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カテゴリー | レポート・手記等に描かれたダメダメ家庭 |
配信日 | 08年2月5日 (10年12月16日 記述を追加) |
タイトル | 中国の歴史教科書(記述してある時代の配分について)) |
以前より、このメールマガジンでは、たびたび中国の高校の歴史教科書の中の記述について触れております。 中国の歴史教科書は、まさに中国4千年の歴史を反映して、日本語版で880ページくらいの分厚い本です。 さて!ここでクイズです! その中国4千年の歴史を記した、900ページ近くの歴史教科書。 その本の、だいたいの中間部と言える450ページ近くで記してある大きな事件がありますが、その事件は何王朝の時代で、何年頃の事件で、どんな名前の事件でしょうか? 「中国4千年の歴史なんだから、紀元0年頃の後漢あたりかな?」 まあ、これはチョット無理がある。 中国4千年と言っても、具体的な記述が出てくるのは、紀元前1千年頃の周やその前の殷あたりから。だから歴史的には中国3千年と言った方が適切でしょう。それだったら中間部は紀元5百年頃の諸葛孔明が活躍した三国志のあたりかな? まあ、殷や周の時代は資料もそれほどないでしょう。しかし、歴史教科書に記述するくらいの資料なら周の時代でも十分にありますよ。漢の時代に活躍した司馬遷が、立派な歴史書を残してくれているんですからね。 では、結局は、教科書で450ページ近辺に記してある事件は何なの? まあ、現実的に考えれば、13世紀の元の時代あたりと思うでしょ?元による日本侵略でも書いてあるのかな? ところがドッコイ、そうは行かない。 教科書のちょうど真ん中にあたる450ページくらいで記述してある大きな事件とは、1898年から起こった義和団事件です。この事件については、皆さんも、高校で習ったのでは?例の大規模な外国人排斥の暴動です。 つまり時代は、清王朝末期で、もうすぐ20世紀になろうとしていた頃の事件です。 つまり、この中国の歴史教科書の半分は20世紀の事件についての記述なんですね。 悠久なる中国4千年の歴史を記述・・・は、いいとして、実質上は建国200年の新興国レヴェルとなっている。 これは不思議でしょ? そもそも中国は歴史資料が豊富です。前の王朝についてまとめた史書を残す伝統もあります。だから史料がないから、歴史が記述できない・・・と言うことにはならない。 それに、中国で成果をあげた時代というと、どんな時代が思い浮かびますか? それこそ、大帝国を打ち立てた「漢」の時代が思い浮かびますよね? まさに漢字とか、漢民族とか・・・中国の代名詞のような時代と言えるでしょう。それに司馬遷のような立派な人物も輩出しているでしょ?紙の発明もこの時代ですよね? あるいは、栄華を極めた「唐」の時代も思い浮かびますよね? それこそ、日本から唐へ留学生を派遣していたくらいなんですから、まさに世界の中心と言えます。単に領土が大きかっただけではなく、文化的に充実していたでしょ?杜甫、李白、白楽天・・・あと、三蔵法師とか、もちろん、楊貴妃とか・・・ どうせ中国の歴史を勉強するのなら、やっぱりこの「唐」の時代がオススメなのでは? 政治的には混乱していましたが、周の滅亡後の春秋戦国時代も重要でしょ? まさに知のカンブリアのように諸子百家が活躍した時代です。孔子、孫子、老子・・・彼らの思想に賛同するかどうかは別として、皆さん真剣に考えている。 中国人だけでなく、世界の人が、それらの思想家の言葉を参照したりしています。 成果という観点から見た場合には、それらの時代を中心に記述した方がいい・・・これは誰だってわかること。 逆に言うと、20世紀以降の中国の成果って、具体的には何? まあ、人民を食べさせている・・・そんなことは言えるでしょう。 しかし、それってそれほど誇れることではないでしょ? 成果という加点法でみた場合には、漢や唐の時代に大きな比重を置くことになりますが、「いじめられた」「奪われた」・・・そんな被害を中心にした場合には、20世紀の記述の比重が大きくなる。 