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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 08年4月23日 (11年2月12日 記述を追加)
タイトル 大山鳴動
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い。
その被害者意識が充満して、常に沸騰寸前の状態となっている。
だから、何かちょっとしたことがあると、大爆発となってしまう。

大爆発して、大騒ぎするのはいいとして、当事者意識がないものだから普段から何も考えていない。自分が達成したいもの・・・それ自体もない。あるいは、普段から自分で判断する習性がない。だから「で、結局は、どうしたらアナタは納得するの?」なんて聞かれても何も答えられない。
だから大騒ぎしても、解決策なり着地点がない。ただ、騒ぐだけで終わってしまう。
そして不都合な事態が「見えなくなれば」それでいい。根本的な解決は考えない。表面的に見えなくなればそれでOKなんですね。
解決における着地点が想定できていないがゆえに、つまり自分で自分が分ってしないがゆえに、なおのこと大騒ぎをすることになる。
解決の着地点に到達するという発想がないので、むしろ、大騒ぎをして我を忘れるという対応になってしまう。騒ぐことそれ自体が目的化されてしまうわけです。

それこそ、そのような事例の代表的な事例は、以前に起こった芸能人の島田紳助氏の暴行事件での「被害者」の女性です。
あの女性も・・・大騒ぎしましたが、結局はどうなったの?
まあ、着地点が自分でも想定できていないことは、騒いでいた当時から歴然としていましたよね?

まさにクレーマーそのもののように大騒ぎをして、「アンタのせいで!アンタのせいで!」と絶叫して・・・絶叫して・・・いつのまにか、オシマイとなる。
あの女性も、殴られたから評価を下げたのではなく、殴られた後での対応で評価を下げたわけでしょ?あんな女性と一緒に何かをやりたいと思う、マトモな人はいませんよ。

しかし、被害者意識が充満しているダメダメ人間は、まさにちょっとしたことで大爆発してしまう。そしてその騒ぎそのものが、自分の被害者意識にとっては心地いいものになる。
「どうしてこんなことに?!」
「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
だから、
「みんな!このワタシに構ってよ!」

周囲から被害者として認定されて、構ってもらうことが目的なんだから、構ってもらうと、あるいは同情されると、そのうちに沈静化してしまう。
騒ぎが、いつのまにか沈静化してしまうと、その人を助けようとした周囲の人間にしてみれば、怪訝な思いになってしまうもの。
「オイオイ!あれだけ大騒ぎしていたのは、いったい何だったんだ?」
「結局は、アイツは何を騒いでいたの?」
「関わったオレたちって、まるでピエロだよ!」

騒いだ当人としては、当事者意識がないので、「構ってもらう」ことと「協力を受ける」の区別が付かない。
協力の意図を持って、その案件に関わった周囲の人としては、協力の成果が何もない段階で当人が沈静化してしまうと、非常な虚無感となってしまう。
しかし、騒いだ当人としては、「構ってもらった」時点で、それで十分な成果となっている。
かまってもらったということは、被害者として認めれもらったということにつながり、それは被害者という立ち位置をアイデンティティとするダメダメ家庭の人間にしてみれば、ある種の達成感を得ることにつながる。
騒いだ当人としては。大騒ぎをすると、被害者認定を勝ち取り、周囲から構ってもらえるという成功体験を味わったので、その後もその手法を繰り返すようになってくる。
別のところでも、「ワタシは被害を受けた!」と大騒ぎをして、「ねえ!ねえ!ワタシに構ってよ!」「ワタシはこんなにかわいそうなのよ!」とやることになる。

周囲の人は、具体的な着地点も何もないままでいつのまにか沈静化した前回のクレーム騒動に懲りてしまって、次回はおいそれとは構わない。となると、ダメダメな人は、爆発の規模を巨大化することによって、「以前より大きな被害」を受けたと主張するようになる。「前よりも、もっともっとタイヘンな状況なのよ!」「だから・・・もっともっとワタシに構ってよ!」
これは何も個人レヴェルのクレーマーの行動だけでなく、それこそ国としての韓国なり北朝鮮の物言いなんてその典型でしょ?

あるいは、対面でのやり取りばかりではなく、メールでのやり取りにおいても、同じような流れになってしまう。
その手の人は、メールで相談する際にも、被害感情を大仰にアピールすることには余念がないけど、5W1Hを踏まえた客観的で具体的な説明をして来ない。逆に言うと、その相談の文言から、『ああ!この人は、最後の成果をまとまることもなく、いつのまにかトンズラしてしまうだろうなぁ・・・』と予想できることになる。
成果を出すために、相談を持ちかけているのだったら、文章の上手い下手はあっても、できるだけ具体的な記述をするでしょ?

