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カテゴリー 敵と味方
配信日 06年11月10日 (10年11月25日 記述を追加)
タイトル 悪(あく)
このメールマガジンでは、以前より、社民党の福島党首がおっしゃった発言である、
「ふつうの人が、ふつうに働いて、幸せを感じられる社会を作るべき。」という発言を取り上げたりしています。
私は別に、社会主義という理念云々を問題にしているわけではありませんよ。
というか、「ふつうの人が、ふつうに働いて、幸せを感じられる社会」って、具体的にどんな社会なの?現実的なイメージが私にはわからない。それとも福島党首は自分で説明できるとでも言うの?

そんな自分でもわかっていないようなことを「べき論」を使って相手に要求する・・・こんなスタイルがダメダメの典型だと申し上げているだけです。

さて、その発言に接して以来、私は福島党首に注目していました。
「次はどんなボケをかましてくれるのかなぁ・・・」
「まったく、あの人はネタの宝庫だねぇ・・・」

福島党首は立場のある有名人なんだから、彼女が発する折々のコメントは、ニュースなどに登場したりしますよね?
そして気がついたのは、「悪(あく)」という言葉が実によく使われること。

憲法改悪阻止!悪法!悪政!
1分間の発言のうちに、3回くらいは、この「悪」(あく)なる言葉を使っている。
皆さんも、今後は注目してみてくださいな。

ある人の考えや行動が気に入らないということはあるでしょう。自分だったらそうはしない、そう思うことだってありますよね?
しかし、自分と違うからと言って、それをいきなり「悪」なんて断定する・・・そんなことをする人って、いったいどんな人なの?って思うでしょ?

自分と違うから気に入らない・・・のはいいとして、じゃあ、自分の考えなり行動の方が、他の人にとっても適切なものなんだ!と、周囲の人にもわかるように説明するのが先でしょ?

たとえば憲法の問題だって、今までの憲法のいい点はこれこれだ、憲法の改訂をして、この点を取り入れると、このあたりが問題になってくる・・・だからワタシの考えの方がいいんだヨ!
そうやって、他者にわかりやすく説明することが重要でしょ?
「この私が『悪』だって言っているんだから、黙って従えコラっ!」
そんな感じでいきなり価値判断を押し付ける必要なんてないじゃないの?

さて、以前にこのメールマガジンで韓国の歴史教科書を取り上げました。
あの教科書も、事件の具体的記述はそっちのけで、価値判断だけが書いてあった世にも珍妙な教科書でした。
大きな事件があったのなら、「いつ」「どこで」「だれが」「なんの目的で」「どうやって」と、そんなことを記述するのが先でしょ?事件の価値判断は人それぞれですよ。

しかし、ダメダメ人間は、自分自身で考えたりはしない。
権威者認定のありがたいご高説を、盲目的に受け入れているだけ。自分で考えたりはしないから、事実の詳細より、価値判断が先に来るわけ。
そして、自分と違っているからということで、「悪」と勝手に認定してしまう。
しかし、自分と違っているから、あるいは、自分の言うことを聞かないから、すなわち「悪」なんて、実に恐ろしい発想でしょ?
それこそヒトラーやスターリンや毛沢東となんら変わりませんよ。ホロコーストに至る典型的な発想じゃないの?あるいは、「子供が言うことを聞かないから殴った!」と語る児童虐待する親とまったく同じ。

福島党首の発想は、価値判断が先に来て、権威主義的で、問答無用。
実際にそうでしょ?
しかし、このような発想って、別の言い方をすると、軍国主義的ですよね?
「米英は悪だ!オレの言うことを黙って聞け!反論は許さんっ!!」

まあ、福島党首の実家・・・なかんずく、両親がどんな人なのか?
簡単に見当がつくでしょ?
問答無用で権威主義的な父親。グチばかり言っている母親。そして両方とも被害者意識が強い。「悪いのは全部政治のせいだ!」そして「いったい誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」
そんな環境で育ってしまうと、「ああ」なりますよね?

