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カテゴリー ダメダメ家庭の被害者意識
配信日 08年10月1日 (10年12月20日 記述を追加)
タイトル 人による被害への食いつき
さて、このメールマガジンでは、ボランティアの連中のことをボロクソに書いています。
と言うことで、ボランティアの問題について、ご質問を頂戴したことがあります。
ボランティアと言っても、ベルマーク集めとかご近所の掃除とか・・・あるいは、このメールマガジンで直接的に言及したりしているドメスティック・ヴァイオレンス(DV)の「被害者の女性を保護するボランティア」のようなものまで・・・多くの種類のボランティアがあるけど、それらは全部ダメダメなのか?あるいは、どのような特徴があったらダメダメなボランティアと言えるのか?

そのようなご質問でした。

さて、このメールマガジンでは、ダメダメ家庭というものは、強い被害者意識を持っている・・・このことについて頻繁に書いています。そもそも当事者意識がないので、当人のしたいこと、やり遂げたいこと、それ自体が存在しない。だから、物事を受動的な形で認識することになり、結果的に、あらゆることが被害と認識されるわけ。
当人が被害者意識を持っていて、普段から被害について考えているので、他者の被害に対する反応には鋭いものがある。

自分の目の前で誰かが泣いていると、「コイツは・・・泣くことによって、このオレよりも大きな被害があると主張しているのか?オレの方がもっとかわいそうなのに!ケシカラン!」と過剰に反応してしまったり、あるいは、他者の被害を見て、かつての自分の親が自分に対して被害を語り続けていたことを思い出し、思考停止になってしまう。そんなパターンもあります。
これらについては、以前に配信しております。

あるいは、相手の被害の話に共鳴して、「ああ!アナタもそうなの?!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と一緒になって大喜び・・・そのパターンもあるわけ。
被害者意識で共鳴できるので、相手も自分もいい気持ち!
勝手にいい気持ちしていればいいわけですが、当然のこととして、そんな共鳴の結果が、別の誰かを犯人認定することであることは誰でも分ること。
そうやって、自分自身の問題から逃避し、「お仲間」と一緒になって、つるし上げにいそしむようになってしまう。

ボランティアと言うか、いわゆる人助けであっても、その事態に被害というシチュエーションがあったり、その心理的な根底に被害者意識がある・・・それがダメダメなボランティアになるわけです。

世の中の多くの人は、言葉に対して、あまり鋭敏とは言えない。「これはちょっとボランティアとは言えないのでは?」と思わされる集団も、ボランティアなどと自分たちで名乗ってしまうこともあるもの。たとえば、かなり以前に、静岡県の浜松で「浜松餃子愛好会」なる自称『ボランティア団体』の人たちによるコメントがありました。その人たちにしてみれば、『ボランティア団体と名乗っておけば格好がいいじゃないか!』とでも思っているんでしょうが、餃子愛好会をボランティア団体というのは、いくらなんでも無理がありますよ。だって、人助けでも何でもありませんからね。とは言え、その「餃子愛好会」は、まあ、ダメダメの観点から見ると、人畜無害ですよ。
当人たちが勝手に楽しんでいるだけなんだから、純粋に当人の問題ですよ。
言葉使いには問題があっても、活動や精神には問題がない。

そのようなことは、それこそ学校でのベルマーク集めでも同じ。
ベルマークを集める活動の対象に、被害はないでしょ?被害者を救済するというものではありませんよね?
このようなことはスーパーでのレジ袋不要のような、身近なお手伝いに類するものですよ。

ダメダメな人は、被害者意識が強いので、被害に対して反応することになる。
ボランティアとなると、割とポピュラーなのが災害被害時のボランティアです。
これも被害に反応している例ですよね?
この場合の被害者は、災害に合われた方。
では加害者は?大きな災害を起こした台風なの?それとも地震なの?

それは原因であっても、加害者とは言えないでしょ?
そのような、自然災害に関わる事例だと、被害に過剰反応するダメダメなボランティアも参集するわけですが、「お手伝い」感覚のマトモなボランティアも集まってくることになる。

「被害者の救済」に近いものと捉えているのか?
それとも、ご近所の掃除の延長と捉えているのか?
参集するボランティアの心理にも、2種類存在するわけです。

自然災害時においては、加害者というものが意識しにくい。
だからこそマトモな人も集まってくるわけですが、ここで加害者が明確に意識されるような状況となると、まさにダメダメ人間が集まってくることになる。
それこそドメスティック・ヴァイオレンスのような状況だと、被害者と加害者の関係性がわかりやすいでしょ?

