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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 07年8月14日 (10年2月16日,10年6月20日 に文章追加)
タイトル 下報告会
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。
と、いつもの書き出しで申し訳ありません。

まあ、それがダメダメ家庭の「基本」なんだから、しょうがない。
当事者意識がないから、「自分でこれをやりとげたい!」なんて思っていない。そんな人間が、よく言ったりするのは「下には下がある」。
この「下には下がある」という言葉についても、以前に配信しておりますし、それ以降もたびたび言及しております。

自分より不幸な境遇にある人間をわざわざ見つけて、「ああ!下には下があるんだ!」。そして「だから・・・ワタシは何もしなくてもいい!」そんな感じになってしまう。
逆に言うと、自分が何もしなくてもいい理由を作るためにも、「自分より下」の人間が必要になってくるわけ。

そうして、わざわざボランティアをして不幸な境遇の人の近くに出かけて行って「ああ!自分より下があった!」と大喜び。
あるいは、インターネットなどで、そんなサイトを見て「わあ!イタイ奴がいた!」と歓喜に打ち震えることになる。
あるいは、ご近所の奥様連中の集まりでも、「あの人は・・・こんなにダメ!」『あそこの○○さんも、ダメダメ!』と報告し合うこととなる。

まあ、それでいいのなら、この私が今更何も言うことはありませんよ。「勝手にどうぞ!」としか言いようがない。

しかし、「下を見る」ことで、ハッピーになれる・・・というよりも自己逃避できる人は、当然のこととして、似たもの同士が集まってしまう。そうして「ここに、こんなイタイ人間がいる!」「これはヒドイ!」なんて話で盛り上がってしまう。

いわば、「下報告会」が開催されるわけ。
トランプのゲームでどっちが強いのかを手持ちのカードを出して競うように、ダメダメ人間は、自分の持ち札の「下」のレヴェルで、うれしそうに報告し合うんですね。
まあ、現在では、インターネットの掲示板なんて、そんな光景はおなじみでしょ?

そんなことをしても、当人自身にしてみれば、何もプラスにならないのは言うまでもありませんが、当事者意識のないダメダメ人間は、そんなことが楽しいわけ。

そんなダメダメ人間が群れて集まってしまうので、そうなると「人間とは、そのように下を見て喜ぶものだ!」なんて『常識』がついてしまう。

相手への楽しい贈り物として、「こんな下があった!」と報告したりするわけ。
「ほらっ?こんなに見事な『下』なのよ!アナタもうれしいでしょ?」

しかし、わざわざそんな報告をされても・・・別にうれしくはありませんよ。
その「下」の問題について、「自分はこのように考えている。」とか、「自分自身の問題と実に近い問題だ。」なんて考察が入っていれば、考慮に値しますよ。読んでも「なるほど!鋭い見解だ!」と思ったりもしますよ。あるいは、「自分自身にもこんな面があるけど、こんなトラブルが起こる理由って、割と一般的な問題点なんじゃないかと思った。」くらいのことが書いてあれば、読んでいて参考になりますよ。あるいは、もっと切実な問題として、現時点において、そんな「下」によって迷惑を受けている・・・そういうことなら対処の必要もあるでしょう。

しかし、「こんな『下』があるよ!面白いでしょ?」だけだったら、ねぇ・・・
下を見たり、報告することがダメダメというのではなく、それ止まりだったらダメダメということ。自分自身の問題にフィードバックしないと意味がないでしょ?

現実的には、そのような「下報告」をする人は、自分自身の問題は見えていない。いや!見ようとしないわけ。自分で自分の現状を見ないための理由として、自分より「下がある」と確認したいわけですからね。

当人たちは、自分自身の問題を見たくないがために、周囲の「下」に関心を持ち、それをわざわざ報告し合ったりするんでしょうが・・・
そんな人が報告してくる「下」よりも、わかりやすい「下」が目の前に見えている・・・「報告を受ける」と、そんなものなんですよ。
まあ、わざわざ、そんな「下」報告をされると、まず思ってしまうのがコレ。
「オマエが言うなよ!」

そんな「下報告」をするような人間は、「上」については、報告しない。
「こんなスゴイ人がいた!」
「こんなサイトの文章が参考になる!」
「自分の問題が、このような方法によって改善した!」
そんなパターンの方が、報告された側にとっても、まだ役に立つじゃないの?
本来なら、自分の目標となるような人物を設定して、その人物を真似るのがラクでしょ?

しかし、それは自分で努力する人間の発想。
ダメダメ人間は、自分が努力しないための「下情報」を集めようとするわけ。

マトモな状態にいる人間は、自分より上の人間を探し、そして、それを自分の参考にし、だんだんと向上していき、
ダメダメな状態にいる人間は、自分より下の人間を探し、笑い飛ばして、自分では何もしない。
現実は、そんなものでしょ?

