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カテゴリー 当事者意識の欠如
配信日 08年1月22日 (10年9月14日 記述を追加)
タイトル ムンムンオーラ
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
当人の問題を、当人自身の力で解決していこうなんて思っていない。
「誰か、このワタシを助けてくれないかなぁ・・・」と他力本願。

だからこそ、周囲の人間に期待することになる。

おまけに、ダメダメ家庭の人間は、妄想への親和性が高い。
恋に恋するように、妄想の世界に浸っている。まあ、思春期の一時期にそんな傾向を持つのだったらまだしも、いい歳をしても、その状態。

だから、どうしても自意識過剰になってしまう。
この自意識過剰については、以前に配信しております。
自意識というものは、自分が自分自身に対して持つ意識ではなく、他者が自分へ持つ感情を意識することでしょ?
だから、他者が気になって気になってしょうがない。

それに、当事者意識がないものだから、自分では何もせず、物事が改善されない。だからいつも不満がたまっている。おまけに自己逃避する人たちなんだから、その不満の本質が自分でもわかっていない。
ただ漠然と、「ああ!困ったなぁ!うまくいかないなぁ!」「ああ!ワタシは人から理解されていない!」と嘆いているだけ。そして、持ち前の他力本願から、「誰かワタシを助けてよ!」「誰かワタシを理解してよ!」と周囲を見回すことに。

そんな期待のこもった視線なので、独特のオーラを持つようになるわけ。
なんとなくムンムンした、熱く湿り気のある視線であり、雰囲気なんですね。

「あの○○さんは、このワタシのことを好きなんじゃないかな?」とか、
「この△△さんなら、このワタシのことをわかってくれるのでは?」とか、
「あそこの□□さんなら、このワタシを助けてくれるのでは?」とか・・・
そんな期待のこもった視線で周囲を見ることになる。

しかし期待ばかりではなく、
「もしかすると、あの●●さんは、ワタシを攻撃しようとしているのかも?」とか、
「あの▲▲さんは、ワタシのことを毛嫌いしているのかな?」とか、
「■■さんは、このワタシにストーキングするのかも?」とか・・・
そんな警戒心で周囲を見ることに。
期待感なり、警戒感がこもった視線で、周囲の人間を、ネチョネチョと見回すことになる。
まるで、熱帯のコモド大トカゲが、エサを探して、周囲をうかがうような下から舐め回すような視線。

周囲にいるほとんどの人は、もともとは、そんなダメダメな人など眼中にない。だって会話が出来る人ではないんだし、話のネタ自体もたいしたことはない。だから、おしゃべりをしてもつまらないだけですよ。そんな人のことなど意識なんてしませんよ。

しかし、そんな、舐め回すような視線を受けると、「げっ?!」と思うことに。
「おいおい!何なんだよ!アイツ・・・コッチを見ているよ・・・わあ!キモチわるっ!」
ということで、反応が生じる。

なまじっか反応が生じたので、舐め回す視線にもますます熱が入って、ますますムンムンとした雰囲気。
「あれっ?あの人・・・ワタシの視線に反応したわ!あの人・・・ワタシに関心があるのかな?あの人だったら、このワタシを理解してくれるのかも?」

しかし、理解も何も、そもそも本人が自分自身を理解しているの?
もし理解しているのなら、「自分の問題点はこれこれで、当面はこんなことをやる予定です・・・だから、この点をちょっと協力してよ!」なんて乾いた物言いでOKでしょ?
しかし、自分のことを自分でも理解していないダメダメ人間は、他者に過剰に期待して、「自分の理解者」を物色することになる。だから、ネチョネチョと、感情がこもった湿った視線や物言いになってしまうわけ。雰囲気がムンムンとしているんですね。

何も、対面でやり取りをするケース以外にも、そんなムンムンとした雰囲気ってあったりするでしょ?
それこそ、メールマガジンの文章で、そんなムンムンとしたオーラを出しまくっている文章ってあったりしますよね?
「ああ!誰かワタシを理解してよ!」
「ああ!かわいそうなワタシを助けて!」

あるいは、インターネットの掲示板でも、そんなムンムンとした書き込みの文章があったりしますよね?
何と言うか・・・文章を読んだ人に対して、何をわかってほしいのか当人としてもわかっていないのに、箔をつけるようなところだけは気合が入っている文章があったりしますよね?
「ああ!わかってほしい!」という感情と、「フンっ、どうせわかってくれないでしょ?」なんて感情が共存していて、それが共存しているだけならともかく、「オレは本当はすごいんだ!」と変に格好をつけているので気持ち悪い。