このような被害者意識が強い人間は、被害者意識が強い同じような人間を呼び込んでしまう。しかし、お互い「親に迷惑を掛けられない!」なんて強迫的に思っているから、根源的な思考ができない。自分たち自身の問題として捉えられないわけ。そんな連中が、一緒になって、「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」とグチ大会をするわけ。

しかし、物事は簡単に行かない。
被害者意識が強い人間は、被害者競争をしたりするもの。双方が不幸自慢をして、「どっちの側がより不幸なのか?」で競争するんですね。
そして「より不幸」な方が序列が高いわけ。
「アナタより・・・ワタシの方がかわいそうな人間なんだから、ワタシの言うことを聞いてよ!」

社民党から離脱した人がいたりしますが、それって、政策論争や路線論争でもなく、このような不幸「抗争」に敗れた・・・という面もあるんじゃないの?

ちなみに、私は何も福島党首に対する個人攻撃を意図しているわけではありませんヨ。
福島党首が何を目指しているのかはよくわかりませんが、彼女が目指しているものを彼女自身が自覚しているのかな?その点が、そもそも、それが疑問ですし、もし、明確な目標があるのなら、今のような権威主義的で軍国主義的な手法だと、その実現は遠いだろうなぁ・・・と思っているだけです。

そもそも、じゃあ、頻繁に登場する「悪」って、どういう意味なの?
「アンタの言う、悪って、どういう意味?ちょっと教えて?」
と、こちらが尋ねたら、どう答えるでしょうか?
まあ、予想できるのは、これ。
『悪って・・・よくないこと・・・』
まさに、「ふつうって、どういう意味なの?」という問い掛けに対する回答とよく似ていますよね?

ちなみに、福島党首が掲げる「ふつうの人が、ふつうに働いて、幸せを感じられる社会」に似た社会というか組織があることが最近わかりました。最近言及し続けていますウィリアム・スタイロンの小説「ソフィーの選択」の中での記述からです。
その中に、第2次大戦中にナチスが作り上げた、アウシュビッツ収容所の記述があります。

アウシュビッツのスタッフには、いわゆる職業軍人はほとんどいません。一般の、それこそ「ふつう」の人たちが、あのような「作業」を行っていたわけ。
あのような行為ができるためには、「考えないこと」が、絶対に必要でしょ?「考えていたら」やっていられませんよ、いくらなんでもね。だから「考えない」能力に長けている人たちが、スタッフとして集められ、「粛々と」作業したわけ。
まさに「ふつうの人が、ふつうに働いて・・・」そして、「考えない」から、自分は不幸だと思わない・・・そんな組織だったわけ。

そもそも、物言いの冒頭に「悪」なんて言葉を出すということは、それ以上は「考えなくてもいい」わけでしょ?それこそ、アウシュビッツでも「ユダヤ人は悪だから・・・」「これがワタシの仕事だから・・・」そんな言葉を持ち出し、自分で考えることに封印を施し、「粛々と」作業したわけでしょ?

悪という言葉は、倫理に直結している。
倫理というのは、言葉の上では結構なことですが、別の観点からすると、プラグマティックな視点が欠如していることと言えます。そもそも、プラグマティックに物事を見る人が「悪」なんて言葉を持ち出しますか?
プラグマティックな発想がないということは、自分で達成したい目標そのものがないということでしょ?自分に確たる目標があれば、その実現のために、プラグマティックに行動することになりますからね。倫理的に考えているだけでは、自分の目標は達成できませんよ。

目標が達成できない・・・というか、目標自体が存在しないので、むしろ、「○○のせいで、上手くいかない。」と犯人認定の論理を持ち出すことになる。その「○○のせいで上手くいかない。」という発想を、エーリッヒ・フロムは「○○からの自由」と記述しております。
その「○○からの自由」にこだわる心理がナチスを呼び込んでしまうことになる。