実際に、中国の歴史教科書の後半部分は、攻められた、奪われた、殺された・・・そんな言葉ばかりとなってしまう。被害を受けたのはいいとして・・・じゃあ、何を達成できたの?そのような加点法的な観点で見ると、何も出てこない。 そんな被害話を中心にしているので、結局は、「やられたから、やりかえせ!」というチンピラ精神になってしまう。そして、教科書の記述も、そんな被害の話と、それに対する報復の話ばかりになっている。 中国には漢や唐などの立派な時代があるんだから、それらの時代について、もっと認識を持つようにした方がいいのでは? 「この時代の人たちは、どんなことを考え、どのように国家を運営して、あのような立派な成果をあげたのだろうか?」 そのような観点から、自国の歴史を見てもいいのでは? それこそが帝王学でしょ? こんな被害話ばかりの教科書で学んだら、チンピラにしかなりませんよ。実際に現在ではそうなっているでしょ?逆に言うと、だからこそ、ますます人から信頼されなくなるわけ。だから、ますます被害を受けることになる。 ダメダメ人間は、被害しか語るものがない。そして自分自身を「○○による被害者」としてしか語れない。 このようなことはこのメールマガジンで頻繁に触れております。今回の中国の歴史教科書が、まさにその典型と言えるもの。 ちなみに、以前に取り上げた『韓国』の歴史教科書は、主観的な感情を主体として被害を語っているのに対し、今回の『中国』の歴史教科書は、比較的客観的な記述スタイルで、被害を語っています。 と言っても、被害が主体であることは、双方とも共通しています。少なくとも、中国には成果もあるんだから、その成果を語ればいいんじゃないの? 私は何も中国人を非難しているわけではないんですよ。「せっかく偉大な成果をあげたこともあるんだから、その点に比重をおいた方がいいのでは?」残念に思うだけです。 しかし、ダメダメが進行してくると、成果よりも、被害に対する反応が強くなるわけ。そして、何事も自分がこうむった被害と捉えるばかり。 これって、中国人だけでなく、ダメダメな日本人にも共通でしょ?まあ、だからこそ、成果もあげられないわけですが・・・ 次回にも、この中国の歴史教科書を取り上げる予定ですが、次回では、この中国の歴史教科書において、記述のなどがどのように変化していったのか? そんな観点でまとめてみます。 さて、中国という国はアジアの雄と言えるでしょう。 私のこのダメダメ家庭のサイトは、アジアに対して、あまり好意的ではありません。 それこそ、「アジア好き」という文章において、「自分はアジアが好だ。」と語る人の問題について考えております。 「アジアが好き」と、自分からわざわざ語る人は、現実的には、「アジアの○○の、△△が好き。」という具体的に説明するパターンにはならない。「アジア嫌いはケシカラン!」という二重否定的な命令になってしまう。 まさに「近くなんだから、好意を持つべきだ!」というべき論での命令になってしまうわけです。 「地理的に近い。」と言う理由を持ち出してくるだけではなく、「過去に日本が迷惑を掛けたんだから、好意を持つべきだ!」という物言いも、現実にあったりする。 しかし、たとえ「地理的に近く」であっても、いわんや「過去に不快な経緯があった」といっても、だからと言って好意を持つわけがないじゃないの? だから、「アジア好き」とかを公言している人は、胡散臭いんですね。 たとえば、中国の歴史を勉強するにせよ、「孔子の考え方」とか、「司馬遷の史書」とか、「李白の詩」とか、「諸葛孔明の軍略」について、詳細に勉強した方が楽しいでしょ? それに有意義ですよね? 「アジア好き」と公言されれば、そんな人を胡散臭く思うわけですが、たとえば「ボクは老子の考え方が気に入っている。」と言われたら、そんな人とやり取りをしてみたいと思いますよ。 自分なりの成果を上げるためには、過去に成果を上げた人の業績なり行動を参考にするのが、有効でしょ?それは具体的な人物なり、具体的な業績を自分なりに考えることで参考にできるでしょ?