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カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神 | |
配信日 | 08年2月26日 (11年1月10日 記述を追加) | |
タイトル | 引き返す勇気 | |
たまに家庭内暴力(ドメスティック・ヴァイオレンス)(いわゆるDV)が悪化して、暴力を振るわれていた女性が、相手である男性を殺害したりする事件があったりしますよね?また、男女が逆になるケースも現実にある。 それこそ、ちょっと前に起こった渋谷でのセレブ殺人事件とか、あるいは、最近では、東京で元アイドルさんとやらが、付き合っていた年配の男性を殺害した事件もありました。 「暴力も悪化して、このままじゃ自分が殺される!」 そう思ったのなら、相手を殺すのもやむをえない。 殺されるか殺すかの修羅場になったら、殺した方がまだマシ。 ・・・現実的には、そんな判断もあるでしょう。 しかし、重要なことは、そんな修羅場になる前に何とかすることでしょ? 通り魔にあったわけではないんだから、途中で引き返せばいいじゃないの?そのような暴力だって「だんだんと」エスカレートしたわけでしょ? 殺すか殺されるか・・・その状態になる前に、逃げるなり別れるなりしたら? このメールマガジンを購読されている、マトモな人は、そんな疑問を持ったことがあるのでは? 被害者の側も、早めに逃げればいいだけだし、いわゆる加害者の方だって・・・連れ合いに暴力を振るうよりも、サッサと別れた方がマシですよ。相手を殴って相手がマトモになるとでも言うの?殴るだけ、離婚の際には損ですよ。 そんな「しょーもない」相手と別れて、また最初からやり直すことが一番簡単なことじゃないの? しかし、それができないのがダメダメ家庭の人間というもの。 そもそも、ダメダメ家庭の人間は、「前進あるのみ」である・・・このことは先日に配信しております。「前進あるのみ」と言っても、目標を掲げ、その目標を達成するために、「過去についてくよくよすることなく」、自分で考え、行動する・・・そのようなものではない。ただ過去を見つめることから逃避しているだけ。逆に言うと、ちょっとでも昔のことを考えると、収拾がつかなくなってしまう。 ダメダメな人間にとっての「前進」なり「前向き」と言うものは、自分の過去からの逃避に過ぎない。 当人がそんな人間なんだから、周囲の人も同類になってしまう。そんな人間同士が付き合ったり、結婚したらどうなるの? そりゃ、家庭内暴力くらいにはなりますよ。だって、自分の過去なり実家について触れられると逆上するという同類同士なんですからね。 そんな感じでトラブルになっても、やっぱり自分自身で振り返ることをしない。 振り返るとしても、「どっちが悪いのか?」という犯人探しにつながる議論をするばかり。議論と言っても、双方ともダメダメ同士・・・会話の能力のないもの同士が、やることと言ったら・・・と延々と続くことになる。 ダメダメ家庭の人間にとっては、トラブルになったら引き返すという単純なことができないわけです。 そもそもダメダメ家庭の親は被害者意識が強い。子育てだって、親である自分がこうむった被害であると認識している。だから子供に対して「親に迷惑をかけるな!」と厳命し続けることになる。だから、そんな家庭で育った子供は、実家に戻ってゼロからやり直すなんてこともできないでしょ?実家に戻ることは親に迷惑を掛けることになりますし、まあ、そんな家庭で育った人間は、親と一緒にいるのが不快。 だからこそ、「親に迷惑を掛けたくない。」という大義名分を用い、現状維持としてしまう。 実家が不快というだけではありません。 「・・・引き返しても・・・どうなるの?」 そんな感情もあるわけです。 引き返すためには、過去を見つめる勇気が必要というだけではありません。 未来への展望が必要なんですね。 『ワタシは将来はこのようなことをしたい。こんな生活をしたいと思っている。そのために、この人と一緒になったけど、実際はうまくいかなかった・・・だから、別の方法にした方がいい。』 そのような発想だったら、引き返せるでしょ? 未来への展望があるがゆえに、現状の問題点も受け入れることができる。 引き返すということは、現状や過去を否定することではなくて、未来への展望を再確認することなんですね。あるいは、過去の自分を否定することではなくて、未来の自分を肯定すること、という言い方でもいいでしょう。 しかし、ダメダメ人間は、その未来への展望なり、未来の自分の姿がない。 たとえば、山に登るに当たっては、様々な登山ルートがあるでしょ? 頂上を極めるという明確な目標があれば、途中でルートを変えてもいいじゃないの?実際に登っている最中でトラブルに遭遇することだってあるでしょ?最初に想定したルートを墨守することに価値があるわけではないでしょ? 逆に言うと、今までの方法で意固地になっているような人って、明確な目標がないような人でしょ? 明確なヴィジョンがないがゆえに、トラブルが発生すると、「どっちが悪いのか?」という点ばかり議論して、「自分は悪くない」んだから・・・という名目で、現状維持。 『アンタとしても、何かアクションをすればいいじゃないの?』『アンタなりに色々とやれることもあるんじゃないの?』なんて周囲の声に対しては、「だってぇ・・・ワタシは悪くないんだから、ワタシの方が何かする必要はないわ!」と感情的に反論。結局は、思考停止状態を温存するだけ。 そうなると、マトモな人はそんな人から離れていってしまって、残るのはボランティアのような同情するしか能がない人たちだけになってしまう。そうやって、『全部アイツが悪いんだ!アナタは、なんてお気の毒なの?!アナタは何も悪くはないわ!』と盛り上がる。 