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カテゴリー | 弁解と謝罪 |
配信日 | 07年1月30日 (10年2月15日,11年1月30日 記述を追加) |
タイトル | 時代のせい |
ダメダメ人間は、自分で考えることをしない。だから、自分で言いたいこともない。そもそも自分で考えないんだから、相手に対して「絶対に言いたいこと」「伝えたいこと」「分かってほしいこと」なんてありようがない。 あえて、伝えたいこととしたら「ワタシは悪くない!」そんなことくらい。 そして「ワタシは悪くない!」と言うために、「アイツが悪いんだ!」などと他者を犯人認定したりする。そしてその「犯人」を恨んで、クレームを付けたり、いやがらせをするなどの「敵認定」の行為をして、その犯人認定を自分の中に確定させることになる。 しかし、別のパターンもあります。 ダメダメ家庭というものは、過剰なまでに減点法であって、そんな家庭で育った人間は、過剰なまでに「いい人」願望が強い人もいます。減点のない「いい子ちゃん」でいたいわけです。「いい子でいなさい!」という親からの言葉がトラウマになってしまって、いわばトラブルを起こさないように、強迫的に配慮することになる。 そもそもダメダメ家庭では親は子供の気持ちなどそっちのけ。だって、被害者意識が強い親としては「自分こそが一番かわいそうな人間」だと思っているので、子供は親である自分より恵まれていると確信している。だからダメダメ親は子供に対し「親に迷惑を掛けるな!」と頻繁に言うことになる。だから、そんな家庭に育った子供は「親に迷惑を掛けてはいけない!」「いい子でいなきゃ!」と切羽詰った精神状況にいる。 と言うことで、上手く行かないことがあると、それを自分のせいにしたくはないので、誰かを犯人認定したい・・・しかし、そんな犯人認定行為は「いい子」がすることではない、「いい子」でいないと親に迷惑が掛かってしまう!! そんな境界条件を踏まえて、連立方程式を解き、 「我々が上手く行かないのは」→「時代のせいだ!」「時代が悪いんだ!」 と解答を導き出すことになる。 時代が悪いんだから、ボクは被害者と言える。 しかし、時代のせいだから、悪い人はいない。 時代のせいだから、何ともしようがない。 すべてに配慮した、見事な回答ですよ。諸般の事情くんも大喜び! しっかし・・・だから何なのさ? アンタは、何が分かったの? アンタは、いったいどうしたいの? それこそ、以前に取り上げた、とある大学教授の児童虐待についてのコメントでも、「現代社会の病理」なんて言葉が登場してきました。 あるいは、実際に起こってしまったトラブルについて議論したりすると、「やっぱ・・・時代が悪いよなぁ・・・」と何でもかんでも片付ける人って、現実にいたりするでしょ? しかし、「時代のせい」と言われても・・・じゃあ、どうすればいいの? と言うか、そんなに時代が悪いのなら、そんな悪い時代に子供を作ったアンタの親はとんでもない外道なんじゃないの?あるいは、その人の親が子供を作った際にはすばらしい時代で、後で悪くなったの?そうなると、どの時点で、どの点が、どのように悪くなったの?それを明確に説明する必要があるでしょ? 「アナタの親が、別の時代に生きていたら、このような家庭にならず、マトモな家庭を築けたとでも言うの?」 それこそ、そんなことを言おうものなら、絶対に返事は返ってこないものなんですね。 だって・・・「親に迷惑を掛けてはいけない!」これはダメダメ家庭の憲法のようなもの。 「時代が悪い。」とかのご高説を語るのはいいとして、じゃあ、具体的にはどんな時代の、どんな点がよくて、今の時代のどんな点がよくないの? それを客観的に、かつ具体的に語ることができれば、時代の変化なんて言葉も必要ないでしょ?その具体的な問題点を修正すればいいだけですよ。 昔の文献にあたって、過去について具体的に説明する人は、「時代が悪い。」とかの安直なことは言いませんよ。 それこそ、「○○という人が書いた△△という本に書いてあるけど、昔はこんなシステムで、その時代ではこんなことが問題になっていた・・・」という具体的な説明ができる人は「時代が悪い。」とは言わないでしょ? 別のところで書いていますが、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公の名前であるラスコリーニコフは宗教原理主義者という意味になります。つまり、小説「罪と罰」の冒頭は、宗教原理主義者が、質屋のばあさんという、金の亡者を惨殺するシーンから始まっているわけです。そんなことがアタマに入っている人だったら、アメリカ同時テロを21世紀に特有の事件などとは言いませんよ。 あるいは、19世紀のロシアの作曲のムソルグスキーは、知人への手紙の中で「ロシア人とイスラム教徒の抗争はもう何世紀続いているんだ?」と書いていますが、そんな昔からやっていることを、まるで21世紀になって起ったように語っている識者さんもいるでしょ? 結果的に無教養なのはしょうがないとして、歴史をふまえ、それなりに考える必要があるのでは?しかし、ボンクラな人は、「時代のせい」なんて安直に言ってしまう。だって、「時代のせい」にしておけば、後は嘆いているだけでいいんですからね。 よく言う物言いで「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。」という言葉がありますが、なぜに賢者が歴史に学ぶかというと、歴史は繰り返すものだからですね。 トラブルにせよ、成果を上げる行為にせよ、道具立ては違っても、その心理としては、昔も、今も、そしして将来も変わらない。 それこそ、好まれる料理そのものについては、時代や場所によって、変わるでしょうが、おいしい料理を作る姿勢は、どんな時代も、どんな場所でも変わらないでしょ? 