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カテゴリー ダメダメ家庭と学校
配信日 08年3月19日
タイトル 学校と家庭が連携して・・・
さて、前回の配信の文章において、ダメダメ家庭の人間は「遠くに甘え、近くにはいい子」である・・・そんな内容で配信しております。
別の言い方をすると、ダメダメ家庭の子供というものは、自分の家族に対しては「建前(たてまえ)主体」の「よそ行き」の姿であって、家族から離れた遠くの存在に対して、「普段着」の「本音」を言うようになるわけ。
ちなみに・・・文章をよく読んでくださいね。サクっと読み飛ばすと、逆の意味に受け取ってしまう可能性も高いわけですからね。

しかし、やっぱり「外では普段着、ウチではよそ行き」って、ヘンですよ。その無理を自覚しながらやっていれば、まだ救いがあるわけですが、実際はそんな自覚はないままに突っ走っているもの。だからお約束のようにドッカーンとなってしまう。

さて、先週(08年)のニュースで面白い事件がありました。
福岡県の中学校で、「不良中学生」が暴れたとの報道です。
写真に写っていた、あの「不良中学生」の姿は・・・何ともまあ!
今年は西暦では2008年ですが、元号でいうと、平成20年・・・ああ!昭和も遠くなってしまったもんだ!しかし、あるところには、昭和も残っているんだなぁ・・・

あそこまで「絵に描いた」不良の姿なんて・・・もはやギャグですよ。
彼らだって、「不良」をしている自分自身に酔っているんでしょうね。
もう自分が何をやっているのか、自分でもわかっていないので、だからこそ、「定型的」な姿に頼るしかない状態と言えるのでは?

何でも、その中学校の校長なり教頭なりが、逃げ出してしまったとか・・・
しかし、逃げ出す前には、校長さんは、「学校と家庭が連携して、この問題の解決に当たっていく・・・」なんて言っていたとか・・・

今回のメールマガジンでは、その「学校と家庭が連携して」という言葉を考えてみましょう。
さて、前にも書きましたが、ダメダメ家庭の人間は「近くにはいい子で、遠くに本音」という発想があったりするもの。そもそも、ダメダメ家庭を作る親は被害者意識が強い。子育てだって、親である自分がこうむった被害と考えている。だから「親に迷惑をかけるな!」と子供に厳命し続けることになる。

「親に迷惑をかけてはいけない」んだから、当然のこととして、親に対して本音の話はできない。家庭内では、まさに「よそ行き」の「型どおり」の話でお茶を濁すしかないじゃないの?
意を決して、子供が親に相談を持ちかけても、「面倒を親に持ち込むんじゃない!」、「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と逆に怒られるだけ。
どうせ、ダメダメ家庭の家族というものは、事態の改善に役に立たない人間なんだから、そんな家庭にいる子供としては、親に相談しても、自分自身の手間が増えるだけということがわかっていますよ。

型どおりの「いい子ちゃん」として、家庭の中では、よそ行きの会話をするとして、じゃあ、本音はどこで言うの?
最近多いのが、いうまでもなく、インターネットの世界ですね?
まあ、昭和の時代ならいざ知らず、平成20年の今だったら、誰だってインターネットにアクセスすることができる。そして、そのネットの中で自分の本音や不平不満をぶちまける・・・そんな姿は、実にポピュラーでしょ?
購読者さんの中にも、該当者がいるかも?

しかし、それは平成20年の今においては、どうということのない話でも、昭和時代においては、そうも行かない。
現代においても、昭和の香りが脈々と息づいている場所においては、ネットにアクセスして、その場所で本音を言うなんてことができないんでしょうねぇ・・・
技術的に困難というより、周辺環境の常識レヴェルの困難さがあるのでは?

じゃあ、そんな昭和の香りが漂う地域では、ダメダメ家庭の子供はどこで自分の本音を言うの?
もうこうなると、学校しかないじゃないの?
そもそもダメダメ家庭の人間は、付き合う範囲が狭い。昭和時代のダメダメ家庭の子供としては、実家か学校・・・それくらいしか世界がないわけ。
こうなると、「近くの存在」は、実家ということになって、「遠くの存在」は学校ということになる。

だから、家庭の中では「いい子ちゃん」の姿をしていて、甘える場所は、遠くの存在である学校ということにならざるを得ないでしょ?
逆に言うと、学校で「甘え」られれば、事態がそれほど深刻になることはない。
学校において、子供たちに、その子供の実家の問題を自覚させ、実家からの精神的な自立に向けて指導すればいいだけ。

・・・なんですが、そんな洞察力がある人は、学校の教員などはやっていないもの。
現実的には、まさに今回の学校の教員のように「学校と家庭が連携して」などと、ご立派な正論を言い出してしまうもの。そうして、本当に家庭と連携しようとする。
しかし、そうなると、じゃあ、子供たちはどこで本音を言えるの?
今まで唯一、自分の本音を言えていた学校という場所が、家庭とつながってしまったら、家庭と同じように、「型どおり」で「建前」主体で、「よそ行き」のやり取りしかできなくなってしまうでしょ?

