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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の活躍分野
配信日 07年3月13日 (10年6月11日 記述を追加)
タイトル 運動家 (活動家 市民運動)
ダメダメ家庭は、会話が不全の家庭です。そもそも結婚相手を選定する際に、相手の会話の能力なんて考慮しない。そもそも当人からして、会話の能力がないわけですからね。元々会話の能力のない人間同士が結婚しても、会話に満ちた家庭になるわけもありませんよ。
結婚相手の選定の基準は、会話の能力よりも、容姿だったり、運動能力だったりする・・・
だから、逆に、ダメダメ家庭では容姿端麗だったり、運動能力の高い子供が誕生したりする・・・このこと自体は悪いことではありません。

さて、今回は「運動家」というお題です。
上記の「運動能力」は、体育会系の身体的な運動能力のことですが、今回取り上げる「運動」は、文化会系の「運動」に従事する人のことです。
それこそ、平和運動とか、市民運動とか、女性運動なんてありますよね?運動家というより活動家という言い方の方がポピュラーなのかな?

それらは、まさにダメダメ家庭出身者の吹き溜まりと言ってもいいもの。
だから、被害者意識と対抗心が充満している。
そして、当事者意識がない・・・だから、「自分が何をしたいのか?」が、自分でも、分かっていない。

それこそ、女性運動なんて、そんな感じでしょ?
「我々女性はオトコによる被害者だ!オトコたちに対抗するんだ!」
そんな言葉は、いいとして、その手の人は、現在の社会で実績を上げている女性たちと連携を取ろうとはしませんよね?「どうやったら社会で成功できるのか?」そのことについては、実際に成功した女性から教えてもらうのが一番簡単でしょ?それに自分たちの希望があるのなら、現在社会的な地位を持っている女性の口から言ってもらう方が効果的じゃないの?
しかし、その手の女性運動の方々が接触する女性って、大きな声でクレームをあげているだけの女性でしょ?

結局は、現状を改善したいというより、「自分のクレームを言いたい!」「自分がかわいそうな被害者だと分かってほしい!」というだけなんですね。

あるいは、平和運動もいかがわしい。

戦争反対はいいとして、そのための方法が重要でしょ?
「戦争を廃止するためには、どんな過激な方法をとっていいんだ!だから暴力の行使もやむをえない!」って、ギャグでやっているのならともかく、マジメに言っているんだからタチが悪い。
「できるかぎり話し合いで解決しよう!そして問題があるのなら、その問題が小さいうちに対処しようじゃないか?」そのような発想が、戦争を防止することなんじゃないの?

市民運動も、怪しいですよね?
まあ、一般の市民は、あんな市民運動をしているヒマなんてありませんよ。
食品の安全問題とかの身近な問題ならまだわかりますが、そんな問題だって、企業を糾弾するよりも、安全な食品を提供する方法を提供した方が建設的でしょ?
今だったらインターネットのショッピングモールなんて方法もあるわけですからね。無農薬野菜のショッピング・サイトでも開設すれば、それこそみんなのためですよ。
しかし、その手の市民運動って、企業を糾弾することだけで終わっちゃっていますよね?

だって、その手の『運動』というものは、糾弾することが手段ではなく、目的そのものとなっている。

被害者意識が強いもの同士が集まって、グチの共鳴。
「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?」
そして一緒になって対抗心を膨らます。
「悪いのは全部○○のせいだ!みんなもそう思うでしょ?」

そして、その対抗心から熱心に運動する・・・
だから一時的に勝利を収めることがあっても、長続きしない。だって、そもそもクレームを言うことが目的であって、何かを実現したいとは思っていないわけですから、実現できる権力を持っても、することがない。
そうなると、今度は、権力者として、別の何かに対抗するしかなくなる。

実に典型的に見られたのはライブドアの堀江さんでした。
彼のスタイルは、資本家というより、「資本家に対抗する市民運動家」のスタイルでしょ?
資本家に対抗する市民運動家がそのまま資本家になった・・・そう見ると、堀江さんの行動って実に理解しやすいですよね?

その「市民運動家」の精神を捨てきれないから、いつまで経っても「資本家に対抗する!」なんて言い続けないといけない。それを自分が資本家になってもやっているだから無理がある。しかし、メンタリティ的には運動家なので、服装も運動家の服装のまま。その面ではこだわりがあるんでしょう。メンタリティ的な面でも資本家になったのなら、会社経営のプロを招きますよ。曲がりなりにも上場企業だったんですからね。
しかし、あの手の運動家集団は、そのようなプロを招いて効率的に運営するなんてことはしないものでしょ?

