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カテゴリー 自己への抑圧
配信日 07年11月30日 (11年1月25日 記述を追加)
タイトル 限度いっぱい (3人兄弟の問題)
テレビでのコマーシャルで「ご利用は計画的に!」なんて言葉が登場することがありますよね?
消費者金融のコマーシャルです。
「そんなに計画的なら、そもそもがそんな消費者金融なんて利用しないのでは?」というツッコミは当然のこととしてあるでしょう。

ただ、何事も不測の事態というものもあるもの。
そのための準備は、色々に考えておく必要もあるでしょ?
消費者金融だって、とにかく「枠」は確保しておく・・・そんな選択もあるでしょう。

しかし、「枠」があるからと言っても、それを使う必要はないわけでしょ?
「いざという時だけに」使えばいいじゃないの?
しかし、逆に言うと、「枠」があったり、その限度枠を使い切っていない場合には、その枠内で色々と使えることができる。

「こんなこともできる!」
「あんなことにも使える!」
「いつ使おうか?」

様々に考えることができることになる。
しかし、ダメダメ家庭の人間は、そもそもが考えること自体から逃避している。枠があれば、使うことができるわけですから、その枠を埋めてしまうことにより、考えることから逃避しようとするものなんですね。

だって、限度枠をいっぱいに使ってしまったら、後はなんともできないじゃないの?
しかし、それゆえに、思考や判断から解放される。
「枠」を、縛りとして認識することで、自己否定的なマゾヒズムを達成しているわけです。

このようなことは消費者金融の問題ばかりではありません。
戦国時代の合戦だと、『後詰』なんて言葉がでてきますよね?合戦にはとりあえず投入しないけど、戦局次第で投入する予備の戦力です。窮地に立った時に、その窮地を打開するための戦力として、あるいは、相手が崩れかけている状態に、ダメを押すための戦力として・・・そんな後詰の戦力は、常に存在するものでしょ?

しかし、逆に言うと、そんな後詰の戦力が存在すると、「相手はどんな状態なのか?」「味方の状態は?」「いつ投入しようか?」などと考えることが多くなる。それは作戦の自由度につながると言えるわけですが、考えることがイヤなダメダメな大将は、いきなりすべての戦力を投入し、「後はオマエたちで何とかしろ!」とやってしまう。しかし、その結果なんて言うまでもないでしょ?

まあ、多くの人は、消費者金融とは関わりはないでしょう。
それに合戦をしたくても、今の時代ではできませんよ。
しかし、この「限度を使い切っていない状態がイヤ!」「何となく落ち着かない。」と言う心理は、現代のダメダメ人間にも共通しているんですね。

ダメダメ家庭の人間が使いきりたがる限度枠の代表例が、子供の数です。
ダメダメ家庭において、3人の子供というパターンが結構多い。
こんなことを書くと、「それは偏見だ!ケシカラン!」という反論が当然にあるでしょう。もちろんのこと、「3人の子供がいる家庭はダメダメ家庭だ!」と申し上げているわけではありませんよ。それに「子供が1人とか2人の家庭がマトモな家庭か?」と言うと、そうとは言えない。
しかし、現実でのやり取りの経験から言うと、3人の子供の家庭と、ダメダメ家庭は、つながる可能性が高いものなんですね。

現在の日本では、子供の数の、限度は、まあ、3人でしょ?
4人の子供となると、周囲の人から「多いねぇ・・・」と言われる。そうなると、人に対して『どうして子供を4人も作ったのか?』について説明しなくてはならない。自分で考えることがイヤで、会話や説明の能力がないダメダメ人間には、そんな状況は起こって欲しくない。

あるいは、子供が2人のケースではどうなるの?子供が2人だと、周囲から「もう一人くらい作らないの?」などと質問が飛んでくるケースがありますよね?そうなると『どうして3人目を作らないのか?』について説明する必要がある。自分で考えることがイヤで、会話の能力がないダメダメ人間には、やっぱり、そんな状況は起こって欲しくない。

子供が3人のケースだと、「どうして子供を3人も作ったのか?」という質問は飛んでこないし、「どうして3人目を作らないのか?」という質問も飛んでこないでしょ?
説明が苦手な親としては、その面では、すごくラクなんですね。

