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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 08年5月21日
タイトル 〜方も悪い
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
自分で達成したいものがあるわけではないし、当然のこととして、その達成のために努力するわけもない。
だから、日々「だらぁ〜」と「何となく」で生きている。
だからこそ上手く行くわけもなく、結局はトラブルになる。
当事者意識がない人間なので、当人が主体的に判断したり、選択してきているわけではない。そんな当人としては、トラブルになっても、「自分は間違った判断はしていない。」と考えることになる。だから、「ボクは悪くないっ!」と周囲に主張することになる。
何かを達成するという加点法で考えるのではなく、「ミスしたらダメ!」という減点法で生きている。
発想が常に後ろ向きなんですね。

「ボクは悪くない。」はいいとして、「自身としては今後はどうするのか?」
そのような前向きな発想にはならない。
そんな人は、『アンタ自身はどうしたいの?』聞かれると、「どうして、そんなイヤなことを聞くのよ!キーっ!」と逆上するだけ。

と、「いつもの」オープニングですが・・・
常に「ボクは悪くない!」なんて言っているわけだから、トラブルがあった時に真っ先に考えるのは「どっちが悪いのか?」ということ。
この「どっちが悪いのか?」という言葉については、以前に取り上げ、文章を配信しております。

ダメダメな人間は、トラブルが発生すると、「どっちが悪いのか?」と犯人探しをして、結局は他者を犯人認定して、「ボクは悪くない!」と連呼するようになるわけ。「ボクは悪くない!」という自己弁護パターンばかりではなく、「アナタは悪くないわ!」と他人弁護をする・・・そんなケースも実にポピュラーです。それこそこのメールマガジンで頻繁に言及しておりますボランティアの連中なんて、その典型でしょ?
かと言って、そんな弁護によって事態が改善したの?

ちょっと前のことですが、まさに典型的と言える事例がありました。
沖縄県で女子中学生がアメリカ兵にレイプされるという事件がありました。
その事件を受けて、「アメリカ兵についていく側も悪い。」との見解があったそうで、それに対抗して「女子中学生は悪くない!」なる主張も出てきたそうです。

私個人はその事件には特に注意しておりませんが、事件後のやり取りは興味深い。
そもそも、その女子中学生の「非」を、あげつらっても、どうしようもない。
現実に事件が起こってしまっているわけですから、もっとも重要なことは、そのような事件が二度と起こらないようにすることでしょ?
だから、「どっちが悪いのか?」あるいは「その女子中学生にも非がある。」などと言うよりも、「アメリカ兵にはついていかないようにしましょう。」でいいじゃないの?

それこそ、「その女子中学生は何も悪くないんだ!」と認定されたとしても、「悪くないんだから」ということで、またアメリカ兵について行ってもいいの?
そうしてまた事件が起こって、また「その子は悪くない!」「全部アメリカ兵が悪いんだ!」と認定するの?
それは不毛でしょ?

その女子中学生の行動の倫理的な是非云々よりも、プラグマティックな観点から見て不適切であると説明できればいいわけでしょ?それぞれの状況判断力を向上させるしかないじゃないの?
そうして、そのことをどうやって説明して啓蒙していくのか?
そんな現実論の方が重要でしょ?

しかし、ダメダメ人間は、現実的に物事を考えるのではなく、倫理的な視点が前面に出てくることが多い。それは、物事を倫理的に見ているという以上に、プラグマティックな視点で事態を見ることからの逃避と見た方が理解しやすいわけです。自分とは無関係な倫理という外部的な体系を持ち出すことによって、自己逃避するわけです。そして、その倫理的な視点を持ち出す際にも、自分で考えないようにするために、権威主義的な倫理を問答無用で連呼するだけ。
だから「どっちが悪いのか?」「あっちも悪い!」で議論になるばかり。

何でも、大手の新聞社同士で、この事件をめぐって、そんな「どっちが悪いのか?」でバトルになったそうですが・・・
よく「目くそ鼻くそをわらう。」なる言葉がありますが、そんな目くそと鼻くその頂上決戦は、別のところでやってほしいものですよ。
しかし、「どっちが悪いのか?」ということしか考えられない人間は、逆に言うと、そんなトラブルが多発しているシチュエーションに惹かれてしまうわけ。そうして実際に事件が発生すると、「アイツが悪い!」「コイツも悪い!」と大喜びで何かを犯人認定することになる。

このようなことは、それこそ、先日(08年)に起こった京都での女子高校生での殺人事件でも、構図はまったく同じでしょ?深夜に出歩くことの倫理的な問題を云々するよりも、プラグマティックな観点から「深夜に出歩いたら、自分にとって損だ。」と理解させればいいだけ。
倫理の問題を持ち出すから、逆に言うと、この手の問題が、また発生することになる。

同じようなことは、このメールマガジンで何回も触れております家庭内暴力(いわゆるDV)においても顕著でしょ?
暴力を振るわれる女性に対して「悪くない!」と同情するよりも、「あんな暴力オトコとは付き合わないほうがいいよ!」と言ってあげた方が親切というものでは?

