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カテゴリー 自己への抑圧
配信日 08年2月19日 (10年10月12日 記述を追加)
タイトル 前進あるのみ
ダメダメ家庭の人間が「後ろ向きに生きる」ことについては、以前に触れております。
以前にこのメールマガジンで取り上げたルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に出てくる「白の女王様」が、まさにそんな感じの人。その女王様自身が「ワタシは後ろ向きに生きている。」と自認していたんだから、筋金入りですよ。

「後ろ向きに生きている」人は、いつも過去のことをウジウジを語っている。過去のことを語るのはいいとして、「はあ、アンタとしては、結局はどうしたいの?」という「前に関する」シンプルな質問には答えられない。
ダメダメな人間が言うことは「ワタシは悪くない!」・・・そんな「後ろ向き」の自己弁護くらい。
そんな弁解を受けて、「アンタが悪くはないことはとりあえず認めるとして、今後はどうするつもりなの?」と聞いてもやっぱり回答はない。

まあ、ダメダメ家庭の人間は、そんな感じで「後ろ向き」に生きているケースが多いわけ。と言っても、ダメダメ人間にもヴァリエーションがあったりするもの。
ダメダメ人間の中にも「前向きに生きる」人もいたりするんですね。しかし、そこはダメダメ。前向きなのはいいとして、前しか見ないわけ。「前進あるのみ!」と威勢がいいだけ。

本当の意味で、前に進むためには、前を見るだけではなく、過去のことも振り返る必要があるでしょ?そもそもダメダメな人間は色々と失敗も多い。そんな失敗を振り返って、その原因を考え、その対策を取った上で前に進まないと、また同じ失敗の繰り返しですよ。

失敗を生み出す土壌の問題まで目を向けていけば、自分のキャラクターなり能力の問題点も見えてくる。あるいは、人間という存在が避けがたく持っている普遍的な問題点も見えてくることもある。物事を考えるにあたって、自分自身として一番よくわかっているものを、まずは見据える必要があるでしょ?
その地点が自分にとっての原点となるわけでしょ?
自分の原点をしっかりと押さえたら、逆に言うと、他者の問題なり、あるいは他者の考えも理解しやすくなりますよ。

しかし、ダメダメ人間は、何よりも自分自身から逃避しているもの。自分自身を見つめるのが怖い。だから自分の過去を見つめることができないわけ。自分の過去を見る際には、「誰のせいで自分がこうなってしまったのか?」そのような犯人探しを目的とする時だけ。そうして「アイツのせいで、ワタシはこんな目に!」と自分で勝手に納得して、当人としては何も対処しないまま前に進んで、また、同じ失敗をやらかす。

世の中に「過去のことを、くよくよするな!」という物言いがありますが、その物言いにおいてプライオリティが高いのは、むしろ「くよくよ」の方でしょ?「過去のこと」は、その言葉においてはプライオリティが低いのでは?「過去のこと」ではなく、たとえ「現在のこと」でも、「くよくよ」していては、得るものはないでしょう。
上記の物言いの本来の意図としては、過去のことは対応できないので、いまさら「くよくよ」しても仕方がない・・・そんな意味でしょ?過去の問題から逃避するダメダメ人間は、そんな言葉を持ち出し自分の過去について考えることから逃避するわけ。

本来は、上記の「過去のことをくよくよするな!」という言葉は、過去のことを振り返ることを否定したものではないでしょ?
感情優先で「くよくよ」するのではなく、冷静な態度で自分の過去を振り返り、そして将来への指針なり注意点としていく・・・本来はそんな意味でしょ?冷静な態度で過去の問題を分析し、そして、「普遍」へつなげていく。そんな思考が必要なのでは?

その人自身として一番実感がある領域から逃避している人間は、様々な体験なり見解が、自分の内面に積み重なることがなく、常に行き当たりばったりの断片的な対応になってしまう。
様々な経験を分析する能力なり、そこからの洞察力は人それぞれでしょう。だから、自分の過去から得る知見のレヴェルにおいて差が生じるのは致し方がない。
しかし、ダメダメ人間は、能力の問題というよりも、心理的な逃避なんですね。

そのことを指摘されると、「過去は振り返らないわ!前進あるのみよ!」と威勢よく答えることになる。
しかし、トラブルが発生した過去の土壌についての知見は必要でしょ?それはトラブルに限らずそんなものでしょ?まさに温故知新と言われている通り。
それこそ学校の入学試験において、過去の試験問題を勉強しなおすようなものですよ。
それとも、「前進あるのみ」の人は、入学試験の勉強において、過去の問題を勉強しなかったの?

しかし、自分の過去から逃避するダメダメ人間は、前進あるのみで突き進み、過去はさっぱり忘れてしまい、結局は同じトラブルを繰り返す。

原点から逃避し、格好のいい一般論を連呼する。
格好のいい一般論だから、相手から突っ込みも入らない。
突っ込まれたとしても、「オレは前向きに生きているんだ!」「昔のことなんか、知るかよ!」「オレはこんなに立派な目標があるんだぞ!」と逆切れするだけ。
そして、その恰好のいい一般論をより恰好よく見えるようにして、できるだけ相手から突っ込みが入らないように考える。
相手からの突っ込みに対しては警戒しても、自分の過去のトラブルの事例は何も見ないし考えない。

非常に興味深いことですが、「前進あるのみ」という言葉の「前進」という言葉をタイトルとしている、左翼学生運動の機関紙があるようです。その左翼学生運動の政治的な主張はともかく、今回の文章において考えてきた「前進」という言葉が持つ裏面・・・つまり、自分自身の過去からの逃避、具体的な事例から逃避して、一般論に逃げ込む心理、犯人探しの心理・・・そのようなものと、左翼学生運動は、実につながっているでしょ?

