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カテゴリー 敵と味方
配信日 08年3月7日 (10年10月26日 記述を追加)
タイトル とりあえず、つるし上げ
近頃、痴漢の冤罪事件などが話題になったりしますよね?
まあ、満員電車では、人と人が押し合いへし合いなんだから誤解もあるでしょう。
それに、昨今、冤罪として問題になったりしているのは、マナーの悪い女性に注意したら、その女性から逆ギレされて報復として痴漢扱いされた・・・なんて故意の冤罪の事例もあるようです。あるいは、補償金狙いの犯罪としてのでっち上げのケースもある。

もちろん、冤罪ばかりではなく、現実として痴漢は存在したりするもの。痴漢だけでなく、痴女もいたりする。
痴女なんて・・フィクションの世界だけの存在だろうと思っていましたから、実際に遭遇した時にはパニックになりましたよ。まあ、痴漢の時もパニックになったけど・・・
まあ、ホント・・・ああいうことは止めてほしいもの。

そのように実際に不快な思いをしたりすると、やっぱり被害者意識を持つようになるのはしょうがない。
かと言って、関係のない人間をつるし上げても、事態は改善しないでしょ?
無実の人間に罪を押し付けても、その人の人生をメチャクチャにするだけでなく、真犯人は相変わらず野放しなんだから、より、味を占めてしまって、行為を繰り返すだけですよ。

不快な思いをした後で、じゃあ、どうやって現実的に改善していくのか?マトモな人は、そんな思考になっていくもの。それこそ女性専用車両とか、あるいは男性専用車両も必要でしょう。あるいは、刑罰の厳罰化なども考えられますよね?
しかし、ダメダメな人は、そんな現実的な発想をしないわけ。
とにもかくにも、自分の被害だけに発想が行ってしまう。
だから『報復』することが主眼になるわけ。

だから、手短に「つるし上げ」をすることで、「自分は、かわいそうな被害者」と、自分を納得させるような行動をとるわけです。
マナーの悪さを注意したら、逆襲として、痴漢呼ばわりされてしまう事例も、人から注意されてしまったという被害に対する報復と見ると、まったく同じでしょ?
スグに自分の被害を考える人は、そのような報復行為をするものなんですね。

その痴漢の冤罪事件に関して、とある女性とやり取りをしたことがあります。その女性いわく「疑われている人が実際に痴漢行為をしたかどうかなんてどうでもいい。とにもかくにも、誰かを逮捕して、制裁をすべきだ!」とのことでした。
しかし、実際に痴漢をやっていないのなら、そもそも犯人とは言えないわけだし・・・
実際に痴漢行為をしていない人を、痴漢として逮捕したら、その人の人生も終わってしまうでしょ? 制裁も何もないじゃないの?ただの八つ当たりのリンチですよ。

と言うことで「もし、アンタの亭主が、そんな冤罪に巻き込まれたら、どうするの?」なんて質問を私からいたしました。
すると、その女性いわく、「彼(・・・自分の亭主のことを『彼』と呼びました。)は自動車通勤だから、そんなことにはならない。」

しかし、そういう問題なの?
前にも書きましたが、そのような冤罪は、関係のない人の人生をメチャクチャにするだけでなく、真犯人はそのままでしょ?
結局は、事態が悪化するだけですよ。

しかし、被害者意識が強いダメダメ人間は、自分の被害だけに発想が行ってしまう。そしてすべての事態を「被害者vs加害者」の構図でしか理解できない。
そうして、「て・き・と・う」に加害者を設定して、その「て・き・と・う」に設定した存在を犯人として確定させるために「つるし上げ」をして、「悪いのは全部○○のせいだ!」と自己満足してしまう。
だから、「実際に痴漢行為をしている人かどうかは問題ではなく、とにかく逮捕して、制裁をすべき!」となってしまう。
まあ、こんなことを考えている女性も実際にいるんだから、そりゃ、冤罪事件も起きますよ。

しっかし・・・あの女性も、今は、どうなっているのかなぁ・・・
たぶん・・・その「彼」と離婚しているんじゃないのかなぁ・・・
離婚の親子連鎖って、ポピュラーですからね。