本音を言えないんだから、そりゃストレスもたまりますよ。
当然のこととして、ドッカーンと行きますよ。

トラブルが発生しないように、子供に対し目を配るに際し、「学校と家庭が連携する」のは、実に有効でしょう。しかし、子供がトラブル状態になったら、それは逆効果なんですね。
当事者の子供が、実家と学校の間のダブルバインドに陥ってしまうだけ。
子供がトラブル状態になったら、家庭と学校が距離を置く必要があるわけ。事前の連携は効果的でも、事後の連携は、逆効果。
別の言い方をすると、問題解決のための視点は、可能な限り多く持っている必要があるでしょ?ヘタに連携してしまうと、子供を見る視点が親からの視点だけになってしまう。

何も、あのような昭和時代の名残の不良少年の事例だけでなく、それこそ幼稚園レヴェルの子供の問題に際しても、周囲の大人が、「学校と家庭が連携して」なんて言い出したりするものでしょ?あるいは「地域と家庭が連携して」なんて言ったりする人もいますよね?
そんな人は、いわば「家庭性善説」に立っていると言えるんでしょうが、そんなに「いい家庭」だったら、トラブルが顕在化する前に、家庭が率先して対処していますよ。
家庭の方から、学校に相談を持ちかけてきますよ。
違いますか?

トラブルが顕在化したり、ドッカーンが実際に起こってしまったということは、その子供の家庭が、子供を実質的にネグレクトしていたり、子供に「よそ行き」の姿を強いる家庭ということ。
そんなダメダメ家庭と連携しても、事態が悪くなるだけ。
トラブルが起こってしまったら、本音の議論をしないと、解決できないでしょ?
子供から本音を聞きだす・・・子供の問題の解決には、それが第一でしょ?
「学校と家庭が連携したら」それができなくなるわけ。

「学校と家庭が連携すること」に価値があるのは、トラブルが発生しないようにするための予防的措置としてだけなんですね。
予防と治療は違うものなんですよ。

その学校の校長なども、その違いが分からない程度の知能だからこそ、その少年たちのトラブルに対処できない。そして、当人たちはソソクサと逃げ出してしまう。
しかし、残された少年たちはどうなるの?どこに逃げればいいの?
もうこうなると、アンダーグラウンドな組織しか逃げ場がないじゃないの?
逆に言うと、トラブルが顕在化した後で、学校側が適切に対処できれば、そんなアンダーグラウンドな組織に入ってしまうのも防止できるでしょ?

その手アンダーグラウンドな組織の活動が活発ということは、つまり学校側も機能していないということが見えてくるわけです。
単にその手の組織の問題ではなく、それ以外も、まさに学校と家庭も連携してダメダメになっているんですね。

(終了)
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発信後記

今回のお題とは関係ありませんが・・・
なんでも、女の子の名前で、「椰子」と書いて「ココナッツ」と読む名前を付けようとした親がいて、モメているんだそう。
まあ、名前の問題については、以前に触れたことがあります。

それ以来、私としても、人の名前には注目しているんですが、ダメダメ家庭は、果物系の字なり名前を使いたがる傾向があるようです。
それこそ「苺」とか、「蜜柑」とか、「杏」とか、「林檎」とか、「トマト」とか・・・
ココナッツも、果物の一種といえるのかな?
まあ、カワイイと言えるんでしょうが・・・

その手の果物系の字を使った名前で、唯一コンサバなのが、まあ、「桃子」でしょうか?
桃子さんは、色々な分野で活躍しているようですが、それ以外の果物系は、あまりカタギの分野ではみませんよね?
コンサバではなく、レジェンダリーなのが、「梅」。まあ、これは今の平成時代には縁がないでしょう。まあ、梅は果物というより花の観点なのかな?その意味では「桃」も果物系というより花系のカテゴリーなのかな?

もちろん、果物系の名前は、芸能界に進むには有利な名前といえるからいいのでは?といえるんでしょうが、最初から芸能界オンリーにターゲットを絞るのは、ちょっとぉ・・・と思うんですよ。子供にはもっと多くの可能性があるわけですしね。
まあ、果物というものは、賞味期限が短くて、時間が経つと腐ってしまうもの・・・それをわかっていないとね。
逆に言うと、ダメダメな親は、その賞味期限の短さに惹かれるのかな?

本来は、親というものは、子供を成熟に導く義務があるでしょ?
花は時間を経て実を結んでも、果物は時間が経つと腐るだけ。
子供が成熟した時のイメージの欠落と、果物系の名前って、結びついている傾向があるのでは?
R.10/12/11