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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 08年8月1日  (10年4月27日,10年12月29日 記述を追加)
タイトル 親との関係改善 (実家との関係改善)
さて、食べ物の話題でよく議論になるのは「バナナはおやつになるのか?」・・・という問題・・・も、ありますが、もっとポピュラーに議論になるのは「好きなものから食べるのか?キライなものから食べるのか?」という問題です。
そんなことについては、議論?になったりするでしょ?食べる順番については、人によって様々ですよね?

「好きなものから食べるとダメダメなのか?」なんて思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、食べる順番は、それこそ人の好みですよ。

お腹が空いている時に、勢いよく、キライなものを食べてしまって、後でじっくりと好きなものを味わう・・・そんな考え方もあるでしょう。
あるいは、まずは好きなものを食べておいて、後で、覚悟を決めてキライなものを食べる・・・そんな習慣の人もいるでしょう。
後々までキライなものを残しておくと、うまくいけば食べなくても済む可能性もある。それに既にいっぱい食べた後だと、細かな味もわからなくなる。
それこそ、「いいお酒は最初に出して、もう味がわからない状態になったら、安い酒を出すものだ!」なんてことは、あの新約聖書にも書いてあるほど。

食べる順番なり、お酒の順番は、本当に人それぞれでしょう。結果的に、全部食べればいいだけ。

さて、食べる順番は人それぞれなんですが、ちょっと別のマターの順番だと明確な傾向があるもの。
たとえば、学校時代で問題集をやる・・・そんな場合を考えてみましょう。あるいは、試験問題に取り組む際も同じ。
「簡単な問題から取り組むのか?難しい問題から取り組むのか?」
そう聞かれたら、皆さんはどっち?

ほとんどの人は、「まずは簡単な問題から取り組む。」と答えるでしょ?
それこそ試験だったら、最初に難しい問題に取り組んで、それが解答できなかったらヘタをすると全滅の可能性もある。試験での成績云々以上に、そんな発想は落第ものですよ。
それに、まず簡単な問題に取り組んで、確実に実績を上げることによって、問題解決におけるある種の「見通し」も付いてくるでしょ?

「難しい問題も、シンプルな問題が組み合わさっただけ。」のケースも多い。まずはシンプルなケースでコツをつかみ、それを元に、複雑な問題に取り組めばいいじゃないの?
いきなり多くの視点が複雑に絡み合っているような難しい問題に取り組んでも、「自分は何が分かっていないのか?」「どのような問題だったらできるのか?」それすら分からなくなるでしょ?

とは言え、試験で全滅しても、その人の勝手。もちろん、周囲の人は呆れるでしょうが。
しかしダメダメ家庭出身者は、それと近いことをやっていたりするものなんですよ。

ダメダメ家庭の人間は、人との距離感がわからない。
このことについては、以前より頻繁に書いています。それこそ「シリアスでコミカルなハリネズミのジレンマ」なんてお題で、まとめたこともあります。
ダメダメ家庭の人間は、「人に入れ込んで」必要以上に近寄ったり、あるいは、何かあると脱兎のように逃げ出してしまって、人との間の適切な距離を保つことができないわけです。

そもそも会話の能力がないんだから、人とのやり取りをしようとしても困難な点が多い。
会話の能力がないだけでなく、自己逃避でもあるんだから、「自分が本当に相手に伝えたいことは何なのか?」そのことについて考えること自体から逃避している。だから、やり取りをしていても、「伝えたいこと」「分かってほしいこと」それが明確ではない。まあ、相手に分かってほしいこととすれば、「ワタシがかわいそうな人間であることをわかってほしい!」それくらい。

しかし、それって、要はグチでしょ?
グチを延々と聞かされれば、相手だって怒ってしまう。
相手から怒られて、まさにお約束のように脱兎のように逃げ出す始末。しかし、人との間の距離の問題こそ、文字通りに「人・間」にとっての大問題。誰だって簡単ではないもの。マトモ家庭出身者にとっても、その距離感の問題は難しいわけですが、ダメダメ家庭の人間は、自己逃避であるがゆえに、つまり自分自身との距離も取れないがゆえに、他者との適切な距離も取りようがないわけ。だから人間ではなく兎状態となってしまう。

