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カテゴリー ダメダメ家庭の認定行動
配信日 08年8月4日  (10年6月27日 記述を追加)
タイトル 規範認定
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。だから自分自身では考えない。
というか、抑圧的であり、自分で認識し、判断することに対して、心理的な恐怖を持っている。
そんな人は、ただ、周囲の人に合わせているだけ。そして、周囲に合わせているだけの自分のスタイルを「ふつう」と呼んで自画自賛する。

周囲の人を参考にすると言っても、自分自身に目標があって、その実現のための方法論として、「あの○○さんは、ちゃんと成果をあげている。だから、その○○さんの行動を参考にしよう!」と思って、参考にする。
マトモな人間なら、そんなこともありますよね?

しかし、ダメダメ家庭の人間は、そもそも自分が実現したい目標自体がないんだから、「その実現のために、○○さんを参考にする。」・・・なんて発想は起きようがない。なんとなく、周囲の人間に合わせているだけ。
しかし、そんな日々だから、うまく行くわけもない。
うまく行かないんだから、やっぱり、うまく行っている誰かさんを見る・・・ことになる。

そんな人は、自分が実現したいことの達成のために、参考にするのではなく、むしろ「規範」として受け入れることになる。
「あの○○さんの行動を、マネするべきなのだ!」
そうやって無条件にマネしようとする。
誰かを規範として認定するわけです。
そうして、その規範認定した人の行動に、自分自身を無条件で「合わせよう」とする。
人の行動をまねることが、方法論ではなく、目的そのものになってしまうわけです。

ここで注意することは、ダメダメ家庭の人間がやるのは、規範認定であって、目標認定ではないことです。そもそも目標という発想そのものがないんだから、誰かを目標認定しようがないじゃないの?別の言い方をすると、その人の行動の「いいところを取り入れる」という肯定的な参考の仕方ではなく、「違っているのが怖い」という、二重否定的な参考の仕方になってしまう。

ダメダメ人間がやるのは、いわば問答無用の「規範」を、自分から求めてしまうこと。問答無用であるがゆえに、逆に言うと、自分で考えなくてもよくなる。
自分自身を抑圧している人間にしてみれば、自分自身に「規範」を課すことによって、思考することから解放されることになる。ダメダメ人間というものは、「抑圧」と「解放」が、同じ意味となる場合があるわけです。以前にエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を取り上げた際にも申し上げましたが、いわばマゾヒズムを持っているもの。
規範というと、聞こえはいいわけですが、マゾプレイにおける「荒縄?」のようなものなんですね。キツク縛られるがゆえに、何もする必要がなく、それゆえにカイカンとなっている。まあ、そんなことだから、ますますダメダメになっちゃうわけですが・・・

このことに関連して、以前に面白い文章を読んだことがあります。
クラシック音楽の評論家の文章でした。
「ワタシは、この指揮者を、自分の規範としようと思った。」なんて書いてある。

どうして規範なの?
本来は、人の表現なんて人それぞれ。それは芸術的な分野だったら、より顕著でしょ?それぞれのアーティストが、それぞれの表現をする。それが芸術じゃないの?何も規範なんて設定しなくてもいいじゃないの?というか、規範というものとは最も遠い分野が芸術分野なのでは?
しかし、自分に規範を設定することで、それぞれのアーティストの、多様な表現について考えなくても済むわけでしょ?「この表現者はどんな意図を持って、このような表現にしたのだろうか?」そんなことを考えることが本来の批評家の仕事でしょうが、そんな思考から逃避してしまい、「規範となる○○の表現と違っているからケシカラン!」そう言っていればいいだけ。まあ、そんな程度の評論家って、結構多いでしょ?

まあ、評論家なんて、精神的に抑圧された存在であることは、芸術の歴史を紐解いたことがある人だったら常識として分かっていること。本当にモノが見える人だったり、創造的なインスピレーションがある人なら、人の作品にケチを付けるのではなく、自分で何かをやりますよ。
まあ、評論家がバカをやるのは勝手でしょう。どうせ、それ以外のこともできない人たちなんでしょうしね。
しかし、現実の世界でも、そんな規範探しや規範認定をする人はいたりするんですね。

「とにもかくにも、あの○○さんをマネするべきなのだ!」
あるいは、家族からこんな感じて要求されたりする。
「あの○○さんを、見習え!」

規範認定をすることによって、規範認定する側にも問題が発生しますし、規範認定される側の問題にも問題が発生したりします。
「規範とされる側に発生する問題って、何なの?」
「人から規範とされたんだから、名誉なことでしょう?」
「今後とも、規範としてもらえるように精進すればいいじゃないの?」

