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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 08年9月5日
タイトル 問題のすりかえ
「ダメダメ家庭は当事者意識がない。」って、もうお約束の書き出しとなってしまっています。
しかし、その点を抜きにしてダメダメ家庭の問題は何も理解できるものではない。
当事者意識のない人間に対しは何も言いようがないでしょ?そんな人に対して、何を言っても自分のこととは思わないんだから、たとえ聞いたとしても、対処は何もしない。
もともと物事を自分でやるものと思っていないので、不都合な事態になったとしても自覚のしようがなく、問題意識もない。
自分の問題点を注意されても、誰か別の人間の問題点と見なすだけで他人事状態。そしてヘタをすると、その別の人間を注意するだけ。
いつの間にか議論の中心点がすり替わってしまうわけ。

それこそ、ある家族が上手く行っていない場合がありますよね?まさにこのメールマガジンで記述するダメダメ家庭状態。そうなると、子供も学校で問題行動を起こしたりする。
学校から呼び出しがあって、教員がその親に『もっとしっかり監督をしてください。親子の会話をもっと頻繁に。』なんて親に対して注意をしても無意味なわけ。
そんな親は、その面談の後で子供に言うことになるだけ。
「オイ!今の話はオマエも耳が痛かっただろう?これからはちゃんとするんだぞ!」
そんな調子になってしまう。

たとえ、面談の場で、教員が親に注意したとしても、当事者意識のない親には「馬の耳に念仏」となってしまう。むしろ、子供に対し「もうこれ以上、ワタシに迷惑を掛けるんじゃないぞ!」と説教するだけなんですね。

ということで、親の監督が不十分ということで注意しても、子供の問題になってしまう。となると、子供はますます「気を使う」ようになって、ますますストレスがたまって、より問題行動を起こす。考えてみれば実に自然な流れでしょ?

そのような流れは「ダメダメな親は子育てに当事者意識がない。」ということを理解すれば簡単に理解できるものです。勿論のこと、マトモな親の方にしてみれば、「子育てに当事者意識のない親」という存在が理解できないかもしれませんが。

『子育てに当事者意識がないのなら、どうして子供を作ったの?』
そのように疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、ダメダメ家庭の世界では逆なんですね。子育てに当事者意識がないからこそ、「将来について何も考えずに」「覚悟もなく」子供を作れるわけ。だって、子育てに対する責任感なんて全然持っていないんですからね。ヘンな話になりますが、避妊というのは、子育てに当事者意識があるからこそするものであって、日頃から、「てきとう」「なるようにしかならない」という人間は、避妊もしませんよ。だから、結果的に子供ができてしまう。そして、親となった当人としては、「ワタシは子供がほしかったわけではないんだから・・・」「あ〜あ、子育てなんて、めんどくさい!」と被害者意識を持ってしまうだけ。
結局は、その子供をネグレクトしてしまう。

かなり前に、実に似た例が報道されていました。
何でも、大阪の学校では、学校で飼育している動物のエサを、休日前にまとめてあげているんだそうです。まあ、「オイ!動物たちよ!事前にまとめてエサをあげておくから、休みの間は少しずつ食べるんだぞ!」と言うことのようです。
勿論、飼育されている動物が、エサを少しずつ食べるわけがないのでしょう?しかし、そんな発想だと、その動物に健康上の問題が起こったら、エサをまとめて食べた動物のせいになってしまうわけ。動物に対して「どうしてエサを少しずつ食べなかったんだ!ケシカラン!」と怒ってオシマイ。

しかし、さすがに『それは違うんじゃないの?』と言った指摘があったそうで、それに対し学校側は、「教員の残業の問題があって、休日にエサをあげに来るのは難しい。」と、反論したそうです。

その理由は理由でいいとして、『じゃあ、何故に、学校で動物を飼ったりしたの?』と思いますよね?何も動物なんて飼わなくてもいいじゃないの?法律で決まっているわけではあるまいし。したくもない仕事が増えるだけでしょ?
しかし、何も当事者意識がなく、何も責任感がないと、「て・き・と・う」に始めてしまうわけ。そして後になって不都合な事態が起こってしまっても、自分とは別の問題だと勝手に思ってしまう。
動物のエサの食べ方の問題とか、残業制度の問題とかに、問題点がすりかわってしまうわけです。
他のファクターばかりを考え、動物を飼うという最初の段階で、当事者意識をもって、じっくり考えていない・・・そのような最も基本的な点について、考慮が届かないわけ。