あるいは、前向きという言葉が、実は後ろ向きとなっている心理に近い別の事例として実に頻繁に見られる例は、このメールマガジンでも取り上げたことがありますが、「離婚の連鎖」という状態です。

自分の母親が、離婚した。
しかし、その母親自身も、あるいは、その親の子供も、「どうして離婚したのか?」「そもそも、どうしてそんな結婚をしたのか?」なんてことは考えない。だから、そんな家庭で育った子供も、自分の親と同じように「て・き・と・う」に結婚して、結婚した後で「ああ!もうこんな人との生活はイヤだ!離婚しよう!」なんて騒ぎ出すわけ。
そうやって離婚するのはいいとして、結局は、またいい加減に再婚して、またもや、「ああ!もうイヤだ!離婚しよう!」と大騒ぎ。
この次に来る言葉は、ダメダメにお約束の嘆きの言葉。
「まあ!どうしてこんなことに?!」
「ワタシって、何てかわいそうなの?!」

前向きに生きるのはいいとして、過去の失敗を理解し解決しないと、前には進めないでしょ?
しかし、ダメダメな人は、過去の失敗を解決せずに、その失敗を「見ない」ことで、前に進むわけ。別の言い方をすると思考停止状態にして、前に突進するんですね。と言うより、過去の失敗や現在の状況を忘れるために、スグに次に取り掛かることになる。だから、またスグにコケてしまう。

そんな「前進あるのみ」の人は、前しか見ない。それって別の言い方をすると、自分の過去からの逃避であり、自分の現状からの逃避なんですね。
ダメダメな人間が語る「前向きに生きる」という言葉の意味は、過去のことを聞かれた場合に、「オイオイ!昔のことをウダウダ言っているんじゃないよ!んもうっ!そんなこと、どうでもいいじゃないか?!」と逆上することに近いわけ。
まあ、そんな逆上の姿は、ある意味においては、「前向き」でしょ?
しかし、その「前向き」はいわば二重否定に近いもの。「過去は見ない。」というだけ。しかし、二重否定と肯定とは違います。「過去を見ない」と言っても、「じゃあ、本当の意味で前を向いているか?」と言われても、そうとは言えないでしょ?だから、その人の将来において、どんな状況を具体的にイメージしているかについては何も説明できない。

そんな人は、自分の過去や現状を語る際には、「自分から誰から被害を受けたのか?」そんな感じでしか語れないもの。
そんな被害話しかできないような人間と一緒にいたいと思うマトモな人がいるわけもなく・・・結局は似たようなダメダメ人間が寄ってくることになる。
そうして、一緒に行動して、やがて結婚して、その後はどうなるのか?

実際に「彼は前向きに生きている人だから結婚しました。」と語る女性は、その人自身の過去のことは何も言おうとしないし、その彼の過去に何があったのかも何も言おうとしない・・・もしかしたら、聞いてもいないのかな?
そして、結局は、「離婚だ!」と前向きなトラブルとなる。

「すごろく」なら、『振り出しに戻る』というやつですね?
「振り出しに戻った」のなら前に進んでいるとも言えるのかな?
しっかし、地球一周の旅じゃないんだからねぇ・・・「ふりだし」に戻ることがわかっていながら手を付けることの、いったいどこが「前向き」なんだか?
しかし、過去を過剰に警戒しているという観点でみると、「前進あるのみ」も、「後ろ向きに生きる」も違いはないわけ。

本人がそうやってバカをするのは勝手でしょう。
しかし、そんな「前進あるのみ」の人間が子育てをしたら?
そうなると、そんな家庭で育った子供も同じような失敗を繰り返すようになるわけ。まさに何代にも渡って連鎖するんですね。
本来なら、もっとも身近なところに失敗例があるわけでしょ?それを参考にして、自分の行動を考えればいいじゃないの?

ところが、「前進あるのみ」の勇ましい精神で、前に進んで、同じような失敗をして、親子何代にもわたって、同じように「ふりだしに戻る」わけ。
こうして、壮大で波乱に富んだ冒険譚なり、苦悩に満ちた悲劇が積み重なっても、成果としては一歩も前進していないものなんですね。

(終了)
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発信後記

まあ、いつものようにダメダメな人たちが大活躍している昨今ですが・・・
先日の、例の中国の毒ギョーザ事件での工場長さんの記者会見は見事でしたよね?
あの記者会見をご覧になった方のほとんどが、このメールマガジンの記述を思い出したでしょ?

逆に言うと、事件があった後であんなコメントから判断するよりも、大きな事件が起こっていない状態でのちょっとした発言を聞けば、今後どうなるのか?トラブルが起きるのか?判断できるものです。

ダメダメな人は、「自分は○○による被害者」としてしか説明できない。普段からそんな発想なので、トラブルが起こっていなくても、そんな調子なんですよ。
日本人だって、ダメダメな人は、規模の大小はともかく、あんな記者会見のような「語り」をしているもの。規模が小さいうちに避難しておけば、余裕を持って、トラブルも観察できるというものです。
R.10/10/12