まったく同じようなことが韓国のノ・ムヒョン政権も言えますよね?運動家上がりの素人連中が対抗心だけで結びついている集団。しかし、所詮はチンピラ止まりですよ。

たとえ運動家上がり、つまりチンピラ上がりであっても、そのメンタリティから脱却していけばいいわけです。チンピラ止まりになるか?運動家出身の「大物」になるか?
それは、「チンピラのメンタリティを自覚し、脱却できるかどうか?」に、かかっているわけです。

このようなチンピラ上がりであっても、チンピラから脱却して、「大物」になった人というと・・・20世紀の最大の「大物」といえるアドルフ・ヒトラーがいます。
かれは、ナチス初期からの党員でした。ナチス初期は、まさにチンピラの巣窟。いわば社会の不満分子が集まっただけの集団。そんな中で彼は突撃隊を組織して、非公然活動などをやらせて、権力を獲得していきました。しかし、当時のドイツ軍部は、そんなヒトラーやナチスには従わない。「高貴あるドイツ軍人が、 突撃隊のチンピラ連中と一緒にやれるかい!」というわけです。
と言うことで、ヒトラーは、自らが組織し、そして盟友レームが長をやっている突撃隊を虐殺したわけです。ヒトラーのために献身的に働いた突撃隊を、集団で銃殺しました。突撃隊のメンバーは銃殺される時も「ハイル!ヒトラー!」と叫んだものもいたそう。

しかし、身内を切るという、この粛清によって、ドイツ軍部の信任を得たヒトラーは、まさに頂点へ上り詰めていくことになる。
まあ、それが世界にとって幸福ではなかったことは言うまでもありませんが、いざ、ことを成そうという場合には、クレームを言うだけのチンピラ集団など足手まといにしかならないものなんですね。

ただ、運動家は、まさに運動の能力が高い。
その対抗心から、異常な能力を発揮する。被害者意識があり、「自分は被害者だから、悪いこともやっていいんだ!」と思っているので、常軌を逸した行動をすることも躊躇しない。ある意味において「使いやすい」存在ともいえる。
まさに、「○○とハサミは使いよう。」そのもの。
しかし、所詮はクレーマー止まりであって、何かを成し遂げることはできない。
それに、そんな運動家は、一般の市民からは、人望がないものでしょ?そんな人を周囲に侍らせておいても、当人の人望がなくなるだけですよ。
クレーマー止まりの人物が、権力を持っても、あちこちにクレームをつけて、トラブルを起こすだけで終わってしまう。堀江さんなり、ノ・ムヒョンさんだけでなく、長野県の知事をされた田中さんもまったく同じでしょ?

さて、私個人が最近注目しているのが、2人の知事さんです。
一人は滋賀県で知事になった女性。
女性知事は往々にして、「お飾り」になりやすい。まあ、大阪や北海道がそのパターンでしょ?あとはクレーマー系の知事は、千葉県のケース。千葉県はまさに運動家上がりのパターンですよね?

さて、滋賀県の知事選挙では、新幹線の新駅を作るかどうかが争点となったらしい。まあ、滋賀県で新幹線の新駅を作るって・・・ギャグですよ。そりゃ、誰だっておかしいと思いますよ。
そもそも駅を作るって、利用者が鉄道を使ってどこかに移動するわけでしょ?滋賀県の大津からどこに移動するの?大阪?京都?それだったら在来線の方が本数も出ていて実際は早く到着できる。神戸なの?大阪を通り越してわざわざ神戸に行くケースもほとんどないでしょうし、新幹線の神戸の駅は不便だからどのみち乗り換えなくてはならない。だから時間的にも遅くなってしまう。じゃあ、名古屋?それだったら、いったん京都に出て乗り換えた方が早い。東京に行くのも同じ。

ということで、何のための新幹線の駅なのか?滋賀県の人も途方に暮れるしょう。新駅建設反対を訴えた候補が当選するのは当然ですよ。
ただ、問題はこれからなんですね。
当選のために働いてくれた運動家を切れるかどうか?
それにかかってくるわけ。

「新駅反対!」というスローガンの中で「反対!」に共鳴して、運動した人も多いわけでしょ?そしてそんな運動家は熱心に働く。
しかし、いざ当選してしまうと、そんなクレーマーは、役に立たない。
だって反対することしか能がないわけですからね。

