トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 07年8月3日 (10年11月11日,11年1月12日 記述を追加)
タイトル 過剰サービス
先日(07年)の参議院選挙の応援で、例の田中真紀子さんが、こんなことを言ったそうです。
「安倍さんは、バカだ!だから大学入試で○○大学に入れなかった・・・そんな話を、彼の家庭教師をしていた平沢さんが、以前に、この私にボヤいていた・・・・」
そんな話でした。

そんな話を聞いて、皆さんはどう思われましたか?
「まあ!なんて面白いことを言うんだ!サスガは真紀子さんだ!」
「ホントに、安倍さんはアタマが悪いからなぁ・・・」
「ズバリ言ってくれる、真紀子さんは素敵!」
そんな感想を抱いた人も、たぶん、いらっしゃったでしょう。

しかし、視点をもうちょっと広げると、別の考え方も出てくるでしょ?
「そんなことをバラされてしまった、平沢さんの立場はどうなるの?」
「安倍さんのアタマの問題はさておき、今現在、真紀子さんが応援している候補者が、だからと言って、知能が高く、立派なのかは別の問題じゃないの?」

あるいは、
「人をケナして何が楽しいの?」

そんな感想もありますよね?

アタマの問題を指摘するのなら、
「この候補者は、かつて、こんな物言いをしたことがあった・・・そんなシャレた言い方は、安倍さんにはできない。この候補者は、安倍さんと違ってアタマがいいんだ!」
こんな応援の言葉だったら、ちゃんとした応援でしょ?応援された人だけでなく、応援している人のアタマの良さもわかりますよね?

まあ、いずれにせよ過去のボヤきをバラされてしまった平沢さんの立場は、メチャクチャですよ。それに、過去の内輪の話をバラすような人間と、今後一緒にやっていこうなんて思う、マトモな人はいないでしょ?
だって、細かな打ち合わせをして、議論を詰めても、それを後になって勝手に公表されてしまったら、何もできませんよ。そんな人は怖いでしょ?

ちょっとアタマが回る人だったら、そんな「危ない」人間に応援に来てもらう候補者の知的レヴェルの方を問題にしますよ。だって、後々になって、「あの候補者は、あの時に、○○なんて言っていたぞ!なんてバカな候補者なんだ!」なんて言いだす危険性が高いことを、自分で証明しているわけですからね。
応援演説をするにせよ、別の人間をケナすよりも、応援する候補者のためになる応援をした方がいいのでは?
あるいは、誰かにサービスするにせよ、相手のことを考えた上でのサービスをした方がいいでしょ?
選挙応援と、寄席の漫談は違うでしょ?そんなことは、それこそバカでも分かること。
程度の低い応援をしても、知的レヴェルの高い人は呆れるだけなのに、田中真紀子さんはどうしてそんな応援をしてしまったの?

ダメダメ家庭の人間は、いわば過剰サービスをしたりすることがあるんですね。
必要以上のサービスをして、いわば、相手に尽くすことで、相手に気に入られようとするわけです。

「これも使ってよ!」
「こんなものもあるわ!」
「これをあげるわ!」
と、「かいがいしく」尽くしてくれる。

しかし、その手のサービスって、実に細々(こまごま)としたもの。別のところで、ダメダメ家庭の文章表現は「むだな百花繚乱」の趣となっていることについて考えた文章がありますが、サポートの分野においても、まさにそんな感じなってしまう。相手にとって本当に必要なところをピンポイントで突くようなサポートはできないわけです。そもそもダメダメ人間は、自分自身が分かっていない。自分ができることが、自分自身でも分かっていないわけ。おまけにダメダメ家庭の人間は、会話の精神がない。相手にとって必要なことや有益なことは何なのか?そんな相手に配慮した発想を持っていない。
自分の都合で、一方的に「尽くす」ことになる。
と言うことで、細々とした過剰サービスになったりするんですね。

そして、サービスすること自体が目的となってしまう。このようなことは、以前より言及しております「共依存」状態に近いもの。
共依存は、「相手が自分に依存してくれる『関係』に、自分が依存する。」そのようなものです。過剰サービスをしている人は、「相手に尽くしているという、自分の『立場』に依存する。」ことになる。
「こんなに尽くしているワタシって、なんてスバラシイの?!」

しかし・・・だからこそ、後になって「ああ!あんなに尽くしていたのに裏切られたわ!」となっちゃうわけでしょ?

ダメダメ人間は、被害者意識が強いので、持ち出しをすることに対してセンシビリティが強い。逆に言うと、持ち出しているがゆえに、つまり自分に被害が発生しているがゆえに、自分自身に酔っていられる。そして、その自分がした持ち出しに対する配慮や見返りがないと、被害を認められない被害を認識し、逆上してしまう。
田中真紀子さんはその典型と言えるでしょ?

