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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 08年6月2日 (10年7月23日 に記述を追加)
タイトル 言われたら直す
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。
自分で達成したいものがあるわけでもないし、何かをするにあたって、自分で考えて行動するわけでもない。
だから、危機意識も問題意識もない状態。
周囲の人に合わせて、「ふ・つ・う」に生きている。

自分で考えて行動しているわけでもないので、人から問題点を指摘されると、ある意味において『素直に』その指摘に従うことになる。
そんな『素直な』姿を見た周囲の人から「ああ!あの人は、指摘すると、ちゃんと対応してくれる!わかってくれる人だ!」なんて言われたりすることもある。

しかし、このメールマガジンで頻繁に書いていますが、物事には「似て非なる」ものがあります。
「話せば、直す」人と、
「話せば、判る」人は、別物ですよね?

当事者意識がないがゆえに、つまり自分で考えた上でそうしていたわけではないので、人から指摘されると、「ああ、そんなモノなんだなぁ・・・」「じゃあ、それに従っておこう。」と、いとも簡単に対応する人は、その指摘の意味を判って修正したの?
違うでしょ?

何も考えていないから、何もわかっていないから、人から言われたとおりに修正した・・・そんなものでしょ?
だから、別の人から、別の指摘をされると、また元通りになったりするもの。

何も考えない人は、自分なりの意図があって、その行動をしているわけではないので、行動においては柔軟とも言えるわけ。
よく内柔外剛とか、外剛内柔とか言われたりしますが、その手の人は、中も外も柔らかいというか、真空状態なんですね。
だから、その人の問題点が周囲の人に意識されることは少ないもの。そもそも人に合わせることが上手な人なので、ある意味において、無難に生きていて、目に見えるトラブルは少ないわけ。

しかし、人に合わせていること、これすなわち、理解しているとは言えないので、結局はトラブルが起こったりする。まあ、そんな何も考えていない人が親になったら、子供にしてみればたまりませんよ。だから子供の側から先にトラブルが起こったりするものなんですね。

トラブルが起こってしまったということで、周囲の誰かに相談することになる。
かと言って、自分では何も考えていないわけだから、現状認識も何もできていない。
相談しようとしている人に対して、現状を説明できない。ただ、グチグチと「困った!困った!」と言うばかり。

そんな人は、相談を持ちかけている相手から質問されると、それなりに回答することはできたりするものです。
「この件は・・・今はどうなの?」
『○○です。』
「じゃあ、あの人とはどうなっているの?」
『△△です。』

しかし、自分が受けた質問の意味を理解した上で回答しているわけではないので、当然のこととして補足説明などもない。実に単純な回答の言葉が出てくるだけ。
「アンタから聞かれたから、答えてやったよ!」そんな雰囲気になってしまう。
その手の人は「さっさと、ワタシに命令してよ!ワタシはそれに従うから・・・」と思っているわけ。

これがメールの文章などでの相談だったら、携帯メールを使った場合に、そんなケースになりやすいものです。
このメールマガジンのバックナンバーを携帯電話でお読みになった方から、お便りを頂戴したことがあります。
携帯電話で、このバックナンバーのサイトを読む根性には敬服しますし、そのこと自体に問題があるわけではありませんが、読む分にはよくても、人に相談する際には、トラブルの現状をできるだけ客観的に、詳細に記述する必要があるでしょ?そのような詳細な文章は、携帯メールでは現実的には困難が伴いますよ。

と言うことで、私の方からは、「中古でいいからパソコンを買ったら?そうでないと、文章を読むのもタイヘンだし、文章をまとめるのもタイヘンでしょ?」と申し上げたことがあります。
ということで、次からは、家にあるというパソコンからメールになったのですが、その相談の文章のスタイル自体は、携帯メールの文章のスタイルとまったく同じ。
「携帯電話でのメールがダメと言われたから、パソコンからにしてやったよ!」
そんな雰囲気になっている。

このメールマガジンでは、会話と「おしゃべり」とは違うと頻繁に書いていますが、携帯メールは「おしゃべり」どまりでしょ?トラブルの相談のための文章には携帯メールは不適ですよ。
それに短い相談の文章だと、情報の小出しに最適でしょ?「あの時には、書いていませんでしたが、実はこんな事情があって・・・」なんて、いかにも言いそうじゃないですか?
まあ、実際に予想どおりのことが多いものなんですが・・・

「携帯メールで申し訳ありません。」なんて謝罪の言葉をもらっても意味はないわけ。だって、トラブルの詳細を伝えることができなければ、トラブルが解決しないだけ。困るのは相談された側の私ではなく、相談を持ちかけてきた側の方でしょ?どうして携帯メールが不適なのかわかった上で修正しないと意味はないし、その意味がわかっているのなら、逆に言うと、とりあえず携帯メールでもいいわけ。
それこそ、必死の思いで、携帯メールで、1万字を超える文章を書いてもいいわけです。

指摘すると、「その面」では修正される。
それって、その人が、何も考えずに、人に合わせているだけのケースが多いわけ。

コーヒーの自動販売機で、ミルク増量のボタンを押したら、ミルクが増量された・・・となっても、それは販売機が理解して、そのように対応しているわけではないでしょ?ただ、事前にプログラミングされているだけ。だから、また同じケースでも、同じようにミルク増量のボタンを押す必要がある。
しかし、理解していてやっているのなら、たとえば、「ああ!あの人は多目のミルクが好きな人だな。」と理解できて、次の機会では、ミルク増量のボタンを押さなくても対応してくれる・・・ことになるでしょ?まあ、機械でも人工知能だったら、そういうことができますよね?

