な要因ではありませんヨ。しかし、個人的な思い出があるだけに、バルザックの考えが実によくわかるということが言えるでしょうネ。

自分自身の苦境を改善するには、自分の現状をちゃんと認識すること。それが第一でしょ?
不幸に憧れ、グチを言うことに安住し、自分の不幸を自慢していても、事態は改善しませんよ。

アンリエットに対し単純に同情するのではなく、「アンリエットがどうやったら幸福になれるのか?」私は一連の文章において、そんな視点を提示しているだけです。同情するだけでは、本人が現状満足するだけでしょ?

ちなみに、アンリエットの結婚後の苗字であるモルソーフ(Mort-sauf)は「死んで助かった」という意味です。英語に直すと(death-safe)。その名前も、いわば「復活」というもののメタファーなんですね。そんなモルソーフという名前にも「ダメダメからの復活」というテーマが込められているわけ。「恋愛小説の傑作!」なんてありきたりな言葉で評価できるような作品ではないわけ。

私としては、購読者の皆さんも、実際にこの小説を読んでいただきたいと思っています。
どこの図書館にもありますし、古本屋さんにもあるでしょう。まあ、実に長いのが難点ですね。その点は、長い文章のメールマガジンを書く私も脱帽モノの長さ。皆様も実際に読んでみると私とは違った読み方をされることもあるでしょう。

私としては、皆様が実際に「谷間のゆり」を読む際に、あるいは、読み直す際に、常にアタマに入れておいてほしい言葉があります。
それは、
「で、アンタは、結局は、どうしたいの?」

その言葉が頭にあると、小説の最後にあるナタリーからの返事の意味も、よくわかるようになるはずです。
それって、作者のバルザックの「現在の」心情でもあるんですね。「過去の」バルザックといえるフェリックスが書いた不幸自慢の手紙に対し、「現在の」バルザックが返事を出している・・・この小説はそんな感じでしょうね。

最後のナタリーからの返事は、実質的には現在のバルザックから、過去のバルザックへの手紙になっている。だからこそ「こんなにハッキリと言っちゃうのはワタシだけよ!」と書けるわけです。だって、実質上は本人から本人への叱責なんですからね。

「フェリクス君よ!長い手紙を書くのはいいとして、君はいったいどうしたいの?」
「アンリエットさん!妻として母としての立場と、フェリックスへの愛に苦悩するのはいいとして、アナタ自身は結局はどうしたいの?」
そのような疑問を読者に出してもらうための書簡体なんですね。当然のこととして読者自身も「自分自身はどうしたいのか?」考えてほしいと思っているわけ。

そして「自分はどうしたいのか?」それを自覚することによって、初めてダメダメからの復活を果たすことができる。
19世紀フランスでも21世紀の日本でも、稀代の天才小説家のバルザックも、無料メールマガジンを発行しているこの私も、言っていることは同じなんですよ。


(終了)
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発信後記

集中的に配信する予定でした、バルザックの「谷間のゆり」のシリーズですが、結局、途切れ途切れになってしまって・・・我ながら情けない。
私としては、この小説の解釈を説明する・・・というつもりではありません。従来の定説を横において、読者が自分の目と頭で作品に接する機会を作れれば、それでOKです。

ちなみに次回も、文芸作品を取り上げます。
次回取り上げる作品は、今回のように400ページもあるような長大な作品ではなく、非常に短いもの。

ちなみに、前回は、予定を変えてオペラ「カルメン」を取り上げました。入れ込みの成れの果てのシーンとしては、典型的なんですね。
ちょっと前に起こった、その「入れ込み」の成れの果ての事件ですが、これもありがちのラストでした。

このメールマガジンでは以前に、「影の薄い夫」というお題で配信しております。
会話不全の強圧的な女性は、「人に合わせすぎる」男性と結婚することが、結構あったりするわけ。そうして家庭内が命令と服従の関係で運営されるわけ。そんな家庭では影の薄い夫になり、当然のこととして影の薄い父親になる。
そんな家庭で育った子供は、自分の意見も聞いてもらえずに、非常にストレスがたまってしまう。そして「自分は理解されていない。」と思い、「この人は自分を理解してくれる!」と認定した人に「入れ込んで」しまうわけ。

今回の事件の加害者の少年の家庭ですが・・・いかにも・・・と言った感じでしたよね?
私は何も誰かを非難するつもりはありません。
ただ、影の薄い夫なり父親の家庭では、その家庭の子供が、誰かに「入れ込む」ことになりやすい・・・そのことは念頭においておいた方がいいと思います。
自分の関係者を守るためには、ちょっと注意しておいた方がいいわけ。

ちょっとした注意があれば、あのような事件には巻き込まれないで済むわけです。
R.10/12/4