逆に言うと、その人が、「上を探しているのか?下を探しているのか?」そんな点をみれば、その人の「立ち位置」がわかるわけ。
「ソ連」の作曲家のドミトリ・ショスタコーヴィッチは、「才能もないのに、周囲からもてはやされているような人間に対して嫉妬するな!ベートーヴェンやモーツァルトやチャイコフスキーの才能に、そしてその苦悩に対して嫉妬しろ!」と言っていたそうです。
「ベートーヴェンはこんなにスゴイ才能があるのか!クソっ!なんてスゴイヤツなんだ!」そんな嫉妬は、ある意味において向上心につながるでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、「アイツは才能もないのに、うまいことをやりやがって!フンっ!ズルイやつだ!あ〜あ、ヒドイ時代だなぁ・・・」
と、自分を憐れんで、それでオシマイになってしまう。

「下」を見つけて、その「下」を、笑い飛ばしたり、嫉妬したり・・・当人としての感情面での反応は色々とあるでしょうが、自身の行動として、何もしないという点は同じ。
逆に言うと、自分では何もしない理由として、その手の「下」の「活躍」話が利用されてしまう。
だからこそ、自己逃避のダメダメ人間は、「下」を知りたがるわけですし、教えてもらって喜ぶわけ。

まるで、大昔のお魚屋さんでのやりとりのように、
「奥さん!今日は近海もののイキのいい『下』が入ったよ!これでダンナさんに精のつくものでも食べさせてやんな!」
『そうねぇ。こんなイキのいい「下」は久しぶり!家族もきっと喜ぶわ!』
って、そんなイキのいい「下」を料理して出されても、本来なら煮ても焼いても食べられたモンじゃあありませんよ。
だって、イキのいい「下」って、別の言い方だと腐っているということでしょ?

そんなものには手を出さないのが、マトモな発想。
と・・・今回の文章は、そんな報告でした。

さて、以前(07年)に配信したこの文章ですが、まさに「絵に描いたような」完璧な事例が先日ありましたよね?
首都大学東京・・・昔の名前は東京都立大学・・・の学生が、「ドブスを守る会」とか称して、容姿に問題がある・・・と、学生がみなした女性たちを、勝手に撮影し、その動画を、動画サイトにアップした事件です。

いやぁ・・・まさに、この文章のためにやったような事件ですよ。
女性の容姿に強い関心があるのなら、眉目秀麗な女性を撮影すればいいじゃないの?
わざわざ、ドブス?を守らなくてもいいのでは?
「美女以外は生きる資格がない!」という信念を持ち、ドブスさんを相手にしないのなら、周囲からは「なんてヒドイ!」と言われるでしょうが、心理的には、それなりにスジが通っている。
女性の容姿に関心があるのなら、美女だけを相手にすればいいだけ。

しかし、女性の容姿に関心があると言っても、彼らには、自分自身の容姿にコンプレックスがあるんでしょうね。「自分程度の容姿よりも下のレヴェルの容姿の女性を、何とかして探したい。」という心理になっているわけ。
前にも書いておりますが、下を確認することで、自分の問題に向き合うことから逃避しようとしているわけです。

そして、そんな人間が集まってしまい、全体の雰囲気として「下」を見ることで安心する状態になってしまう。だから、自分たち以外の人間も、「下を見たがっているはずだ!」と思ってしまっているわけ。
だから、「動画サイトにアップして、みんなに見てもらおう。」・・・なんてことになってしまう。

男女問わず、美形の人は、あまり、人様の容姿には関心がありませんよ。
だって、容姿に特別の関心を持たなくても済むのが、美形というもの。
あるいは、容姿なんて、基本的には遺伝なんだから、美形の人は、家族全員が美形ですよ。
だから、美形というものに、慣れて、見飽きてしまっている・・・それが美形の人なのでは?
ヘタをすれば、家族でテレビを見ていて、ドラマを見ていたら、ドラマに出ている俳優よりも、煎餅やミカンを食べながらドラマを見ているオカンやオトンの方が美形・・・なんて事態になってしまうのが、美形の家族というもの。
そんな環境で、どうやって人様の容姿に関心を持てるの?

ドブスとやらに、必死に注目するということは、その学生も、それだけコンプレックスが強いわけ。学生なんだから、勉学を一生懸命にやるとか、スポーツを一生懸命にやるなりすればいいだけなんですが、まさに当事者意識がないがゆえに、必死で、「下」を求めてしまう。

そんな学生は、自分の親から、劣悪な容姿を受け継いだだけでなく、ダメダメな精神を受け継いでいるわけ。
自覚さえあれば、容姿以外の分野でがんばればいいだけなんですが、その自覚に至ることが難しいのが、まさにダメダメ家庭というものなんですね。

(終了)
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発信後記

本文中でも書いていますが、「下」の問題に関心を持つことがダメダメということではなく、そこから、自分自身の問題にフィードバックしないことがダメダメなんですね。
じっくり考えて、そのようなダメダメが自分とはあまり関係ないのなら、それはそれで結構なこと。

しかし、ダメダメな人は、そもそもそんなことを考えることから逃避するわけ。
そうして、うれしそうに人に報告する。
まあ、それで盛り上がるケースもあるでしょうが、そんな集団はダメダメ。

相手がマトモな人だったら、「よりにもよってオマエが言うなよ!」と途方に暮れられてしまう。
そうなると、結局は盛り上がることができるダメダメ集団の中に逃げ込み、お得意の「下報告」。そうなると、ますますマトモな感性が喪失することになる。
この手の問題は、こうやってスパイラル進行していくわけです。
R.10/6/20