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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな単語
配信日 07年3月6日 (11年1月19日 記述を追加)
タイトル イタイ
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。自分の問題を自分自身によって主体的に解決していこうなどとは考えていない。あるいは、自分なりの目標を掲げ、その達成のために努力するようなことはしない。だから向上心など持ちようがない。この点は以前に配信しております。
そんな人間が往々にして言ったりするのが、「下には下がある」。

自分より恵まれない境遇にある人間を見て、「ああ!下には下があるんだ!」・・・だから、「まっ、オレも、このままでいいかぁ・・・」
そのように自分に言い聞かせ、何もしない。
この「下には下がある」という言葉についても、以前に配信しております。

しかし、自分より下の人間を見ることで、自分自身の問題から目を逸らすことを覚えてしまうと、どうしてもそんな習慣がついてしまう。
自分が厄介な情況に陥ったら、「自分より下」を探しに出かけるようなことをする。

それこそ、ボランティア活動などをして、恵まれない境遇の人を見て、「安心」してしまう。
そんな恵まれない環境の中で精神的に行き詰まっている人の言葉や行動を見て、ダメダメ人間が言ったりする言葉が、「イタイ!」
この「イタイ」という言葉はインターネットの世界ではポピュラーなようです。皆様も聞いたことがあるのでは?

しかし、他者を「イタイ」と思うのはいいとして、「じゃあ、自分自身はどうするの?」「その人を、どう助けるの?」そんな考えには至らない。ただ「イタイヤツ!」と言うだけ。そうやって自分で安心するだけなんですね。

しかし、それこそボランティア活動というものは、困っている人を助けるのが本来の目的でしょ?恵まれない境遇の中でもがき苦しんでいる人に、「イタイ」も何もないじゃないの?そんなことは、最初から分かっていること。むしろ「どうして、このオレはあの子を助けられないんだ!自分が情けない!」そうやって地団駄を踏んで悔しがるのなら分かりますよ。
しかし、ボランティアをするような人間は、そんな心の豊かな人間はほとんどいない。自分が求めていた「自分より下」の人間の存在を確認して、安心するだけ。

なにもボランティアまでやらなくても、インターネットなどで、わざわざ、そんな人たちの行動を見ようとする人っていますよね?
困っている人たちの不器用で珍妙な行動を見て、その問題点を考え、そして自分自身の問題にフィードバックする・・・それなら分かりますよ。人助けをするなんて簡単じゃあない。せめて自分自身が向上すればいい。「トラブルを抱え困っている人たちが、なぜ、そのようなことをするのか?」「あの人たちは、どうして、そのようなことを言うのか?」その点を考え、それを自分自身の問題に当てはめてみる。それによって、少なくとも自分は向上するわけでしょ?しかし、ただ「アイツはイタイ奴!」で留まっていたら、自分は何も進歩しないじゃないの?

「下には下がある」という心理と、「イタイ」という言葉は、実に結びついているもの。そんな世界に浸っているより、自分の目標を掲げ、とりあえず「真似したい」立派な人物でも見つけた方がマシですよ。

しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、自分の目標そのものがない。むしろ、自分の目標を持たなくてもいい理由を探し回っている。だからこそ、「自分より下」の存在を求め、「イタイ状況」なり「イタイ人物」なりを探し回ることになる。
そして、実際に「イタイ」ものをみつけて、安心してしまって何もしない。
それに対し、マトモな人は、自分の参考とするために、「イダイ(偉大)」な人物や「イダイ」な業績を調べ、それを自分の活動に取り入れていく・・・
そんなものでしょ?

これと同じような状況なのは、別のところで書いておりますが、反面教師という言葉です。ダメダメな人は反面教師という言葉をよく使うもの。
しかし、そんな人は、「人生の師」と言える人物を語ることはない。
「人生の師」であれば、その人の行動を真似すればいい。
しかし、反面教師だったら、具体的にどうするの?
結局は、「反面教師たるあの○○のせいで、ワタシは上手く行かない!」とグチっておしましでしょ?
反面教師という言葉がそうであるように、「イタイ」という言葉も、自分の具体的な活動につながらない言葉なんですね。
そんな言葉を頻繁に使っている時点で、その人の当事者意識の欠如が見えてくるわけです。

