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カテゴリー | ダメダメ家庭の人間の行動 |
配信日 | 08年9月19日 (10年12月24日 記述を追加) |
タイトル | 人に言わせたがる (しかたがないから、やってやる) |
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がなく、被害者意識だけがある。 当事者意識がないので、何事も受け身の形で認識する。だからこそ、何をやっていても「自分はこのことを、人から要求されて、やらされている。」と思うようになる。 自分が進んでやっているというより、「アイツが言うから、しかたがなく『やってやる』」そんな感じなんですね。 人から言われて、やらされているのと思っているで、自分で考えて解決しようとは思わない。何かトラブルがあっても、「アイツがやれって言ったから、しょうがなくやってやったのに・・・こんなことになってしまって・・・・ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」そんなグチに終始するだけ。 まあ、その手のグチは実際にお聞きになった方も多いでしょ? しかし、「アイツがやれって言ったから・・・」という論理があるので、自分を被害者の立場においてしまい、お約束の自己憐憫状態に到達し、その状態に浸りきることによって、被害者という立場を自分で納得できてしまう。自分で納得できるだけではなく、周囲の人間も納得してしまうことも多い。そもそもダメダメ人間の周囲には、似たようなダメダメ人間が集まっていることが通例。だからマトモな世界では通用しない弁解も、ダメダメな世界では通ってしまうことも多いわけです。 逆に言うと、当事者意識がないダメダメ人間は、トラブルが起こった後になって「アイツがやれって言ったから・・・」と弁解できるようにしておきたい。だからその手の人は、自分で「ワタシはこうしたい!」とは決して言わないものです。相手の側から『アナタにこうしてほしい!』『アナタにやってほしい!』と言ってもらいたがるものなんですね。 それこそ、「ワタシは長生きしたい!100歳まで生きたいんだ!」 当人がそう思っていて、周囲に対してその言葉を言うのは、その人の勝手と言えます。 本気でそう思うのなら、それなりの健康管理をすればいいだけ。 しかし、ダメダメな人間はそのようには行動しない。 『○○さん!いつまでも長生きしてね!100歳まで生きてくださいな!』 そのように、誰かから「言わせる」ように仕向けるわけ。 狙い通りに実際に言ってもらえたら、他者から言われたわけなので、当人は何もしなくていい。だって他者からの要望なんだから、自分ではアクションをする必要もない。 「むしろ、要望した側が配慮すべきだろう!」とふんぞり返るだけ。 病気になっても、「あの○○さんが、『いつまでも生きて!』って言ったから生きてやっているのに、こんなに辛い病気になってしまって・・・ああ!早くラクになりたいよ!おい!コラっ!もっとしっかり看病しろよ!」・・・なんてグチになってしまう。 まあ、こんなグチは実際にお聞きになった方もいらっしゃるのでは? まあ、この手のジジババのグチが向かうのは、結局は、そのジジババの子供に対してとなってしまう。 「オマエを育てるために、ワタシの一生を棒に振った!」 「こんなに辛いのに、オマエたちのために生きてやっているんだから、ちゃんと面倒みろよ!」 そんなグチばかり言うジジババは、往々にして『お母さん!いつまでも長生きしてね!』という言葉を、自分の子供に言わせようと、努力するものでしょ? 本来なら、そんな「努力」の必要もなく、子供から「いつまでも長生きしてね!」と自然に言ってもらえるようならいいわけですが、ダメダメな親は、何もしないと子供から言ってもらえない。だから自分に対して言ってもらえるように、手練手管を使うことになる。しかし、言ってもらうための努力はしても、自分で希望を実現させるための努力はしないもの。 自分で自分なりに健康管理でもして、毎日体操でもやっていれば、逆に、周囲からも、「いつまでもお元気で!」なんて言われたりしますよ。 しかし、ダメダメなジジババは、当人としては何もしないことを保証するために、周囲から言わせるようにすることになる。 長生きしたければ、自分で努力すればいいだけ。 しかし、自分で努力せず、被害者意識の中に浸っていたいダメダメな人間は、人からの要望に「渋々と」応えるというパターンにしておきたいわけ。 まあ、そんなジジババの側が、結局は長生きして、疲れ果てた子供の方は先にお亡くなりになる・・・それが現実でしょ? 人に言わせたがる他のケースとなると、結婚の際にそのような工作を用いる人もいたりします。 「ボクは君と結婚したいんだ!」と言うプロポーズの言葉を言わせるために、手練手管を使うことになる。 当人がもともと、「ワタシはあの人と結婚したい!」と思っていて、覚悟を決めているのなら、まあ「どっちが言い出すのか?」については阿吽の呼吸のようなものもある。 しかし、当事者意識がない人は、相手の側から言わせるようにして、「あの人が、ワタシと結婚したいと言ったから、しょうがないから結婚してあげたのに、あの人は、まったく家事にも協力的ではない。ホント、困ったことだ!」と周囲にグチることになる。 そんなグチが言えるためには、「あの人が、結婚してくれと言ったから、渋々受け入れた。」という形を取る必要があるでしょ? 逆に言うと、いったん、その形を作ってしまうと、結婚生活のトラブルは、全部「結婚を申し込んだ」側の問題になってしまうわけ。 そして、周囲に対して、「ダメなオトコと結婚してしまって、ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆きの声を上げることになる。 