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カテゴリー 当事者意識の欠如
配信日 08年6月25日
タイトル 熟慮逃避
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
当事者意識がないというか、自分自身から逃避している。

自分では何も考えないというだけではなく、自分が判断できるというシチュエーション自体がキライ。
「何も考えないでいられる状態を自分としては保ちたい!」そのように欲している。
自分が考えて行動したわけではないのだから、結果的にうまくいかなくても「ワタシは悪くない!」と言えるわけでしょ?
だって、判断そのものをしていないんだから、「間違った判断はしていない。」ことになりますからね。

自分自身から逃避している人は、そんな感じで、判断できるシチュエーションの中で、じっくり自分で考えること・・・そんな状態からも逃避するもの。

今回配信の文章では、ダメダメ人間が行う、熟慮することからの逃避について、事例を挙げながら考えてみましょう。

何回も書きますが、熟慮することから逃避するダメダメ人間は、「考えることができる」「選択ができる」というシチュエーションそのものが嫌い。
だから、何か解決する問題があれば、スグに結論を出すことになります。
どんな問題があっても、「とにかく」「早めに」「とりあえず」結論を出してしまう。自分の中に寝かせておくことができない。

たとえば、パソコンなり携帯電話において、メールの返事がやたら早い人っていたりしますよね?
「あの人からは、スグに返事が来るなぁ・・・」
返事を「見ると」そう思ってしまいます。皆さんも、そんな人を知っているのでは?

かと言って、その返事が、内容的に、あるいは表現的に練られているのか?と言うとまったく別でしょ?
そのようなクイック・レスは、相手からのメールの内容をよく読み、相手の意図を考え、自分の言いたいことを自分なりにまとめ、それを的確に文章化する・・・そんな思考からの逃避であるわけ。
このようなことは、かなり以前に「クイック・レスポンス」というお題で配信しております。

個人宛のメールばかりではなく、やたら、レスが早い人って、インターネットの掲示板にもいたりするでしょ?
そんな人が書き込む内容も表現も、はっきり言って大したものではないでしょ?

そんなクイック・レスの人は、往々にして、「スサム・メール」のスタイルをとっていたりするもの。相手の文章の個別な細部には反応しても、全体の中身を受け取ろうとはしないし、当人も個別の細部には色々とケチをつけるだけで、全体では何を言いたいのか?サッパリわからない。

そんな荒んだスタイルも、「自分が何を伝えたいのか?」「どうしたいのか?」そんなことを熟慮することからの逃避と見れば、すんなり理解できるでしょ?
何もレスしないままだと、後々まで自分の中で「寝かせる」ことになりイヤ。
とり急ぎ、何がしかの解答を出し、もうこれ以上考えなくてもいい状態にしておきたい!

だからそんな人は、やたら早い返事だったり、結局は返事が来なかったり・・・の二極化になっているわけ。いつもは異常に返事が早いのに・・・今回は時間が掛かっているなぁ・・・なんてことになって、結局は返事が来ないもの。結局は、じっくりと考え判断することができないわけです。

まあ、メールなりインターネットの掲示板だったら、そんなスタイルもいいでしょう。
どうせ、そんな場は「類は友を呼ぶ」状況でしょうからね。
しかし、熟慮することから逃避する人は、結婚の際にも、そうしてしまうわけ。

相手について判断するというシチュエーションから逃避するために、何も考えずにアッサリと結婚してしまう。そして、そんな人と結婚するような人も、判断するというシチュエーションが嫌い。まさに、結婚においても「類は友を呼ぶ」状況になってしまう。そんな夫婦は「子供をいつ作ろうか?」そんなことを考えることから逃避するために、アッサリと子供を作ってしまう。

何をやらせても、スグに「とりあえず」の解答を出してしまうことは、どんな面でも共通しているわけ。まあ、そんな人は、結婚しても、結局はうまくいかず、「離婚しようかなぁ・・・」と考え出す。
いったん、そんな考えが芽生えたりすると、熟慮することもなく、今度は、いともアッサリと離婚してしまう。即結婚、即妊娠、即離婚・・・と実にスピーディ。そして離婚して一人になったら、あっという間に再婚してしまう。しかし、結局は再婚してもうまくいかず・・・と、そんなことを続けるわけ。
竹を割ったようなサッパリぶりと言えますね。アタマの中身も竹のよう。

それこそ、最近(08年)話題になっております、無戸籍の子供の問題でも、妊娠する前にちょっとは考える必要があるでしょ?色々な事情があるのはわかりますが、いったん、アタマを冷やして冷静になって考えて、それから次のアクションに移ればいいじゃないの?
しかし、考えることから逃避しているダメダメ人間は、その「冷静になって考える」そのこと自体がイヤ。だから、スグに次のアクションに移ってしまう。しかし、そのツケはどこに行くの?

