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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 08年3月21日 (10年11月14日 記述を追加) |
タイトル | WHATの不在 (何を言いたいの?) |
このメールマガジンにおいて、「ダメダメ家庭は会話不全の家庭である。」と書いたりしております。そして、その会話不全の問題は、「何を(=WHAT)言うのか?」よりも、「どう(=HOW)言うのか?」の問題の面が大きいものです。 どんな信条であれ、相手にわかりやすく伝えることが重要でしょ?共産主義を語りたいのでも、軍事独裁主義のよさを主張したい場合でも、平和主義のよさをアピールするも、話を聞いている人に伝わらなければ意味ないじゃないの?わかりにくい表現だったら、それが相手から同意を得られなかったからと言って、やり取りの相手側が自分の信条を否定しているのか?それとも、表現の仕方が悪いのか?わからないでしょ? だからと言って、「自分の考えが相手に伝わらなかった場合には、それが全部HOWの問題か?」というと、そうは単純ではないわけ。 「自分の考えがいつもうまく伝わらない・・・どうしてかなぁ・・・」 「ワタシは日本語表現がヘタなのかな?」 「ワタシはやっぱり口下手だなぁ・・・」 よく、そんなことを言っている人もいますよね? もちろん、そのような日本語の表現能力のケースも多くあります。しかし、多くのケースでは違っているんですね。多くのケースは、そもそも「何を伝えたいのか?」自分でもわかっていない場合が多いわけ。伝えたいことが自分の中で絞りきれていない状態だったら、相手に伝わるわけがないでしょ? 思想信条は人それぞれでも、その「わかってほしいこと」それ自体を、十分自覚した上で相手に伝えないと、何も伝わりませんよ。 しかし、「自分としては相手に何を伝えたいのか?」そんなことすらわかっていないような人は、当然のこととして、「そのこと」自体もわかっていない。 自分自身が伝えたいことを明確にわかっていないのに、相手とやり取りしている・・・と、自覚できていないわけ。 だから、相手が「思うように」な対応をしてくれないので、結局は「どうしてミンナはわかってくれないの?!」と被害者意識に浸ることになる。 被害者意識に火がつかないまでも、別の原因を考えたりするわけ。 それこそ、前にあげた「日本語の表現能力の問題」を、理由にしてしまうわけ。 確かに日本語の能力が低いと、自分の意向が伝わらない。これは当然のこと。 ここでちょっと算数の問題で例示してみましょう。 自分の意向が100あるとして、そのうち10%しか伝わなかったとしたら、100×10%で10しか伝わりませんよね?これが日本語能力の問題。 しかし、自分の意向が、そもそも0(=ゼロ)だったら、それが相手に100%伝わっても、0×100%で、やっぱり0(=ゼロ)でしょ?10%分しか伝わらないとかの問題ではないでしょ? しかし、「自分はどうしたいのか?」そのような当事者意識を持って行動していないダメダメ人間は、予想した対応が得られなかったことを、日本語能力の問題にしてしまうこともあったりするんですね。 だから、日本語能力の不足を補おうと、もっとオーヴァーな伝達手段を使ったり、気合を入れてしゃべったりするわけ。それこそ、「どうしてわかってくれないんだっ?!」と、顔を真っ赤に熱弁をふるうようなことをするわけ。 気合を入れるのはいいとして、「結局は自分は何が言いたいのか?」とか「少なくともこのことだけはわかってほしい。」と、認識した上でやり取りをしているわけではないので、当然のこととして空回り。 そんな熱弁を聞かされた方は、顔を真っ赤にしてわけのわからない話を聞かされて、退いてしまうだけ。 そうなると周囲の人間から相手にされず、そんな人はやっぱり「周囲の人はワタシのことをわかってくれない!」とお約束の被害者意識に。 まあ、いいんですが、『で、結局はアンタの何をわかればいいの?』などと、親切に聞かれても、今度は「どうして、そんなにイジワルな質問をするんだ?!」と、攻撃的に反論するだけ。 「どうやって伝えるか?」そのようなHOWの問題も当然のこととして重要ですが、「どうしても伝えたいこと」つまりWHATの問題だって、重要でしょ? 逆に言うと、どうしても伝えたいことが明確に意識されていれば、HOWの問題だって進歩していくものですよ。 「どうしても、このことをわかってほしい!」 「どうしても、このことについて知りたい!」 言葉からそんな気迫が感じられれば、その言葉を受け取った側もなんとかしてあげたいって思いますよ。自分自身の向上や事態の解決のために、相手に必死で伝えている姿なり、質問している行為が、そのままその人の尊厳を表しているわけでしょ?そんな人とコミュケーションすることは楽しいことですからね。 しかし、「て・き・と・う」なんて雰囲気がプンプンするような言い方や文章の場合も現実として多いもの。そんな「て・き・と・う」な文章って、それなりに日本語文法に準拠していても、読んでいても「結局は、アンタはどうしたいの?」と思ってしまうもの。 文章の内容としてのWHATが不在となっているだけではなく、文章全体の位置づけも不明のことが多い。別のところでも書いていますが、「投稿文章のような、相談の文章のような、グチのような、単なるお便りのような・・・」思わせぶりな文章が私のところに来たりすることがあります。 そんな文章を受け取った私としては、「この文章の位置づけはどんなものですか?