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カテゴリー 自己への抑圧
配信日 07年12月14日 (10年10月24日,11年1月6日 記述を追加)
タイトル ボンヤリ・キャラ
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
自分自身の問題を自分で解決しようなんて思っていない。トラブルが起こっても、てんで他人事。以前に書きましたが余裕シャクシャクのノンビりとしたもの。
しかし、自分のトラブルを余裕ある態度で眺めていても、事態は改善するわけもなく・・・現実的には、どんどんと悪くなるばかり。

ニッチもサッチも行かなくなると、周囲の人に相談することもある。
かと言って、所詮は、自分で解決する発想がないんだから、相談された人も途方に暮れるだけ。

「アナタ・・・困っているって・・・具体的には、どんな感じで困っているの?」
『うーん・・・なんとなく・・・』
「なんとなくって、言われても・・・今までどんなことをしてきたの?」
『特に・・・』
「どの点が一番問題だと思っているの?」
『うーん・・・』
「結局は、アナタ自身としてはどうしたいの?」
『えーとぉ・・・ただ、ふつうのぉ・・・』

こうなると、途方に暮れるとしか言いようがないでしょ?
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がないので、自分自身の問題を自分で解決するという発想がないというだけではありません。被害者意識の強い親に育てられた場合には、子供は自分自身の感情なり思考を抑圧するようになってしまう。
だって、ダメダメ家庭の親は子供のイヤなことばかりするし、子供の希望を実現させてあげたいなんて考えない。そんな状況においては、子供は希望や感情などを持っていたら、ますます不快になるばかり。
ダメダメ家庭においては、自分自身を抑圧しないと、生けてはいけない・・・そのような状況も存在しているわけです。

ただでさえ、当事者意識がないのに、危機意識や問題意識も抑圧しているので、現状認識なんてできようがない。そんな人は、ただボンヤリと、そこにいる・・・ただそれだけになってしまう。

「困った!困った!」と感情的には言ったりするけど、具体的にどんな状況なのかを客観的に説明することはしない。あるいは、質問に対する回答だって質問した人がどんな意図を持って質問しているのか?そんな認識なり思考を踏まえての回答ではない。聞かれたら、その点に答える・・・そんな機械的な反応なんですね。
そして自分で何とかしたいなんて思っていないので、相談を持ちかけた相手からの質問に対する回答にも必死さがない。
ほんとうにボンヤリとした回答で終わってしまう。自分の状況をわかって欲しいと思っていないので、自分が行った回答に補足説明を付け加えることも絶対にしない。
そんなボンヤリ回答を聞いた側は、「アンタ・・・その言葉を自分で分かった上で言っているの?」「で、アンタは結局はどうしたいの?」と思うばかり。

前にも書いておりますが、ダメダメ家庭の子供は、自分の意向そのものを抑圧するようになっている。自分の意向が実現されない不満を抱かないように、感情全体を抑圧するわけです。
感情全体を抑圧してしまうんだから、ボンヤリとした雰囲気になってしまうのは、当然と言えば当然のこと。
自分の意向や感情を抑圧しているので、その立ち位置は傍観者のようになってしまう。
自分自身のトラブルに際しても、そのスタンスはあくまで傍観者なんですね。
傍観者として客観的なスタンスで、全体像を見渡すことができれば、まだいいわけですが、そもそも認識すること自体から抑圧しているんだから、そんな認識能力もない。
認識能力がないんだから、やっぱりトラブルにもなりますよ。

そんなボンヤリ・キャラは別の言い方をすると「流れる」キャラとも言えます。
周囲の雰囲気に流されてしまって、その人自身で「こうしたい!」というものがない。
そんな人でも、たまに文章を書いたりすることもある。メールマガジンなどで文章を発表する人もいますし、あるいは相談のメールの文章として書く場合もある。そんな人の文章って、実に流れる文章になっている。「流れる」文章って、まるでモーツァルトの音楽のように流麗なの?いえいえ!そう言うことではありません。突っ込んだところも、引っかかるところもなく、サラサラと流れて行ってしまって、後になっても何も残らない文章のことです。
減点法的には非の打ち所はなくても、加点法的にも、やっぱり何もない・・・そんなパターンと言えます。

