トップページに戻る 配信日分類の総目次へ
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 08年7月9日 (10年12月15日 記述を追加)
タイトル アレな裁判  ( トンデモな裁判 )
ダメダメ家庭の人間が、裁判というシチュエーションを好きなことは先日配信いたしました。
被害者意識が強いダメダメ人間は、裁判所という権威ある存在から、「オマエはかわいそうな被害者だよ!」と認めてほしいわけ。

裁判という場そのものを異常なまでに好きなダメダメ人間の方々は別としても、現実社会においては、多くのトラブルメーカーさんがいたりするものですから、そんな裁判という場も必要になるもの。
しかし、被害者意識が強く、何かに対抗するしか能がなく、権威主義であるダメダメ人間は、不必要なのに「訴えてやる!」と息巻き、そして裁判に持ち込むわけ。
別の言い方をすると、会話の能力がなく、自分で判断することから逃避しているので、裁判以外の調整の場や調整の能力を持っていないわけです。

そんな人は、ちょっとした被害でも大騒ぎして、「裁判だ!」と息巻いたり、あるいは、周囲の人が『おいおい!そんなものまで裁判にするの?』と呆気にとられるようなものまで、「訴えてやる!」と言い出して、本当に裁判にしてしまう。
裁判の事案からして、ちょっと「アレ」なものも多いわけ。

ちょっと前に、長崎で、親が所有しているクレジット・カードで未成年の息子がインターネットのアダルト・サイトを勝手に利用してしまい、その支払いの差し止めを求める裁判がありました。
裁判所は、その訴えを認め、300万円以上の支払いを無効といたしました。

いやぁ・・・相変わらず、長崎は熱いねぇ・・・何というか、明後日の方向に突き抜けた熱さですよ。
その裁判におけるクレジット・カード会社側の主張は、カードの持ち主には、そのカードの管理義務があるというもの。たとえ当人の子供だろうと、名義の人以外の人に使われないように管理する義務がある・・・そんな主張です。
それに対し、支払い無効を求めた親の側は、「本人確認のシステム上の不備なんだから、カード会社側の問題だ!」と言うものでした。

もちろん、300万円は大金なんだから、払わないで済むのなら、多少の裁判費用を掛けても、チャレンジする意味もある・・・
まあ、そんな判断も、経理的には、可能でしょうね。

しかし、じゃあ、父親のクレジット・カードを使ってアダルト・サイトを利用した、未成年の息子は今後どうなるの?
周囲の人ばかりではなく、国家機関である裁判所から、「バカ息子」認定されちゃったわけでしょ?
今後は、カタギの生活はできませんよ。
本来なら、その支払いの問題だって、息子の人生を台無しにしないことを大前提に考える必要があるでしょ?
逆に言うと、父親が、そんな父親だから、その息子もアダルト・サイトを勝手に利用して、父親のカードで支払うことをやるような息子になっちゃったわけでしょ?

あるいは、別の事例として、避妊薬のピルを飲んでいても妊娠してしまった・・・だから、結果的に中絶することに・・・ああ!心が痛むわ!
と言うことで、「よしっ!あの製薬メーカーを訴えてやる!」
そんなトラブルもあったりします。

中絶することになった女性の側の気持ちはともかく、実際に裁判となったら、とんでもないことですよ。
裁判となったら、裁判所に、夫を証人として呼ぶ必要があるでしょ?
会社をどのような理由を付けて休むの?
『女房のピルの裁判の証人として裁判所に行くので、明日は休みます。』って上司に言うの?その夫の将来はどうなっちゃうの?
子供だってどうなっちゃうの?
ピルを飲んでいても妊娠してしまった女性の子供として認定されちゃうでしょ?本人は「かわいそうなワタシ!!」と思っているのでしょうが、周囲からみれば、単なるアホですよ。
そんな親の子供として、裁判所から認定されたいの?
周囲から後ろ指を指される境遇にしたいの?

しかし、ダメダメ人間は、本当に訴えちゃうんですね。
そして、自分だけでなく周囲の人間をメチャクチャにしてしまう。

その手の人は、そもそもが尊厳というものを持ち合わせていないので、そんな「アレ」な行為も平気でできてしまう。自分が一番かわいそうな人間だと確信しているので、周囲の被害など考慮しない。
自分の被害者意識が満足できればそれでいい。

裁判の報道などを見るにつけ、裁判の案件はともかくとして、あるいは当人自身はともかくとして、「周囲の人間は何をやっているのだろうか?」あるいは「こんな騒動を公にしてしまうと、家族はタイヘンだろうなぁ・・・」と思わされることって、あったりしますよね?