そんなグチの共鳴によって、ますます引き返すチャンスを失ってしまう。だって、周囲から『悪くはない!』と言ってもらえたんですからね。悪くはないんだから、現状をそのまま維持としてしまうのは誰でも分かること。本来ならDVのような状況から脱却するためには、まずは自分の将来イメージを再確認することが最初じゃないの?そもそも自分の将来像を考えることから逃避しているから修羅場になったわけですし、ボランティアの連中も同じように自分自身から逃避している人間なんだから、的確なアドヴァイスができるわけもない。ただ「ワタシたちは悪くないっ!」と連呼するばかり。 このようなことは、家庭内暴力のような「生きるか?死ぬか?」のような極端な問題ばかりではありませんよね? それこそ暴力がなくても、離婚するケースもあるでしょ?そんなケースにおいても、結婚後スグに「この人とは、長くやっていけない。」と自分でも判っても、そのまま「なし崩し」的にズルズルと夫婦関係を続けてしまうことが多いもの。 そんな人の、名目は、やっぱりコレ。 「だって・・・ワタシが悪いわけではないんだから・・・・」 その名目はともかく、内心ではこんなもの。 「だって・・・離婚しても、どうなるものでなし・・・」 「色々とメンドくさいしなぁ・・・」 かと言って、そんな人は周囲へのグチは相変わらず続けることになる。 だから、そんな人に対しては、やっぱり言いたくなるのがこの言葉。 『で、アンタさあ・・・いったいどうしたいの?』 「引き返すこと」って、その疑問に対する答え・・・つまり「自分自身の希望」が言えないと出来ないわけです。 引き返す勇気は、何も家庭内での領域ばかりではないでしょ? 11年のお正月において、横浜の業者の「おせち料理」の質が問題になった事件が起きました。 まあ、見本と実態の乖離が大きすぎるというクレームがあったわけです。 その事件で興味深いのは、「どうして、引き返さなかったのか?」という点にあるでしょ? ごまかすにせよ、もっと上手にやる必要があるんじゃないの? プロだったら、上手なごまかしの方法くらいは色々とあるでしょう。 あのまま突っ走っても、トラブルになるのは、プロじゃなくても自明ですよ。 この手のトラブルが発覚したりすると、商道徳という倫理的な面から議論されることが多くありますが、むしろ心理的な問題なんですね。 それこそ、妊娠してしまった女性中学生が、何も処置せず、そのまま突っ走ってしまうようなもの。 そして、お約束のカタストロフとなってしまう。 本来は、「このまま、何もしないで突っ走ってしまうとマズイ。」と誰でも判るわけですから、その時点で対処をすればいいだけですよ。 逆に言うと、あの社長さんは引き返す勇気を持っていなかったわけですから、それこそドメスティック・ヴァイオレンスに近い状況を体験してきているのでは? 明確な将来イメージを持ちえないがゆえにトラブルになるという心理は、色々な面で共通しているものなんですね。 彼としては、商売において、短期的に形でお金を儲けるという目標を持つことはできても、そこから先の将来イメージを持ちえないわけです。というか、将来イメージを持つこと自体を抑圧しているのでは? 登山でたとえると、10歩先は見えていても、頂上のことは何も考えていないままで登山をしているようなもの。まさに五里霧中状態。だからこそコケて転落してしまう。 明確な将来イメージを持ちえていないがゆえに、現状での不都合な事態を見ないようにしたい。まさに、トルストイ描くアンナ・カレーニナのように「そんなものはワタシに見せないで!」と要求し、引き返すことなく突っ走ってしまって、お約束のカタストロフになってしまう。 自分の将来像がないからこそ、そんな人には過去しかない。だからこそ過去にこだわらざるを得ない。あるいは、過去において成功した方法論を意固地になって墨守することになる。だから、自分の過去を正当化しようとして、様々なアクションを起こし、ますますドツボにはまる。 そんな人たちは、明確なヴィジョンを持っていないがゆえに、引き返せない。 そんな感じで、自分の過去を守るために、自分の未来を壊して行ってしまうものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 「前進」ということが、「思考停止」と同義であるケースもある・・・その実例が、例の軍艦と漁船の衝突事故ですよね? 軍艦も、ちょっとは自分たちで状況判断をすれば、汽笛を鳴らすなり、方向を変えるなり、ランプで警告するなり、早めに速度を落とすなり・・・色々と対応も取れるでしょ? しかし、思考停止になっているから、何もアクションをせず、「前に進む」だけ。そして文字通りにドッカーンとなってしまう。 あんなクラッシュは、規模の大小はともかく、ダメダメ家庭の中もあるものなんですよ。 そうして、人に説明する際には、自分にとって都合の悪い情報は隠して、「だってぇ・・・ワタシは悪くないんだもん!」ということになる。また、情報を小出しにして、周囲からの同情を求めることになる。 そして、周囲の人は、そんな主張に同調するようなダメダメ人間ばかりになってしまって、ますますマトモな感覚を喪失してしまう。 そうして、更なるドッカーンへ! そもそも、いわゆる歴史に記されている「大きな戦争」だって、「前進あるのみ!」の勇ましい精神で、何も状況判断もせずに前に進んでドッカーンとなる典型でしょ? ダメダメって、実に「お約束」に満ちた世界なんですよ。だって個々の人が思考停止なんだから、逆に言うと、みんな同じになっているわけ。 そういう点では、私はトルストイよりもチェーホフにずっと近い考え方です。 私としては、ダメダメ家庭の一様な姿を、多面的に描写しているだけなんですよ。 |
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R.11/1/10 |