トップページに戻る 配信日分類総目次に戻る
カテゴリー分類総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー 判断と選択
配信日 08年7月14日 (11年1月31日 記述を追加)
タイトル あれも、これも
このメールマガジンで、以前にプライオリティの話を書いたことがあります。
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。だから、達成したいこと、それ自体が存在しない。だから、優先順位を付た上で、事にあたることができない。
だから、そんなダメダメ家庭の人間は、ある意味において、「あれも、これも」なんて発想をするようになります。だって優先順位を付けられないわけだから、「目の前にあるもの全部ほしい!」なんてことになってしまうでしょ?

「目の前にあるものが、本当に自分にとって必要なものなのか?」そんなことは考えない。ただ、目の前にあるものにパクリと食いつくだけ。そして、しばらくしたら、別のものに目が移り、現在のものを最後まで食べずに食べ散らかして、次のものにパクリ!
そんな人間は、これも以前に書きましたが、「もらいたがり」の傾向があったりするものです。無料でもらえるものなら、それが自分にとって、有用かどうかなんて考えずに、とにもかくにも、もらってしまう。まさに目の前にあるものを、「コレ、ほしい!」「アレ、ほしい!」と、次々ほしがることになる。

このような「あれも、これも」になってしまうのは、当事者意識がなくて、自分がやりたいことそれ自体が存在しないからという面もありますが、別の面からも発生します。

ダメダメ家庭の人間は、減点法である。
このことは以前に配信しておりますし、それ以降も、何回も言及しております。
「自分の目標を達成するために、このことをしたら、どれくらい前に進むのか?」そんな発想はしない。
「このことをすると、どのような減点があるのか?」そんなマイナス面ばかりに発想が行くわけです。
常に減点法の発想だから、『無料であげる!』なんて人から言われたら、「それをもらったら、どのように有効なのか?」という加点法的な発想にはならない。むしろ「もらわないと、損だ!」と、もらわない減点面に発想が行ってしまう。
目の前にエサがあると、「食いつかないと損だ!」と思って食いついてしまう魚のようなもの。

何かをもらえるような状況においても、本来は、「自分としては、今はこんな状態で、これを既に持っているし・・・将来的にも、それは使いそうにないから・・・今回は、いらない。」という判断もありでしょ?しかし、常に減点法なんだから、「ここでもらっておかないと、大減点!」と切羽詰った心情になってしまう。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は抑圧的であり、自分自身の達成したい目標そのものを持っていない。長期的に物事を考えることができず、常にその場の断片で生きている。断片的な感情を、自分なりに統合するだけの心理的な能力を失調しているわけです。だから、何かをもらえそうな事態になったら、その事態を「もらわないと、損だ。」断片的に評価して、とにもかくにも食いつくことになる。

そんなことをしていると、周囲のマトモな人が、「アンタ・・・使いもしないものを、ガツガツしてもらわなくてもいいのに・・・」なんてアドヴァイスもあったりするでしょ?
しかし、普段からグチばかりのダメダメ人間の周囲には同類のダメダメ人間ばかりとなっている。結局は、そんなダメダメな周囲から「もらわないと損よ!」と『暖かい』アドヴァイスを受けて、必要もないものに食いつくことになる。

以前のプライオリティの文章の際にも書きましたが、そのような、「もらえるものは、とにかくもらっておこう。」という態度は、離婚の時に発生することが多いものです。離婚の際に「あれも、これも・・・」なんて主張したりする人が、現実に、いるもの。
まあ、そんなことだから、結婚相手を選ぶ際に失敗するわけですし、そのままだったら、また失敗しますよ。

何も離婚のような問題ばかりではなく、「取り掛からない減点」「手を付けない減点」に目が行ってしまうような人は、まさに「捨てる減点」から逃げられない。
「これを捨てたら、こんなに減点が起こる!」
そのような発想に執り憑かれてしまうと、何も捨てられずに、まさにテレビでおなじみの「ゴミ屋敷」になってしまう。

