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カテゴリー | ダメダメ家庭と「いい人」 |
配信日 | 08年3月17日 |
タイトル | 遠くに甘え、近くではいい子 |
ダメダメ家庭の人間は減点法。 自分が達成したいものがあるわけではないので、加点法では考えない。何かあるとスグにマイナス面を考えてしまう。 「あれをすると、こんな不都合なことが起こる。」 「あのようなことを言うと、○○さんが迷惑する。」 当然のこととして、自分自身を考えるにも減点法の思考。 減点のない「いい子」でいたいわけ。 「ワタシって、こんなに減点がない『いい子』でしょ?」 そんな雰囲気を作り出そうとしている。 このようなことは、このメールマガジンで頻繁に触れております。 しかし、減点がない「いい子」が、そんなにすばらしい人なの? 減点がないからといって、達成したものがあるわけではないでしょ? というか、達成したいものがあれば、多少の問題も発生するでしょ? その問題を回避していたら、何も達成できませんよ。 達成したものがないんだから、当然のこととして、本当の意味での自信なんてありませんよ。だから心の奥底では強いコンプレックスを持っていたりするもの。そして不平不満を持っている。 しかし、自分自身を「いい子」と見せたいものだから、そのような不平不満を、周囲の人に言い出しにくい。 つまり、近くの人には本音を言わないようになるわけ。 じゃあ、どこで、誰に対して、自分の不平不満を言うの? それは顔も知らないような遠くの人に対してとなる。 それこそ様々な方が発行しているメールマガジンにおいて、そんな文章もあったりするでしょ? 「ボクって、いい子でしょ?」オーラと、「不平不満」オーラが共存しているような文章。 近くの人に対しては、型どおりの「いい子ちゃん」として振舞って、遠くの人に対しては自分の不満を訴え、甘えたりするわけ。別の言い方をすると「近くには、よそ行きの姿で、遠くには、等身大の本音を言う。」とも言えます。 それを自分で意識していれば、そんな方法もありでしょう。しかし、現実ではそのようなことを、自覚してやっている例は少ないものなんですね。そもそもダメダメ家庭の人間は自己逃避なんだから、自身がやっている珍妙な振る舞いの珍妙さを自覚できるわけがありませんよ。 遠くの人に対してだけに本音を言えるものだから、逆に言うと、遠くの人だけを「頼り」にするようになってしまう。あるいは、顔の見えない法律とか社会制度だけを頼りにするわけ。 このようにスグに政治の問題にしたがることについても、以前に配信しております。 あるいは、近くの人に対して本音を言わないものだから、事態が悪くなっても身近な人に相談できない。だから事態は何も改善されない。結局は、誰かを犯人認定して、自己満足する始末。 「アイツのせいで・・・うまくいかない・・・ワタシって、なんてかわいそうなの?!」 「あ〜あ、悪い時代だなぁ・・・」 犯人認定する対象も、遠くの存在となる。 実家などの自分の近くの存在に問題の原因を認めると、当人自身の「いい子ちゃん」認定が崩れてしまう。 結局は、遠くの対象に本音をぶつけて、頼りにして、犯人認定することになる。 近くの人にしてみれば、「この人・・・『いい子ちゃん』ねぇ・・・」と、みなしてしまい、そんな評価を口にする。だから、ますます当人もそこから抜け出せない。 そんな事例は、実にポピュラーでしょ? 自覚しないで、このまま突っ走るとどうなるでしょうか? そもそも、近くの人に対して本音を言わない習慣なんだから、結婚相手を選択する際にも、「何かあった時に、この人と相談しながらやっていけるだろうか?」なんて判断とはならない。 結婚相手は、まさに近くの人になるわけだから、所詮は「本音は言えない」「形式的なやり取りしかしない」「よそ行きの姿しか見せない」・・・深層心理的にはそう思っているわけ。というか、今まで近くの人と本音でやり取りをしていないものだから、顔を合わせての相談という光景を想像することもできない。 そしてそんな人が親になったりする。 そうなると、自分の子供という「近くの存在」とのやり取りができない。 そもそも、当人自身が近くの人に本音を言った経験がないんだから、子供の本音とどう付き合うの? 結局は、子供にも、本音を「言わせない」ようにするわけ。 まさに、自分の子供を周囲に配慮ばかりしている「いい子ちゃん」にしてしまうわけ。 そんな「いい子ちゃん」家庭の子供は、親にも相談できず、自分ですべて解決しようとして、結局は問題行動を起こすことになる。 自分の子供が起こす問題行動を見ても、「いい子ちゃん」のOB,OGは、その不満を遠くの存在にぶつけるだけで、最も近くの存在であり、当事者である自分の子供の話は聞こうともしない。 「社会をなんとかしろ!」 「いったい政府は何をやっているんだ?!」 「社会全体として、もっと子供のことを考えるべきだ!!」 親がクレームを叫び続ける横で、当事者たる子供は親を見つめ、無言のまま。 ギャグを書いているように思われる方もいらっしゃるでしょうが、実際に見られる光景でしょ? 近くの人間に話しづらいからといって、遠くの人間だけにしか本音を言わないようだったら、何も改善しない。顔を合わせた状態で、形式的な正論をウダウダ聞かされても、「何を御託並べているの?」「で、結局は、アンタは、どうしたいの?」「つーか、理屈は理屈でいいとして、まずは自分でできることから始めればいいじゃないの?」と呆れるだけ。そうなると、相談を持ちかけた側は、今までの「いい子」認定が崩れてしまって、自分自身の身の置き場がない。だから、そんな場から、そそくさと逃げ出し、やっぱり遠くの人に本音のグチ。 遠くの存在に甘えるのもいいのですが、まずは近くの存在とのフランクなやり取りが先でしょ?それができないのなら、そのことを自覚しないと、当人だけでなく、その子供までも、まさにお約束のようにドッカーンになっちゃうものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 今回から週3回の配信になります。 月曜日、水曜日、金曜日に配信いたします。 ちなみに、今回のお題の実例といえるようなものを、次回に取り上げて考えてみたいと思っています。 1つの文章にまとめてしまった方が、まとまりがいいわけですが、それだと文章が長くなってしまうので、分割することにしました。 しばらくは、できるかぎり短い文章を配信する予定です。 |
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R.10/12/11 |