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カテゴリー ダメダメ家庭の対抗心
配信日 08年5月14日 (11年2月16日 記述を追加)
タイトル 反論が反論を呼ぶ
備考 反論は意味的に否定形。そして更なる反論なので、状況的に二重否定となります。
ダメダメ人間は自分自身から逃避している。
そもそも当事者意識がないので、自分で何か達成したいものもない。だから、人とやり取りしていても、相手に伝えたいものなり、分かってほしいことがない。
ダメダメ人間が、誰かに語るものと言えば、自分が被った被害の話だけ。

そんな人間は、当然のこととして会話の能力が身につかない。
そもそも達成したいものがあるわけではないので、会話によって、相手から合意をとり、事態を改善していく必要もない。ダメダメな人間は、まさに「人に合わせて」「ふ・つ・う」に徹している。

とは言え、ダメダメ人間には強い被害者意識がある。ちょっとのことで、その被害者意識が刺激され、大騒ぎすることになる。
かと言って、当事者意識がないんだから、解決点と言うか着地点を自分で判断することはできない。結局は、騒ぐだけ騒いで、結果として何も残らない。
このようなことは、以前に「大山鳴動」というお題で配信しております。

被害者意識が強いダメダメ人間は、騒ぐことそれ自体が目的化されている。
騒ぐことそれ自体が、「自分が被害者だ。」と自分に確認する儀式となっている。
だからこそ、自分に被害を与えている・・・と見なせるものを積極的に探そうとすることになる。
このことについても、以前に「故意のあら探し」というお題で配信しております。
加害者が設定できれば、自分を被害者として設定できるでしょ?
だからこそ、あら探しや犯人探しばかりをしているわけです。

ダメダメ人間は、相手の話によって、自らの被害者意識を刺激され、相手に反論することはあっても、自分自身からは何かを主張することはない。だって、当事者意識がないんだから、主張したい自分の考えそのものを持っていない。だから、率先して主張しようがない。
だからこそ、やり取りの相手が、何がしかの見解を出してくることを、「内心では」心待ちにしている。
そうして、誰かが出してきた見解に対して、「あら探し」をして、反論する。

しかし、その反論と言っても、内容的には大したものではない。日頃からものを考えることから逃避している人間の反論と言っても、稚拙なものですよ。論理展開の面でも、その根拠となる実例の提示においても、話にならないレヴェルといえる。相手の考えを踏まえた上での反論ではなく、単に揚げ足取りの上での反論なんですからね。
説得力に欠けた稚拙な反論を、大仰に感情を込めて、被害者意識を持って語るだけ。まるで、ピョンヤン放送そのまま。

じゃあ、その反論の稚拙さを指摘したらどうなるの?
お約束の逆上状態になるの?
もちろん、そんなパターンになるケースも多くあります。しかし、意外にも、喜ばれることもあるんですよ。
喜ばれるといっても、喜色満面の表情で、「アナタ!うれしいことを言ってくれるじゃないの!」と喜ばれるのではありません。顔を真っ赤にして、「まあ!なんてヒドイことを言うのよ!」と「喜ばれる」ことになる。別の言い方をすると、逆上状態でありながら、内心では喜んでいる状態。
そんなことを書くと、「なんじゃ、そりゃ?」
そのように疑問を持たれる方も多いでしょう?

会話の能力がなく、あるいは、相手に伝えたいことそれ自体が存在しないダメダメ人間は、相手の見解に反論することしか能がなく、「反論vs反論」というやり取りなら、対応できることになる。
相手の見解が提示される→それに反論する→その反論に反論がある→更にそれに反論する・・・
そんな無限ループのようなやり取りだったら、率先して主張するものがなく、合意形成を達成するために必要となる説明能力もなく、相手の見解に反論しかできない人間にも、十分に対応可能でしょ?
ダメダメ人間は、目先のものに対して対抗するけど、自分自身の主張はない。だから、直近の細部に対しては反論が可能。その反論も近視眼的で感情的。結局は罵倒合戦になるだけ。しかし、ダメダメ人間ができるやり取りは唯一そのパターンのみ。

ダメダメ人間が困惑する言葉は、むしろコッチ。
『で、アンタ・・・結局は、どうしたいの?何が言いたいの?』
そのような指摘に対しては、「どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!」と顔を真っ赤に逆上するしかない。「どうして、そんなことを言うのよ?!」という反応は、形の上では食いつきはいいわけですが、やり取りは進まないでしょ?つまり、そんな反応は、相手からの言葉を内容的には無視し、心理の面では否定しているわけです。
しかし、お互いが、相手の揚げ足取りをするだけ・・・のやり取りだったら、ダメダメ人間にも可能となる。つまり、心理的には肯定している。だからこそ、ダメダメ人間は、そんな「反論vs反論」というスタイルに持ち込もうとする。