そんな人に限って、「あの人に相談してもダメだった。」「別の人に相談してもダメだった。」とアピールもしてくる。
しかし、逆に言うと、成果の上がりそうな人を当人なりに探した上で、その人に対して現状や自分の考えを丁寧に伝えた形での相談をしていないということなんですね。
まさに「てきとう」に言葉をばらまいて、「助けて!困っているのよ!何とかしてよ!」と訴えて、「ああ!かわいそうなワタシ!」と悦に浸っているだけ。

本来は、「たとえ山を動かすような完全な被害があっても、着地点がないと何も意味はない。」もの。しかし、「被害者さん」は、判断から逃避しているので、そんな人とやり取りをしても、「結局は、この人は、何をしたいのか?」が、サッパリわからないから具体的な協力のしようがない。だから、その人にトラブルが積み重なると同時に、周囲の人の視線の厳しさも積み重なってしまう。

しかし、騒ぐことにより、一応は同情は得られ、被害者として認定されることも多いので、何となく自分で勝手に納得して、いつの間にか沈静化してしまう。終了と言っても、事態の解決ではなく、あくまで沈静化しただけ。とりあえず、「見ないで済む」状態になっただけ。
山が大きく鳴動して、明確な解決もないままなのに、な〜んとなくそれで終わってしまう。
そして、そんな大山鳴動を繰り返すことになる。そして、周囲の怪訝な雰囲気が積み重なっていく。

ダメダメ人間は、達成したい目標を持っているわけではないので、目標実現のための事態を解決する必要はない。むしろ、周囲から「かわいそうな被害者」として認められることが目的となっている。だから、やり取りにおいて合意に到達する必要はない。ただ、な〜んとなくの同情が得られればいい。
だからこそ、具体的で客観的なやり取りではなく、大仰で感情的なやり取りでも十分となる。
そんなやり取りばかりをしているので、逆に言うと、周囲の人も、ムダな突っ込みをせず、遠くから眺めるだけになってしまう。
思慮のある人は距離をとるので、トラブル発生自体は少なくなるわけですが、思慮の浅い人は、警戒心もなく近づいて行って、結局はトラブルになり、また大騒ぎ。
そして、やっぱり騒ぐだけ騒いで、具体的な着地点もなく、いつのまにか沈静化となってしまう。

皆さんも、「そういえば、大騒ぎしたあの事件・・・結局は、どうなったのかな?な〜んとなく、いつのまにか聞かなくなってしまったなぁ・・・」と思うような事件をご存知なのでは?実際に見聞きした事例もあるのでは?
テレビなどで報道されるような大きな事件だけでなく、ご近所のその手のお人の騒動はいつもそんな感じでしょ?
大騒ぎしたあげくに、な〜んとなく沈静化して、いつのまにか治まっているって、当人の評価を一番下げるものでしょ?
しかし、ダメダメ家庭の周囲では、そんな光景もポピュラーなんですよ。

(終了)
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発信後記

昨日に、例の山口県での母子殺害事件の裁判がありました。
弁護側の主張を荒唐無稽と思われた方も多いようですが、ダメダメ家庭の心理を理解していると、程度問題は別にして、「ありがち」な感情と言えます。
この弁護側の主張については、そのうちにまとめて考えてみようかな?と考えているところです。

何も裁判の判決の妥当性を議論するつもりはありません。あのような事件を、できるかぎり減らすにはどうすればいいのか?その点を考えることが一番重要でしょ?
そのためには、ダメダメ家庭で育つとどのように行動し、考えるようになるのか?
それに対する知見を持つことが必要なんですね。
この点は、以前に取り上げたトルーマン・カポーティの作品である「冷血」でも、作者のカポーティは、そんな問題意識でした。そもそも扱っている事件も実に似ているし。
というか、今回の山口県での事件を考えるに当たって、カポーティの作品を例示しながら考えた人っていたのかな?弁護士も、そんな視点を提示できれば、もっと説得力もあったのでしょうが・・・弁護士さんも法律しか知らない人なのかな?俗に言う専門なんとかなのかな?

ダメダメ家庭というものは悲しいことにポピュラーな存在であり、程度問題は別にして、あのような発想をする人は、多くいるわけですから、その人が、実際に犯罪を起こさないように、そして、そのような人による犯罪に巻き込まれないようにするためには、どうすればいいのか?
それって、日頃から目配りをしていないと、危ないものなんですよ。
目配りと言っても、周囲に対してだけでなく、自分自身に対しても必要になってくるわけ。
自分の親のダメダメさをしっかり認識すること・・・ダメダメ家庭出身の多くの人が、その自覚から逃避してしまって、結局は事件を起こす。

あの山口県の事件でも、騒いだだけで終わってしまったのなら、犠牲者も浮かばれないでしょ?
R.11/2/12