自分が色々と考えるに当たって、多くのものを対象とするのは結構なこと。
それこそ、「イタイ」人からも、様々な知見が得られたりするものですよ。
特に、いわば、その手の不器用な人は、マージナル(=境界領域的)な人と言えるわけだから、普段気がつかないようなことを考えるための示唆となる場合もあるわけです。
だって、多くの人が当たり前のように持っているものを、持っていないことが多く、それゆえ、一般の人が当たり前に持っているものを顕在化、意識化させるためには、有用になるわけです。
マージナルな存在が、新たな知見につながっていくとなると、それこそフロイトの精神分析なり、レヴィ=ストロースの文化人類学なり、あるいは、類人猿の研究から人類を見つめ直そうという発想など、知の分野ではポピュラーな発想です。

つまり、いわゆる「イタイ」人も、知の開拓の道具としては実に有効なんですね。
しかし、「イタイヤツ!あはは!イタイヤツ」と大騒ぎしているだけでは、それこそ道具を使いこなせないオサルさんと変わりませんよ。
そこそこ進化していたら、道具を元に、知の開拓ができるはず。
大騒ぎはしても、道具を使おうとしないままだったら、未来永劫に渡って進化とは無縁ですよ。

逆に言うと、どの程度のレヴェルから、「知の道具」を使えるようになるのか?
そんなマージナルな観点から、ダメダメに関する知も、得られていくことになるわけです。
モノリスを見て騒ぐだけだったどーぶつと、モノリスから進化を始めたどーぶつの違いについての知見が得られれば、ダメダメを考えるに当たって実に意義深いことでしょ?そんな知見はダメダメに対する処方には価値があるといえるのでは?
イタイ人物やイタイ状況を見て、進化をするどーぶつと、わあわあと騒ぐだけのどーぶつも、その結果は大きく違ってくるわけです。

ちなみに、「イタイ」という言葉ですが・・・このメールマガジンの文章は、使っている言葉は意外にも保守的です。これは以前にもちょっと書きました。インターネットの世界だけで流布しているような「新しい」言葉は、排除しています。それこそ、以前に子供の名前について考えた際に触れましたが、使われている言葉自体はコンサバで、中身はモダン・・・そんな感じです。

新しい言葉もいいのでしょうが、そんな言葉は多くの人が知っているとは言えませんし、そんな言葉が20年後にも使われているとは限りませんし、意味だって変わってくる可能性が高いでしょ?
ちゃんと言いたいことがあるのなら、言葉自体はコンサバの方がいいと思うけどなぁ・・・
どうして、「狭い領域」で使われる新しい言葉をあえて使うの?
それって、本当に言いたいことがないからじゃないの?

この問題は、以前に取り上げた「略字」の問題と似ています。ダメダメな領域や、それに安住する人ほど、「新しい言葉」や「略字」が多いものなんですね。
まあ、そんな狭い領域だけで通用している言葉で作った文章を、いったいどんな人に読んでほしいの?
まあ・・・なんだかなぁ・・・

「イタイ」と言われる行動をしたり、トラブル状況になってしまっている当人よりも、「イタイ」「イタイ」なんて得意気に書く人間の方が、本当は・・・・
なんて書くといつものオチになってしまうので止めますが、「イタイ」という言葉に接すると、私が思ってしまうのが、ダメダメにお約束の言葉なんですね。
それは、
「で、アンタ・・・イっタイ、どうしたいの?」
「アンタは、結局、何が言イタイの?」
・・・ああ!こんな寒いギャグが、それこそイタイと言うんでしょうね。

(終了)
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発信後記

ちなみに・・・
もしかして、今現在、この「イタイ」なんて言葉が頻繁に使われている人として、ボクシングの亀田さん親子がいるのでは?
私はボクシングにはまるで関心がありませんが、その言動には、やっぱり関心があります。
ニュースなどで報道されている、その言動って、まさに、このメールマガジンの最良の見本みたいなもの。

幸福になるためには、まずは自分自身を知る・・・
それが一番重要なことでしょ?

亀田さん親子を救うことなんて・・・本人たちがその気にならなければ、できないことですが、せっかく、いい「見本」を見せてくれているのだから、しっかり参考にして、考えることが必要なのでは?

ただ「アイツはイタイヤツ!」と言って、「自分は、ああじゃないから、大丈夫!」なんて納得していても意味がない。ダメダメな部分は誰だって持っているもの。
要はそれを自覚しながら、地道に修正していくことでしょ?
R.11/1/19