あるいは、文章においても、「あれも、これも」と言った文章もあったりします。
色々と書いてあっても、中心となるテーマがさっぱりわからない文章も現実に存在するもの。そんな文章の書き手も、「捨てることによる減点」から逃げられないでしょうね。そんな人による文章は、さながら、ゴミ屋敷がそのまま文章になったような趣と言えるもの。
そんな文章は、結局は自己逃避であり、自己弁護が主要目的になっているものなんですよ。

あるいは、この手の「あれも、これも」の食べ散らかしなんて、ボランティアの人たちのオハコでしょ?誰かをサポートしていても、目が移って、スグに別の人の元に行ってしまい、その人のサポートの最中に、また別の人に移ってしまう。そんな人は、結果的に誰一人として助けられない。結局は、自己満足で終わってしまっている。

多くのものを得ようとするという考え自体は、その人の判断だから、その人の自由ですが、一度に「あれも、これも」と言っても無理でしょ?気ばかり焦って何もできませんよ。
「まずは・・・これを達成して・・・その後に・・・こちらのマターに取り掛かる。」で、いいじゃないの?しっかり順番を立ててやらないと、一つも達成できませんよ。

逆に言うと、その手の「あれも、これも」と食いつく人は、自身の成功体験というか達成体験を持っていないでしょ?
「このような認識の元、このような考え方で、このような手順で物事を進めて、このような成果を得ることができた。」そんな小さな成功体験すら語れないもの。
だから、成果を得るための見通しを何も持っていない。
だからこそ、気ばかり焦って、とにもかくにも目の前のものに食いついてしまう。
そして、成果を得るまで忍耐強くことにあたることもせず、また別のものに食いつくことになる。
そんな人が語るのは、「アイツのせいでうまくいかなかった!」という犯人認定の言葉だけ。

よく、「木を見て森を見ず。」という言葉があります。
「大局観を失うな。」という意味になるわけですが、一人の人間がその時点でできることは、1本の木を植えることくらいですよ。
森をイメージしながら、1本の木を丹念に植えていく・・・その積み重ねの結果が、立派な森になるわけでしょ?
しかし、「あれも、これも」のダメダメ人間は、立派な森について「語る」だけで、自身では何もしない。「こんな森があったらいいなぁ・・・」と願望を語ったり、「あの○○のせいで森ができないんだ!」と犯人認定を語ったりするだけ。
だから、成果としての森につながるわけがないし、その前段階と言えるちょっとした林にもならない。

そのような人は成功体験が語れないというだけでなく、本当にやりたいことについても語れない。本当にやりたいことについて自分なりに自覚があれば、それ以外はとりあえず後回しとすることができるでしょ?
それができないということは、自分自身が本当にやりたいことについて自分で考えることから逃避しているんですね。
まずは、腰を落ち着けて、「どうしても、達成したいこと」について自分なりに考えるしかないわけです。それに、そんなことは、難しい話でもないでしょ?
とは言え、ダメダメ人間は、「あれも、これも」と焦った気持ちで、目の前のエサにパクリ、パクリ・・・そうして、結果的に何も達成できずに、「まあ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くだけ。そんなことを繰り返すものなんですね。

そのような人が、その人単独でオバカをやるのなら、その人の勝手でしょう。
しかし、「あれも、これも」の中の「あれも」には「子供を持つ」ということも入ってしまう。
まさに「子供を持たないと、損だ。」くらいの、断片的で二重否定的な発想で子供を作ってしまう。
「自分はこんなキャラクターで、こんな将来展望を持っていて、子供を持ったら、このように育てたい。」などと考えた上で子供を持つのではない。
まさに、「あれも、これも」の「もらいたがり」の精神で、子供に食いついただけ。