「○○をする自由」を意識して、プラグマティックに発想すれば、それに協力してくれる味方がほしい。
しかし、「○○からの自由」を意識して、倫理的に物事を見れば、敵がいた方がいい。
「悪」を意識することによって、「善」vs「悪」の構図を作り上げるわけ。
だからこそ、抑圧的な人間は、味方よりも敵が必要になってしまう。
そして、自分の考えと違っている者を、「悪」と認定して、それを敵とすることになる。
敵なんだから、説得も必要はなく、一方的に糾弾するだけ。
逆に言うと、会話の能力は必要とされない。
ただ、敵を攻撃する言葉を繰り返し、権威筋認定のご高説を連呼するだけ。

あるいは、反論されにくい漠然とした言葉を持ち出すことで、説明や説得のシチュエーションから逃避する。まさに、「ふつうの人が、ふつうに働いて、幸せを感じられる社会を作るべき。」という言葉に結実することになる。
その言葉はいいとして、『で、結局は、アンタはどうしたいの?』と聞かれてしまったら、どう答えるんだろう?彼女としては、どうしてもやり遂げたい具体的なことがあるの?

倫理というのは外部的な体系であって、その裏面として自己逃避とつながりやすい。
抑圧的な人間は、自分で考え、判断することが心理的に怖いので、その物言いに「学ぶ」という言葉が頻発することになる。その「学ぶ」という言葉は、その心理的な意味としては「従う」とか「縛る」という言葉に近い。まさに自分で判断することを否定している発想なんですね。
自分で考えることを否定し、自分自身を否定しているんだから、相手のことを肯定するわけがないじゃないの?

いきなり「悪」なんて価値判断を押し付ける人間って、現実にいたりするでしょ?そもそも「悪」なんて言葉が冒頭に登場したら会話にならないじゃないの?
つまり、最初に「悪」なる言葉を使うことによって、会話や思考から逃避できるわけ。
そんな人間は、今までちゃんとした会話をして来なかったことがわかるわけですし、そんな人は被害者意識も持っているものなので、スグに逆上することになる。

「ああ!アイツの悪によって、私はかわいそうな目に!」
そう思ってしまうので、暴力的な手段を取ることに躊躇しない。
自分と違っている発想や行動を持っている人を、いきなり「悪」と断罪するような人が、後になってどのように評価されるのかって・・・決まっているものでしょ?

(終了)
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発信後記

何回も書いていますが、私は福島党首個人に何の恨みもあるわけではありませんよ。
ダメダメ家庭の典型的な発想の実例として、非常に「優秀」だと申し上げているだけです。

まあ、この私が、福島党首と1対1のやり取りができる機会があれば、1時間あれば必ず泣かせられる自信があります。
まあ、「泣かせてみせようホトトギス」ってところ。

そもそも、彼女に対しては、「アナタのさっきの物言い・・・アナタのお父さんの物言いにそっくりでしょ?」なんて言葉がチェックメイトになるわけですから、その前段階で、少しづつ相手を追い詰めていけば、実に簡単に泣かせられるでしょう。
ちょっと興奮したりすると、「つい」、もっとも自分らしい言葉を言ってしまうもの。
それこそ「ふつうって・・・ふつうのこと・・・」なんて言葉。

そのような言葉を多く引き出して、ニッコリ笑って、「ああ!お父さんもそんな感じで言っていたんでしょ?」「アナタはやっぱりお父さんの子だねぇ・・・」とやるわけ。
まあ、この時点で確実に泣くでしょうね。
2時間あれば、首を吊らせることもできるでしょう。彼女はそれくらい「心が弱い」ことが歴然としています。まあ、この私が「いかにモノが見えるのか?」知っている人は知っていますので、これ以上は言いませんが・・・

だから重要なことは、自分自身で自分自身を見つめるということ。
人から突っ込まれるから逆上してしまう。自分自身で考えれば、そんな厳しいことにはならないでしょ?普段から考える習慣を付けておけば、いざという時にも、大怪我はしないもの。
だからこそ、「悪(あく)」などの価値判断を最初に持ち出して、会話や思考から逃げるようではダメなんですね。
R.10/11/25