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カテゴリー | ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい! |
配信日 | 08年6月6日 (10年9月18日 記述を追加) |
タイトル | 高雅で感傷的なグチ (困ったものだ) |
ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。どんなことでも自分がこうむった被害と捉えてしまう。だから、いつだって自分の嘆きを語るグチばかり。まあ、この私に対しても、そんなグチばかりのメールも、よく送られたりするものです。 あ〜あ、離婚したいなぁ・・・ あ〜あ、親とうまく行かないなぁ・・・ そんなグチに対して、『じゃあ、離婚すればいいじゃないの?』とでも言おうものなら、まさに「待ってました!」とばかりに「子供がいるから・・・」なんて言い訳が登場してきて、やっぱり「困った!困った!」とグチが続くことになる。 まあ、一般の人は、その段階で、「まあ!なんてお気の毒なの!」なんて同情の言葉になってしまうわけですが、この私はそうは行かない。 「じゃあ、結局は、アンタはどうしたいの?」 「グチっていれば、事態は解決するの?」 「子供がいるのはいいとして、そんなグチばかり言っているアンタは、いい親なの?」 あるいは、続けざまに、 「どうして、そんな人と結婚したの?」 「結婚前には、どんな判断をしたの?」 「結婚直後には、何を考え、何をしたの?うまくいかないと思っている相手との間で、何も考えずに、ポコポコと子供を作っているだけじゃないの?」 いやぁ・・・我ながらキツイ! まあ、そんな切り返しを受けると、そんなグチ人間は、アッサリと引き下がってしまう。 引き下がるのは別にいいんだけど・・・言いたいことがあるのなら、がんばって最後まで言い続ければいいのに・・・ しかし、そんな感じで自分自身に関する問題についてグチると、「じゃあ、こうすればいいじゃないの?」なんて、言葉が飛んできたりするもの。 本来は、その「こうすればいい」という言葉がほしいがために、人に相談したりするわけでしょ?しかし、ダメダメ人間にしてみれば、グチグチ言うことそれ自体が目的なので、トラブル状態にある現在の状態を解決する気はないわけ。 だから、「こうすればいい」という言葉が返って来ないグチを言ったりするようになってしまう。 一般論的で、ある種、崇高なグチとでも言いましょうか。グチグチと感傷的なんですが、ある種、高雅な趣があるグチ。 時代を憂うとか、国を憂う・・・そんな壮大なスケールのグチにしちゃうわけです。 そんな崇高にして、壮大なグチの代表例がコレでしょ? 「近頃の若者は、活字離れが深刻だ!困ったことだ!」 「近頃の若者は・・・」という物言いが、近頃のものでないことは、皆さんもご存知でしょう。古代エジプトにもある伝統的なグチですよね?まあ、「近頃の若者は・・・」くらいの枕詞なら笑っていればいい話ですが、たとえば「活字離れ」なんて言葉がついてしまうと、それなりに格調高くなってしまう。 さて、このメールマガジンの購読者の皆さんは、この「近頃の若者は、活字離れが深刻だ!困ったことだ!」という憂いの言葉を聞いてどう思いますか? 「そうだよな!最近の人は本を読まない!困ったことだ!」 そのように同調する人もいるでしょう。 「そう言えば、ワタシも最近は読んでいないなぁ・・・」 そう言う人も、やっぱりいるでしょう。 「と言うか、例えば、たとえば、このメールマガジンの文章も活字の一種なのでは?活字って何?」 そのように疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。 まあ、色々な感想があるでしょうね。 この私の感想は・・・予想できる人も多いでしょうが・・・コレ。 「昨今の活字離れをお嘆きの貴兄は、じゃあ、いったい、どんな本を読んでいるの?」 皆さんは、活字離れを嘆いている人が、普段どんな本・・・まあ、活字に接していると思いますか? 私には、わからないんですよ。イメージが浮かばない。 そもそも、普段、本に接しているような人は、人々の活字離れを嘆いたりはしない・・・そんなものでしょ?そんなことをグチっているよりも、好きな本でも読んでいる方がマシ。本を読まない人を見ても、「あ〜あ、この人は、本を読まないなぁ・・・本って、あんなに面白いのに・・・もったいない!」そんな感じになるでしょ?あるいは、ちょっと冷酷に「アイツは本も読まないような阿呆だから、離れていよう。」とか。 普段、ちゃんとした本に接していないからこそ、他人の活字離れを、感傷的に憂うようになる。 まあ、活字と言っても、「日刊ナニナニ」とか「夕刊ナニナニ」くらいは読むのかもしれませんが・・・それって、活字とは言えますが・・・自慢できるほどのモンじゃないでしょ?そんな活字媒体よりも、このメールマガジンの文章の方がはるかに知的レヴェルが高い文章ですよ。 周囲の人間に本を読んでほしいのなら、本を読まない周囲の人に対して文句を言うのではなく、自分が本を読んだ際の楽しさを語れば済む話だし、それが一番効果的。それが語れないからこそ、憂いているわけでしょ? 別の言い方をすると、「いい本」を肯定的に説明することができないから、「活字離れ」を「憂う」という二重否定となってしまっているわけ。 しかし、格調高い高雅なグチだと、往々にして、周囲に通ってしまいやすい。まあ、この私のように、的確に切り返す人間は、そうはいませんよ。