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カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 07年9月18日 (10年11月8日 記述を追加)
タイトル 一本調子
以前にこのメールマガジンで、日本の首相をされた小泉さんの演説について触れたことがあります。彼の話は、緩急があって、わかりやすい・・・そういう話でした。
話の緩急というか、緊張と弛緩を上手に組み合わせないと、聞いていて、ダレてしまう。
これは演説のようなものだけでなく、文章を書く際にも同じです。

その折に書きましたが、受け手をちょっと緊張させるには、疑問を投げかける手法があります。
「この件については、アナタはどう思う?」
なんて言われると、『そうだなぁ・・・』って、ちょっと考えたりするでしょ?
だから心理的な緊張状態になるわけ。

この疑問形を重ねていくと、ますます緊張することになります。そして、相手を緊張状態に置いてから、結論を提示すると、文章の受け手は、それまでの緊張から解放されて、ある種のカタルシスを得ることになるわけ。

たとえば、こんな調子です。
「この件については、皆さんはどう思いますか?」
「この事件については、皆さんは、腹が立ちませんか?」
「このままで、いいと思いますか?」
→「だから、こうしましょうよ!」
こんな流れになっていると、何となく「そうだよなぁ・・・そうしなきゃ!」って思うでしょ?疑問文、疑問文、疑問文、そして呼びかけ・・・そんな流れだからこそ、その呼びかけに「乗っかってしまう」わけ。内容の問題ではなく、表現の緩急の問題なんですよ。

逆に、緩急がない一本調子の文章だとこんな感じです。
「この件については、ワタシはこう思います。」
「この事件については、ワタシは、不適切だと思います。」
「だから、何かしないといけないと思います。」
→「だから、こうすべきだと思います。」

論理の流れ自体は、双方とも一緒でしょ?
しかし、後者のように一本調子で語られても、受け手が思うのは、コレ。
『まあ、そうなのかも知れないけど・・・何だかなぁ・・・』
あるいは、『アンタは、本気でそう思っているの?口だけじゃないの?』
感想文、感想文、感想文、そしてやっぱり感想文となっても、聞いていて「あっ?そうなの?アンタはそう思うわけね。」「だったら、勝手に言ってな!」でオシマイですよ。
実際に、最後の結論として提示されている、「ワタシは、こうします。」という内容面は同じでも、受け手へのインパクトは全然違うでしょ?

小泉さんは、そのような緩急の呼吸ができている。まあ、ダテにオペラ・ファンじゃあありませんよ。この手の緩急の使い方はオペラでは常套手段ですからね。オペラだったら、ドラマや音楽によって聴衆を緊張させておいて、ちょっと一呼吸置いて、そしてドッカーン!とやるわけ。
そうなると、そのドッカーンで、聴衆は「わあ!」と大喜びすることになる。
最初からドッカーンをやっても、上滑りするだけ。緊張させておいて、緊張の間を持続させ、「もう辛抱タマラン!」というところでドッカーンだから、効果的なんですよ。

主義主張はともかく、自分の考えをどうやって伝えるのか?
あるいは、どのようにして、受け手に納得してもらうのか?あるいは、「その気」になってもらうのか?
その点は、ある種の定石的な手法があるもの。せっかくだから、そんな定石を使えばいいじゃないの?

一本調子で語られても、受け手は想定外の勝手なところで緊張したり、緊張を緩めたりして、肝心なところでは盛り上がらないわけ。
どこで緊張させるのか?どこで緊張を緩めるのか?
語り手が、ある程度は、意識して作っていく必要があるわけです。
そんな「間」のようなものに配慮がないと、話が「間延び」してしまったり、あるいは「間抜け」になるだけ。

しかし、そのためには、「じゃあ、自分がどうしても相手にわかってほしいことは何なのか?」そのことの自覚が先でしょ?
その最重要な点で、受け手がカタルシスを得るように、緊張と弛緩を調整していくわけ。
よく出来た文章だと、内容がわかっているのに何回も読んでしまう・・・そんなことってありますよね?