そんなトラブルが続くと、そんな兎状態の人?も、考えることになる。
「人との付き合い」をどうやっていこうか?
「人との距離感の問題に、どのように対処すればいいのか?」
そんな問題意識を持つこと自体は、すばらしいことですよ。

ダメダメ人間の多くは、そんな問題意識にすら行かずに、「ああ!悪い時代だなぁ!」「アイツのせいで・・・こんな目に!」と他者を恨み、何かを犯人認定するだけ。

犯人認定の甘い罠に陥らずに済んでいる、あるいは、そこから脱却しようとしている「見所のある」「改善の可能性のある」ダメダメ人間は、「人との付き合い」「人との距離感」について、その人なりに考えることになる。

そんな状況の際に、割と多くの方が言い出すのは「親との関係改善」です。

疎遠になっている自分の親との関係から作り直して行こう!
親子関係は、人間関係の基本じゃないか!

そのように考え、「久しぶりに」実家に脚を運ぶことになる。

そのこと自体は、「理念」としては、結構なことですよね?
ただ、本当にそんなことができるの?
そもそも「関係改善」なんて、当人の気持ちだけでなく、相手の側も関係改善の気持ちを持っていないと無理でしょ?自分の側だけが、「何とかしないと!」なんて思っていても、うまくいくの?

この文章の初めの頃に、「試験問題は、簡単な問題から取り組むのか?難しい問題から取り組むのか?」
そんな喩え話を提示しました。
ダメダメ家庭出身者にとって、ダメダメな親との良好な関係を確立するなんて、とてつもなく難しい問題でしょ?
顔を合わせてやり取りしていると、過去の多くの思い出が脳裏に浮かんでくる。
そうなると、冷静な心理ではなくなってしまう。そのうえ、親の側は相変わらずグチを言い続けるだけ。

そんな状況で、どこが関係改善なんだか?

しかし、親子関係が、人間にとって基本的な関係であることは確かだし、周囲の人間にも通りがいい。実際に、ダメダメだった自分の親との関係が改善できれば、結構なことですよ。しかし、重要なことは、地理的な距離ではなく、心理的な距離でしょ?
あるいは、周囲に対する通りの良さではなく、自分自身にとっての心理的な落ち着きにつながることでしょ?

顔を合わせるたびに、不快な記憶がよみがえってきて、思考停止になってしまう・・・そんな状態だと、地理的な距離を確立しても、心理的な距離の面では、どうなっているの?
しかし、逆に言うと、地理的な距離を確定させることによって、心理的な距離の問題を考えることから逃避できることになる。

親と顔を合わせるたびに、「ああ!コイツのせいで、ワタシはメチャクチャにされてしまったんだ!」と改めて確認することになる。しかし、その言葉って、まさしく、その親が以前に言っていた言葉そのものでしょ?あるいは、久しぶりに訪ねてきた子供と顔を合わせながら、ダメダメな親が相変わらず言っているものでしょ?
逆に言うと、実家を訪ねていった子供の側も、そんな言葉を自分としても言いたいわけ。
親からのグチによって、同じ言葉を言う自分自身を弁護したいわけ。

ダメダメ家庭出身者の方で、結婚して子供が出来て、小学校に入学する・・・それくらいの時期に、そんな感じで「実家との関係改善」なんてことを言い出す人が多くいます。
何も特別の事例とは言えないものなんですよ。

何度も書きますが、親との関係改善が実際にできれば結構なことですよ。
しかし、重要なことは、心理的な面であって、地理的な面ではないわけ。
顔を合わせるようになっても、心が合わないのだったら、それって意味があるの?

結局は、心理的な面はおざなりにされてしまって、まさに思考停止状態。
そして、実家との問題を「最初」に取り組んで、それがなかなか解決されないものだから、その他の人との距離の問題も、放置されたまま。
もう、こうなると全滅でしょ?
試験問題に取り組む際には、簡単な問題から取り組んで、コツをつかんでから、最大の難問に取り組むのがいいんじゃないの?
人とのやり取りにおいても、ダメダメ家庭出身者にしてみれば、過去の経緯が存在しない新規の人とのやり取りで練習して、自分なりのコツをつかんで、自分のスキルを上げてから、最大の難問である実家の問題に取り組むのが、自然なのでは?
いきなり難問って、ちょっと無理がありますよ。

もちろん、解決する際の簡単さの問題だけでなく、その重要度の問題もあります。
試験問題だったら、たとえ難問でも、配点が高い問題だったら、その難問に取り組む必要があるでしょう。しかし、そのような場合でも、簡単な問題を「いくつか」解決することで、全滅のリスクを回避するとともに、問題解決のコツをつかんでから取り組むものでしょ?
人との付き合いの問題も、まずは簡単なケースから入って、実績を上げ、コツをつかむ・・・
目標を達成するためには、そんな方法の方が現実的でしょ?