メールマガジンなどでも、たまにあったりするでしょ?
「何か・・・字が並んでいたようだったけど、結局は、何を言っている文章なんだろうなぁ・・・」そんな感想を持ってしまうような文章。
読んだ後で思うのは、「なんだかなぁ・・・」というもの。

まあ、その書き手自身も、ボンヤリ・キャラなんでしょうね。
そんなキャラクターから相談をされると、「困っている」というのはどっちなのか?その点で迷ってしまうくらい。

「困った!困った!」と言っているわりには、当人はボンヤリ。
相談された方は、「あれはどうなっているの?」「こっちの方法はやったの?」「あの人には聞いたの?」と、右往左往と色々と動くことになる。

しかし、返ってくる反応は、
『ウーン』
『えーとぉ・・・』
『・・・』
と、やっぱりボンヤリ。
もう霞でも相手にしているような気分。
まさに、絵に描いたような「暖簾に腕押し」状態。相談された側が困ってしまうだけ。

この手の人は、問題意識がないわけだから、誰かの文章などを読む場合にも、「分かりやすいこと」よりも、「読みやすいこと」が重要視される。別の言い方をすると、「抵抗感がない文章」を求めることになる。
また、別の言い方をすると、「毒にも薬にもならない文章」しか読まない。つまり、当たり前のことを、当たり前に書いた文章を読みたがる。毒がないから引っかからないけど、逆に言うと、薬にもならない。だから、事態は何も改善しない。そのような引っ掛かりがない文章は、別の言い方をすると、ボンヤリとした文章でしょ?だから、当然のこととして読んだ中身は自分の中に残らない。
さわやかな言葉が、さらさらと流れ、そのまま通り過ぎていくだけ。
逆に言うと、「毒にも薬にもなる文章」を、それなりの覚悟を持って読めるようになったら、それなりの当事者意識と言えるわけです。

しかし、ボンヤリとした人は、ボンヤリとした立ち位置で、毒にも薬にもならない文章を読み、「フーン・・・」「これはいいわ。」「これは、ちょっと極端じゃないの?」と傍観者然とした感想を持ち、スグに忘れてしまう・・・そんなものなんですね。
ボンヤリとしたキャラクターの人は、ボンヤリとした文章を好み、やっぱりボンヤリとした文章を書き、ボンヤリとした人と一緒にいて、ボンヤリと日々を過ごそうとする。
そして、それを「ふつう」と表現する。
まあ、確かに「何も変わったところはない。」とも言えるわけですから、「ふつう」とも言えるしょう。
逆に言うと、「ワタシは、ただ、ふつうの生活がしたいだけ。」という人は、現実的には、そんなボンヤリの日々を求めているわけです。

しかし、そんなぬるま湯の日々が続くわけもない。
そもそもそんなボンヤリだからこそ、危険を回避できずに、トラブルになってしまうのは当然のこと。そして、実際にトラブルになると、そのなんとなくの不満なり苦痛を、周囲の人に「言いたい」と思う。
「言いたい」のはいいとして、それが「分かってほしい」ことではない。

ボンヤリの人は、「どんな人に対して、どんなことを分かってほしいのか?」その点について自問自答することができない。だって、当人に問題意識がないわけですし、日頃から自分の感情を抑圧しているんですからね。
ヘンな話になりますが、自分で考え対処するのがイヤだから、相談を持ちかけているわけです。
だって、相談して、その相談相手からの回答に従っていれば、自分では考えなくてもよくなるでしょ?
と言うことで、その手の相談は、事態を解決するというよりも、誰かに事態を投げるためのものなんですね。
事態を解決するためではなく、対処を投げるためなので、相手からは突っ込まれたくない。だから、とおりのいい既製品的な言葉をパッチワーク的に並べたり、ムダに強い調子の言葉を使うことになる。しかし、「分かってほしい」という発想そのものがない人の表現なんだから、「で、結局は、何が言いたいの?何を分かればいいの?」と思われてしまうのは当然のこと。

