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カテゴリー ダメダメ家庭の認定行動
配信日 08年8月8日  (10年4月22日,10年11月2日 に記述を追加)
タイトル 人脈認定
親しき仲にも礼儀あり・・・なんて言葉もあります。
どんなに親しい間柄でも、最低限の礼儀は必要でしょ?礼儀と言うか、相手への配慮というか・・・

しかし、その言葉は、ダメダメ家庭の人間には、あまり縁がない言葉。
そもそもダメダメ家庭の人間に「親しき仲」なんて存在しないことが多い。会話の能力が無く、自分で自分のことがわかっていないダメダメ人間と一緒にいたいと思う人間なんていませんよ。
それにダメダメ家庭の人間は、あまり礼儀がない。
そもそも人付き合いの基本を親から習得してこなかったので、基本的な礼儀がわからないわけ。
だからこそ「親しき仲」もないし、「礼儀」もなくなってしまう。

ダメダメ家庭の人間は、他者との距離感が上手に取れないわけ。だから、「この人はワタシのことをわかってくれる!」と思うと、その人に入れ込んだり、「コイツはワタシの敵だ!」と認定すると、やたら敵対し、クレーマーのようになったりする。
お互いの立場を尊重した適切な距離を取ることができないわけ。だって、そもそもダメダメ人間は自分自身から逃避しているわけですからね。自分自身との適切な距離が取れない人間が、他者との距離なんて上手に取れませんよ。

そんなことで、ダメダメ家庭の人間は、友人というか、話し相手が少なくなってしまう。
そんな状態で、自分自身を見つめ、「自分自身がやりたいこと、相手に伝えたいことは何なのか?」そのことについて自分なりに考えていけば救いがあるわけですが、自己から逃避するのがダメダメ家庭の人間なんだから、そんなわけには行かない。何度も書きますが、他者との距離を取れない以上に、自分自身が見えていないわけ。

自分自身を見たくないものだから、結局は、話し相手を探すことになる。
話し相手を探し、実際に話をしたと言っても、会話の能力がないのだから、話をしても「話が弾んだかどうか?」の判断も間違ってしまう。
「あの人とは楽しいおしゃべりをしたわ!」と、当人が思っていても、その相手の人は、「なんだかツマンナイおしゃべりだったなぁ・・・」となってしまうもの。
このような「会話の評価の行き違い」については、以前に配信しております。

やり取りをした片方が「ツマンナかった。」と思っても、当人が楽しかったと思っちゃっているので、厄介なことになる。
そもそも、ダメダメ家庭の人間は、家庭内で「楽しい」やり取りなんてしていないわけですからね。楽しいやり取りと認識する基準がそもそも違っているわけ。ということで、「一緒に楽しいおしゃべりをした。」と勝手に思ってしまったダメダメ人間は、形の上ではやり取りが成立した相手に対し、「自分の人脈」として認定したりするんですね。

「彼はオレの人脈だ!」「彼女は、ワタシの人脈よ!」
そんな感じ。しかし、「人脈」って言葉を臆面も無く使うような人間にマトモな人はいませんよ。まあ、一般的に使う言葉は「仲がいい」くらいでしょ?

「仲良し認定」だったら、仲が悪くなったら自然消滅。しかし、人脈認定はなかなか消滅しない。だって、仲がよくない状態でも、人脈であることはできるでしょ?
それに、ダメダメ家庭の人間は、自分の親の人付き合いの姿から、仲がいい状態とはどんなものなのかについて習得していない。だから、とにもかくにも、自分の話に付き合ってくれるというだけで、人脈認定されてしまうんですね。

しかし、会話もできない人から「人脈認定」されてしまうと、「まとわりつかれる」ことになってしまう。「まとわりつき」は「入れ込み」とは違います。カタストロフになることはありません。
しかし、いずれにせよ、厄介であることは確か。

そんなダメダメ人間は、会話が弾んだ結果として、それなりの相互理解の結果として、緒にいるというのではなく、一応やり取りが成立したというだけで、「人脈認定」するものなんですね。
だから、それは修正が利かない。だって、会話不全の人なんだから、会話で説明しようがないじゃないの?それに「アナタとは話が弾んでいないよ。だから仲がいいわけではないよ。」って、直接的には中々言いにくいもの。
そんなことを間接的な言葉で伝えようとして、色々な言葉で説明しても、人脈認定している人にしてみれば、そんなやり取りこそがまさしく「楽しい会話」になってしまう。そもそも、人の気持ちがわからず、皮肉が通じない人たちなんだし・・・

ダメダメ家庭は、会話不全の家庭であり、当事者意識が欠如した家庭といえます。当事者意識が欠如して、自分自身で考えることから逃避しているので、そんな人たちは、ブランド志向を持っていたり、やたらレッテルを貼りたがるもの。
そんな人は、誰かに「自分の人脈」というレッテルを貼っちゃうんですね。
「一緒にいると楽しい」という認識ではなく、「単なる人脈認定」なんだから、会話が無くてもOK。

勝手に他者を人脈認定するのはいいとして、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉と無縁の人なんだからタチが悪い。当然のこととして、そんな人からは、周囲の人間は離れていってしまう。まあ、親しき仲には礼儀があっても、人脈には礼儀がなかったりするもの。
それこそ用もないのに電話してきたり・・・それも、ちょっと困った時間とか・・・
せめて内容が楽しいものならともかく、相変わらずのツマラナさなんだから始末が悪い。
あるいは、自分で簡単に調べられるような内容について、訊ねてきたりする。
その心理は、「ワタシに構って!」に過ぎないわけ。