だから、それに味を占めたダメダメ人間は、同じような格調高い崇高なグチを繰り返したりするもの。 まあ、そんな高雅にして感傷的なグチの別の代表例が、コレ。 「近頃の夫婦は、子供を作らない。少子化問題が深刻だ!困った!困った!」 この憂いは、活字離れを憂うグチと極めて近い心理でしょ? そんなに子供が大勢いた方がいいのなら、子供を作らない夫婦を憂うよりも、自分たち夫婦でもっともっと子供を作ればいい話。「ワタシたち夫婦には事情があって、これ以上は子供を作れない。」というのなら、別の夫婦にも事情がありますよ。それに、子供を作ってほしいのなら、他人に対し、非難するよりも「子育てって、こんなに楽しいのよ!」とサジェストした方が効果的でしょ? 何度も書きますが、その手のグチは、子供という存在を肯定しているのではなく、「子供を作らない」人を「非難」するという二重否定状態。逆に言うと、子供という存在を肯定的には見ていないわけ。 この少子化のグチは以前に取り上げたことがあります。まあ、そんなことを言っている人の子供の側は、「産んでもらって」感謝しているのかな?そんなわけありませんよね?だって、そんなグチからは、子供という存在を否定的に見ている発想なり、子育てはイヤなものであるという被害者意識が透けて見えるわけでしょ?これでは子供はたまりませんよ。 活字離れを憂いたり、少子化を憂うのは、それなりに高雅に聞こえてしまう。あるいは、外交問題を憂うのも同じパターン。 よく「日本は国として、こうすべきだ!」なんて、憂い顔で語る人っていますよね? 国を憂うのはいいとして、そんなに憂いているのなら選挙にでも立候補したら?憂いていると何か解決するものなの? 立候補するまでいかなくても、「選挙においては、じゃあ、どの候補に投票するのか?」という『判断』まで到達するものでなければ意味ないでしょ?グチ止まりだったら、自分が安っぽくなるだけですよ。 しかし、一般論的なグチは、高雅に聞こえてしまう分だけ、誰からも切り返さずに、そのグチが通ってしまいやすい。だからその人自身のダメダメな問題が顕在化することはない。 ダメダメな人は、「どうやってグチが通るのか?」考えたり、「どうすれば自分のグチに対して、反論を食らわないのか?」を考えるもの。 しかし、そんなことを考えるよりも、「困っている現状をどうやって改善していくのか?」そのことを考えた方がマトモじゃないの? しかし、ダメダメな人は、グチの技術は発達しても、問題解決の技術は、まるで進歩しなくなる。 それこそ、ニュース番組などでは、そんな憂い顔による高雅にして感傷的なグチがおなじみでしょ?そんなグチを『至芸』と言えるまでに高めたのが、とある『ジャーナリスト』さんでしたよね? あの白髪のおじさんも・・・今はどうしているのかな? まあ、グチ愛好家は、あの手のニュース番組が大好きなものでしょ? そうやって、テレビを見ながら「そうだよな!困った!困った!」とグチの共鳴。かと言って、所詮はグチの共鳴止まりで何も対処せず。 そうして、困った事態が積み重なるばかり。 「困った、困った。」とグチで盛り上がっている集団だからこそ、同類の人間が寄ってくる。 「キミたちは、興味深いやり取りをしているようだね!ボクも混ぜてよ!」 しかし、その新たにやってくる人間は、所詮は、当事者意識がなく、被害者意識だけのトラブルメーカーさん。 そして、実際にトラブルになってしまって、従来からの人間は、「あの○○さんにも困ったものだ!」と、やっぱり嘆き節。 まあ、そんな感じで嘆くことしかできないからこそ、同類が寄ってきて、「どっちが悪いのか?」「どっちの被害が大きいのか?」「どっちがかわいそうなのか?」を議論しだし、収拾がつかず、トラブルになってしまったわけですが、嘆くだけで自分で考えることをしない人間にしてみれば、そんなことがわかるわけもない。 そうして、「あの△△の事件には困ったものだ!」「あの○○さんには困ったものだ!」「この社会のこの面には困ったものだ!」と、それっぽい嘆きが積み重なっていく。 結局は、グチの表情は多少違っていても、同じフレーズが何回も繰り返され、どんどんと事態が高揚して、最後には、ダダダダダンっ!と終わってしまうものでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 このメールマガジンも発行開始からもう長い期間が経っています。 ということで購読者さんからのお便りもあります。 感想のメールだったり、相談のメールだったり、それこそ頻繁に触れておりますが、逆上メールの場合もあります。 しかし、未だかつてないのが、文章の表現についての質問のメール。 このメールマガジンの文章は、色々と引用も多く、あるいは、表現をぼかしたり、あるいは、複数の文章をモンタージュすることで、ある中身が浮かびあがってくる・・・とか、色々と凝った表現もあったりします。 引用だって、明示的な引用もあれば、黙示的な引用もある。その意図だって、本筋に直結している場合もあるし、今回のようにギャグの場合もあります。 「この部分のこの表現はどこから出典していて、どんな意図なの?」 なんて質問が来るかな?と思ったりすることもありますが、そんな質問は来ませんねぇ・・・ もちろん、わざわざ「ぼかして」いる場合もあるわけですから、一見さんに質問されても本当のことを言うかどうかは、また別なんですが。 |
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R.10/9/18 |