反論がスパイラル状に積み重なると、お互いが何をやっているのか、何を議論しているのかが分らなくなる。揚げ足取りや罵倒の積み重ねがあるだけ。
しかし、そんな不毛のやり取りだからこそ、自己逃避のダメダメ人間にしてみればうれしいことになる。
「ああ!ワタシも構ってもらった!」
「ああ!なんと意義深いディベートだったんだろう!」
そして、「ワタシはアイツを論破してやったぞ!」と、後になってニンマリし、その成果を周囲に語ることになる。

自己逃避のダメダメ人間とやり取りすると、何もバトルのような場面でなくても、相手から反論されること待ち望む表現があったりするものなんですよ。
それこそ、
「あ〜あ、夫はヒドイ人だ!離婚したいなぁ・・・」
そんな物言いをして、
『じゃあ、離婚したら?』
なんて返事が返ってきたら、「待ってました!」となる。
そうして「子供がいるから離婚できないわ!」と高らかに宣言する。

そのやり取りの極意は、結局は「ワタシに構って」でしょ?
本気に離婚したいなら、あるいは、事態を改善するつもりがあるのなら、最初からきっちり現状を伝えますよ。
そんな人の言葉は、「この部分に突っ込んでくれよ!」「ここの部分だったら、誰でも突っ込めるだろ。」と、いかにも言いたげな、ウィークポイントを全面に押し出した表現になっているわけです。それこそ、その手の人は、相手の話を無理な曲解をして、いわば挑発するような物言いをしたりする。そして、相手の側から『それは、アンタの誤解ですよ!』という言葉を引き出そうとする。そんな物言いを受けると「オマエは表現がヘタだから、ワタシが誤解してしまうんだ!」と言い放てるでしょ?そんな罵倒を受けると、さらなる罵倒をする人も多い。そうやって、やり取りそのものを楽しもうとするわけです。

あるいは、この手の人は、「ミエミエのウソを平気で言ったりする」もの。そのウソに反論されなかったら、そんなミエミエのウソによる言い分も、形の上では通ってしまうことになる。だから、その状況を無事に切り抜けられることができるだけでなく、さらに無理な物言いをすることもできる。そればかりではありません。自分のウソに反論されると、つまり自分のミエミエのウソに突っ込まれると、やっぱり、感情的な罵倒合戦になってしまい、それが嬉しいんですね。
購読者さんの中には信じられない人も多いでしょうが、ミエミエのウソによって、「楽しい」やり取りが始まることになる。
よって、ミエミエのウソを言うと、どのように転んでも、「悪くない」ことになる。
だから、「反論vs反論」愛好者には、ミエミエのウソを言う人が多いものなんですよ。逆に言うと、ミエミエのウソを平気で言う人は、スグに「反論vs反論」の揚げ足取りをしたがる人と言えます。

まあ、ほとんどの人は、心ならずも結果的に、ダメダメ人間に構うことになってしまう。
この私のような人間なら、「子供がいるから離婚できない。」と言われても、『じゃあ、日頃からそんなグチグチ言っているアナタは、子供にとっていい母親なの?』と畳み掛けてしまう。
となると、やっぱり逆上されてしまうことに。

何回も書いていますが、ダメダメ人間にしてみれば、「反論vs反論」というスタイルのやり取りだとなじみやすい。このようなことは、顔を合わせてのやり取りばかりではなく、それこそインターネットの掲示板などでも、頻繁に見られるものでしょ?
そのような場所では「反論vs反論」と言うか、あら探しの応酬のやり取りが結構多いでしょ?
ダメダメ人間は、当事者意識がないんだから、達成したいものがないかく、相手から合意をとる必要がない。「反論vs反論」のやり取りをいくら積み重ねても合意には至らないでしょ?逆に言うと、「反論vs反論」のやり取りであれば、自身の合意形成能力なり、合意をとるための意欲の欠如について目を向けなくてもいい。それはダメダメ人間にしてみればラクになる。

ダメダメ人間は「反論vs反論」という形に持ち込みたがる。
そんなやり取りをしても、結果として、心が荒むだけ。
じゃあ、どうすればいいの?