まさに「ワタシに構って!」どまりであって、「ワタシに協力して!」には至っていない。協力を求めているのなら、ちゃんと分かりやすい表現にしますし、当人が文章を読む際にも、「読みやすい」ものではなく「分かりやすい」文章を読みますよ。
その「分かりやすい」文章ということは、文章自体が分かりやすい場合もあれば、直面している自体についての理解が分かりやすくなるパターンもある。いずれにせよ、読みやすい文章よりも、分かりやすい文章であることが重要でしょ?しかし、読みやすい文章を求め、分かりやすい文章を読まないので、ますます、当人自身が流れていくだけ。
現実的には、当人がボンヤリ・キャラだったら、そんな人が接するのは、文章においても、見解においても、もちろん、人間においても、結局は同類ばかりになってしまう。

こんなボンヤリ・キャラの人も、アタマの中は霞のようですが、身体は霞というわけではない。身体も霞だったら、周囲の人間もラクですよ。身体だけは霞じゃないから、そんな人も結婚したりする。

結婚や結婚相手について考える際にも、やっぱりボンヤリで霞状態。
「えっ?こんなワタシでいいの?アンタが言うのなら、じゃあ、結婚してもいいかなぁ・・・」
と、以前に書いた、「自己否定型結婚」になってしまう。
子供を産む際にも、ボンヤリというか、霞的。
「えっ?子供がほしいの?アンタが言うのなら、じゃあ、作ってもいいかなぁ・・・」
霞のように、自分では何も考えない。

身体は霞じゃないから、子供が実際にできてしまう。かと言って、当人のアタマの中は霞のまま。
霞に人間の子供が育てられるわけもなく・・・結局は、やっぱりトラブル状態に。
まあ、霞が進化して、雲になったりすることもあります。
「どうして、こんなことに?!」なんて言いながら「雫(しずく)」は落ちたりすることもありますからね。

まあ、「霞」が進化して「雲」になったとしても、自分で何も考えず、フワフワしていることには変わりはない。しかし、フワフワしていても、何も対処しないわけだから、もっとダメダメになるばかり。
しかし、自分で何も判断しないからこそ、「ワタシは悪くない!」と言えてしまう。そうして周囲から同情が集まることもある。だから、ますますフワフワ流れるばかり。
ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、ダメダメの世界ではそんな事態は、朧ではなく現実のことなんですよ。

(終了)
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発信後記

前回チョットふれました、大阪の知事選挙ですが、弁護士と大学教授が立候補するそうですね。弁護士と大学教授って、韓国の選挙における立候補者の典型的パターン。
やっぱり似ているなぁ・・・

このメールマガジンで、学力と思考力は違うと書いたりしますが、彼らも弁護士なり大学教授だから一応は学力はあるんでしょう。しかし、「どうして国会議員なり府議会議員なり、府庁の官僚が立候補しないのか?」という点について、少しくらいは考えたのかな?改革をするにせよ、そのような面をわかった上でないと何もできませんよ。

ちなみに、もう年末ですので、これからの予定をまとめておきましょう。

18日・・・高級料亭の吉兆の謝罪会見で現れていたダメダメの要素。
21日・・・ダメダメ家庭出身者にとってのちょっとした注意点。
25日・・・クリスマスですので、聖書の言葉を取り上げます。
28日・・・本年最後ですので、とある詩人の文章を取り上げます。
来年1月1日・・・通常通り営業・・・まとめに近い文章です。

基本的には火曜日と金曜日の午前10時20分頃に、相変わらず配信する予定です。
大きな時事ネタが入ったら、順番を変更する可能性もあります。
今年も残りわずかですが、御身体ご自愛ください。
R.11/1/6