それこそ「孫子の兵法」を、21世紀の我々の行動に生かすこともできますよ。 一般論的な話をされても、自分なりに参考になりませんよ。 成果につなげるためには、具体的なものが必要になる。 逆に言うと、成果を上げるつもりがないのなら、具体的な成果の情報などは鬱陶しいだけになってしまう。 もし、中国の学生が将来において立派な成果を上げるようにしたいのなら、実際に成果をあげた昔の中国人の業績を具体的に教えた方がいいでしょ? 今回の中国の歴史教科書ではそれがされていないわけ。 よく、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言われますが、この教科書の記述が20世紀の記述ばかりということは、実質的には「経験」を中心に教えているということになります。 そういう意味では、この歴史教科書は、歴史についての本とは言えないんですね。 そんなものよりも、たとえば、司馬遷という人物なり、司馬遷の文章をじっくり読んだ方が、成果につながりますよ。 肯定できる具体的な人物なり業績に目を向けるのではなく、否定したい人物なり事件の記述ばかり・・・だから、自分のなりの業績につながらない・・・そんなところがまさにダメダメなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 今回のお題とは直接は関係ありませんが・・・ 東京などの都会を歩く際に、ノウハウとして必要なのは、トイレの場所。 キレイで、入りやすく、すいている・・・そんなトイレがどこにあるのか? そんな情報は、必須のもの。 東京の虎ノ門あたりで私が重宝していたトイレの場所がありました。 キレイだし、入りやすいし、すいている・・・おまけに、待合場所には椅子も置いてあって、待ち合わせにも便利。しかし、ひとつ問題があって、どの椅子の横にも灰皿があって、禁煙スペースがない。いまどき・・・禁煙スペースもないとは!配慮がないなぁ・・・と思ったのですが、その建物がJTビルなのを思い出して、「そりゃ、禁煙スペースはないわなぁ・・・」と思った次第。 JTさんも、今、中国がらみで大問題ですが・・・ 日本でタバコを売っているだけでは、商売が先細りなのは誰でもわかること。 そもそも日本人の数が減っていくんだし、喫煙者の割合も減っていく。 どう見たって、先細り。 ということで新規事業に進出となったのでしょうが・・・ 難しいだろうなぁ・・・ タバコという商品は、実にうまみがある。 競争相手が多くいるわけでもないし、新製品の開発のペースも低い。品質管理だって、別の分野とは比較にならないでしょう。安全管理だって・・・もともと毒なんだし・・・それほど必要ない。おまけに驚異的な利益率なんだろうから、コストダウンについて、考えなくてもいい。 まあ、会社としてのJTの一番のテーマは、禁煙運動を抑えることになってしまう。 そんな、ぬるま湯状態の人たちが、新規事業に進出して、多くの会社と競争をしても無理ですよ。 新規事業に直接に携わっている若い人は、新しい分野のカルチャーにもスグになじむこともできるでしょうが、上にいるお年寄りはそうはいかない。 従来のタバコ事業でやっている、管理なり、利益率を基準に考えてしまう。 だから「もっと利益率をあげろ!」と命令することに。 厳しい管理は、利益率の圧迫につながるわけだから、利益率を上げるためには、管理を緩める必要がある。まあ、ドッカーンといっちゃいますよ。 世の中で利益率の高い商品というと、商品としての「麻薬」があります。 麻薬の原価なんて、微々たるものでしょ?まあ、タバコだって、ある種の「麻薬」なんだから、高い利益率ですよ。 しかし、うまみがあるがゆえに、別の分野における適用性が落ちてしまう。 その時は、ハッピーになれても、本人自身が蝕まれてしまう。 別に私は嫌煙運動を主張するつもりはありませんヨ。JTの失敗から、見えてくるものが多いと申し上げているだけです。 |
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R.10/12/16 |