ダメダメ人間は、自分の持ち出し、つまり、被害しかアピールするものがない。
そして、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。自分自身として本当にやりたいことを持っていない。だからこそ「尽くしている自分」という立場にすがらざるを得ない。
しかし、自分の犠牲を主張するのはいいとして、それが相手の側が本当に求めているものなの?
勝手な自己犠牲で自己満足されてもねぇ・・・
自身が何かを達成するために犠牲を払うのなら分かりますが、その手の人は、達成したい自分の目的もないのに、自分の犠牲の価値の方に目が行ってしまっている。そして、「オマエのために、こんなに犠牲を払っているんだから・・・」と相手に主張する。
しかし、だからと言ってもねぇ・・・そんな犠牲や持ち出しばかり主張する人なんて、ジャマくさいだけですよ。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、「好意と信頼」の区別がつかない。
相手からの好意を得ようと、自分の犠牲を主張することはあっても、相手から信頼を得るために、自分を律することはしない。だから、ますます尊厳がなくなってしまう。

自分自身にやりたいことがあったら、たとえ誰かへの応援であっても、自分を安っぽくするようなことはしないものでしょ?自分の立場が危なくなっても、というか、汚れてもやり遂げたいというのだったらいいのですが、ただ誰かにケチをつけているだけだったら、安っぽいだけでしょ?結果として、何が達成できるの?そんな安っぽい人をマトモな人は「信頼」しませんよ。

しかし、「信頼と好意」の区別がつかないダメダメ人間は、人から信頼されない状態になると、「あの人はワタシに対して、好意を持ってくれない!」と相手のせいにするばかり。だから好意を得ようとますます媚びたり、自分の犠牲を主張できる過剰サービスに身を入れてしまう。
しかし、その手の人は、自分がやっているサービスそのものに関心はあるけど、相手先の希望には関心がない。そんな人に「尽くされても」迷惑ですよ。まあ、そんな状況は、ストーカーの初期段階とも言えるでしょ?

皆さんの周囲の人でも、やたら細々と「尽くして」くれる人って、いたりするでしょ?
「ワタシはアナタのパシリです!」なんて雰囲気を、自分から進んで出している人。
細々と、尽くしてくれるのはいいとして、そんな人は結局は頼りにならない。だって、その手の人は、相手の希望を十分に理解した上でサポートしているのではなく、ただ「相手に合わせている」だけ。その場の状況に流されているだけなんですね。
だから、その人自身の信念や尊厳なんて、まったく持っていない。だから、後になると、別の人のパシリとなって、今度は敵対するようになってしまう。

尽くしてくれるので、とりあえずは相手になっていても、ただ過剰サービスをするだけなので、いい加減に、鬱陶しくなってくるもの。だって、その人自身の考えなんて全然ないので、話をしていてもつまらない。だから、結局は、疎遠になる。
しかし、そうなってしまうと、過剰サービスをしたダメダメ人間は恨み節。
「あの時に、あれをあげたじゃないの?」
「あんなに尽くしたのに・・・」
「まあ!信じていたのに裏切られたわ!」

田中真紀子さんって、まさにそれでしょ?

相手に尽くすのも、当人自身の尊厳や信念を持った上でのサポートだったらいいわけですが、自分自身から逃避し、思考を抑圧しているダメダメ人間は、「サポートすること」「サービスすること」に依存するわけです。
だから、相手の状態よりも、「サポートする自分」に視点が行っている。
そうやって、「あの○○さんに役に立っているワタシ」という役割を作り上げ、その役割を自分の居場所とするわけ。

逆に言うと、それだけ、自分の居場所がなかったり、不安定なんですね。
自分のことを自分で説明できないわけです。
自分自身を見たくないがゆえに、サポート対象なり、サポート行為に逃げているわけです。
何かと尽くそうとしたり、ものをくれたがる人は、それだけ精神的に不安があるもの。
だから、スグに逆上することになる。
ヘタをすれば相手を殺傷するような事件を起こすこともある。
そんな事件の後で、ボンクラな人は、「あんなに色々とものをくれる親切な人だったのに、どうしてこんなことをしてしまったのか?」などと感想を漏らしたりする。

しかし、「ものをあげる」「サービスをしてあげる」という行為の背景には、「相手を支配したい」というサディズムがあるわけで、そのサディズムが「人に優しい」ものから、「人に厳しい」ものに様相を変えただけで、心理の基本は何も変わっていないわけです。
そんな人とは、サービスが過剰になる前に、サッサと避難しないと、後々に面倒なことになるもの。前にも書きましたが、やたら「尽くして」くれるのはストーカーの初期段階と言えるわけですが、そのレヴェルに留まらず、モノホンのストーカーになって、やたら絡んできたりするようになる。
敵対的なストーカーというと、別の言い方をすると、クレーマー。
ストーカーも、クレーマーも、結局は、相手との関係性に依存している状態は変わらない。

まあ、実際に面倒な事態になっちゃった人も、たぶん、いるんじゃないのかな?
過剰サービスと、クレーマーは、外見上は大きく違っているわけですが、実際にやっている人は「かぶって」いるでしょ?
その行為の心理的な背景となっている、自己逃避やそれに伴う支配欲まで考えれば、「かぶる」のは当然なんですね。
だから、「くれたがる」人がいたら、早めに避難する必要があるわけです。

(終了)
***************************************************
発信後記

選挙で大敗した安部さんも、執念深いですねぇ・・・

安部さんと、韓国のノ・ムヒョン大統領は、実に似ています。

1. 学歴コンプレックスが強い。
2. やたら理念的。
3. 歴史の清算ということにこだわっている。
4. 会話の能力がない。
5. だから、お友達内閣。
6. 非難されると逆切れ。
7. 言うことは、「ボクは悪くない。」
8. 序列思考が強い。

あと、一般的な韓国人との共通点となると、
1. 家柄自慢。
2. 被害者意識。

あと・・・赤城大臣に対して、「アナタは若いんだから、身辺をきれいにしてやりなおしなさいな。」なんて言ったそうですが・・・
自分で自分がわかっていないことも、韓国人、特にノ・ムヒョン大統領とソックリですよ。

ダメダメというものは、基本がわかっていると、意外にも、共通性が多いもの。
幸福な家庭はそれぞれの形があっても、ダメダメ家庭というものは、基本形があると私は考えています。
この点については、私はトルストイとは違う見解なんですよ。
R.11/1/12