しかし、ダメダメ家庭の人間は、ある種の減点法であって、「何かを達成したい!」と考えるのではなく、「人にケチを付けられたくない!」そんな発想で生きている。
人との距離の問題も、「人との付き合い方を何とか達成できるようにしたい。」と考えるよりも、「自分はこんなに努力しているんだ!」と周囲に見せるために、行動したりするもの。

努力のための努力なんだから、得られる結果は二の次となってしまう。
それに、努力のための努力なんだから、やることと言ったら、結局は「あーでもない!こーでもない!」と言うだけ。そしてそんなグチを中心としたやり取りをする際に、一番フィットした存在が誰なのか?
それって、グチばかり言っているダメダメな親でしょ?

何度も書きますが、結果的に実家との関係改善ができれば結構なことですよ。しかし、地理的な距離が確定しても、心理的な距離が確定できないのなら、何の意味もありませんよ。
しかし、地理的には親との距離を確定できたのだから、自分にとっても言い訳になる。
だから、ますます心理的な距離の問題はおざなりになったまま。

それこそ、親との関係改善はいいとして、自分の親以外と人とちゃんとやり取りができているの?
それなりにやり取りができているのなら、無理にダメダメな親とやり取りをする必要はないのでは?それなりにできている現状を、より向上させた方が利口でしょ?
もし、周囲の人と適切なやり取りができていない状態だったら、コミュニケーション能力の低いダメダメな親ではなく、まずは、コミュニケーション能力の高い人とやり取りした方がラクというものですよ。
そんな人とのやり取りからコミュニケーション能力の習得もできますからね。
そんな成功体験がないと、やり取りが不全となった場合に、どこに問題があったのかがわからないでしょ?
成功体験があるからこそ、失敗について具体的に認識できるわけでしょ?

ダメダメな親と久しぶりに顔を合わせて、結果として、気持ちが通じ合うことになるのなら結構なことですが、現実では、行動や物言いそのものが親子で通じ合うことになってしまう。
そうして、親子一緒になって、「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と楽しいひと時となってしまう。まあ、関係が改善できて確かにヨカッタですねぇ。
相手が「その気」にならない限り、関係改善と言っても、それ以外の形にはなりようがないわけ。ダメダメな親との関係が改善しても、自分の状態は改善しないままどころか、悪くなってしまう。

ダメダメな親との関係改善を掲げる場合には、「人からよく見られたい」という「いい子ちゃん」志向があったり、目立つ不都合な点を、とりあえず除去していこうという減点法の発想が見えることが多いもの。

減点法の「いい人」志向で、周囲への通りの良さとか、義務感から無理に和解しようとして、逆に、感情が昂ぶって思考停止になってしまって、判断ができなくなってしまう。だから判断保留の状態のまま、ずっと過ごす。
だからアンタッチャブル領域がどんどんと拡大して、結局はドッカーンとなってしまう
あるいは、親以外の人間を犯人認定して、親子で納得することになる。
その手の親子において、犯人として合意できるのは、今まで関係がなかった新参者であり、現実的には、新たに生まれたその人の子供になってしまう。
そうして「この子が生まれたせいでうまくいかない!」と親子で嘆き、絆を深めることになる。
何とも、まあ!子は親の鏡そのもの。

本来なら、ダメダメな親との間など、関係改善などする必要もないわけですが、周囲への通りのいい「いい子ちゃん」の流儀に従っておけば、当人自身では考えなくてもいい。
だから、「いい子ちゃん」の義務として、親との関係改善を図り、自分の子供を生贄に差し出してしまう。
それが親子の和解の本来の姿なの?それが目的だったの?
しかし、ダメダメ家庭においては共通の敵による結びつきがポピュラーであり、相手方がダメダメのメンタリティーを持っている限り、そんな形での和解になってしまうわけです。

そのような和解なり関係改善となると、個人と個人との間の付き合いだけでなく、国と国との間の付き合いでもまったく同じでしょ?
国と国の間においても、国境を接している間柄といる隣の国同士は、往々にして関係が悪いもの。
まあ、過去に色々とあるわけですからね。
だから隣同士の国の関係は、一番難しい。
それこそ、日本にとっての、韓国なり中国がその典型でしょ?