まあ、一般的な人はそう考えるでしょう。しかし、物事はそうは簡単じゃあない。

そもそも自分自身でやり遂げたい目標がないがゆえの規範認定なんだから、前にも書いたように問答無用になる。抑圧された人にしてみれば、その問答無用のスタイルが自分で考えることからの解放になるので、精神的なラクさにつながっているわけですが、たまには、やっぱり鬱陶しくなる。
あるいは、「あの○○さんは、ワタシの規範だ!」と自分から設定した「以外」のケースもあります。つまり家族や周囲の人から「あの○○さんを見習え!」と要求されたら、やっぱり鬱陶しい。

勝手に規範認定されてしまった○○さんにしてみれば、全然預かり知らぬことであっても、「○○さんを規範としなくてはいけない!」と思っている人にしてみれば、その○○さんは、自分を束縛し抑圧する存在になってしまっている。そうなると、いわば敵認定されてしまう。

「あの○○さんのせいで、ワタシはやりたいことができない!」

そんな言葉を聞かされても、じゃあ、「アンタのやりたいことって、具体的には何なの?」なんて聞きたいところですが、それは当人だってわからない。だからこそ、「アイツのせいで・・・」という思いが強くなるばかり。
オマケに、あの○○さんをマネしたのに、結果としてうまく行かなかった・・・なんてことになると、やっぱり「アイツのせいで・・・」と、その規範となった○○さんを恨むことになる。

規範認定は、敵認定と結びつきやすい。
いわば、人を勝手に規範認定して、その後に勝手に敵認定。
そうして、「せっかく、あの○○さんを参考にしていたのに・・・」、「あの○○のせいで、困ったことに・・・」、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」とお約束のグチ。

その○○さんにしてみれば、いつのまにか規範認定され、いつのまにか諸悪の根源になってしまう。
ギャグを書いていると思われる方もいらっしゃるでしょ?しかし、現実にあったりするものなんですね。

ちなみに、この規範認定される対象としては、人間だけではありません。
それこそ、有名な書籍や作品のケースもあります。
日本国憲法を絶対視して、「憲法を生活に生かそう!」なんて人たちがいますが、まさに、今回の規範認定の心理の典型でしょ?
あるいは、宗教書を絶対視する人もいますよね?

別のところにも書いておりますが、「憲法に書いてあるから軍隊を持ってはいけない。侵略を受けても、無抵抗でいる必要があるんだ!」という「政治的」な主張も、「聖書に書いてあるから病気になっても輸血はしない。そのような治療行為はいけないんだ!」という「宗教的」な主張も、今回の「規範認定」の心理なり、より一般化されたマゾヒズムの心理から見てみると、実に共通性が高く、理解しやすいでしょ?

あるいは、とあるノンフィクション作家が、車の運転の際に使用するカーナビに対して文句を付けている文章があるそうです。
なんでも、「カーナビは、運転者が道を間違った場合などに対して、臨機応変な対応ができないから、ケシカラン!」と言うことらしい。

しっかし・・・カーナビなんて、もともとがそんなものでしょ?
しかし、規範認定の心理があるがゆえに、つまり、自分を判断の場から解放してくれるものであるがゆえに、過剰に期待してしまう。
過剰に期待して、結局は、「ああ!裏切られたわ!」と敵認定。

まあ、カーナビに対してケチを付けているくらいならともかく、新興宗教団体も、そんなパターンでしょ?
あの手の団体は、信者に対して、「考える」ことから解放してあげようとする。
「こうしなさい!」「このようにすべき!」と問答無用に指導することで、信者は、その教義を「学び」「従う」だけでよくなる。
信者さんも、そのまま、従っていればいいわけですが、後で「回心?」すると、「ああ!ワタシは騙されていたんだわ!」と嘆き、「教祖の○○は、なんて悪いヤツなんだ!」と立腹することになる。
しかし、拘束されることを求める心理はそのままなので、次には、別のものに「従おう」としてしまう。

新興宗教に対する、「拘束」と「敵認定」の繰り返しは、カーナビに対する「恭順」と「反発」と、心理的には同じなんですね。
分野は色々とあっても、規範認定と敵認定は、つながりやすい。

人から規範とされている状態だったら、早めに逃げた方がいい・・・なんて、マトモな世界の人には意味不明でしょうが、結構シリアスでポピュラーな事例なんですよ。

(終了)
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発信後記

今回は、このように規範認定を取り上げましたが、今週は、ダメダメ家庭の人間が行う、この手の「勝手に認定」をいくつか取り上げる予定です。
勝手に認定されるだけに、その認定がスグに変化してしまうことになる。往々にして最後には敵認定されて、報復されることになる。

まあ、ダメダメ家庭の人間とは距離をとることが最善なんですね。
R.11/1/15