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カテゴリー 相談という場におけるダメダメ家庭
配信日 08年5月28日  (10年5月10日,10年11月10日 記述を追加)
タイトル 軽々しい強い言葉
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
自分自身の問題を、自分で解決する意欲がそもそもない。トラブルを自分で解決する発想がないからこそ、トラブルが起こらないようにと考えることもない。だから、何も考えずに「て・き・と・う」に生きている。だからこそ、トラブルが多発することになる。

と言うことで、誰かに相談することに。

かと言って、根底では、自分自身の問題を自分で解決しようなんて思っていないわけですから、そんな相談の場においても、「困った!困った!」と感情的にグチっているだけ。

そうなると、相談を持ちかけられた方も、いい加減に、ウンザリしてくる。
「困った!困った!・・・って・・・この人は、いったい何に、どんな感じで、困っているのかな?」
「結局は、この人としては、どうしたいんだろう?」
相手にそんな表情が浮かび上がってくるのが見えてくると、相談を持ちかけた側は、焦り出す。
せっかく、相談という場を作って、「構ってもらっている」のに、投げ出されてしまったらどうしよう?

と言うことで、そんな人は、強い言葉を使うようになるものなんですね。
それこそ、
「絶対に!」とか、
「断固として!」とか・・・
そんな強い言葉が、軽々しく登場するわけ。

相談でのやり取りにおいても、「この問題から絶対に逃げません!」なんて威勢のいい言葉が登場してくる。
じゃあ、そんな強い調子の言葉を聞いた側は、『ああ!この人は本気なんだな!』『自分で、なんとかしようと思っているんだな!』と思うでしょうか?

しかし、そのようには「絶対に」思わないものなんですよ。
「絶対にこの問題から逃げない」意欲があるのなら、「絶対に」なんて強い言葉を使うのではなく、むしろ、具体的な各論が多く登場するものです。
あの日には・・・こんなことがあった。
あの人とは・・・こんなやり取りがあった。
あの場所では・・・このようなことがあった。
ワタシとして、まずはこの問題に取り掛かって、その後には、このことに取り組むつもりだ。
・・・そんなワタシの考えについて、アナタはどう思う?
そんな具体的な相談になるわけ。

「絶対に!」なんて勇ましい精神論的な言葉を持ち出さなくても、そんな具体的な各論の方が解決に導くものでしょ?
というか、『絶対に』その問題から逃げない気持ちを持っているのなら、そんな各論を事前に「詰めた」状態で相談の場に臨むことができるはずですよね?まあ、現実には、そんな詰めた状態にできているのなら、誰かに相談する必要もないとも言えます。いずれにせよ、具体的な各論によって問題に取り組まないと進めないでしょ?勇ましい精神論で何か解決するの?

何も詰めていない状態で相談を持ちかけ、相談相手から呆れられそうになると、そんな強い言葉で、自分の気持ちを示そうとする。まあ、そんな強い調子の言葉に引っかかる人も現実としてはいるでしょうが、この私はそんなバカじゃないし・・・

と言うことで、ますます呆れられてしまうと、ますます強い調子の言葉を持ち出してきたりするもの。
かと言って、強い調子の言葉が解決に役に立つのではなく、具体的な現状説明の方が役に立つわけでしょ?
事態が何も解決せず、むしろ、相談相手から呆れられただけになってしまうので、次には、もっともっと強い言葉を使うようになってしまうわけ。

人とのやり取りにおいて、強い言葉が必要以上に頻発する人って、逆に言うと、言葉が軽いわけ。自分で充分に考えた上での言葉ではないんですね。言葉の軽さを強い調子の言葉で補おうと、スパイラル的にドツボにはまってしまう。もう、こうなると、言葉に対する感覚が麻痺してしまう状態。

「絶対に逃げません!」なんて勇ましい言葉を言う人は、実は、スグに逃げちゃう人なんですよ。だって、「絶対に逃げません!」はいいとして、「今相談を持ちかけている相手の指摘から逃げない。」という意味とは限らないでしょ?自分に厳しいことを言われたら「まあ!あの人はワタシのことをわかってくれない人だから、今後は別の人に相談しよう!」となるわけ。これって、一応は「逃げている」ことにはならないでしょ?相談相手を「代える」だけなんですからね。