その「彼」も、そんな女性と結婚するくらいなんだから、まあ、同類。ただし、そのケースでは女性の側にはダメダメ家庭出身者の自覚は一応はあっても、男性の側には自覚がないケースでした。それに女性の側の自覚も、まだ不十分。だって「自分を被害者としてしか説明できない。」という状態から、脱皮できていない状態なんですからね。

個別のケースはともかく・・・
被害者意識が強くて、当事者意識がないと、「対象者は誰なのか?」「問題点は何なのか?」「改善点はどんなことなのか?」「そもそも自分はどうしたいのか?」という問題は二の次で、とにもかくにも「つるし上げ」をするようになってしまうものなんですね。
犯人というか加害者の存在を設定することで、とにもかくにも、「自分をかわいそうな被害者」と認定したいわけ。
結局は自己満足だから、事態は何も改善せずに、悪化するばかり。

このような「とにもかくにも、とりあえず、誰かを、つるし上げ」が現在で見られているのは、以前にも取り上げましたが、日教組のホテルの会場使用拒否事件での日教組の対応です。
使用が拒否されても、ホテル相手に、まだ裁判をやっている。
ホテルの会場の使用を求める裁判ならわかりますが、その後でも、いつまでも裁判をやっている。
もちろん、日教組の側も、それなりに言い分はあるでしょう。

さて、ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって、「言われていること、していること」から考えるよりも、「言おうとしないこと、しようとしないこと」その点から見た方が考察が進む・・・このようなことは、このメールマガジンで頻繁に触れております。
ダメダメな人間は自己逃避であり、抑圧的であるので、もっとも重要なことは言おうとしないわけです。だから、散々と叫んでいることは、それ即ち、「理由のための、理由」にすぎないわけ。

さて、日教組がホテル相手に裁判を続けるのはいいとして・・・
ここで疑問が起こりませんか?
それは、こんな疑問。
「日教組も、裁判をするのなら、ホテルを相手にするのではなく、まずは右翼を相手にするのが先じゃないの?」

だって、右翼の活動は歴然たる威力業務妨害ですよ。刑事的にも民事的にも、有罪間違いなし。
民事的に有罪が確定し、損害額が確定すれば、あのうるさい街宣車だって「差し押さえ」もできるのでは?

それにそのような裁判だったら、色々と支援してくれる人も出てくるでしょ?
それこそ自民党の代議士でも、協力してくれる人もいますよ。
「オレもアイツらにはイヤな思いをしたよ!この件については協力するよ!」
そう言ってくれる人もいますよ。
どのみち、日教組は右翼に嫌がらせをされているのだから、ここは堂々と裁判に打って出ればいいじゃないの?

ホテルだって、好き好んで「使用を拒否」したわけではないでしょ?
右翼を訴えるのではなく、ホテルを訴えるなんて本末転倒ですよ。いくら学校の教員レヴェルの頭脳でも、それくらいはわかるんじゃないの?

しかし、当事者意識がないと、事態を改善することが目的にならないわけ。「自分はかわいそうな被害者である。」と認めてもらうことが目的となる。だからこそ、「自分の相手をしてくれる」存在に「絡む」わけ。

ダメダメ人間は当事者意識がない。だから自分の目標を達成するために努力することはしない。だから周囲に人に対して「ワタシに構って!」と要求することになる。「構って!」であって、決して「協力して!」ではないわけ。だから日教組に「構ってあげた」ホテルがつるし上げられ、「構っていない」そして「構ってもらえない」存在である右翼が放置されてしまう。
いったん、「構って」しまうと、「もっと、もっと、構って!」となってしまうわけ。

このようなことは、日教組という「集団」の問題だけではありませんよね?
それこそ学校で生徒が問題を起こした・・・そうなると、現実では、教員は生徒に文句を言って、その生徒をつるし上げるだけでしょ?生徒の実家の問題は放置されたまま。教員も内心では実家の問題がわかっている。しかし、その大元の問題は見て見ぬ振り。しかし、実家の問題に目を向けないと、事態の改善なんてありえませんよ。しかし、面倒な問題は放置して、手っ取り早く犯人認定できる存在をつるし上げて自己満足するようになるわけ。