本来なら、周囲の人間が止めに入るわけですが、被害者意識が強い人間の周囲には、同じような被害者意識だけの人間になってしまう。
それこそ、息子がアダルト・サイトを見ることで発生した今回の長崎の裁判では、父親が裁判に訴えるのはともかく、母親は何をやっているの?
子供の不始末なんだから、当然のこととして、母親の側の管理の問題もあるでしょ?
しかし、逆に言うと、裁判の場に持っていくことにより、その母親としては、「母親のワタシが悪いんじゃないわ!」と主張し、「悪いのは、全部、クレジット・カード会社なんだ!」という関係性を、国からオーソライズしてほしいわけ。

もちろん、その両親の問題だけではなく、その両親の親・・・つまり、今回の騒動の当事者たる未成年の青年にとっての祖父母もいるわけでしょ?彼らはいったい何を考えているの?
300万のために、孫の一生をメチャクチャにしている自分の子供たちを、指導しなくてもいいの?
まあ、現実的には「子は親の鏡」となっているもの。
そして、親は、祖父母の鏡ですよ。

あるいは、この手の「アレな裁判」となると、子供の名前で裁判になったりしますよね?
役所から「不適切な名前」とされてしまって、その名前が受理されなかったので、その処置を不服として裁判を起こすような親の事例もあるでしょ?
そんな裁判をする親の周囲の人は、何をやっているの?
それこそ、ヘンテコな名前の問題だったら、役所云々ではなく、まずは祖父母が一般常識をふまえた指導を、孫の親に対してすることが必要でしょ?

裁判に打って出ることが「できてしまう」ということは、それだけ、周囲に「抑え役」が不在ということでしょ?
逆に言うと、そのように頼りになる抑え役がいないからこそ、その当事者も、「自分だけで解決しないと!」と日頃から切羽詰まってしまって、暴走して、まさに裁判となるようなトラブルを起こしてしまうわけでしょ?

「アレな裁判」というのは、それだけ、その関係者の周囲のレヴェルも悪くなっていることを示しているわけです。
だから周囲から適切なアドヴァイスが受けられず、まさに自分から墓穴を掘ってしまうわけ。ビックリするような事案の裁判は、当人自身のダメダメさだけではなく、周囲の人間のダメダメさをも立派に証明しているもの。ただ、その最大の被害は、そんな人たちの子供というだけ。

裁判を起こして、「オレは悪くないっ!」なんて、主張したい気持ちはともかく、そして実際に裁判所において「法律的に見て」悪くはないと認定されたり、あるいは「倫理的に見て」悪くはないのかもしれませんが、そんな行為は「能力的に見て」、あるいは「プラグマティックな観点から見て、あるいは「親としての責任」という点から見て、最低のダメダメでしょ?

ある意味おいて、今回の長崎のクレジット・カードの裁判は「親は子供の管理に対して責任がないこと」への国からのオーソライズを求めた裁判といえるでしょ?それだけ、子育てに対して当事者意識がないわけです。
当事者意識がないがゆえに、被害者意識が強いダメダメ人間は、何事も自分の被害ばかり考える。
それこそ、『今回の』長崎の裁判でも、訴えた父親としては「親である自分は子育てという被害を背負わされたかわいそうな被害者」という基本認識がなければ、できないことでしょ?

まあ、その息子さんも、アダルト・サイトを見るくらいならともかく、このまま突っ走ると、自殺とかの事態になってしまいますよ。一人で自殺するくらいならともかく、それこそナイフや猟銃を持って暴れたらどうなるの?
だって、自分の父親によって、自分の将来をメチャクチャにされちゃったわけでしょ?
自暴自棄になって当然ですよ。

しかし、そんな大きな事件になっても、「子育ては親が被った被害」と確信している親は、自己憐憫に浸るばかり。そして、「事件の背景には、社会の格差の問題があるんだ!」とか、「クレジット・カード会社の営利主義の犠牲だ!」とか、「政府の○○の政策のせいで・・・」と、主張し、ヘタをすれば、また裁判に打って出ることになってしまう。
そうして、お約束のグチ。
「どうしてこんなことに?!ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」

(終了)
***************************************************
発信後記

今、サミットが行われているようで・・・
まあ、東京でやらなくてヨカッタですよ。
サミットはともかく、前から言われていたように、反グローバルを掲げる人たちが運動を起こしているようですが・・・
以前にも書きましたが、その手の反グローバル主義を掲げるグループが世界的に連携している、って・・・いささかギャグ。
反グローバルを掲げるなら、どこかの田舎に引っ込んで、そこで自給自足の生活でもして、「ボクたちと一緒にやろうよ!」と呼びかければいいだけ。

ダメダメというものは主義主張の問題というより、自分自身がやりたいことが自分でもわかっていないということ。
自分の目標がないがゆえに、何かに対抗するしか能がなくなってしまう。だから「訴えてやる!」なんて息巻いたり、「反○○の運動」に明け暮れることになってしまう。主義主張と、自分の目標も、似て非なるものなんですよ。
R.10/12/15