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カテゴリー ダメダメ家庭の認定行動
配信日 08年9月26日 (10年6月11日 大幅に記述を追加)
タイトル 反論してこないものを犯人認定
ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強く、何事も自分が被った被害と考える。
このことは、このメールマガジンで頻繁に触れております。
何か不都合なことがあると、「ああ!どうして、こんなことに?!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くばかり。
そして、嘆いて・・・自分では何も対処しない。

ここで嘆いて何もしないばかりならまだしも、そのようなダメダメ人が現実的に進むのは、「ワタシに被害を与えているのは誰なのか?」という加害者探しとなってしまう。
そうして、何かを犯人認定して、その認定した犯人を恨み、嫌がらせをする。
そのような嫌がらせ行為をすることによって、「アイツが犯人だ!」「アイツのせいでワタシはこんなヒドイ目に・・・」と自分自身に確認する儀式とすることになる。

しかし、ダメダメ人間は、そもそも当事者意識がない。だから普段から自分では考えない。
犯人探しというか、トラブルの原因追究においても、自分でしっかり考えるわけではない。
そして、ダメダメ人間は、会話の能力がないし、説明能力もない。
もし、自分が犯人認定した相手から、反論されたら、何も言い返せないし、自分の考えを客観的に説明することもできない。
相手から言い返されたら、ただ逆上して、恨みの心を溜め込むだけ。

だから、ダメダメ人間は、犯人認定するにあたって、自分に「反論してこない」ものを犯人認定するようになるわけです。

今回のメールマガジンでは、そのような反論してこないがゆえに、トラブルの犯人として認定される例を取り上げてみましょう。

1. 弱いもの・・・たとえば、家庭内においては、子供は親より弱い立といえます。だから子供を犯人認定しておけば、子供は親に反論できないでしょ?子供が反論しても、親がその権力や腕力や経済力で反論を押さえ込むことができますよね?つまり自分が行った犯人認定を説明する必要がないといえます。まさに「いったい誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」「オマエを育てるせいで、ワタシの人生は台無しだ!」と言い放つだけでいい。そうやって子供を犯人認定する言葉を繰り返すだけ。そして、「オマエが食べて生きていられるのは、親であるワタシたちのおかげじゃないか!」と、子供に恩を着せて、何も言えないようにしてしまう。そんな言葉を受けたら、子供はどうやって反論するの?

ダメダメ家庭は、被害者意識が強いので、日頃から自分の被害ばかり語っている。
そして、より被害が大きい方が序列が高いという被害者競争をやっている。
だから、「自分より被害が小さい。」と親から認定されている存在である子供は、下の序列と認定されて、上の序列である親に何も言えない状態となっている。それに味をしめた親は、何度も何度も、トラブルがあると子供を犯人認定することになる。犯人認定されるがゆえに、ますます下の序列になってしまって、ますます何も言えなくなる。

ダメダメ家庭の子供は、家庭内で、もっとも弱いがゆえに、別の言い方をすると、実質的にはもっとも大きな被害を受けているがゆえに、親から犯人認定を受けてしまうわけです。

2. 距離のあるもの・・・それこそ、何かというと「ユダヤ人の陰謀」なんてことを持ち出す人がいますよね?当人の現状はともかく、「その人」が現在トラブル状態にあるのは、ユダヤ人のせいなの?そうじゃないでしょ?そんなことを言うような阿呆はユダヤ人も相手にしませんよ。あるいは、それこそ「政府が悪い!」とかの犯人認定もおなじみでしょ?

政府としてもそんな犯人認定に対して、反論はしませんよ、いちいちね。
政府高官がやってきて、「アナタはこの国が悪いと思っているの?じゃあ、別の国に移住したら?」とでも言うの?そんなわけないでしょ?
だから、逆に言うと、安心して犯人認定できてしまう。
つまり、当人から距離のあるものを犯人認定しておけば、反論されないで済むことになる。

3.関係ないもの・・・前記の「距離のあるもの」に近いパターンですが、当人の問題とは直接には関係ないものもダメダメ人間から犯人として認定されるものです。それこそ、「時代が悪い!」とかの物言いはポピュラーでしょ?そんな「時代が悪い!」なんて言葉に、まさか「時代さん」が反論しに来るわけもない。時代が現れて「オイオイ!オマエが不幸なのはオレのせいなのか?」「そんな悪い時代に、どうして子供なんて作ったのかい?」なんて言ってきませんよ。

4.一般的なもの、抽象的なもの・・・上記の関係ないものに近いパターンとして、ダメダメな人は、その人にとって、現実の具体的な個別の対象よりも、それを一般化したものを犯人認定したりするものです。たとえば、自分の父親との問題を、男性一般の問題に拡大して、クレームをつけるようなことをする。「オトコたちのせいで・・・ワタシたち女性は、こんな目に!!」そのように一般化した対象を犯人認定するわけです。男性一般に対するクレームだと、その「男性一般」も反論はしないでしょ?それこそ自分の父親という具体的な存在だから反論してくるわけで、概念的な存在は反論はしませんよ。


以上をまとめると、ダメダメ家庭においては、自分たちと距離があったり、直接には関係ないものだったり、自分たちより弱いものを犯人認定するわけです。

上記の文を、もう一度、よく読んでくださいね。
上記の設定は、明らかに無理があるでしょ?
だからこそ、つるし上げなどの犯人確定の儀式を挙行して、その関係性を自分たちで確認するわけです。つるし上げって、まさに反論を許さないスタイルそのもの。

