トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る 検索すると上位に来る文章
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない体験,境遇
配信日 08年10月3日 (10年12月18日 記述を追加)
タイトル 有意義な体験
「ワタシが子供の頃に、こんなことをして有意義だったので、自分の子供にもそんな体験をさせてあげたい!」
そんな言葉は、マトモな親がよく言ったりするもの。

読んで役に立った本の場合もあるでしょうし、たとえばボーイスカウトへの参加とか、海外旅行とか、そんなもののケースもあります。
あるいは、ペットを飼って楽しかったとか、サッカーをして体力がついたとか、美術館に行って楽しかったとか、ピアノなどの楽器の習得とか・・・
あるいは、この学校で勉強して、その体験が、後の自分に大変に役に立った・・・そんな事例もありますよね?

自分が楽しかったことや有意義だったことを、後に続くものにも体験させてあげる・・・
それくらい・・・必ずしも、多額のお金が必要というわけでもないでしょ?

しかし、ダメダメ家庭ではそんな当然のこともしない。そもそも、ダメダメな親は自分にとって有意義だった体験なんて、もともと持ってないわけ。子供の頃の体験において、そんな有意義な体験がないというだけでなく、大人になっても、そんな体験がない。
だって、何もチャレンジせずに、「て・き・と・う」に生きているのがダメダメ人間というもの。
自分にとって有意義と思う体験が、そもそもないんだから、子供にも伝えようがないでしょ?

というか、ダメダメ家庭の親は、子供から「もらう」発想になっていて、子供に「与える」発想は持っていない。「自分の子供が幸福な一生を送ってほしい。」とはそもそも考えていないわけです。むしろ、子供に老後の面倒をみさせようとか、面倒なことは子供に押し付ければいいや!そんな発想で子供を持つことになる。

大人同士でのちょっといしたやり取りにおいても、「子供の頃にやって、大人になった今になって役に立っていること。」というマターもあったりするでしょ?
そんな内容のやり取りになったら、どのように答えるの?
まあ、その手の人間は「子供の頃の有意義な体験?うーん・・・特にないなぁ・・・ワタシはふつうの子供だったから・・・」としか回答できなくなってしまう。
しかし、逆に言うと「有意義な体験が何もない」子供時代が、「ふつうの子供時代」と言えるの?

あるいは、自身の「有意義な体験」について何も言えない人は、今現在は、充実した日々を送っているの?
自身の有意義な体験について何も語れない人に対して、
「今現在は、どんな日々なの?」
そんなことをその人に聞いてみてごらんなさいな。
まあ、返ってくる回答は、「うーん・・・ふつう。」となるのは簡単に予想できるでしょ?
まさに、自身では何も考えずに、人に合わせて、生きているだけの状態と言える。

しかし、そんな人間が、どうして結婚したの?
あるいは子供を作ったの?
自分自身にとって価値があったと思う体験がないような人が、できてしまった子供と何について話すの?

そう!そんなダメダメ人間は、結局は、子供を育てるという体験によって、自分の「有意義な体験」のデビューとしようと考えるわけ。しかし、じゃあ、子供をどうやって育てるの?
だって、「何をすると後の人生に有意義なのか?」そんなことが全然わからないわけでしょ?たとえ、子供をもって有意義だったとしても、できてしまった子供に対して、「オマエも早く子供を持てよ!有意義だぞ!」なんて言うの?そうやって、未成年のうちに妊娠することを親として奨励するの?そんな親によって育てられた子供がマトモに育つの?

結局は、その子育ても上手く行くわけもなく、お約束の「犯人探し」と「犯人認定」となってしまう。
その犯人認定は、往々にして身近なものに向かう・・・つまり子供。そうして「オマエのせいで、ワタシの人生を棒に振った!」とグチ。
あるいは、とりあえず、周囲のものを犯人認定し、その被害を子供に語るわけ。

「あの○○のせいで上手くいかない!」
「ああ!オレたちって、なんてかわいそうなんだ?!」

何ともまあ!有意義な会話だこと!
そんな状況で、子供がマトモに育ったら奇跡ですよ。

自分にとって有意義な体験として何があったのか?
それくらい、スグに浮かばないような人間は、子供を持ってはダメでしょ?だって、その気になったら、大人になってからでも、そんな体験は作ることができますからね。

しかし、以前にも書きましたが、ダメダメ人間は、結局は、子育てによって、人生のデビューをしようとしようとするもの。
しかし、デビューから上手くいくことなんて、滅多にありませんよ。

そうして、結局は、グチの羅列に終始することになる。
その人の親が、まさにそうであったようにね。
せめて、子供としては、その光景から、自分で考える必要があるわけです。そんなダメダメな親とのやり取りは、楽しい体験とは言えませんが、自分で考えることへの端緒とできれば、それなりには有意義な体験とすることができるでしょ?

有意義な体験デビューは早い方がいいわけ。親から与えられるものがないのなら、そんなダメダメな親を観察する・・・そんな必要もあるわけです。
そして、単に「反面教師」とするのではなく、「じゃあ、自分はどうしたいのか?」そんな発想まで持っていく。
「自分はどうしたいのか?」それについて考えることは、実にシンプルなことですが、人間の基本であり、有意義なことでしょ?そうして、自分自身で「有意義な体験」を作っていくしかないわけ。

逆に言うと、ダメダメ人間は、そんなことさえ、やっていない。
そして、子育てでそれを始めようとして、ますますダメダメが深まってしまう。
そんな流れは、ダメダメ家庭の周囲では、実にポピュラーな事例なんですよ。

(終了)
***************************************************
発信後記

前回の後記で、例の中山さんの日教組に対する放言を取り上げましたが・・・
以前にも書いておりますが、中山さんの日教組についての発言に対する反論は、本来は、生徒なり、ちょっと前に生徒だった人から寄せられるのが、一番スジが通っているもの。
日教組の側が、顔を真っ赤にして、反論しても、効果はありませんよ。
生徒なり、チョット前に生徒だった人からの反論がないとすれば、何よりも日教組の側が、主体的に自分たちを見つめなおす必要があるわけ。

本来なら、教育というものは、個人が自立した認識を持ち、自立した思考ができるようにするのが、その目的でしょ?
「アタマがおかしい大臣が何を言っても、影響されない。」そのように子供たちを育て上げるのが、教育じゃないの?

ちなみに、その中山さんは「大分県では日教組の子供でないと、教員になれない。だから教育レヴェルが低い・・・」のようなことを言われたようですが、その言葉への切り返しだったら、私だったらこのように言います。
「自民党は総理大臣の息子でないと、総理になれないので、内閣のレヴェルが低い。」
ちょっと憐れむようなまなざしで、そんな言葉を言ったらインパクトがあると思うけど・・・
日教組も、顔を真っ赤にして反論している時点で、負けていますよ。
日頃からアタマの訓練をしないと、相手のイタイところを突く言葉も出てこないのかな?
R.10/12/18