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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 07年11月9日 (11年1月31日 記述を追加)
タイトル してやった
ダメダメ家庭は、当事者意識がない。自分自身で何かをやるという発想がない。
それにダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。何をするにも、それを自分が被った被害と捉えてしまう。それこそ、自分の子供を育てることだって、親である自分が被った被害と考えているくらいなんだから、他は推して知るべしですよ。

何でもかんでも、被害と結びつけ、ちょっとのことで、自分の持ち出しを意識することになる。
そんな人間なんだから、日頃から、他者に対して親切に・・・なんて態度にはならない。
他者に対する基本的な親切心を持っていないわけです。

そんな人たちがよく使うのが「○○してあげた。」という言葉です。
「教えてあげた。」とか、
「助けてあげた。」とか、
「恵んであげた、」とか、
「育ててあげた。」とか。

人として当然のことだから自分が責任感を持って能動的にやっているというより、「まあ、本当はやらなくてもいいんだけど、このワタシが多大なる犠牲を払って、オマエのために『してやって』いるんだぞ!」そんな感じになっている。
もったいぶっていて、恩着せがましい雰囲気を相手に対して見せようとするわけです。

それこそ、韓国人は「日本に対し、文化を教えてやった!」なんてよく言いますよね?
具体的にどんな文化を日本に伝えたのかは、私にはサッパリわかりませんが、まあ、言うだけだったら、何とでも言えるでしょう。
教えたとされる文化がどんなものなのかはともかく、「教えてやった!」という言い方が、いかにもでしょ?

自分たちに文化があって、その文化に誇りを持っているのなら、「教えてやった。」なんて言いませんよ。言うとしたら、「学んでくれた。」という物言いでしょ?
「自分たちが大切にしている我々の文化を、あの人たちも学んでくれたよ!嬉しいじゃないか!」

それが人間の姿というものでしょ?
それこそ、柔道などをヨーロッパに指導している日本人がいたりしますが、そんな人は「教えてやった!」なんて決して言わないでしょ?むしろ、「学んでくれてありがたい!」そんな感じでしょ?自分が教えているものに、誇りを持っているのなら、そう思うものなんですね。
しかし、自分の文化に自信がない・・・というか、そもそも文化自体や、その価値が存在しない場合は、逆に言うと、「教えてやった!」とならざるを得ない。

それこそ「オレたちは、ピッキングによる泥棒のやり方をアイツらに教えてやった。」そんな言い方が成立するでしょ?あるいは、最近だと「生活保護の権利のゲットの仕方を教えてやった。」という物言いもあったりするでしょ?いかがわしいものだったり、ツマンナイものだからこそ、「教えてやった」となる。
そう考えるとその心理も色々と見えてくる。
「してあげた」とか「教えてあげた」という物言い自体が、結局は、「したこと」や「教えたこと」に何も価値がないことを語っているわけです。言葉って面白いでしょ?

まあ、韓国人のダメダメは、いつものこと。
あるいは、このメールマガジンでのダメダメの常連となると、韓国人だけでなくボランティアの連中についても頻繁に言及しております。
彼らがよく言うのは、
「助けてやった!」「恵んでやった!」という物言いです。
困っている人を、「助けてやった」はいいとして、相手方の問題は解決したの?
本当に解決できたのなら、「この○○の問題を、一緒になって対処し、結果として解決することができた。」
そんな感じで言うのでは?

ダメダメな人間は、対等の関係での会話ができない。序列を意識して、上からの物言いをしたがることになる。
「○○してやった」という上からの物言いとなると、ボランティア活動だけでなく、宗教活動のようなものでも、あまり発展していないところにわざわざ出掛けて、上の立場から「布教」活動などをしたがる。
「教えてやった!」と言いたいわけです。

もったいぶって、恩を着せようとする感覚なんですね。
逆に言うと、相手に「教えた」後で、相手から切り返されると返答ができないことを、何となく分かっている。それだけ、自分のやっていることや自分の説明能力に自信がない。だからこそ、相手から意向が寄せられない状況でないと対処ができない。

韓国人やボランティアだけならともかく、ダメダメな親は、「せっかく、オマエを育ててやったのに・・・」なんて、子供に対して恨みがましく言うものでしょ?
しかし、マトモな親は、そんな物言いはしませんよね?「アナタと一緒にいて、楽しかった。」という言葉になりますよ。逆に言うと、ダメダメ家庭においては、そんな楽しい日々ではないがゆえに、親としての自分の被害や持ち出しを意識して、「育ててやった!」となってしまう。そんな状態では子供も楽しくない。それに、何かと言うと、持ち出しを主張し、恩を着せようとする親と一緒にいれば、子供としても親に対して警戒が必要となる。だから、そんな家庭は、そのうちドッカーンとなってしまう。
「子供を育ててやった。」「進学させてやった。」と豪語する親の家庭がうまくいっている事例はないでしょ?