結局は、学校と家庭のダブルバインドにおかれた生徒が追い込まれてドッカーンとなってしまう。そうして、教員は「どうしてこんなことに?!」「オレたちは、しっかりやっていたのに?!」「ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」

しかし、事態を本気で改善する「気」がないんだから、そりゃ、ドッカーンと行きますよ。
ダメダメ人間は、とにもかくにも、目先の誰かをつるし上げ・・・
構ってもらえる相手にいやがらせをして、自己満足に浸っている。
そのような点においては、日教組と右翼はまさに同類なんですね。
右翼の人が日教組に絡むのは、近親憎悪の典型ですよ。

よくダメダメ家庭の人は「避ける」しかない・・・
このメールマガジンでは、よくそのように書いています。ヘタに関わっても、ダメダメな人は、何でもかんでも被害と捉え、メンドウな事態になるだけ。
まあ、あのホテルの人たちも、事前にこのメールマガジンを読んでいたら、あんなメンドウなことにはならなかったでしょうに・・・

しかし、別の人たちは、この状態を見ているでしょ?
今後は、日教組に会場を貸すのは、「よっぽど」のところだけになってしまいますよ。

日教組からの会場予約の電話が入っても、
「えーとぉ・・・ちょっと待ってください・・・ああ、その日は、別の予約が入っていて・・・ええ・・・えっ?地区のカラオケ大会が入っていて・・・ えっ?予約者の名前ですか?それはお客様のプライヴァシーに関することですので・・・はい、もしそのお客様の日程が変更可能なようでしたら、そちらにご連絡いたします。」
そんなやり取りになるだけ。そうやって、「てきとう」に自分たちで予約を入れて、直前になったら、自分たちでキャンセルすればいいだけ。
目先の存在を、とりあえずつるし上げするような人間の、目先の存在になるなんてバカですよ。

日教組も「戦う」のなら、右翼の連中と戦えばいいだけ。
そんな気概や信念がない人間などは何もできませんよ。
そんな心の弱いダメダメ人間は周囲のマトモな人から避けられる。しかし、そんな周囲から避けられた状態を、「自分たちがこうむった被害」と捉えるだけ。結局は、報復として誰かをつるし上げて、「ボクたちこそ被害者なんだ!」と自分に納得させようとする。

本来なら、「そんなことはおかしいのでは?」と疑問を呈する人も内部にもいるはずですが・・・
そんな人は、いつのまにか、その集団からいなくなったり、排除されてしまって、グチに共鳴する人間だけが集まってしまい、ダメダメ状態が、ますます「濃く」なってしまう。
そうやって、スパイラル的にダメダメが進行していくわけです。
こんな流れは、実にお約束でしょ?
日教組の教員たちの、身体を張った「教え」は、実に参考になりますよ。

そして、自分の被害者意識を満足させるために、とりあえず誰かをつるし上げ行為は、様々なところで見られるもの。
いわゆる家庭内暴力(DV)も、その「とりあえず、つるし上げ」を家庭内でやっているだけ。
前にも書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、「事態を改善するためにはどうすればいいのか?」なんてことは決して考えずに、「自分をかわいそうな被害者として認めてほしい!」 ということを念願としているもの。そんな人間同士が集まって、結局は、「どっちの側が、より大きな被害者なのか?」でモメることになる。
そうして、お互いが相手側をつるし上げようとする。

夫婦間でそんなバカをやるのは勝手でしょう。
しかし、そんな夫婦は子供に対しても、そんなスタンスになるわけ。
よく、児童虐待の現場で、子供に暴力を振るった親が、「あれは、しつけだった。」とかの言葉で弁明するものですよね?