あるいは、「オマエが悪いんだ!」なんて犯人認定の言葉を投げつけ、そそくさとトンズラしてしまう。いわば「捨てセリフ」のパターンです。言葉を投げつけてトンズラだから、当然のこととして、反論はされない。

そもそも、自分自身の認識なり思考を抑圧しているのがダメダメ人間というもの。
そんな人は、トラブルの原因の追究だって、現実に即して、論理だってできはしない。
とにもかくにも、トラブルを見たくないというだけ。
事態を本質的に解決するというよりも、とにもかくにも目の前から消えて欲しい・・・そんな心情なんですね。
だからこそ、「こんにゃくゼリー」を買わないという判断ではなく、「こんにゃくセリー」を根絶という方向に向かってしまう。目の前にあった時点で、アウトになってしまう。

事態を理解し、改善する意欲も無く、ただ、「アイツのせいで、うまく行かない!」と誰かを犯人認定できればいいだけ。
だから、自分に対して直接的に反論してこないものを犯人認定するわけですが、ちょっと間接的なスタイルで、「反論されにくいもの」を犯人認定するパターンもあります。

それこそ、いわゆるポルノなどの有害図書の問題などはその典型でしょう。
ポルノを犯人認定しておけば、まあ、反論はされにくい。
その手のものは、ちょっと後ろめたいものですからね。
だから、『その犯人認定は違うのでは?』という疑問の声が呈せられることもなく、「悪いのは全部ポルノのせいだ!」と言っておけば、それが通ってしまう。

まあ、ポルノは、有益なものではないでしょう。
どっちかというと、実際として有害でしょうね。
しかし、もっと有害なことは、ポルノに全部の問題を押し付けて、思考停止になってしまう逃避的な心情の方なんですね。

そんな人は、それだけ現実を直視するのが怖がっている。
だからこそ、子供の話も聞いていない。
実際に、有害図書の根絶のような運動をしている親たちからは、子供の話を聞いている「匂い」がしないでしょ?その手の運動の人は、まさに「一方的」で「問答無用」の匂いがするでしょ?会話の意欲も能力もないがゆえに、一方的なスタイルになってしまう。
逆に言うと、子供の話を聞きたくないがゆえの、その手の運動なんですね。

それこそ、ポルノを犯人として認定して、それが通ってしまうと、その根底にある犯人認定の心理は、むしろ強化されてしまう。
結局は、家庭内で何かあると、反論できない存在である子供を、もっともっと反論できない状態にしてしまう。そもそも、何かをヒステリックに犯人認定して、攻撃している姿を見せられれば、子供だってそんな親には何も言えませんよ。
結局は、最初から最後まで会話も説明もなく、一方的な被害主張の声だけが飛び交っている・・・そんなダメダメ家庭の雰囲気が強化されるだけ。

逆に言うと、その手の過激なまでのポルノ反対運動をしている親の子供に対して、どのようにケアしていくのか?
現実的にはそんな問題もあるわけです。

しかし、そんな現実的なサポートをしようとすると、どうなってしまうのか?
過激な反対運動の闘士がどんな反応をするのか?
その手の過激な運動は、いわば逆上の一種であり、自己逃避に『倫理的な』大義名分をつけただけ。
結局は、そのツケが子供に集約してしまうものなんですね。
実際に、その手の活動をしている家庭の子供が、幸福な大人になっている実例ってありますか?
だって、被害者意識が充満し、会話不全の家庭で育っているんだから、子供にしてみれば、ものすごいハンディキャップですよ。
それをハンディキャップとして認識し、改善していくのならまだしも、実際には親譲りの犯人認定に逃げ込んでしまう。
そうやって、犯人認定に逃げ込む心理も、どんどんと積み重ねっていき、結局はどこかで爆発してしまうわけです。

その背景として存在する犯人認定の心理に着目しないと、子供にツケが集約するばかり。
「子供のため」という物言いになっていても、その内実としては「子供のせい」に近いところにある。被害者意識が強く、現実逃避のダメダメな親は、どうしても、犯人認定の心理と結びついてしまうんですね。
それこそ「子供のために離婚しない。」と周囲に語る親が、後になって「子供のせいで離婚できなかった。」と、子供に対してグチるようなもの。

逆説的になりますが、過剰なまでに倫理的な観点なり物言いは、「自分はどうしたいのか?」というプラグマティックな観点からの逃避のパターンが多いわけです。
倫理を掲げることにより、犯人認定に逃げ込む大義名分としているわけです。
いつも書きますが、過剰なまでに倫理的な物言いは、「汝自身を知れ!」という倫理の基本からは遠いもの。
犯人認定をやっているうちは、倫理からは遠くなるばかりなんですよ。

(終了)
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発信後記

ダメダメ家庭の人間が何かをしたり、言ったりする際には、基本的には、「自分を納得させるため」に発言したり、行動したりするものです。

やり取りをしている際に、

「あの人の・・・さっきの言葉って・・・どんな意味なんだろう?」
「言葉自体は、なんとなくつながっていても、すっきりと理解できない。」

なんて思ってしまうことってあったりしませんか?
そのような場合には、立場を変えて考えてみて、聞き手である自分自身の感想からではなく、発言者の心理を考えてみると、その発想が理解できるようになったりするものです。
理解できる・・・と言っても、要は「ワタシは悪くない!」ということを、自分自身に納得させるだけのことが多いもの。
そんな人の言葉を、聞き手の側から考えても、途方にくれるだけなんですよ。
R.11/1/16