だから今後は、「政策的にニュートラルで、かつ能力的に高い人を使いこなせるか?」この点にかかってくるわけです。
そんな能力の高い人は、トップが変わっても「今後のお手並みを拝見。」と眺めている・・・そんなもの。実力のある人は、自信があるのでトップが替わっても ヘーコラしない。しかし、そんなヘーコラしない人こそが、「使える」人。そして、能力の高い人は「あの人は、『お仲間』のチンピラ連中を切れるかな?」と チェックしているもの。
情報を分析し、問題点を抽出することは主義主張とは関係ないでしょ?その問題点の解決策は人それぞれの考え方があるでしょう。しかし、まずはデーターを取って問題点を洗い出すことなんですね。それは「運動家」にはできないこと。

ちなみに、「運動家を切る」という発想がありそうなのが、宮崎県の知事になった「そのまんま東」さん・・・彼は意外にしたたかですね。まあ、芸能界で修羅場をくぐっているだけのことはありますよ。
彼は人を見る目がありますよ。まあ、だからと言って成功するかどうかは分かりませんが。

運動家は、ポジションを得るまでの道具にすぎない。
ポジションを取ったら別の道具が必要となる。
何かに対抗し、壊すのに、ふさわしいのが、運動家であり、彼らは、何かを実現させるにふさわしい存在ではない。
それこそ、Tシャツの絵柄で有名なチェ・ゲバラなんて、運動家どまりの典型といえます。
ただ、彼は、そのことをちゃんと自覚していた。だからこそ、死に場所を求めることになる。

昔の義理をいつまでも大切に・・・って、言葉はいいのですが、自分が本当にやりたいことをどうやって実現させていくか?そちらの方が重要でしょ?しかし、 そのためには、「自分が何がしたいのか?」ちゃんと自覚していて、多くの人に説明できないとダメでしょ?
実現させるには、当事者意識と、会話の能力がやっぱり求められるわけです。
それなりの、知性があっても、当事者意識と会話の能力がないと・・・運動家くらいしかなれるものがない・・・現実ってそんなもの。

特にダメダメ家庭においては、感覚的な楽しみと無縁になってしまう。
それこそ美術とか音楽とかの芸術に類することとか、あるいは服装などのオシャレの楽しみとは無縁になってしまう。つまり自己表現において、その手の感覚を使ったものは、ダメダメ家庭の人間には敷居が高い。
だからこそ、陰謀史観などに逃げ込んだり、あるいは、今回のような対抗心に逃げ込んでしまう。しかし、感覚の楽しみとは無縁の人の主張なり説得の方法は、押し付けがましいものになってしまう。
やたら、自分の被害を主張するだけで、実現したいもののイメージを提示することができない。

感覚との付き合い方ができれば、多くの人にアピールすることができるし、ある種の余裕にもつながる。
ひたすら、言葉だけで被害を語っても、そこどまりですよ。
それこそ、ヨーロッパの宗教改革においても、一番成功したのは、ドイツのルターでしょ?
イタリアのサヴォナローラにせよ、イギリスのクロムウェルにせよ、あるいはスイスのカルヴァンにせよ、一時的には大きな運動にはなりましたが、あとで尻すぼみになったでしょ?

ルターは、画家のクラナハとも友人関係でした。
それなりに感覚との付き合いができた人といえるでしょう。
だからこそ、一般の人間に対しても、対抗心だけでなく、感覚的な楽しみを提供できることになる。
活動家の人の服装を見るだけで、その人たちが持つ、感覚との接し方も見えてくる。感覚とは無縁のままで、被害を語り、敵について語っても、先は見えてしまう。
そんな運動家の末路って、あまり幸福ではないものでしょ?結局は、自分からの逃避のための運動というか、自分を騙すための活動になってしまっているんですね。

(終了)
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発信後記

運動家は、一見、正義感があって、立派に見えるわけですが、長くつきあう人ではないわけ。
典型的だなぁ・・・と思ったのが、最近のニュースで、元ビートルズのポール・マッカートニーさんの離婚騒動。彼は前の妻との死別の後で、地雷廃止運動家の、元モデルの女性と結婚しましたが、結局は離婚で大もめしたそうです。
容姿端麗で、運動家の女性なんて、そんなツボを押さえたダメダメを見抜けなかったとは!ポールさん!アンタも焼きが回ったねぇ!

その女性も、ポールさんから、たくさんの慰謝料を受け取ったそうですが・・・
その女性に被害者意識があることを理解すると、「多くの慰謝料」を要求する心情も理解できるでしょ?
何事も自分が受けた被害と認識する心情があると、高額な慰謝料を要求するという形になるわけ。まあ、日本の芸能人のケースでもありましたよね?
R.11/2/4