まあ、そこまでレヴェルの高い語りは、誰だってできるというものではないでしょう。
しかし、できるだけ一本調子にならないように配慮する・・・って、やっぱり必要でしょ?
「ワタシはこう思います。」なんて表現が延々と続いたら、受け手はウンザリですよ。
たとえば、皆さんの学生時代の教員でも、一本調子の授業の人っていたでしょ?
そんな一本調子の授業って、生徒はみんな寝ていましたよね?
ある種の「チェンジ・オヴ・ペース」が必要になるわけですし、そのためには、「じゃあ、相手にどうしてもわかってほしいことは何なのか?」自分でわかっていないとね。

と同時に、「どんな人に対してわかってほしいのか?」について、それなりの配慮が必要でしょ?たとえば、文章をまとめるに当っても、まあ、目の前にわかってほしい相手がいると想定して、その相手に対して「語りかける」という気分で文章をまとめていけば、それなりには緩急を持った文章になりますよ。
逆に言うと、対象を想定しないで文章をまとめても、結局は個人的な感想文が積み重なるだけ。

対面でのやり取りにおいて、「ワタシはこう思う。」なんて表現を続けたら、相手も退屈な表情をするものでしょ?
しかし、「ワタシはこう思います。」なんて表現が延々とつづく文章なんて、メールマガジンの文章でも結構あったりするでしょ?
そんな文章を読んだりすると、思ってしまうのがやっぱりコレ。
「で、この人は、いったい何が言いたいの?」
あるいは、「どんな人に対して、言っているの?」

本来なら、相手にわかってほしいことを伝えるために、つまりある種の「加点法」的な精神で文章を書けばいいのでしょうが、ダメダメ家庭の人間は、減点法。だから表現もパンチがない。
「誤解されたらいけない。」「迷惑がかかってはいけない。」なんて思って文書を書くわけ。
それはいいとして、結局はそのような減点法だけになってしまって、何が言いたいのかがサッパリわからない文章になってしまう。

「ワタシはこう思う・・・」なんて表現がダラダラ続く一本調子の文章って、結局は相手に対して発信しているのではなく、自分に対して書いているわけ。「ボクはこのように思っている・・・と、自分で思っている。」という自己確認の儀式のようなもの。
「ボクは悪くないんだ!」「ボクはいい子なんだよ!」
結局は、それが言いたいわけです。

自分が自分に対して文章を書いているんだから、受け手がわからないのは当然ですよ。
受け手にわかってほしいことがあるのなら、ヘタはヘタなりに緩急をつけますよ。
このことは直接に顔を合わせてのやり取りでも同じでしょ?
対面でのやり取りでは、相手の表情を見ながら、手を変え品を変えて、表現したりするものでしょ?

一本調子で語っても、聞き手は当然のこととして無反応。
そうなると、「みんなは、どうしてボクのことを、わかってくれないんだ?」ストレスがたまってしまう。
そして、そのストレスを何かにぶつけるようになるわけ。
まあ、クレーマーのようになってしまうケースもあるんですね。

そうして、
「あの○○をやっつけろ!!」
「あの○○を許さないぞ!!」
「あの○○はケシカラン!!」
と連呼。

クレーマーになるのはいいとして、そのクレームの主張の仕方も、やっぱり一本調子。だから、そんな姿を見ていた周囲の人は、呆れて退いてしまうだけ。

主義主張はともかく、自分の考えをどう伝えるのか?
そのような点を何も考えていない人は、一本調子の表現になってしまう。そんな人とヘタにやり取りをすると、そんな人から一本調子のクレームをつけられるだけになってしまうわけ。

何も語り口がヘタな人をダメダメと申し上げているわけではありませんが、減点法のダメダメ人間は、その語り口がどうしても一本調子になってしまうわけ。
ダメダメな人は、相手に対してわかってほしいことがないがゆえに一本調子になってしまう。相手に対し分かってほしいことがない状態での言葉は、別の言い方をすると、独り言でしょ?面と向かって独り言を聞かされても、「?」となるだけですよ。

心理的には独り言と同じであり、相手の存在が心理的に認識できていないので、相手に対して何かを言っても、それが自己確認にとどまっている。
だから、自己流の表現が多発することになる。
それこそ、その手の人の文章で「!!!!!」とかのビックリマークが異常に多く入っていたりする。
読み手はその記号から何を理解すればいいの?
ビックリマークの数によって、緩急を調節しているつもりなの?
そんな「調節」行為そのものが、やり取りの相手の存在が見えていないことの証明のようなものでしょ?