だったら、もっと遠くにあり、過去のトラブルがない国とのやり取りで、実績を積み重ねて行った方が合理的なんですね。それを踏まえて、一番難しい関係である近隣諸国との関係を整えていけばいいだけ。

最初に近隣諸国との関係を確立しようとすると、過去の問題が次々と出てきて、前に進めない。だから、結局は何も得るものがない。
その近隣諸国がマトモな国ならまだしも、それこそ韓国とか中国のようなダメダメな国だったら、ヘタにそんなダメダメなところとやり取りを続けていると、日本だって、「朱に交われば・・・」でダメダメになってしまう。

本来は、近隣諸国とは無理に良好な関係になる必要もなく、「大きな問題がない」くらいにしておけばいいだけ。そして、今までにちゃんとやり取りできていたところと、もっとしっかりやり取りをすればいいだけ。

地理的に近くだからとか、あるいは肉親だからとかの理屈を持ち出して、ダメダメなところと良好な関係を築こうとすると、当人が持っていた多くの可能性を失ってしまう。そして、結果的に「良好な関係」になってしまったダメダメ仲間と一緒になって、「あ〜あ、アイツのせいでオレたちはうまく行かない!」「ホント、イヤな時代だなぁ・・・」などとグチ大会。
何度も書きますが、相手側がダメダメに安住しているのであれば、それ以外の関係改善はありえないでしょ?

そんなダメダメ集団を、周囲のマトモな人たちが呆れて見ている・・・そんな光景は結構あったりするでしょ?そもそも、実家との関係改善をしようとしたきっかけは、周囲のマトモな人たちと、それまで以上に、ちゃんとしたやり取りをするためのものじゃなかったの?
しかし、現実としては、ダメダメな実家と関係改善を果たして、マトモな社会から相手にされなくなってしまう。
実家との関係改善という立派な目標も、そんなパターンに陥る危険性が大きいんですね。

(終了)
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発信後記

複雑に見える問題も、シンプルな視点が組み合わさっただけなのは、学校での試験問題も、ダメダメの問題も同じです。
まずは、基本がわかっていないと、組み合わせようがない。

ダメダメ家庭の基本は、当事者意識のなさ・・・そしてそこから派生してくる被害者意識や会話の不全となります。親の当事者意識の問題だったら、ダメダメな親は「子供を「育てる」当事者意識がない・・・だから子育てを自分が被った被害と捉えて、そして子供に報復するようになるわけ。
報復とまではいかなくても、子育ては被害と考えていることは変わりない。だから報復しなければネグレクトに近くなる。

そんな心理を理解していると、だいたいのことは理解できるものです。
そして、その基本が、それぞれの境界条件で、様々な形での発現を見せるわけですが、その発現のスタイルは、このメールマガジンで、色々と記述しております。
あとは、それを皆様が、ダメダメの基本を上手に組み合わせると、報道されているダメダメ家庭の問題が理解できるようになってきたでしょ?

それこそ、先日、奈良県で、5歳と4歳の兄弟が池に落ちて、42歳の祖父が通報した・・・とかの事件も、そのような事例を理解する視点は、このメールマガジンで頻繁にふれております。
そのお亡くなりになった子供たちの、名前の漢字が特徴的なことも、ある意味においてお約束。

事件が起こってから大騒ぎするよりも、事件が起こらないように、適宜チェックする・・・
そうすれば、ダメダメ家庭の事件を避けることができるわけですし、そのためのチェクポイントは、それほど難しいものではないわけです。子供に直接に報復しないからといって、マトモとは言えないわけ。誰でもわかるチェックポイントを無視する・・・それも立派なネグレクトですよ。
R.10/12/29