子供が好きだから、3人目を作った・・・と信念を持って、自分の言葉で語ることができるのなら、それはそれで結構なこと。
あるいは、経済的な問題とか、子育ての時間の関係とかで、4人目はムリということで、その点について的確に語ることができるのなら、理由としては、明確と言えるでしょう。
しかし、何も語りたくないがゆえに、3人の子供を作るケースもあるわけです。

単に人に語りたくないという理由ばかりではありません。
自分で考えたくないわけです。
「もう一人子供を作ろうかなぁ・・・どうしよう?作るとしたら、いつ作ろうか?」そんな判断をしたくないがゆえに、3人の子供を作って「枠」を埋めてしまう。そうして3人目を作って「3人いるから、もういいやっ!」と考えない状態に到達してしまう。

周囲にしてみれば、「あの人・・・子育てについてのグチばかり言っているのに、どうして3人目の子供を作っちゃったの?」と怪訝に思うことになる。しかし、そんな質問は直接には飛んでこないもの。思考から逃避するダメダメな親は、面倒な思考や質問から解放されて余裕の境地。つまり、そんな親にしてみれば、子育てについて考えているから3人の子供なのではなく、子育てについて考えたくないから3人の子供となってしまう。
そうして、「後は何とかなるんじゃないの?」「もう、知〜らない!」

しかし、消費者金融の限度額いっぱい使っている人間がどうなるのか?
あるいは、後詰の戦力もなしに、合戦の臨んでいる大将がどうなるのか?
「枠」の観点から、子供が3人という親も、同じような運命になってしまう。

まあ、何も考えない親がどうなろうとどうでもいいわけですが、結局はその「とばっちり」は子供に行ってしまう。結局は、子供が問題行動を起こして、トラブル状態。
しかし、そんな親は、「3人の子供を育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」と自分の子供や周囲にグチることになる。
まあ、そんなグチを実際にお聞きになった方もいらっしゃるのでは?

考えた上での3人の子供なら結構なことですが、考えたくないが故の3人の子供のケースも少なからずあるんですね。
実際に、このメールマガジンで実際の事件に言及することもありますが、子供が3人のケースが実に多いでしょ?
今年(07年)初めの東京の歯科医師宅の浪人生の事件も、3人の子供の家庭でしたよね?
あるいは、ちょっと前の奈良県で自宅を放火した高校生の事件も、3人の子供の家庭じゃなかったかな?
もちろん、長崎県の小学校6年生の殺害事件の被害者の家庭も3人の子供だったでしょ?

子供3人の家庭の子供は、事件の当事者になったり、事件に巻き込まれたりする事例が実に多い。そんなニュースに接するたびに、「日本って、いつのまに、3人の子供が、そんなに『ふ・つ・う』になったんだろう?」と思うほど。
まあ、そんな有名な例ばかりではなく、この私に相談される方もいらっしゃいますが・・・
相談してくる人その人自身なり、その人を困らせているダメダメな相手に3人の子供というケースが多いものなんですよ。

現実的にいうと、今の日本で3人の子供を育てるのは、ちょっと難しい。
やっぱり3人の子供を育てるとなると、お金とヒマがないとできないでしょ?
一般的には、お金がある人は、ヒマがないし、ヒマがある人は、お金がないし、もっと一般的なケースはお金もヒマもない。
それはそれでいいわけ。それを自覚しながら、自分のやりたいことを達成するために、プライオリティを考えながら、自分なりに努力すればいいだけ。

「私は、お金やヒマがあるから3人の子供を育てるのも大丈夫だ!」
と言える人もいらっしゃるでしょうが、お金もヒマも十分にありそうな家庭でも、3人の子供を抱えて、うまくいっていないケースもあるでしょ?まあ、日本のいとやんごとないご家庭も、お金もヒマもあるはずなのに・・・あそこも3人の子供だよなぁ・・・
いとやんごとないご家庭でも、コケるんだから、我々一般庶民はもっと難しいんじゃないの?