しかし、本当に「しつけ」と思っているのなら、逆に言うと、「その子供が将来どんな人間になってほしくて、現時点ではどの点が問題であって、そして、その問題点を修正するために、厳しく注意した。」そんな流れになり、対象とした子供や周囲の人にも説明できるものでしょ?
その方法論としての「しつけ」の行為において、様々なヴァリエーションはあるでしょうが、「将来どんなスキルなり考え方を持っていてほしいか?」そんな具体論が先に必要でしょ?「しつけ」という総論はいいとして、「じゃあ、何をわかってほしいの?」そんな各論が必要でしょ?
「しつけ」行為だけがあるような状態だったら、その「しつけ」を受けた子供が、どうしていいのかわからないわけだから、その指導に何の効果もないじゃないの?

具体的なスキルなり考え方を身につけるために「しつけ」があるのであって、将来の具体像がないままの「しつけ」なんて、何の意味があるの?それって、単なるつるし上げでしょ?
そのような、「自称しつけ」行為は、親の側が子供に対して、「とりあえずのつるし上げ」をやって、「全部オマエが悪いんだ。」という関係性を確定させようとしているだけなんですね。
「このようなことを身に着けてほしいから」→「このような指導をする。」
しつけとは本来はそのようなもの。
本来はそのようなことは、小学生でもわかることでしょ?

しかし、ダメダメ人間が使う「しつけという言葉」は、そのような論理を示しているわけではなく、単に「自分はかわいそうな人間なんだ。」と自分に確認するための儀式なんですね。ダメダメ家庭においては、現実的には、つるし上げ行為が先にあるのであって、その名目として「しつけ」という言葉をたまたま持ち出しただけ。
子供への「しつけ」と言っておけば、周囲には通ってしまう。
常に書いていますが、ダメダメな人は、自分たちのダメダメさが受け入れられるダメダメな環境を求めるものなので、そんな物言いに対して、周囲から疑義が入ることもない。

そうやって、子供を犯人認定して、自分を納得させ、周囲からの疑義も入らず、ますます「ああ!ワタシってなんてかわいそうなの?!」との嘆きに高揚してしまう。
「しつけ」と称して、子供に手を上げる人は、集団になると、「断固糾弾せよ!」とか言いながら、反対者をつるし上げして、やっぱり「悪いのは全部アイツのせいだ!」と言っていたりするもの。政治団体とか市民団体とか宗教団体とかで、そんなことをやっていたりするものでしょ?
そのような状況は、つるし上げ行為が主であって、その名目は、周囲に通りやすければ、どうでもいいわけ。

そんな人は、決して自分自身を振り返ることはしない。
常に自分以外の誰かを犯人認定しているだけなんですからね。
犯人認定の対象には、それなりのヴァリエーションはあっても、犯人確定のために誰かをつるし上げることは変わらない。
相手に対する過激な行為であっても、相手を向いているのではなく、常に自分の被害者意識を向いているだけ。むしろ、過激な行為による儀式によって、自分の感情を鎮めようとしているわけ。

しかし、被害者意識だけを向いていて、当事者意識がないので、「で、結局は、自分は何をしたいのか?」については何も語れない。
だから、構ってほしくて、「ワタシはこんなにもかわいそうなのよ!」と主張し、「コイツのせいで・・・」とつるし上げにいそしむ。
そして、そんなことばかりをしているもの。
ホント、そんな人は避けるしかないわけです。
そして、マトモな人は実際に避けてしまって、避けられない子供が、被害にあってしまうわけ。

(終了)
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発信後記

今回の文章は、何も日教組の問題を考えることを主眼としたものではありません。
それに日教組の思想信条に文句を付けているわけではありません。
自分たち自身の目的は、何なのか?
それに対する障害は、何なのか?
それを自分たち自身が直視する必要があるだろうと申し上げているだけです。
しかし、ダメダメ人間は、まさにそこから逃避してしまう。

まあ、そんな人間が教員をやっていれば、学校で事件も起きますし、そんな人が親だったら、その子供は、自分探しの旅に出かけたり、ボランティア活動をすることによって自己逃避をするようになってしまう。
「自分探し」と「ボランティア」を兼ねて、イラクで活動した「ワカモノ」もいましたよね?
トラブルって、事前に予想できるものなんですよ。
R.10/10/26