このような「してあげた」となると、親子関係ばかりではなく、夫婦関係でも存在するでしょ?「結婚してあげた!」なんて物言いをする人もいますよね?
「あんなダメなオトコなのに、このワタシが結婚してあげた!」
あるいは「どうしようもない、あのオンナと結婚してやった!」
あるいは、結婚している間は、「あのオンナをオレが養ってやっているんだ!」と、やっぱり恩着せがましい。
しっかし・・・そんなにダメだったり、どうしようもない人間とだったら、無理に結婚しなかったり、続けない方がいいのでは?まあ、そんな物言いをする人間も、結婚相手に負けず劣らず、ダメダメなものでしょ?

しかし、逆に言うと、「結婚してやった!」と言いたいがために、つまり自分を被害者の立場に置きたいがために、ダメダメな人間とわざわざ結婚するわけです。あるいは、そんな恩着せがましい人間なので、その程度の人間しか相手になってくれないわけです。
そうして「あんなツマラナイ人と、わざわざ結婚してやったのに、こんなことになってしまって・・・ホントに、あの人はダメな人だわ!」と嘆くことになる。
しかし、そんな嘆きは、聞かされる方も対処不能でしょ?

「してやった」なんて言葉から、その人の強い被害者意識が見えてくる。被害者意識が強いダメダメな人は、そんな「してやった」なんて言葉だけは連発するものですが、結局は、何も達成しないで終わってしまう。
そんな「してやった」なんて、物言いばかりの恩着せがましい人から、サッサと避難しないと、コチラ側がいつのまにか恩を着せられてしまうことになる。矛先が他人に向いている内がチャンスで、それを逃すと後々面倒になってしまうものなんですね。

どうせ、そんなダメダメ人間は、何についても誰に対しても恩着せがましいもの。
自分が与えている「持ち出し」というか「恩」を勝手に認定して、「まあ!どうして、この親切を分かってくれないのっ?!」、そして「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなのっ?!」となるだけ。

実際に、そんなことを言っている人って多いでしょ?
そして、このようなことは、無自覚のままだと連鎖するもの。
それこそ、学校の教員でも「生徒たちに教えてやっている!」なんて雰囲気を漂わせている教員っていましたよね?
自分の使命感なり、職業意識から、子供たちに学問を教えているというのではなく、授業を「やらされている」なんて被害者意識がプンプンの教員も現実にいたでしょ?
そんな人が親になり、そんな家庭の子供が、海外でボランティアをして「あの人たちを、助けてやった!」「あの人たちに、恵んでやった!」と言うようになってしまう。まあ、イラクで捕まったボランティアのような事態にもなりますよ。親の恩着せがましさも子供に連鎖し、子は親の鏡となるわけです。

ダメダメ家庭の人間は根拠のない自負心を持っていることが多いと、以前に文章を配信しております。
自分勝手な自負心はあっても、具体的な成果に基づく自信は持っていない。
だから、その自負心を保つために、「してやった」という上からの物言いが多くなるし、それこそ、態度に出ることになる。

それこそ、田舎に行ったりすると、ちょっとした公務員とか、鉄道の人とか、郵便局の人とか、教員は、異常に威張っているでしょ?あるいは、個人商店でもそんな感じでしょ?
都会では考えられないほど、威張っていますよね?
それこそ、
「この地に住まわせてやる!」
「この鉄道に乗せてやる!」
「郵便物を送ってやる!」
「この商品を売ってやる!」
「この施設を使わせてやる!」

そんな態度がありあり。
その手の職業の人でも、都会の人は、もっと対応が丁寧ですよ。
田舎にいるその手の人が威張っているのはいいとして、じゃあ、その職業のスキルがあるか?というと、そうでもない。ちょっと質問しただけで対応できないレヴェル。
逆に言うと、「してやった」と恩を着せることで、自分を相手より上の立場に置こうとする。

しかし、そんなことだからこそ、マトモな人は、そんな地域から逃げ出しますよ。
あるいは、いったん、都会に出た若い人は、都会でカルチャーショックとなってしまうのでは?そうなると、Uターンで戻ってくる人間も少なくなるし、戻ってくる人がいても、質の面でも、優秀とは言えなくなってしまう。
そうなると、被害者意識になって、「ああ!過疎化が深刻だ!」「我々は見捨てられている!」と騒ぐことになる。
しかし、その地にたまたま新たにやって来た人に対しては、「この地に住まわせてやってやる!」と、相変わらずに持ち出しを意識した、上からの態度。

あるいは、田舎の鉄道だって、「乗せてやる。」という態度だからこそ、みんなが鉄道を利用しなくなり、結果的に、廃線となってしまう。
そうして、「どうして、みんなは鉄道を利用しないんだ?ケシカラン!」と上から目線での嘆きとなる。