私としては何も難しいことを申し上げているわけではなく、ことが起こったり、あるいは何かをする際には、アタマを冷やしてじっくりと考えてみたら?と申し上げているだけです。
考えるレヴェルは人それぞれでしょうが、じっくりと考えること自体は、本来なら誰だってできることでしょ?
しかし、自己逃避のダメダメ人間には、それが難しいものなんですね。
知的な能力の面から難しいのではなく、心理的な面から難しいわけ。

スグに返事を出したり、結論を出すのはいいとして、そんなことを積み重ねても、結局はうまくいくわけもない。
そんな人がするのは、犯人探し。
「うまくいかないのは、誰のせいなのか?
「自分に被害を与えているのは、誰なのか?」
そんな発想になるわけ。

そんな犯人探しをしても、もともと熟慮することから逃避している人間なんだから、手短に存在する目立つものが、犯人としての栄誉を受けてしまう。
まあ、そうやって自分の子供を虐待したりするわけですが、ご近所の目立つ人が犯人認定されるケースもあったりします。あるいは、手短な通行人とかの例も、最近ではおなじみですよね?

いずれにせよ、熟慮することから逃避している人に対して、何を言ってもムダ。
むしろ、言えば言うほど、「考える」ことを強いることになり、より一層被害者意識が刺激されるだけ。

メールの返事がやたら早い人って、トラブルメーカーだったりする・・・
そんな事例って多いものなんですよ。

(終了)
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発信後記

またまた通り魔ですか?
大阪駅でありましたよね?
通り魔にお約束の「大」の字が犯人の名前にありましたが、今回は苗字の方でしたから、直接には関係ないでしょう。
今回の、お名前は「和歌」とのこと・・・38歳の女性とすれば微妙なラインですねぇ・・・

その親はどんな発想で子供の名前を「和歌」にしたの?
皆さんもちょっと考えてくださいな。
日本文学が好きなの?それにちなんで?
それだったら、その家には本が沢山あるはずですよね?
「和歌」さんの実家に本が沢山あると思いますか?
そもそもそんなに文学が好きなら、文学以外にも「それなりの」審美眼があるはず。親の審美眼は子供にも引き継がれますよ。あの「和歌」さんの審美眼は・・・アレでしょ?

親としては「か・わ・い・い」名前を「て・き・と・う」に付けた雰囲気がプンプンでしょ?そんな「て・き・と・う」に名前を付ける親は、子育てだって「て・き・と・う」。
これでは、その「和歌」さんも子供時代から不満を募らせますよ。
せっかく「和歌」という名前を付けたのなら、本でも読んで聞かせればいいのでしょうが、そんなことはやっていないでしょうねぇ・・・

ただ、意外にアタマのいい親である可能性は高いでしょう。
アタマがいいがゆえに、不満を持ちやすい。その不満が子供に引き継がれるわけ。

『微妙なライン』なのは名前だけでなく・・・
一時は「男性が女装したかも?」なんて話もありましたよね?
体つきからその可能性もあるとか・・・

しかし、もし今回の犯人が男性だったら、被害者が全員女性ということにはならないものです。
大阪駅は、人間が密集した場所なんだから、「それなりに」相手を選んでいるわけ。
男性が犯人だったら、あの手の事件だったら、被害者は性別に関係なく無差別に・・・となるものでしょ?
「自分はうまく行っていない」と鬱憤を募らせている女性が、「アイツ・・・うまくやりやがって!」と言いたくなる女性を狙っているわけ。
女性の敵は、女性である・・・ということは、ダメダメの世界では、鉄則のようなもの。
それこそ「アナタは全然悪くないのよ!」なんて言いながら寄ってくる善意の女性は、一番タチの悪い存在。

話を元に戻しますが、「和歌」という名前からも色々と見えてくるわけ。「和歌」という名で、その家庭に本がなければ、重度のダメダメ家庭であることがスグにわかります。まあ、本があっても、これだけの被害者意識を育てあげたんだから、どのみち重症ですが。
子供としては、それを自覚するしかないわけ。その自覚から逃避しているから、こんな事件も起こってしまうわけです。名前は本人の問題ではありませんが、事件を起こしてしまったら、結局は本人が責任を負うことになってしまう。
だから、自分の実家について、じっくり考えてみることも必要なんですね。
R.10/12/12