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カテゴリー ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい!
配信日 07年7月17日
タイトル 育て方を間違った!
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。だから語ることと言えば、自分の被害・・・つまりグチばかり。
「ああ!困った!困った!」
いつもいつも、そんなグチを周囲に語っている。

グチというものは、自分の被害を語るだけなので、聞かされる側としても対処のしようがないでしょ?
まさに、お約束の感想と言える「で、アンタ、いったい、どうしたいの?」「ワタシは、アンタの何を分かればいいの?」となるだけ。
一人で勝手にグチっているのならまだしも、普段からそんなグチばかりなので、面と向かってのシチュエーションでも、そんな「対応のしようがない」グチを言うことになる。

と言うことで、今回の文章では、対処のしようがないグチの一つとして、「オマエの育て方を間違った!」という言葉を取り上げましょう。
ダメダメな親とか、会社におけるダメダメな上司がよく言ったりするものです。
あるいは、最近だと、自分の子供を引きこもりやニートにしてしまうような親が、そんな言葉を、ご近所さんや、ヘタをすれば、引きこもりになっている自分の子供に向かって言ったりもしますよね?

そもそも、そんな「オマエの育て方を間違った!」あるいは、「ワタシは自分の子供の育て方を間違った。」と言われたら、そんな言葉を聞かされる側はどうすればいいの?
「アンタが間違ったのなら、責任を取って、さっさと死んでよ!」
「自分自身で、自分の失敗を分かっているんでしょ?」
「失敗はいいとして、じゃあ、アンタはどうするつもりなの?」
あるいは、「その言葉を、いったい誰に言っているの?」・・・そんな感想も出てきますよね?ただ、心の声はそれでも、まあ、実際に口に出しては言えないもの。

曲がりなりにも、当人の言葉としては、失敗を認めているので、その言葉につっこみこともさらに難しくなる。つまり、やり取りの往復運動にはなりにくい。
逆に言うと、子供に対して、「オマエはバカだ!」あるいは「オマエは欠陥品だ!」という言葉なら、言われた子供としても、まだ反論もできますが、「オレはオマエを欠陥品にしてしまった!」という言葉なら、聞かされても反論できないじゃないの?だって、言っている側の問題でしょ?
逆に言うと、当人自身の問題を、どうしてわざわざ人に対して言うの?

グチと言うものは、その本質として独り言に近い。
相手に対して「これこれを分かってほしい。」と思ってグチるわけではないでしょう。
だからこそ、そんなグチを聞かされた側は、その内容如何に関わらず不快になる。
それに加えて、「育て方を間違った」というグチは、その内容が聞かされる側に直接的に関わってくるから無視も出来ない。

そもそも、「オマエの育て方を間違った!」と言っている人は、いったい何を期待して、相手に語っているの?
まさに、ダメダメにお約束の、「ワタシがかわいそうな被害者であることを分かってほしい!」と言うものしかないじゃないの?

そもそも、そんな会話になりようがないような独り言を、面と向かって言い放つような人間が、人を育てても、うまく育てられるわけがないじゃないの?それだけ相手の話を聞かない人間ということでしょ?失敗も何も、それ以前にどんな会話を、その子供としてきたの?
ちゃんと子供と会話をしているような親だったら、それ以外のシチュエーションでも、独り言を面と向かっていうような珍妙なやり取りなんてしませんよ。
失敗したも何も、人を育てることなんて、最初から無理なんですね。

そんな人は、「失敗」という言葉は使っても、その言葉の心理的な意味は、「被害」に近い。
「オマエを育てる苦労を背負わされたワタシって、なんてかわいそうなんだ?!」
「あんなに面倒な思いをしたのに、ますます面倒なことになってしまって、ああ!なんてワタシは気の毒な人間なんだろう!」
そんな心理に近い。

さて、次回に配信する文章では、今回の文章で考えております「育て方を失敗した!」というセリフが、実際に登場している映画作品を取り上げ考えてみます。

映画だけでなく、ダメダメな親は、ダメダメな言葉を言っているもの。
マトモな人は、フィーリング的に、そのダメダメさを察知して、そんな人から距離をおくわけですが、グチばかり言っているダメダメ人間の元には、一緒にグチを言い合おうと、ダメダメな人間が寄ってきて、グチの共鳴になってしまう。

そんなグチの共鳴状態に陥るのは、当人の勝手ですが、そんな状態だから、「育て方を失敗する」ことになるんでしょ?
そんなにグチが好きなら、人を育てるなんて、そもそもやってはならないことなんですが、人を育てることについてのグチを言うために、まさに人を育てることに手をつける。

だから、「育て方を失敗した!」という言葉を平然と語る人から、できる限り距離を置く・・・
せめてそんな対応が必要になるわけです。そんなグチから、それだけ被害者意識が板についている人間であることが見えてくるもの。
そんな人は、「育てるのに失敗する」だけでなく、何をやっても失敗する人間なんですね。
そして、失敗したあげく、それを自分が受けた被害と認識して、周囲に対して大仰に嘆くばかり。

前にも書きましたが、その手の人が言う「失敗」は、自分の判断ミスというよりも、「被害」と認識しているわけだから、失敗した点を認識し、反省し、自分の次のアクションにフィードバックするようなことはしない。その失敗の本質について、当人なりに考えるようなことはしない。
だから、同じ失敗を繰り返すことになり、また、大仰に嘆くことになる。

そんな人は、結局は周囲の人から避けられることになり、だからこそ、そんな人ができるのは子作りくらいになってしまうし、そんな人の相手をするのは、その人の子供だけになってしまう。
だからこそ、「オマエの育て方を間違った!」との嘆きを、さらに繰り返すことになってしまうわけです。

(終了)
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発信後記

「レジ袋は要りません!」なんてことで、エコバックなどを持ち歩く人もいますよね?
まあ、私などは、PETボトルの成れの果てのようなバックを持ち歩いていたりします。100円ショップで売っていますよね?
ヤフーのニュースで載っていましたが、人気のエコバックがあって、その入手のために騒動になったとか。なんでもプレミアがついているエコバックなんだそう。
まあ、プロの方々が、入手に参戦したんでしょう。

プロの方が参戦するということは、プレミアを払ってもほしいという人がいるということ。
いくら有名人が持っているといっても、よりにもよって、エコバックでどうしてそんなに熱くなるの?

まあ、かばんの類は、体型の変化で使えなくなるということもないので、覚悟を決めて高いものを買いやすい・・・ということはあるんでしょうね。ブランド品というと、まずは、かばんが出てくる。
ちなみに、かばんも、ブランド品もありますが、オーダーする手もあります。意外にもブランド品より安くなりますし、サイズもこちらから要望を出すこともできますし、色なども指定できたりする。もちろん、修理する際にも、安心。人から聞かれても「オーダーしたよ!」と言うとかっこいい。

私もひとつオーダーしたかばんを持っていますが、その際に面白いことに気がつきました。

かばん作りの職人さんと、かばん作りの「工房」の主人には、大きな違いがあります。

職人さんは、ヒゲがなく、工房の主人は、往々にしてヒゲがある。
そのお店のラインアップを見るだけで、作り手がヒゲがあるのか?ないのか?わかったりするもの。私がかばんを受け取りに行った時に、ご主人の顔を見て「やっぱり予想通りヒゲがあった!」と確認していました。

まあ、職人さんは、ストイックな人が多くて、だからヒゲがなくて、工房の主人は、どこか遊び心がある人が多くて、だからヒゲがあったりするんでしょう。

まあ、ヒゲはともかく、自分にあったオーダー品を長く使うのが、一番エコのような気がします。
R.11/1/11