受け取った私としてはどのように扱えばいいのですか?」と聞くことになる。 そうなると、「どのように扱っていただいても結構です。」なる回答が返ってくることになる。 しかし、「ご自由に・・・」と言われるのが一番不快ですよ。 だって、それは別の言い方をすると「て〜きとう でいいよ〜」ということでしょ? メールのやり取りだったら、「このことをアナタにわかってほしいから、このような文章を送りました。文章の的確性において、多少の問題があるかもしれませんが、その時はそちらから質問して下さい。」とでも書けばいいだけ。 文章の上手下手については、才能の問題もありますし、慣れの問題もあるでしょう。 しかし、文章の位置づけを明確に説明できなければマズイでしょ? 文章を受け取った側が、「何をすればいいのか?」について途方に暮れてしまうような文章は、別の言い方をすれば嫌がらせですからね。 もちろん、ダメダメに習熟している私は、嫌がらせとは思いませんよ。 ただ、そんなやり取りにおいて達成されるものは、お互いによる合意ではなく、やり取りをしたという物理的な事件というだけでしょ?だって、文章を受け取った側は、単に途方に暮れただけなんですからね。内容面での議論の入り口でとどまっている。 逆に言うと、やり取りをしたという物理的というか歴史的な事件を作るということだけが目的となっていると考えると、そのようなお便りも理解できるわけ。内容を伝えたいのではなく、やり取りの形だけが問題としているので、文章の内容においては差しさわりのある内容は不可となってしまう。まさに「あーでもない、こーでもない」と言っていれば済む内容を出してくる。 これでは、文章におけるWHATは霧散するのも当然といえば当然。 結局は、やり取りをしたという事件を成立させることが、文章のWHATとなってしまっているわけ。だから、中身についてのディスカッションの入り口から中に入らなくてもいいわけ。 だから、内容について、質問したりすると、まずは回答してこない。というか、トンズラしてしまう。たぶん、もうお役御免ということなんでしょうね。 相手にわかってほしいことがあるのなら、その相手から質問を受ければ、回答するのがスジでしょ?しかし、内容を詰めるためのやり取りではなく、やり取りのアリバイを成立させるためのやり取りなので、追加で説明することはできない。相手から追加説明を求められ立ち往生した経験をしてしまうと、今度は、説明不要なものをもっともらしく提示するようになる。 ズボラな人ほど、逃げが多いわけ。まさに、どんな方面から見ても曖昧なんですね。 文章全体の位置づけも曖昧だし、文章の内容も曖昧だし、それこそ文章のあて先すら曖昧。そして、そんな文章をだしてくる気持ちも曖昧。 そして、何か質問されると、「そちらが自由に判断してくれればいい。」と言い放つ。 しかし、そんなやり取りで、相互理解が達成させるの? そんな文章を受け取ると、「あ〜あ、この人は、どんな時でもズボラなんだろうなぁ・・・」って思うもの。 実際に、そうでしょ? そんな安い自己主張によって相手に伝わるのは、主張の中身ではなく、その人の「安さ」の方なんですね。だから、結果的に相手にされなくなってしまう。しかし、そうなってしまっても、中身の不在ではなく表現の能力の問題と考えてしまう・・・ そうして、「どうやったら相手を怒らせないでやり取りができるようになるんだろうか?」と悩むことになる。 しかし、相手に伝えたいやわかってほしいことがないがゆえに、表現の方法もズボラになっているわけで、表現の方法だけを見直しても意味ないわけ。 しかし、やっぱり、WHATのなさを見直さずに、HOWだけを考える。 そして、形だけは整えた文章を、周囲に撒き散らす。 そんな光景は、実に頻繁に見られる事例でしょ? 何も難しいことを言っているわけではないんですよ。 まずは、相手に伝えたいこと(=WHAT)を自覚する。 次に、わかってほしい相手を選定する。 そして、その相手に合わせて、表現を練る。 そして、相手に説明し、その相手からの質問には答える。 そんな流れが必要だと申し上げているだけです。 そして、ダメダメ家庭の人間は、最初の段階のwhatでコケているわけ。 だから、後でいくらがんばってもうまく行くわけがない。 ボタンの掛け違いを直す基本は、最初のボタンを丁寧に結ぶこと。 人とのやり取りにおいても、まったく同じなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 元ビートルズのポール・マッカトニーさんの離婚騒動が報道されていましたよね? あの元夫人の言動なり行動スタイルを見て、「おお!」と思った購読者さんも多いのでは? 彼女は、何も、お金目当てではないでしょう。 ただ、何事も「加害者vs被害者」の構図でしか物事を見ることができない。そして「自分が一番かわいそうな被害者」と認定しているから、他者に何をやってもいいと思っている。そして「自分は被害者である」と確認したいがゆえに、まさにお金を求めるわけ。 彼女は、確か地雷廃絶運動の運動家で・・・その面でもお約束。 ポールさんも、このメールマガジンを読んでおけば、あんなトラブルに巻き込まれないで済んだのに・・・ それこそ、似たような例として、捕鯨反対の過激な運動家と結婚したらどうなるのか? ちょっと考えればわかるでしょ? 主義主張はともかく、その主張の仕方で、ダメダメって見えてくるものなんですよ。 |
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R.10/11/14 |