子供を持つというイヴェントに食いついたはいいとして、まさに「あれも、これも」の精神だから、スグに別のものに目移りしてしまう。
そして、自分の目の前に現れたものに食いつこうとする。
しかし、いったん、子供を持ってしまうと、簡単に食いつけない。
子供を放り出して新たなネタに食いつくことは、色々と差し障りがある。

こうなってくると、次なる「あれも、これも」ができない事態を、被害と捉えてしまって、その原因たる子供を加害者認定してしまう。
そうして、「あ〜あ、子供なんて作るんじゃなかった!」と子供の前で嘆くことになる。

「あれも、これも」と次々と食いつく人は、その人の判断なり好きで食いついているわけではない。
「食いつかないとマズイ。」という強迫的な心情を持っている。だからこそ、「食いつけないと」その強迫的な心情が刺激されてしまう。
そうして、「ああ!どうしよう!あの○○に手を付けたいけど、子供がいるし・・・」「ああ!困った!困った!」と嘆くことになる。
しかし、じゃあ、その○○をそんなにやりたいかというとそうでもない。
とにもかくにも、食いついておかないとマズイという強迫的な心理になっているだけ。

結局は、子供を放り出して、次なる「あれも、これも」に向うことになる。
「あれも、これも」とほしがる人は、まさにネグレクトに近いところにいるわけで、現実にそんな事件も起ったりしているでしょ?
プライオリティを付けられないということは、子育てと、レジャーのプライオリティも付けられないということ。
そんな人は、何も達成できないというだけでなく、子育てすら中途半端になってしまうんですね。

(終了)
***************************************************
発信後記

「あれも、これも」となると、旅行の時に、そんな感じで「がっつく」人もいますよね?
「せっかく来たんだから、有名な名所旧跡を、全部見なきゃいけない!」なんて焦っているような人。

なにか、韓国の女性観光客が、北朝鮮で射殺されたそうですが・・・
軍の施設の近所で殺されたわけですから、殺された女性が、軍のインテリジェンスの関係者の可能性もありますが、別のパターンだと、まったくの旅慣れていない人のパターンもあるでしょう。
韓国のことだから、ヘタをすれば、文盲かそれに近い人・・・そんなパターンの可能性もあるのでは?

そんな、旅慣れていない人は、旅行で舞い上がってしまうもの。オマケに、「有名な光景を全部見なきゃ!」と思って、それこそ早起きして、見に行く・・・なんてこともやるでしょう。
文盲だったら、逆に言うと、言葉が通じない場所には行けないもの。海外だと、事前に旅行パンフレットなり資料を読んでおかないといけないので、文字が読めない方は海外旅行はできない。

北朝鮮への旅行なんて、費用的に決して安くはないでしょうが、そんな事情があると、そこしか行けないわけ。おまけに、いわゆる景勝地だったら、教養はいらない。「この景色はキレイだなぁ・・・」と言っていればいい。「どうして、わざわざ北朝鮮への旅行なんて・・・ハワイにでも行けば、より安く済むし楽しいだろうに・・・」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、それは文明国の住民の発想。
それこそイタリアのフィレンツェにあるような美術品を楽しむには、それなりの教養がないと無理ですし、当然のことながら、文字が読めない方には、無理ですよ。

「あれも、これも」と「がっつく」のはいいとして、そんな発想だと何も得られないばかりではなく、失うものが大きい・・・って、シャレではなく、現実にそうなっているわけです。

しかし、その事件を受けて、北朝鮮のコメント「全部韓国が悪いんだ!謝罪を要求する!」って、見事なまでにお約束状態。事件を自分が起こしたのに、相手に対して怒り出し、「オレの方がもっとかわいそうなんだ!」「オレに謝れ!」と展開していくのは、それこそ中国の毒ギョーザ事件の構図とまったく同じでしょ?

このような発想は、何も一部のアジアの問題ではなく、ダメダメ人間の特徴であって、だから日本でも、起こっているわけです。そしてそのような人に対しては、早めにチェックして「避けるしかない」のが、万国共通の対策なんですね。
R.11/1/31