だからこそ、自分で物事を考えたくないダメダメ人間には、心休まるわけ。
それだけではありません。その加害者を、一緒になってつるし上げることもできるでしょ?
これが自然災害だったら、加害者をつるし上げることなんてできませんよ。

人による被害が発生している状況。
別の言い方をすると、人間が加害者となっている状況。
そんな状況だと、被害者に同情を表明し、加害者を攻撃し、つるし上げることができる。
ここでは『状況の原因が、人である』ことが重要であって、被害者が人であることはどうでもいいわけ。
だから、有名なグリーンピースのように、鯨の保護に対して狂信的に主張し、行動している人って、「鯨の保護」ではなく、まさに「加害者への攻撃とつるし上げ」が目的になっているでしょ?

そのような行動の背景には、当人の被害者意識があるわけ。
そして、自分自身を抑圧しているので、自分自身の問題を考えることが怖い。だから、自分が直面しているマター以外で、「人による被害」が発生している状況に出かけていって、加害者を攻撃して、うさを晴らす。
そうして「ああ!オレ『たち』ってなんてかわいそうなんだ?!」とお約束の嘆き節となる。

その手のボランティアは、被害者保護という名目を掲げても、一番の目的は加害者への攻撃となっている。攻撃することが目的なんだから、対象とする状況は人による被害が発生している状況でないとマズイわけ。

「被害者vs加害者」の構図が明確な状況ほど、ダメダメな人間が集まってくるわけです。
またダメダメな人間は、どんな状況も「被害者vs加害者」の構図で理解しようとするもの。それこそイラクでつかまったボランティアですが、「イラクの子供たちを助けよう!」と言う発想ではなく「イラク=被害者 アメリカ,日本=加害者」という構図でイラクの状況を理解していたでしょ?だからこそ、加害者を攻撃することしか能がないわけ。

あるいは、有名なロックバンドであったビートルズのメンバーだったポール・マッカートニーさんは、ちょっと前に奥さんと離婚でモメましたが、その彼女は地雷問題の活動家だった女性です。その彼女は典型的なまでにクレーマーだったでしょ?
自分が加害者認定したものを犯人認定して、つるし上げることばかりでしたよね?
そのつるし上げる対象が、状況において、地雷というか軍隊になったり、夫であるポール・マッカートニーになったりするだけ。その手の人間は、とにもかくにも、加害者への攻撃しか能がないわけ。

何もボランティアと名乗らなくても、市民運動のような形で、このようなクレームとつるし上げを行う例も多いでしょ?東京で起こった漫画家さんの家に対するクレームも、「人による被害」に過剰に反応した典型ですよね?
わざわざ気に入らないものを凝視して、「まあ!何てことなの?!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!アイツに抗議してやる!」と息巻くことになる。
この事例も、当人たちにしてみれば、「被害者vs加害者」という構図が明確なので、自分で考えなくてもいい。ただ、相手をつるし上げるだけでいいわけ。

ドメスティック・ヴァイオレンスなどの「被害者vs加害者」の構図には、つるし上げ愛好家が寄ってくる・・・そんな指摘に対して、「また極端な!」と思われる方も多いでしょうが、その手のボランティアの方々を実際にご覧になってくださいな。
「被害者の女性も、確かにお気の毒だけど・・・それにしても、よくもこんな人を近くに侍らせているなぁ・・・」と思いたくなるような人ばかりですよ。それこそ鯨保護のグリーンピースの活動家連中と雰囲気が一緒なんですね。
被害を感情的にがなりたてるだけで、聞く耳持たないキャラクターの人ばかりですよ。
そんな人と、どうやってやり取りをするんだろう?
逆に言うと、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥るような「人を見る目がない」女性だからこそ、マトモな人からは相手にされないダメダメなボランティアでも寄っていけるわけです。