逆に言うと、たとえば、演説上手な人は、そんな緩急がそれなりに出来ているもの。まあ、今、自民党の総裁選をやっていますが・・・麻生さんは疑問形の言葉を上手に使っているでしょ?
福田さんがダメと申し上げているわけではありませんが、演説がヘタだと自覚しているのなら、スピーチライターを使えばいい話。人の知恵を上手に借りればいいだけですよ。今のままの語り口のままだと、いずれ、コケることになりますよ。減点法だけでは何かを達成することはできませんよ。

「どんな人に対して、どんなことを分かってほしいのか?」
それは、コミュニケーションの基本でしょ?
逆に言うと、その基本の点でコケている人は、表現の能力の問題というよりも、心理の抑圧の要因が大きいわけ。
それだけ、自分自身が伝えたいことが自分で認識できていなくて、そして、伝えたい対象とする相手も明確になっていない。
語り口に注目するだけでも、その人の心理状態が色々と見えてくるものなんですね。

(終了)
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発信後記

ちなみに・・・本文中でも書きましたが、文章なりドラマを進める上で、緩急ということは極めて重要です。
想定外のヘンなところで引っかかってしまうと、肝心なところで盛り上がらないでしょ?
肝心ではないところで、観客が引っかかることがないように、作品の作り手たるもの、配慮して作らないとね。

だから、ドラマなどでは、あまりヘンな名前は使わないもの。
人物の名前で引っかかってしまったら、話のやり取りの中身に注意が行かないでしょ?
中身に注目してもらうためには、むしろオーソドックスな名前の方がいいわけ。
長持ちするドラマの登場人物の名前って、やっぱり長持ちする名前なんですね。
スグに廃れるようなヘンな名前を使うドラマは、作品自体の寿命も短いもの。
それこそ、シェークスピアの作品に出てくる名前って、オーソドックスなものが多い。
たとえばロミオだろうがジュリエットだろうが、オードドックスな名前でしょ?

ちなみに、中国で自分の子供の名前を「@」とした親がいたそうですが・・・
いやぁ・・・
バカ親は、中国も日本も同じですねぇ・・・

それこそ、「ロミオとジュリエット」のセリフ、「おお!あなたは、なぜロミオなの?」も、その「@」くんが主人公だと、「おお!あなたは、なぜ@なの?」となってしまう。これじゃあ、ラブロマンスどころではなくなっちゃうでしょ?
実際には、そのセリフも「おお!あなたは・・・どうして・・・@・・・ぶっ!・・・なの?・・・ギャハハ・・・」となりますよね?
そう言われてもねぇ・・・その@くんだって・・・「その件については、あとでメールする。」と言うしかないじゃないの?

ちなみに、ジュリエットという名前の意味は、英語で言うとJULY・・・つまり7月です。本来は「ロミオとジュリエット」の舞台はイタリアのヴェローナだから、ジュリエットではなくジュリエッタになるのが通例ですが・・・
まあ、フランス的な名前であることはともかく、ジュリエットもジュリエッタも、今でも存在する一般的な名前でしょ?7月という意味から、日本語になおすと、文月(ふみづきorふづき)という名前に該当します。

あのドラマの女の子の名前が「文月ちゃん」でも、すんなり納得できるでしょ?むしろ、日本を舞台にした際に、「露美夫」なんて名前だったら、そっちの方がヘンですよ。
何も考えていないから一般的な名前になっているのではなく、しっかり考えているから、一般的な名前になっているわけ。
R.10/11/8