わかってほしいことがあるのなら、一般的な用語で、日本語の標準的な文法に準拠した文章を書けばいいだけ。つまり、その人なりに、もっとも客観的なスタイルで文章を書くことが最初に配慮することでしょ?できるだけ多くの人を対象に、できるだけわかりやすく文章を作成することが必要でしょ?しかし、その手の人は、ヘンに格好をつけている。格好をつけながら、つまり「わかる人だけ、わかればいいや!」なんて雰囲気の文章でありながら、「ああ!どうしてオレたちは理解されないんだ?!」とグチっている。

このようなことは、インターネットの掲示板だけでなく、個人間でのメールのやり取りにおいても、発生することがあります。相手に期待するのはいいとして、期待するのなら、相手にとってわかりやすいスタイルや表現の文章にしないとね。
しかし、その手の人は、相手に期待しながら、妙に格好をつけるわけ。

内容的に自分勝手な論理で、表現も独りよがりなのに、周囲に期待する。
自分流に徹しているのなら、それはそれで勝手でしょう。そのまま一人で突っ走れば、単にヘンテコな人ということで済む問題ですよ。
しかし、自分流でありながら、熱く、そして悲劇的に語り、そして、他者に期待・・・というよりも、依存しようとするから気持ち悪くなってしまう。

そして、「誰かオレのことをわかってくれないかなぁ・・・」「ああ!ワタシはこんなにも、かわいそうなのにぃっ!」と、熱気と湿り気のこもった視線で、見回すことになる。

まあ、そんな気持ちも、わからないでもありませんが、まずは自分で自分を理解することが先でしょ?

そもそも、そんなダメダメ人間のことをわかるだけの洞察力がある人なら、そんな、舐め回すような視線を受けた段階で、サッサと逃げ出しますよ。
もう視線だけでビビるようなものなんですね。
皆さんだって、大きなトカゲに下からネチョネチョと見られたら逃げるでしょ?

結局、洞察力のある鋭敏な人はムンムンの人から逃げ出し、鈍感な人ばかりが残ってしまう。

そうなると、ムンムンの人は、お約束のグチ。
「ああ!ワタシの周囲の人間はバカばっかり!」
「誰か、このワタシのことをわかってくれる人はいないかなぁ・・・」

そんなことを考えていて、それが雰囲気に表れているから、洞察力のある人は逃げ出したわけですが、ダメダメ人間は、そんな当然のこともわからない。ということで、ますますムンムンとした視線。

ギャグを書いていると思われる方もいらっしゃるでしょうが、皆さんの周囲にも、たぶんいるはずです。何か独特の「間」を持っていて、下から舐め回す視線の人。

そんな人が、夫婦の生活がうまくいかない・・・なんてグチを言ったりしますが、そんなグチを聞かされて思うのは、「まあ、お気の毒に!」ということではなくて、「よくも、こんな雰囲気の人と結婚する気になったものだよ!」ということ。コッチは一緒におしゃべりをするのだって苦痛なのに、結婚とはねぇ。

結局は、そんな人は、自分の子供に期待するしかない。
しかし、ムンムン大トカゲが人間の子供をマトモに育てられるわけがありませんよね?
そうなると、その子供が問題行動を起こし、ムンムンの人は更なる嘆きとなってしまう。
「ああ!子供が困ったことをしてしまって・・・」
「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
「ああ!誰か、かわいそうなワタシを助けてよ!」
そんな訴えにますます熱が入り、逆に言うと、マトモな人は、そんな視線にますます恐怖することになる。

視線とか「間」とかは、文章で表現することは難しいことなので、ここではムンムンなんて書いていますが、皆さんの周囲の人でも、「言葉ではうまく表現できないけど、あの人って・・・なんか・・・雰囲気だけで、退いてしまう人だなぁ・・・怖いというより、独特のマイナスの吸引力があるような・・・」と思ってしまう人っていませんか?

そんな雰囲気の人からは、本当に退いて、逃げるのがセオリー。そんな人から、ヘンに「自分の理解者認定」されてしまったら、どんな事態になるのか?
そうなったら、もうシャレでは済みませんよ。

(終了)
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発信後記

最近、気候が寒くなってきましたので、熱帯のジャングルを思わせる「暖かい」お題にいたしました。
それに、シリアスで文芸的なお題が続いていましたので、軽めの内容の文章にしております。

とは言え、そんなムンムンな視線を受けると、背筋が冷たくなったり、喉元に熱いものがこみ上げてきたりするもの。ヨハネじゃないけど、「冷たくも、熱くも」ある体験なんですね。
R.10/9/14