その手のボランティアを直接見るためには、地方自治体主催のセミナーが有効だと思います。図書館の入り口あたりには、美術展やコンサートの案内のチラシとともに、そんなセミナーを案内したチラシもありますよ。基本的には無料ですから、皆さんも参加してみては?その手のボランティアと一緒になって活動したら、色々とメンドウなことになるだけ。
そんなセミナーを通じて、その手の人を周囲から観察する・・・そうすれば多くのダメダメが見出されると思います。

その手の「被害者救済」の事例においては、「加害者として認定」された存在よりも、「加害者にクレームを付け続ける存在」の方が、心を病んでいる状態であって、まさに「親の顔を見てみたい。」となるわけ。逆に言うと、その手の人は、自分自身から逃避しているわけ。逃避の一環として、誰かへのクレームがあるわけです。

わざわざトラブル状況に飛び込んで行って、被害を声高に語るのはその人の勝手ですが、そんな人に育てられる子供が一番の被害者なんですね。
そもそも、それだけ「被害に対するセンシビリティ」というか、「何事も被害として認識する」わけだから、当然のこととして、子育てすら、親である自分が押し付けられた被害として認識しているわけです。
そして、「親であるワタシに迷惑をかけるな!」と、子供に対して厳命することになる。

本来は、子育てを被害と認識するような人は、親になってはいけないわけですが、逆に言うと、当事者意識がなく、スグに被害者としての立ち位置に収まってしまう人なので、子育てに対する責任感もない状態で、子供を持ってしまうわけ。

そして、子育てに対する被害を、加害者たる自分の子供に対して語り続けることになる。
そもそも、被害への食いつきが鋭い人なんだから、子供の欠点を見つけ指摘することが大得意。日頃からあら探しとなっている。
そして、「オマエの○○のせいで、ワタシはうまくいかない!」と、被害をますます語ることになる。それも、まさにグリーンピースの活動家のように感情的な物言いとなる。

しかし、逆に言うと、加害者を糾弾するということは、その糾弾する側にしてみれば、「被害者としての自身のアイデンティティ」が実感できるわけだから、実は心地いい状態になっている。
だからこそ、自分の被害が発生するような事態を避けようとはしないわけですし、被害が発生している状況に喜んで関わることになる。
被害に食いつく人は、自分でもそんな状況を作ってしまうものなんですね。
だから、本来は加害者に近い存在といえるわけです。
それこそ、自分の子供をなじるよりも、そんな子供にしてしまった親である自身の問題を考えるのがスジというものでしょ?
しかし、この手の人間は、真っ先に自分の被害を語り、誰かを攻撃するだけなんですね。

(終了)
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発信後記

新しい内閣で大臣が放言で、スグに辞任となりましたが・・・
その中山さんは旧大蔵省の出身とのこと。
キャリア官僚たるもの、その物言いにオブラートくらいは、日常的につけますよ。何も考えなくても、オブラートを付けた物言いになりますよ。TPOによって、オブラートの厚さを変えるくらいも朝飯前。

だから、あの発言は、わざわざ騒動を起こしたわけ。
彼の一連の物言いにはオブラートがなさ過ぎるんですね。それが不自然。
その中山さんは、鹿児島ラ・サールの出身とのこと。
だったら、日教組の教育なんて、あまり実際に体験していないわけだから、逆に言うと、そこまで敵視するのはヘンでしょ?

中山さんの日教組についての発言には、実体験に裏づけられた空気感がない。
本気で敵視しているのだったら、逆に言うと、もっと肺腑を突く表現もできるでしょう。
あの程度の表現だったら、誰でもできますよ。

わざわざ騒動を起こして辞任に持っていった理由として、金銭スキャンダルが発覚しそうだったので、別の理由を自分で作って、金銭スキャンダルが発覚する前にトンズラ・・・そんな可能性を、うがった人は考えているかも?外向きの理由と、実際の理由は必ずしも一致しないもの。
過去にも、憲法改正発言とか、この手の「格好のいい」辞任理由を作り出し、サッサと辞めた人もいたようです。

騒ぎを起こすための物言いに対して、正直に反応して、大騒ぎするのも・・・芸がない。
わざわざ大騒ぎを起こす意図なり心理から見えてくるものの方が重要なんですね。
R.10/12/20