ところが、自分では何も考えないダメダメ人間は、機械による人工知能以下なんですね。
一応は、要求には応えてくれるので、その場は、なんとなく収まっていくものですが、逆に言うと、トラブルの要因がどんどんと蓄積されて、やがてはドッカーンと行ってしまうものなんですよ。

言われたら直すというのは、指摘を理解したのではなく、ただ人に合わせているだけ。
むしろ、心頭滅却の禅の境地と言えるくらい。まさに「己を捨てた」状態。
本来なら、禅の境地にいたいのなら、子供などは作ってはダメですが、何も考えずに、することをするから、結果的にできてしまうのが子供。

この手の「言われたら直す」人間は、子供に対しては「依頼されたら対応する」ことになるのは、論理的に当然のことでしょ?

何も考えずに、子供からの依頼を受け、そして対応してしまう。
それこそ07年の末に、長崎県で猟銃発砲の事件がありましたが、子供が「猟銃をほしいよ!」というと、何も考えずに与えてしまうわけ。
猟銃を欲しいという依頼の意味も考えないし、それによってどんな影響があるのかも考えない。
ただ、言われたから、対応した・・・というだけ。

その親にしてみれば、言われたから、対応しただけなので、事件が起こっても、「ワタシたちは子供の意向をちゃんと聞いていた。ワタシは悪くない!」と弁明することになる。
逆に言うと、もし、猟銃を買うことを拒否して子供が暴れたら、親である自分のせいになってしまう・・・と考えているわけ。
「自分は要求に従っているだけなんだから、悪いのは要求した側のせいになる。」というのが、この手の人間の発想なんですね。

それこそ、子供から「自殺したいので睡眠薬をほしい。」と言われたら、その要求に従って買ってくることになる。
冗談と思われる方も多いでしょうが、現実のダメダメはこんなものなんですよ。
そして、実際に自殺した後になって、「ワタシたちは、子供の要求には何でも応えていた。どうしてこんなことに?!」と嘆くことになる。

何回も書きますが、「自分では何も考えていないがゆえに、ワタシは悪くない。」となるのが、この手の抑圧的な人間の基本的な発想となっている。
だからこそ、結果責任とは無縁だし、逆に言うと、結果責任を取らなくてもいいように、自分に命令してくれる状況を求める。

子作りにおいても、少子化対策などの国からの要求に従う形を取ろうとする。
だから、子育てがうまく行かなくても、悪いのは国の側となり、「親であるワタシたちは悪くない!」「ワタシたちは、国からの要求に従っただけだ!」と言うことになる。
何も国からの要求だけでなく、「夫が子供をほしいというから産んでやったのに、夫は子供の面倒を見ようとはしない。」とグチグチ言い出す。
しかし、夫の側が子供をほしいというだけで、さっさと妊娠してしまう自分の問題は無視したまま。

子育てについての将来展望などが何もない。
だから避妊もしないことになる。逆に言うと、避妊をしない大義名分を求めている。
ただ、従っていれば、自分たちは何も悪くはないという論理にすがっているので、逆に言うと、そんな人は権威あるものに従おうとするもの。
この長崎の猟銃発砲事件の家庭が、カトリック信者だったことは偶然ではないわけ。

何も考えずに、ただ従っていればいいだけという状況を求めている・・・そんな点を認識すると、理解できる事例が多いものなんですよ。
カルト宗教に入信する人って、そんな視点で見れば、理解しやすいでしょ?

(終了)
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発信後記

例の大阪の高級料亭ですが、結局は、会社が清算となって、従業員は全員解雇となるようですね。「紙一枚で、解雇なんてヒドすぎる!」
とか・・・ニュースでやっていました。

労働者の権利の問題は別にして、サスガに紙一枚で解雇はマズイでしょう。
グループとしての吉兆の統治能力の欠如には、驚きですよ。

そもそも、そんな感じで解雇してしまうと、その解雇された従業員が、料亭でのことをベラベラしゃべってしまうでしょ?
そもそも料亭を利用した顧客には色々な「スジ」があるもの。誰と誰が会食した・・・なんてことが大っぴらになったら、マズイものですよ。
それに、あの料亭を利用したというだけで格好が悪い。
それこそ週刊誌で、「残飯に舌鼓を打って喜んでいたグルメたち!」なんてタイトルで、実名が登場したらどうなるの?
あの店を接待に利用したことがバレたら、一般の株式会社だったら、株主総会で突き上げられますよ。そうなったら、吉兆グループ全体の問題になってしまいますよ。

退職金というものは、「ご苦労様!」という趣旨のお金であると同時に、一種の「手切れ金」でもあるわけでしょ?手切れ金をケチると、後々面倒になるよ。
そんなシーンを料亭で実際に見てきたんじゃないの?

あの女将には、もはや判断能力がないわけですから、ここはグループが介入して対処しないと、タイヘンなことになっちゃいますよ。
まあ、グループとしてそんな判断能力があったのなら、最初の時点で介入していたのかもしれませんが・・・

いったんドッカーンとなってしまったら、それを沈静化させるためには、多大な努力が必要になるもの。早いうちなら、まだ少ない努力で済むわけですが、まあ、ダメダメというものは、事態を放置して、結局は、更なるドッカーンに至る・・・そして、「どうしてワタシたちだけがこんなことに?!」「ワタシたちってなんてかわいそうなの?!」と嘆く・・・それがお約束なんですね。
あの高級料亭のグループも、そのお約束街道を突っ走っていらっしゃる。
ダメダメのフルコースを提供してくれるなんて・・・さすが大阪の高級料亭ですよ。
R.10/7/23