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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神
配信日 08年5月5日
タイトル 良心
今回は、誰もが知っている言葉である「良心」という言葉を取り上げましょう。ありふれた言葉である「良心」ですが、世の中にはその「良心」なんてものを、全く持っていない人もいるそうです。なんでも23人に一人の割合で存在するとか・・・こうなると、学校のクラスにおいて確実に一人は存在するレヴェルですね。

「良心」というのは、「両親」と密接に関係してきます。
何もダジャレを言っているわけではなくて、現実にそんなものでしょ?

度々引用しています、精神分析学のフロイトによれば、親の価値観を子供が無意識的に取り入れ、その無意識的に取り入れられた親の価値観が、子供の良心の元になるんだとか・・・
それをフロイトは「超自我」と名付けました。
何回も書いていますが、私の理解は自己流の理解ですので、ご興味がありましたら、ご自分でお調べくださいね。

しかし、親の価値観と子供の良心が密接に関係しているなんて、フロイト大先生が言うまでもなく、現実に見られること。子供のトラブルに接して言われる「ホント、親の顔を見てみたいものだわ!」,「あの親にして、この子ありって、ホントね!」なんて言葉もポピュラーですよね?

じゃあ、ダメダメ家庭ではその親の価値観は、どんなものなの?
どんな価値観が子供に取り入れられてしまうの?
そもそも、親に立派な価値観なり、親自身の良心があったりするの?
そんな大層なものがあったら、ダメダメ家庭なんて作りませんよね?

ダメダメな親が持っているのは被害者意識だけ。
だから、その親の被害者意識が、子供に「無意識的」に受け継がれるわけ。
「オレたちはかわいそうな被害者なんだ!」→「だから、他の人間には何をやってもいいんだ!」
「周囲の人間はオレたちより恵まれている。」→「だから、周囲には迷惑を掛けてもいいんだ!」
ダメダメ人間の価値観?なんてこんなものでしょ?
典型的に見られるのが、韓国人の発想や行動であることは言うまでもないことですよね?
被害者を自認しているんだから、向上心もない。だから、会話の能力も低い。

会話の能力が低いので、自分の意向が伝わらなくて、思い通りにいかず、ますます被害者意識が強くなる。だから、ますます「オレたちは、他の人間には何をやってもいいんだ!」となる。
まあ、本当に立派な良心だこと!!

ダメダメ家庭出身の子供は、そんな環境で育たざるを得ないわけ。だって、子供は親を選べませんからね。

そんなダメダメ家庭出身の人間は、まさに無意識的に取り入れた「親の被害者意識」に基づいて考えることになってしまう。
たとえ、「自分の実家はダメダメ家庭だ!」と言葉の上では自覚しても、親譲りの被害者意識は強く持っていたりするわけ。

そんな人は、「ワタシは親からの被害者なのよ!」→「親からの被害者だから、一番かわいそうな人間なのよ!」→「だから、他の人間には何をやってもいいんだ!」なんて考えたりする。
結局は、発想はダメダメな親とまったく変わっていない。
そんな人に限って、「ワタシは親を反面教師にしている!」なんて豪語するから困りモノ。

親を反面教師にしているから、ある意味、親以上に、無茶なことをしたりしてしまう。だって、親がしなかったことをすることは、本人にしてみれば「親を否定した」ことであり、「その人なりの良心」に沿ったことになってしまうわけ。
ということで、その人の親以上に、良心とは無縁な存在になってしまう。

何もギャグを書いているわけではありませんよ。
私は現実にそんな人を何人も知っていますからね。
このようなことは、以前にも、公衆道徳とか、様々な言葉で取り上げて来ました。

親が持っていたもの、持っていなかったもの・・・それを、個別に具体的に自覚するしかないわけです。と同時に、「いったい自分は何をしたいのか?」その自覚が先でしょ?何回も書いておりますが、反面教師などとよく言っている人は、ダメダメな自分の親以上に、ダメダメのケースが多いんですね。反面教師は、「自分が軽蔑している人がした行動をしない。」ということだから、二重否定的な言葉であり、つまり肯定とは二重に違っているわけです。
つまり、「ワタシは○○さんを、人生の師と定めました。」というシンプルな物言いを二重にできないということなんですね。

ダメダメ家庭出身者には、ダメダメな親の深層心理をそのまま取り込んで、そして更なるグレードアップを遂げていたりする人がいたりするもの。反面教師というものは、言葉の上では、ダメダメな人間を否定していると言えますが、現実では、ダメな親のダメダメな面を否定しているというより、ダメな親がかろうじて持っていたマトモな部分を否定して、さらなるダメダメに進化し、そして、その『進化』を良心などと主張していたりするもの。
ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、意外にもポピュラーな事例なんですよ。

良心なんて誰でも持っていて当然と思っている人も多いでしょうが、実際に、皆様も、「トラブルばかり起こすあの人は・・・もしかすると良心がないのかも?」
そんな感じで思ったことはありませんか?
そんな「良心」と無縁な人は、少なからず存在するもの。

そんな人に対して「あの人を助けてあげよう!」とヘタに近づいて行ったり、サポートしようとしても、被害者意識が強い人は、そのサポートを被害と捉え、復讐しようとしたりするもの。
良心がない人は、助けようがない・・・助けようがないどころか危険な存在。
残念ながら、それが現実なんですよ。

このメールマガジンで頻繁に書いていますが、そんな人からは離れるしかないわけ。
と同時に、「自分自身が、もしかすると良心と無縁な存在では?」と自問自答する人もあるかもしれません。最初に書きましたが、「良心」は「両親」から得られるもの。
当人が、自分の努力で得られるものではないわけ。

そんな自分自身を自覚したら、残念ながら、「良心」とは別のものを身に付ける必要があるわけです。以前に言及いたしましたが、哲学者のニーツェは、「誠実さ」とか「尊厳」のようなことを言いました。
「誠実さ」とか「尊厳」だったら、当人の自覚によって、身に付けることもできるでしょ?
そのためにも、とにもかくにも、自分自身の自覚が最初に必要になるわけです。

と言っても、それが実に難しいことであることは、言うまでもないこと。結局は他者を犯人認定して、復讐に明け暮れたり、「アナタは悪くないわっ!」と甘言を弄するボランティアを侍らせていい気になっている・・・
だから、尊厳から遠くなるばかり。

皆様だって、そんな人をご存知なのでは?

(終了)
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発信後記

本文中でフロイトとかニーツェとかの言葉を引用しておりますが、これはあくまで自己流の理解ですので、ご興味がありましたら、購読者ご自身でお調べくださいね。

ただ、いわゆる学者さんの「解説」が、「正しい」のか?というと、そうとも言えない。
その種の「解説書」を読んだりすると、失笑するような記述が結構あったりします。

文章などの本当の理解のためには、問題意識の共有が不可欠であって、単に字面の論理を読んだだけでは、文章の意図を誤解してしまうもの。問題意識の共有って、それこそ字面だけでは簡単ですが、まさに苦悩を共有することになるわけですので、精神的に大変な負担なんですよ。

「ああ、この人は、こんな点に苦悩していたんだなぁ・・・」と思えることが、理解の第一歩なんですね。
ということで、皆様としては、無理に理解する必要はありませんよ。皆様がマスターする必要があるのは、いわば距離のとり方の方法論です。
そのためには、まずは自分自身との距離についての方法論が最初であって、そして一番重要なんですよ。そして、それが一番難しいことなんですが。
R.10/12/11