子供を育てることなんて、それこそ、大昔からやっていることなんだから、時代によって、大きく変わったりしませんよ。というよりも、どんな時代においても、「時代が悪い。」とグチる人がいて、そんな人はどんな時代でも、ダメダメ家庭を作っているものでしょ? そもそも、人類の歴史に理想的な時代なんてありませんよ。 もし、そんなに理想的な時代があったのなら、どんな点が理想的だったの?そのよい点を人に対して説明するのが先でしょ?あるいは、今の時代の、どの点が、不適切なの? それに、たとえ時代が悪いとしても、そんな問題のある時代にしたのは、我々人間でしょ? 時代の問題から考え始めるにしても、その当事者である人間の問題に考えが至らなければ、何の前進もありませんよ。 1986年の映画に「ミッション」という作品があります。その年のカンヌ映画祭のグランプリ作品です。 監督はローランド・ジョフィ、主演がジェレミー・アイアンズとロバート・デ・ニーロ。あとチョイ役でリアム・ニーソンが出ています。ただし当時のニーソンはまだ「その他大勢」の一員ですが・・・あと、音楽を担当したモリコーネによるオリジナル音楽「ガブリエルのオーボエ」という曲は皆さんも聞いたことがあるでしょう。タイトルは知らなくても、音楽をお聞きになったら「ああ!あの曲ねっ!」と思うはずです。 18世紀の南米で起こった実話を映画化した作品です。 現地の人を布教しようとしてミッション活動したイエズス会の宣教師が、政治的な理由から自分たちの上司であるキリスト教会によって虐殺される事件を描いたものです。 虐殺が終わった後で、 「しかたがないな!世の中ってこんなものさ・・・」なんて言う人に対し、断腸の思いで虐殺を承認したキリスト教会の幹部は、 『こんな世の中にしたのは、我々人間じゃないか。』と言います。 そして、映画の最後で、その教会幹部は、スクリーンから我々観客を見つめて終了となります。 『君たちはどう考える?』 我々観客に対する、そのような問い掛けとなっているわけです。 そのような問い掛けに対し、安直に回答することなく「考え続ける」こと・・・それが我々一人ひとりの「ミッション(使命)」じゃないのか? 監督のジョフィはそう言いたいんでしょうね。 しかし、自分で考えることから逃避するダメダメ人間は、あっさりと「時代のせい!」「現代社会の病理」なんて、分かったような、実は自身でも分かっていないような言葉で片付けてしまう。 むしろ、「ああ!こんな時代に生まれちゃって!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と真っ先に嘆くだけ。 思考から逃避するタイプの抑圧的なダメダメ人間と「時代のせい。」「時代が悪い。」という言葉の結びつきは、いわばお約束といえるようなもの。 実はかなり以前にテレビを見ていたら、とある日本のオペラ歌手が「我々は不幸な時代に生きている。昔は色々とサロンなどがあって、その場でアーティストたちが芸術論争を戦わせたものだが、今はそんな場がない。」なんてグチっていました。 オペラの歌手なのかカスなのかは知りませんが、自分が言いたい芸術論があるのなら、そんなサロンでなくても言えることでしょ?それこそ、年末の紅白歌合戦にも出場した有名人なのだから、文章にでも書いて本にして出版すればいい話ですよ。そこまで行かなくても、今だったらそれこそホームページにでもまとめておけばいいじゃないの? そして、自分が興味のある人の芸術論については、自分で聞きに行けばいいじゃないの? 有名人なんだから・・・ そんなアクションもしないような人と、芸術論を交わしたいと思う本当の芸術家はいませんよ。 結局は、本当の意味で「自分として伝えたい。」「分かってほしい。」あるいは、「後世に残したい。」自分自身の芸術観がないんですね。ただ、サロンの雰囲気に浸りたいだけ。楽しい雰囲気を味あわせてくれるサロンがないから、「時代が悪い!」とグチる。 もともと、芸術論には何も意味はありませんよ。そんな議論をするよりも、実際に「作品」を作るのが、本来の芸術家の務めですよ。 そのようなことは、政治の分野でも同じ。ダメダメな人間は、「べき論」で政治論は語れても、実際に政治に携わると何もできないもの。政治に限らず、どんな分野においても、「べき論」で周囲に説教をぶつことは大好きでも、石にかじりついてもという覚悟を持って、現実に取り組むことはしない。 そうして、何も達成できず、「あ〜あ、悪い時代だなぁ・・」とグチることになる。 時代のせい・・・なんて理由付けすることにより、そこから思考が広がっていくの?進んでいくの?むしろ、止まってしまうだけでしょ?そんな言葉を語る人は、自分の問題意識を流したいだけ。 本当に言いたいことがない人が、そして本当にやりたいことがない人が、自分に言い訳するために持ち出す言葉が「時代が悪い!」 しかし、どんな時代だって、そんな安直な人間が、尊厳に到達したことなんてないでしょ? スグに「時代のせい。」なんて言葉で片付けるような人間に価値があった時代なんて今までなかったでしょうし、今後もあるはずがありませんよ。その時代の現実に真摯に向き合った人だけが、その時代を超えることができる。逆説的ですが、真理でしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 ちなみに、本文中で言及しましたジョフィ監督の「ミッション」はオススメの映画。 どこのレンタルヴィデオショップにもおいてありますから、是非にもご覧になってくださいな。 音楽だけでも、ソンはないと思いますよ。 キリスト教の宣教師が主人公の映画ですが、別にキリスト教の知識も必要ではありませんしね。それにテーマは実に普遍的。本当に「いいもの」は・・・時代を超越している・・・そういうものでしょ? |
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R.11/1/30 |