その手の「人脈認定」をする人は、「この人は、自分の人脈である。」ことを確認するために、相手が「自分の甘えをどれくらい受容してくれるのか?」それを測るようなことをしたりするんですね。
ちょっと困ったようなことをわざとやって、どれくらい受け入れてくれるのか?それを見ているわけ。別の言い方をすると、「どれくらいまで、ワタシに構ってくれるのか?」「どれくらいまで、ワタシを甘えさせてくれるのか?」について見ているわけです。

ヘタに受け入れたりすると、より一層ランクの高い人脈に格上げ。
そして、より一層、まとわりつかれる。

拒否すると、人脈認定から一転して、敵認定。
そうして、いやがらせ。

やり取りの積み重ねの結果として、いわゆる人脈となるのだったら、それはアリでしょう。
しかし、この手のダメダメ人間は、人脈を作るために、そして、その相手が自分の人脈であることを確認するために行動したりするもの。
そんな人とのやり取りをしても、「で、結局は、アイツは何をしたかったの?何を言いたかったの?」と怪訝に思うだけ。
そんなやり取りって、実際にあったりするでしょ?

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、信頼というものが心理的には理解できないわけ。
好意という断片的な感情のレヴェルまでは理解できても、相互理解を積み重ねることによって達成される信頼については、その発想自体として存在しないわけ。
そんな人が語る、人脈というのは、相互理解も、信頼もない状態の関係。
そんな関係を高らかに自慢されても、ドン引きするだけですし、自分の人脈自慢ができる相手ということで、ヘタをすれば、聞かされる側も人脈認定されてしまう。
そうして、付きまとわれることに。

以前にも書きましたが、ダメダメ家庭の親は子供に対して「友人を作れ!」と厳命したりする。いわば「ふつう」の子供の「あるべき姿」として、多くの友人を持つ必要がある・・・そんな発想になっている。何事も形から入っているわけ。

そんな環境で育っているので、人間関係の形を整えることに強迫的になってしまう。
まさに目を血走らせて、「ああ!人脈を作らないと!」と切羽詰っているわけ。
しかし、そんな感じで、目を血走らせている人と、「仲良く」なりたいと思う人はいないでしょ?

結局は、親からの要求と、友人からの拒否の間で、一種のダブルバインド的な状況になってしまう。
だから、ますます切羽詰ってしまって、ますます「とにもかくにも、人脈を作らないと!」と焦ってしまう。
周囲から避けられてしまうと、今度は、「ああ!ワタシは皆から相手にされていない!」と、「かわいそうな自分」というアピールをすることによって、周囲から同情を勝ち取り、それによって、人間関係を構築しようとするわけ。

個人でもよく見られる事例ですが、それを国家規模でやっているのは北朝鮮でしょ?中国を人脈認定しているようですが、「まとわりつかれても」中国だって迷惑ですよ。そもそも北朝鮮は礼儀知らずの国なんだし・・・
現実では「シっ!シっ!アッチへ行け!」なんて中国も思っているんでしょうね。

国家規模でやるのは、サスガ北朝鮮といえ、まあ、それほどポピュラーとは言えない。しかし、個人規模では、結構ポピュラーな事例です。
他者を人脈認定することで、その人の実際の人脈なんて、どんどんとなくなっていくものなんですね。

そして、誰かに人脈というレッテルを貼り付けて、勝手に盛り上がっている人の姿から、その人の親の姿が見えてくるもの。
その手の親は、「自分の子供」という関係性は散々と語りますが、そのやり取りにおいては、礼儀もなく、配慮もなく、相互理解もなく、相互に信頼感を持っていない関係だったりするでしょ?
人脈という観点でみれば、まさに「子は親の鏡」だったりするものなんですね。

(終了)
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発信後記

最近は異常に暑いので、皆さんも「暑い!暑い!」と汗が出ていることでしょう。
夏に「暑い!暑い!」と汗が吹き出るのは、人間として当然。
しかし、中には冬においても「暑い!暑い!」とやたら汗を出している人もいますよね?
まあ、ちょっと太目の体格の人に多い。

まあ、その手の暑がりの人は、オフィスにいたりすると、「暑い!暑い!」と言いながら、部屋のエアコンの設定温度を勝手に下げてしまって、周囲とモメたり・・・なんてシーンもありますよね?
「勝手にエアコンの温度を下げないでよ!」「おいおい!汗まみれのアンタの顔が一番暑苦しいよ!」

以前に、カレン・カーペンターについて調べるために本を読んでいたら、そのような寒い温度での汗は、新陳代謝と関係があるとのことでした。
沢山食べる人は、その食べ物を身体の中で消費するために、新陳代謝が非常に活発になって、それが体温の上昇なり、それに伴って汗が出たり・・・するんだそう。
それに対し、あまり食べない人は、少ない食料を大事に消費するために、新陳代謝が不活発で、だから体温が上昇せずに、汗も出さない・・・んだそう。

ダイエットに入れ込んでいる人は、新陳代謝を活発にする薬を飲むことによって、身体の中のカロリーをどんどんと消費して痩せようとするんだそう。

まあ、新陳代謝が不活発状態というと、いわば一種の仮死のようなもの。もっと一般的だと動物の冬眠がそれですね。冬眠はともかく、これだけ暑いと、シエスタ(昼寝)も、一般的になってもいいように思うんですよ。
これだけ暑いとエアコン付けても、効率あがりませんからね。皆でいっせいに昼寝するのも、環境に配慮することになるように思うんですが。
R.10/11/2