何回も書いていますが、充分に考えた上で3人の子供となっているということなら、結構なことですよ。
しかし、考えない結果として、3人の子供というケースが、ダメダメの世界ではポピュラーなのも、残念ながら現実なんですね。
別の言い方をすると、産む前に考えるのではなく、産んだ後に色々と考えたり、後悔したりする人間が、3人の子供の親となっている実例が多かったりする。

ちなみに、じっくり考えた上で、3人目の子供を作ったケースだと、3人の子供のうちで、どこかで年齢差があったりする。
何も考えずに、勢いだけで3人の子供を作ったケースだと、子供の年齢が近い。
つまり、子供を育てながら、親として色々と考えていることが、発生した年齢差から見えてくるわけです。「そのタイムラグによって、その親が何を考えていたのか?」その点を想起すると、まあ、見えてくるものなんですよ。
逆に言うと、タイムラグが全くない場合は、何も考えていないわけです。

実は、この文章を書きながら、直接的なり間接的に知っている3人の子供の家庭を思い出してみたのですが、全滅に近い状態。「あの家庭はマトモだな!」と思える3人の子供の家庭が一つありましたが、そこは2人目と3人目が一卵性双生児なので、3人兄弟でも出産は2回だし。

もちろん、子供3人という「枠」の数字自体は場所や時代によって変化いたします。現在では、子供の数の「枠」が2人と思っている人も多いでしょう。その場合には、「枠」を埋めるために2人の子供となる。そんな感じで、周囲に合わせたスタイルで2人の子供がいる家庭も結構ありますよね?そんな家庭ってダメダメの雰囲気があったりするでしょ?

「ふつう」ということで、子供を2人とか、限度枠という観点から子供を3人とした場合には、「ふつうの姿」なり「限度枠」という外部的な視点が重要視されている状態であり、逆に言うと、子供当人の意向は無視されてしまう。
外見的な形を整えることに汲々として、子供本人に対しては関心がない。
子供に対しては、とにかく「ふつうになれ!」と要求するだけになってしまう。
それこそ、子供が2人で、年齢差も3歳程度であり、その親が二言目には「ふつう」という言葉を使う親だったら、確実にダメダメ家庭を作っていると言えるでしょう。

まさに、自分の希望などは持たず、「ふつう」という規範に従うというマゾヒズムであり、つまり本質として自己否定であり、当然のこととして、子供の意向も否定することになる。
子供の意向を否定しているんだから、当然のこととして、子供からトラブルが発覚し、そして、そんな親は「ワタシたちは、ただ、ふつうの家庭を築きたかっただけだ!」と大仰に嘆くことになる。
まあ、「ふつう」ということを大義名分にして、何も考えなかったんだから、トラブルになるのは当然のことですよ。
しかし、ダメダメな親は、そんなことは分からない。
と言うことで、ますます周囲に合わせようとして、ますます子供の意向は無視し、拒否するようになるわけです。

子供が好きだから、2人や3人の子供を持っているとは限らないんですね。
「ふつう」の外見なり、限度枠の観点から、そうなっているのがダメダメ家庭というもの。いわば、子供は道具扱いとなっているわけです。
何も子供3人はダメと申し上げているわけではありませんよ。的確な現状認識と、自分自身の希望を自覚し、よく考え、覚悟した上で、計画的に?・・・と申し上げているだけです。

(終了)
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発信後記

今週は香川県での事件で大騒動だったようですが・・・
何か「犯人探し」をして喜んでいた人たちも多くいたようですね?
このメールマガジンは、「当たり障り」のある内容がテンコ盛ですが、その手の「犯人探し」はやりません。事件を取り上げる際にも、犯人が見つかった後で、その心理を考えることに主眼を置いています。

「犯人探し」をしても、一時的に盛り上がるだけでしょ?犯人が犯行に至る心理こそが、より普遍的な問題じゃないの?
まあ、逆に言うと、思考力のない人ができるのは「犯人探し」くらいなんでしょう。
そして、犯人が逮捕されたら、あとは「心の闇」認定して、一丁上がり!
そして、スグに忘れてしまう。
サルもビックリの知能ですよ。

ちなみに、今回の香川県での事件で、逮捕された犯人が、「アイツのせいで人生が狂った!」とか言っていたそうですが・・・

今回の事件で「犯人探し」をして喜んでいた人間たちと、実際の犯人とは、心理面では、大差がないわけ。
ダメダメって、共通性が多くて、スグにわかるものなんですよ。
ダメダメ家庭に関わる3人兄弟の事件については、こちらでアーカイヴを制作中です。
 関連する文章となると、「10年8月14日 アップの 三女会員」という文章があります。
R.11/1/25