そのような状況が予想できるようなら、相手の言葉にいちいち反論しない方がいいんですね。たとえ相手の主張が粗雑で、論理的に破綻していて、例示も不適切で、表現的に練られていないものでも、あるいは、ウソばかりでも、そんな細部のマターは無視した方がいい。
自分の考えを、丁寧に伝える。相手の言葉には頓着しない。
つまり、丁寧で客観的な説明をすればいいだけなんですね。そして、その説明を繰り返せばいいだけ。はっきり言ってしまうと、相手の話などは聞く必要はありません。
どうせ、ダメダメな人は、自身の被害を感情的に言っているだけなんですからね。
相手に対して分かってほしいことが自分でも分かっていない人の話などは聞く必要もありませんよ。聞くだけ心が荒むだけ。
相手が分かってほしいことを自覚した上で話をしている状態だったら、表現はヘタでも、それなりの内容を持っていますよ。そのレヴェルに到達したものだけを聞けばいいだけ。

だから相手が何を言おうと、自分なりの考えを伝えることに徹する。逆説的になりますが、反論したくなるような物言いをする人に対しては、反論してはダメなんですね。
「反論vs反論」というか、細部の揚げ足とりしか能がない人間にしてみると、相手が自分の側の細部を突いてこないと、逆に対応できなくなってしまう。
そうすると、反論しかできないダメダメ人間は、いつの間にかいなくなってしまうものなんですよ。

実は、このような対応は、クレーマーに対する対応とまったく同じです。
クレーマーも「反論vs反論」のやり取りをしたがるもの。
相手の物言いに対して、あら探しをして、感情的に被害を語るだけ。
逆に言うと、そんなクレーマーに対しては、その人が語る被害主張に反論してはダメなんですね。クレーマー側の被害主張に反論すると、まさに「反論vs反論」のやり取りになってしまう。

クレーマーとのやり取りにおいては、クレーマー側からの被害主張は聞き流せばいいだけ。
そして、当方の考えを、丁寧に、落ち着いて伝えればいいだけ。
こちら側の発言に対し、クレーマー側が食いついても、それに反論せず、相変わらず、こちら側の考えを丁寧に落ち着いて伝えれば、新たな反論のネタがなくなってしまうので、クレーマーもネタがなくなってしまうわけです。
逆に言うと、「反論vs反論」にフィットした物言いをしてくる人は、まさにクレーマー予備軍なんですね。「ここで突っ込んでくれよ。」なんて粗雑な表現を前面に押し出してくる人がいたら、期待に応えて突っ込んでしまったら、「飛んで火にいる夏の虫」になってしまうだけ。むしろ、その段階で、早めに避けるのがベストなんですよ。

そもそも、お互いが熱くなって反論を戦わせていて、合意形成からは遠くなってしまっている状態って、周囲から見ると「あいつら・・・バッカじゃねーの?」と思うものでしょ?
しかし、ダメダメ人間はそんなやり取りしかできない。
だからこそ、そのスタイルに持ち込もうとする。
自分の尊厳を守るためには、それに巻き込まれないように注意する。そんな必要もあるんですよ。

(終了)
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発信後記

最近では、大きな自然災害が多発しています。
先日も中国で地震がありましたし、そのちょっと前にはミャンマー(旧ビルマ)で、サイクロンが大きな被害をもたらしました。
ミャンマーの政府は、国民を保護する発想が全くなく・・・
サイクロンが来るのがわかっていたのに、事前の準備もせず、事後での対策も「て・き・と・う」。
まあ、彼らが考えていることは、このドサクサにまぎれて、反対派を排除することでしょうね。今だったら、殺してもバレませんからね。絶好のチャンスですよ。

周囲として、そんな政府を持つ一般国民をどのようにサポートするのか?
それは簡単ではないでしょ?

人的な援助を受け入れるように説得する・・・
なんて美辞麗句が通用する相手ではないんだから、結局は力によるサポートしかないでしょ?

ダメダメ家庭の問題も、まさにそんなパターンなんですよ。
何事も被害と捉えるダメダメ人間は、人的なサポートの申し出も被害と捉えてしまって警戒する。それこそ、自分たちが染め上げた人間が、外の世界の人間と触れ合うのが怖いわけ。一緒になって対抗心を燃やし、グチで共鳴する間柄にしておきたい。

まあ、ミャンマーの人はお気の毒ですが、あのような状態になると助けようがない。しかし規模の問題は別として、あのような事態は、日本でも発生しているもの。
そんなダメダメ家庭が周囲にあったら、どうするのか?
自分がその一員なら、どうするのか?
あるいは、あのようなダメダメにならないためには、どうするのか?

とてもじゃないけど、キレイごとで解決できるものではないわけ。

そんな問題意識を持って、そのミャンマーの問題を見ていただきたく思いますし、このメールマガジンの文章も、そんな問題意識をもってお読みいただければ、より理解しやすいと思います。
R.11/2/16