あるいは、田舎の商店は、「売ってやる。」という態度でしょ?
そうして、消費者が全国チェーンの郊外のお店に流出してしまい、地元の商店の人は、「昨今の消費者は、地元を大切にしない!」とご立腹するだけ。
しかし、それこそコンビニのような全国チェーンでの対応と、地元の商店では、その対応にずいぶんと差があったりする。地元の商店は社員教育ができていない。
まあ、そのようなことは公務員とか教員にも共通なのでは?
その手の人は、その地域の良さを、いささか問答無用的に主張するものですが、本当に地元を大切に思っているのなら、逆に言うと「売ってやる」とか「住まわせてやる」とか「使わせてやる」という態度は取らないのでは?
前にも書きましたが、「ヨーロッパの人も柔道を学んでくれた。」という物言いになっても、「柔道をヨーロッパの人に教えてやった。」とは言わないでしょ?

「してあげる」と「やらされている」は、精神的には同一のもの。だから、イヤイヤやっているという気分で、常に自分の持ち出しというか被害を意識している。だから、何か不都合なことがあると、「プイっ!」と投げ出してしまう。まさにボランティアの連中がそうですし、最近(07年)では民主党の小沢さんが、そのパターンでした。
07年に自民党の福田さんとの大連立構想がコケて、辞任するとかの騒ぎがありました。
「やらなくてもいいけど、やってあげている。」という基本認識だからこそ、成果を出したり、最後を締めたりことなく、プイと放り投げることにも躊躇しない。

あの小沢さんの行動から、「ホントは、やらなくてもいいんだけど・・・まあ、しょうがないから、このオレがわざわざやってやるよ!」という心情が見えてくるわけです。
ボランティアでバカをやるくらいならともかく、それを自分の子育てでやったり、わざわざ立候補した役職でやるのが、ダメダメ人間というもの。
しかし、周囲の人としては、「自分で子供を作っておいて、子供に恩を着せようとしたり、あるいは、わざわざ立候補しておいて、自分の持ち出しを意識しているなんて、何なんだよ!その態度は?!」となるものでしょ?
しかし、被害者意識が強いダメダメ人間は、そんな周囲からの非難も、まさしく被害と受け取り、ますます被害者意識を募らせ、ますます「してやった」という精神になってしまう。

立候補した役職の仕事でさえ、それを被害と捉えるわけだから、子育てを自分がこうむった被害と捉えるくらいは、ダメダメ人間にしてみれば朝飯前。
持ち出しばかりを意識していて、その持ち出しに対する恩を着せようとしてばかりだから、そんな状況を、つまり被害が発生するような状況を、むしろ率先して求めていくこともある。

それこそ、ボランティアなどは、「わざわざ」持ち出しを発生させる行為でしょ?
自分の持ち出しを主張するためには、逆に言うと、持ち出しが発生しないと困ってしまう。
そんな人は、する必要もないのに、老後にも仕事をしたりする。
その仕事が、自分の生き甲斐になっているのなら、結構なこと。
しかし、その仕事に対するグチばかり言っている状況だったら、無理にやらなくていいのでは?
しかし、持ち出しや被害を主張することで人とやり取りする人間にしてみれば、仕事の場を通じて、持ち出しというか被害が発生し、それによって、別の人とのやり取りも可能となるわけです。

持ち出しを発生させるために、老後に必要もないのに仕事をするくらいならともかく、そんな人の子育ては、つまり自分の持ち出しを発生させるためのネタになっていたといえるでしょ?
そんな人は、子どもを育てる覚悟もないし、そもそも子供を好きでもないのに、というか、そこに被害というか持ち出しがあるから、子供を持ったり、それ以外のものも手がけたわけです。
そうして、獲得した被害や発生した持ち出しをネタにして、周囲に対して「わざわざ、オマエのためにしてやっているんだ!」と主張する。
被害や持ち出ししか語るものがないので、その被害を作るために行動してしまうわけです。

「○○をしてやった。」という物言いが頻発している人は、そのように言えるように的確に行動しているもの。そして、そんな恩着せがましい物言いしかしないもの。
現実は、そうなっているでしょ?

(終了)
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発信後記

本文中でも言及した民主党の小沢さんですが・・・
結局、辞任はしないそうですね。
「辞任しない」って・・・ダメダメにお約束の二重否定表現。
というか、危機的状況を自分で作り出し「ボクちゃんに構ってよ!」とやるスタイルは、実に既視感がある光景。

なんでも小沢さんは、自民党のことを「悪辣だ!」と言っているそうですが・・・
悪辣という言葉も、おなじみのもの。

被害を語るよりも、自分がやりたいことを堂々と語ればいいわけでしょうが、ダメダメ人間が語ることは、結局は自分の被害だけになってしまう。
逆に言うと、そんな人は、被害を受けるように、自分から行動しているもの。だって他に語るものがないんですからね。

ダメダメを理解すると、世の中の多くのことが理解できるようになるものなんですよ。
まあ、理解して、上手に距離をとってくださいな。
R.11/1/31