このようなことは、家庭内における子育てとまったく同じです。
そもそもダメダメ家庭では、子供を作る前に、「自分たちで子供を育てられるのか?」「今ほしいのか?」「どんな人間に育ってほしいのか?」そんな思考は何もない。まさに「て・き・と・う」に子供を作ってしまう。ダメダメ家庭においては、子供を作るというのは、「避妊をしない」という二重否定の結果であって、「子供がほしい」という肯定的な思考の結果ではないわけ。だから子育てにおいて当事者意識などとは無縁となっている。
そんな家庭の子供が順調に育つわけもなく、子供がトラブルを起こして、親は対処するどころか「ああ!子供が問題を起こしてしまった!」「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と自分を哀れむばかり。

それこそ「社会が悪い!」とか「時代が悪い!」とか、「夫は子育てに非協力的だ!」などと、何かを犯人認定することに。
そのように思うのなら、それはそれでいいのですが、そんな悪い時代や出来の悪い夫との間に子供を作ってはダメでしょ?ちょっとは自分で考えればいいじゃないの?

大阪の学校での動物飼育の例を出しましたが、実際に、休日前に自分の子供に食事をまとめて作っておいて、当人は泊りがけでスケートボードに出かけてしまった母親の例も報道されていました。
そんな母親は、子供が問題行動を起こしても、「まとめて用意いてあった食事を、計画的に食べられない子供の問題」にしてしまうわけ。だから、逆に言うと、そんな母親にどれだけ注意してもムダなんですね。

そんな親は、給食費の支払いも、当然のように拒否することになる。
その親に色々と事情なり考えはあるでしょうが、そもそも子供を作ることが間違いでしょ?
最初の段階でもっとじっくり考えれば、トラブルも起きませんよ。思う存分スケートボードもできますよ。

まあ、最近では、ダメダメ家庭だけではなく、政治の世界でも、そんな感じでしょ?
「いつ辞めると、迷惑が掛からないのか?」なんて方向での思考をするよりも、自分自身を客観的に見つめ、「自分はそもそも総理になってはいけない人間」と『最初に』判断するのがマトモな人間ですよ。福田さんは、まったく当事者意識がない。自分を客観的に見ることができるのかもしれませんが、当事者意識を持って見ているのではなく、被害者意識を持って見ているわけ。だからあんなことも平気で出来てしまう。
あんな事態を家庭内でやってしまうと、まさにダメダメ家庭になるわけです。

社会の多くの制度は、「親は子育てに当事者意識を持つ」ことが大前提になっていますよね?しかし、ダメダメな親は、「子育てに被害者意識を持っている」もの。そんな前提で考えないと、ダメダメ家庭の問題に対する対応なんてできないわけです。ヘタに親に注意しても、その義務が子供に横流しされ、問題がすり替わってしまうだけなんですね。

実際に、「その手」の人の言葉を聞いたりすると、「さっきからグダグダ言っているけど、それって本来はアンタの仕事じゃないの?」と思わされることって多いでしょ?そのような人は、家庭の問題だけでなく、あらゆることについてそんな感じでしょ?

この手の「問題のすり替え」を意識的にやっているのなら、大人の便法というものでしょう。しかし、ダメダメ人間は、そもそも自己逃避なんだから、そんな「すり替え」を無意識的にやっているわけ。だから自覚が何もなく、それゆえに人から指摘されると、「そんなことはしていないわ!」と逆上し、それこそ「社会が悪いのよ!」「アイツが悪い!」などと、やっぱり別の問題にしてしまう。

そんな人間とやり取りしても疲れるだけだし、危険なだけ。
あるいは、そんな親の元で育ったのなら、それを早めに自覚して、自分自身で注意していくしかないわけです。

(終了)
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発信後記

本文中で時事ネタに類することについて言及しておりますが、この文章も1年以上前にはドラフトが上がっておりました。
まあ、福田さんの突然の辞任も、大阪の学校の動物飼育の問題も、当事者意識の欠如という点で、実に共通性が多いもの。トラブル対応というより、最初が間違っているわけ。
まあ、学校の教員と同じように、福田さんも、親によるコネでその立場に就いたわけだから、行動も似ているのかな?
R.10/12/13