しかし、暴力を振るわれて、「アナタは悪くない!」と認定されてしまうので、「ワタシは悪くないんだから・・・」と、そのままの状態を温存したり、一時的に解決しても、また同じような暴力オトコと一緒になってしまう。
そうなると、また別の誰かが「アナタは悪くない!」と同情することに。

何も「そんな暴力オトコと一緒になる女性も悪い。」と言うことではなくて、「そんな暴力オトコとは付き合わないほうがいい。」で済む話でしょ?
「どっちが悪いのか?」なんて言い出しているから、そんな修羅場を繰り返すことになる。
逆に言うと、そんなトラブルが繰り返されていると、「どっちが悪いのか?」という視点からしか事態を見ることができないダメダメ人間には都合がいいわけ。だから、そんなトラブル状況を温存させようとすることになる。

あるいは、子供が問題行動を起こして、その親であるダメダメ夫婦が議論になる。
「オマエがやっている子供の育て方が悪い!」『家庭を省みないアンタの方が悪い!』
そんな議論で、どんな結論が出るのかは別として、そんな議論をやっている状態では、そのような子供の問題行動は繰り返すばかり。

「どっちが悪いのか?」あるいは「〜の方も悪い」なんて言っている人間は、いつまで経ってもそんな物言いなんですね。そんな人は、スグに「ボクが悪いんじゃないんだ!」と主張するだけ。

それこそ中国の「毒ギョーザ」事件での中国の対応も、その典型でしょ?
まさに「ボクは悪くないんだ!」「日本にも悪いところがある!」・・・そんな主張でしたよね?
そんな主張を受けて、『じゃあ、中国製品は安心だ!』と思うマトモな人がどれだけいるの?
現実的には『中国製品は、買わない方がいい。』となりますよね?

家庭内暴力の問題もまったく同じなんですね。「悪くない」「〜の方も悪い。」と言っているうちは、双方ともマトモな人から避けられるだけ。それこそ「アナタは悪くないの?アナタとしては、そう言いたいのね?ああ、そうなの?まあ・・・アンタがそう言うのだったら、そうなんでしょうね。じゃあ、さよなら!」でオシマイですよ。

「ボクは悪くない!」とか「〜の方も悪い!」とか・・・
本人はそれなりに必死なんでしょうが、現実的な対応の際には、そんなダメダメは避けられてしまうことになる。

中国人があんなにわかりやすくダメダメの末路を見せてくれているんだから、日本人も参考にした方がいいんじゃないの?
皆さんは、中国が言う「悪いのはコッチじゃない!」との主張を受けて、逆に、中国製のギョーザを買わなくなったでしょ?だから、本来は誰でも、そんな判断はできるものなんですよ。
しかし、現実には、毒ギョーザ事件での中国の「悪いのはコッチじゃない!」の主張を受けて、中国ギョーザを買わなくなった人が、ドメスティック・ヴァイオレンスが発生すると、「悪いのはコッチじゃないわ!」と堂々と主張するもの。

「〜方も悪い」なんて言っているうちは、何も改善できないものなんですよ。
そんな人間と「どっちが悪いのか?」「アッチの方も悪い!」と議論していると、ダメダメに巻き込まれるだけ。
そんな議論に勝つのが賢者ではなくて、そんな議論に参加しないのが、本当の賢者というわけです。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンは、「まぐまぐ」と「メルマガ天国」の2つの発行元から配信しております。中身はどっちも同じです。
ちなみに、以前は「Macky!」なる配信元からも配信しておりました。
05年に「Macky!」が廃止されましたが、今年の7月いっぱいで、「メルマガ天国」も廃止になります。まあ、そんなご時勢なんでしょうね。

ということで、現在「メルマガ天国」でご購読されておられる方は、7月までに「まぐまぐ」での購読に変更いただきますようお願いいたします。
登録は、上記の登録&解除のアドレスで行うことができます。

発行元が「まぐまぐ」だけだと、危機管理上問題があるので、そのうちに別の発行元も設定しようかな?とも思っています。
どの発行元がいいのか?ご希望がありましたら、ご連絡くださいな。
R.10/12/11