本来なら、『つーか・・・どうしてそんなオトコと結婚したの?そのオトコのどこがよかったの?アナタとしては、どんな将来設計をしていたの?』との質問も、当然のこととしてあるはずですが、何回も書きますが、ダメダメ家庭の周囲は、同類のダメダメばかり。 だから、「あの人が、このワタシに対して、結婚してくれと言ったのに・・・」という説明で、すべてが通ってしまって、周囲に対して嘆きの声を上げている側は、純然たる被害者とされてしまう。 結婚するに当たっては、「どちらが結婚を申し込んだのか?」という点などは重要な問題ではないでしょ?だって、申し込んでいない側だって、そのプロポーズを受け入れたわけですからね。 たとえ、申し込まれても、相手に問題があれば、拒否すればいいだけですよ。 しかし、ダメダメ人間は、プロポーズを渋々と受け入れたという認識となっていて、純然たる受け身の立ち位置となっている。だからこそ、結婚生活を運営するにあたっても、「言われたことを、渋々やる。」というスタンスに徹している。 しかし、そんな態度だからこそ、その結婚生活がうまくいかなくなるのは、子供でもわかることでしょ? しかし、結婚生活で不都合な事態になっても、「ワタシはただ、求められたことをしただけだ!ワタシは悪くない!」と言い訳に終始するだけ。 そのまま、人に言わせたがり、自身としては受け身に徹する習慣が進行すると、子供を作ることも、人に言われた形をとろうとすることになる。 この「言われたから子作り」については、別のところで文章をまとめております。 子供を作ることさえも、「あの人が子供がほしいと言ったから」という大義名分を設定し、だからこそ、いったん子供ができてしまったら、「だって、子供をほしがったのは、あの人の方だ。ワタシは別にほしくはなかったんだ。」となり、堂々と子育てをネグレクトすることになる。 そうして、周囲に対して大仰な嘆き節。 「ホント、あの人が子供をほしいなんて言わなければ、こんなことにはならなかったのに・・・ワタシって、なんてかわいそうなの?!」 自身を純然たる被害者の立ち位置においているので、事態の改善などを主体的に行う発想もない。それこそ、離婚とかの問題になっても、「言われたから従う」形を取れるように工作することになる。 誰かに相談を持ちかけ、相談相手に自分の都合のいい言葉を言わせ、その言葉に渋々従う形を作ろうとすることになる。 それこそ「子供のためには離婚なんかしてはダメ!」と言われたら、その命令に従う形を取る。 あるいは、「とにもかくにも、早めに離婚しなさい!」と言われたら、その命令に従う形を取る。 その手の人は、どんな対処法を取るかが問題なのではなく、とにもかくにも「渋々従った」立ち位置を取れることが重要になるわけです。 当人としては、相談相手からの命令に従っただけという認識なんだから、離婚したにせよ、離婚しなかったにせよ、その後の対応を丸投げすることになる。 そうして、「だってぇ・・・ワタシはアナタが言ったことに従っているだけなのよ!みんなアナタが言ったことじゃないの?アナタも自分の言ったことに責任を取りなさいよ!」と、堂々とふんぞり返ることになる。 つまり、「人に言わせたがる」人に対して、何かを言ったりすると、へたをすれば犯人認定をくらってしまう可能性もあるわけです。 人に要望を言わせたがる人って、結構危険なんですね。 あるいは、「あの人が言ったから・・・」という物言いばかりの人も、危険人物になるわけです。 人に言わせ酔うとする人も、「人に言われたから」という理屈を持ち出す人も、自分の要望を自分で考えることからの逃避の場合が多いわけ。だから強い被害者意識を持っているもの。 そんな人とのやり取りをするハメになったら、「アンタはどうしたいの?」「アンタがやりたいことを、自分でやればいいじゃないの?」と言っておけばいいだけ。 ヘタに要望を言ったりすると、「アイツのせいで・・・」と犯人認定されてしまうだけ。 ギャグのようですが、ダメダメの世界では現実のことなんですよ。 それこそ、最近では政治の世界でも、典型的に起こっているでしょ? みんなが出馬してくれって言うから、出馬して、総理になってやったのに・・・ どうしてみんなボクのことを悪く言うの?? ああ!メンドウくさ!もうっ、イヤだ!ああ!ボクって、なんてかわいそうなんだ?! 国家の最高責任者でも、そのありさま。 市井のダメダメも、まさにあんな感じなんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 最近、バックナンバーのサイトで新たなカテゴリーを作ったりしています。 ひとつのカテゴリーの中に40本以上の文章が入っているのは、やっぱりわかりにくい。だから従来のカテゴリーから分割したりしております。 ということで、自分が作った文章を読み直す必要がある。 自分で書いた文章なので、特に負担はないはずなのですが、意外にも、読むことは書くよりも精神的な負担はあったりするもの。 文章を書く際には、「どんな表現にすると、端的に、そしてインパクトがあって、誤解されないか?」などの文章表現についての思考が、かなりのパーセンテージを占めるわけですが、読む際には、そんな思考は必要ない。 だから、逆に、自分の文章を読むと精神的に落ち込んだりするわけ。 「いやぁ・・・シビアーなこと書いているなぁ・・・」 たぶん、私の文章を読んで自殺された方もいらっしゃるでしょうね。 実際に予告のメールもいただいたこともあるし・・・ もちろん、そんな方は、前々から困っていて、私の文章がトリガーになっただけと言えるんでしょうが。いずれにせよ、ダメダメ家庭出身者には、生死の淵に追い込む文章であることは確かでしょう。しかし、そんな煉獄をくぐらないとダメダメからの脱却なんて出来ないことも、また事実なんですね。 |
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R.10/12/24 |