あるいは、この私が相談を受けて、相手の問題点を指摘したりすると、「指摘されたことについては、必ず後でお返事いたします。」との返事が、とりあえず、返ってきたりする。
まあ、普段気がつかなかったり、あるいは目を背けていたりする自分の問題点を相談相手から指摘されてしまったら、精神的なインパクトを受けるでしょう。
だから、時間をかけてじっくり考えて、相手に対して返事を出す・・・これは自然な流れ。

しかし、わざわざ「必ず返事を出します。」という形で、「必ず」なんて文言が入っている場合は、まあ、返事が来ないもの。
だって、返事を出す覚悟があり、あるいは、自分の不都合な案件についても返事を出すような習慣があれば、逆に言うと「必ず」という文言は必要はありませんよ。

「この件について絶対に返事を出す。」という「覚悟」を持っているのなら、それこそ「必ず」という抽象的な文言ではなく「2週間以内に」とかの具体的な文言にしますよ。
その期限以内に自分の考えがまとまらなければ、その時点になって、「もうちょっと待って下さい。」と連絡すればいいだけ。

つまり、「必ず」という強い調子の文言が入っているということは、「必ず」という言葉を入れないと、あまりに言葉が弱く、周囲の人から相手にされていない・・・そんな日常が見えてくるわけですし、そんな人は、言葉の調子を強いものにしても、その点を見透かされてしまうだけなんですね。

強い調子の言葉を使いすぎて、言葉に対する感覚が麻痺している人って、ダメダメ家庭の人には意外にもポピュラーです。
それこそダメダメ家庭出身者の巣窟といえる政治家の演説でも、無用に強い調子を使う人っているでしょ?それって、誰でもわかる、具体的な視点を提示することができないから、逆に、強い調子で精神論を語る必要が生じてしまうわけ。

たとえば、先日(10年11月)に管首相が、「石にかじりついても・・・」などという、お約束といえる強い調子の言葉を使ったそうですが、まさに今回の文章の典型的な事例と言えるでしょう。「石にかじりついても」などと「意思」を示すよりも、「○月○日までにこれこれをやり、つぎには、△月△日までに、これこれをやり遂げていく・・・」そんな政策実現の工程表を作り上げ、国民に対して分かりやすく説明すればいいだけだし、そのような説明ができない段階で、「石にかじりついても」も何もありませんよ。
今後の展開が明確に見えるからこそ、その人を信頼するわけですし、信頼されていれば、強い調子の言葉を使う必要はありませんよ。「石にかじりついても」という言葉を使うのなら、「石にかじりついても、☆☆をやり遂げる。」という具体的な達成目標とともに語るのがスジというもの。「石にかじりついても、がんばる。」という表現は、その人の言葉と思考の軽さを表しているわけ。

ムダに強い調子の言葉を使う人は、逆に言うと、強い言葉を使わないと相手にされないという感覚を持っている。
つまり、それだけ普段から言葉が軽いわけ。
言葉が軽い人を信頼する人がいるわけもなく・・・
信頼されなくなったら、ますます強い言葉を使うようになってしまう。

読んだり、聞いていて、グサっとくる言葉って、シンプルで身近な言葉でしょ?
抽象的な精神論を聞かされて、強烈なインパクトを受けることって、あまりないでしょ?
実体につながる言葉が、相手に対して強いインパクトを与えるものでしょ?
単なる「強い調子の言葉」が、現状の改善に役に立つものでもないわけ。
むしろ、必要以上に強い調子でないと相手にされていないという現状そのものが、トラブルの理由をよく説明しているものなんですよ。

(終了)
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発信後記

具体的な各論がなく、強い調子の精神論ばかりを語るとなると、以前取り上げた韓国や中国の歴史教科書もそうなっています。
それこそ、韓国の歴史教科書は、断固とか決然とか・・・なんともまあ!精神論的な言葉のオンパレード。しかし、事件の年号や資料名は出てこない。

ダメダメな人の相談も、そんな韓国の歴史教科書のようなものなんですよ。
ワアーワアー言っているようだけど、実際に何にどんな感じで困っているの?
聞いていて途方に暮れてしまうもの。

購読されておられる方の中にも、そんな思いをされた方もいらっしゃるのでは?
R.10/11/10